(一)同人雑誌「十三人」
大正八年の秋頃、今実業之日本社に居る、たしか浅原六朗君から、今度、今年学校を出た連中のうちで、同人雑誌を発行することに決つたから、君も加はらないか、と誘はれた。下村と君しか僕は知らないんだから変だな、と私はたしか言つたのである。まつたく私は早稲田時分その二人しか自分のクラスでは話した者はなかつたのだ。それも、私は何時も後の方の席に坐つて居て、彼等も多分その近所に居たので、学校で時々顔を合はせるだけだつた。私の当時の友達は、当時私より一級下の鈴木十郎と、一級上の柏村次郎だけだつた。その二人とは随分親密に往来した。柏村はその時分からゲーテに没頭しはじめて、今独逸に留学中である。鈴木は読売新聞に勤めて居る。学校時分に一等懐しいのは、そして今も同じ文学的友達は、恐らくその二人だけだらう。――で、私は浅原から同人雑誌に誘はれた時すぐに返事は出来なかつた。そんなことを始めるのなら柏村や鈴木と行動を共にするのが当然だつた。だが、柏村と鈴木は直接には交友はなく、各々別々の周囲を持つて居た。ともかく私は二人にそれ/″\相談したのである。実際でもその前に彼等と一緒に雑誌をはじめやうといふ話はあつたんだが、しかも私が多分言ひ出したのだつたかも知れない。それなりになつて居たんだ。柏村はやはり同期の友達がやつて居る「基調」といふ同人になつて居たし、鈴木もその後「象徴」といふのに加はつたし、その年々によつてそんな風に各々同人雑誌を発行するといふやうな風潮もあつたのかな?
私は本当なら柏村の方に這入るべきなんだが、原級生の悲運だつた。
大正八年の同人雑誌は、つまり私がそこで加はつた「十三人」なのである。同人の数が十三人居たのでさうつけたのださうだ。初めての集りに行つたのは、どこだつたか忘れたが、行つてみると皆んな顔にはよく見覚えのある人達ばかりだつた。近藤、坂本、柏、野村、武藤、松村、高辻等の諸君だつた。