ホワイトフレッド・M
ホワイトフレッド・M · Japanese
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ホワイトフレッド・M · Japanese
Full text
Original (Japanese)
ドレントン・デンが突っ立ってじっと見つめる先に、キューバ海岸があり、炎が点々とちらついていた。夜の帳の下には腐敗と退廃が隠れている。猫は相変わらずネズミをもて遊んでいるが、ひとはとっくに風景に飽きてしまった。そんなことなど欧州にとってはどうでもよい。小麦が一八四〇年代豊作であり続ける限り。
だがドレントン・デンにとって重要だった訳は、自分が有名な従軍記者であるからだ。新聞種が砂丘の先、ポート・インディゴにあり、肝をつぶす恐怖と驚愕が出来していた。
ポート・インディゴに住むスペイン人は次第に困窮し、撤退に追い込まれ、混沌と邪悪が支配するようになった。デンは血なまぐさい恐怖をルポする魂胆だが、停泊するアメリカ艦隊から、誰一人上陸してはならないと厳命されていた。
というのは奇妙な話が逃亡者から伝わり、湾を越えて封鎖艦隊へ達したからだ。悪名高いドン・メクドナがポート・インディゴにアジトを築いた由。そこで王様然と振る舞い、島のごろつきどもを従えている。
早晩この混血の暴君、吸血鬼は米国に捕らえられ、すぐに銃殺されるだろう。運命論者、快楽主義者のメクドナは時の許す限り花々を摘み放題だ。
現在を楽しめ。この奇怪な混血児が新大陸の鼻先で悪臭を放っている。ゴミ山で生まれる華麗な昆虫の中でも、メクドナ以上に派手な奴はいない。
奴が何者か、どこから来たか、誰も知らないし、気にもかけない。紛れもなくキューバの毒気の中で成長した。ポート・インディゴにあるカゲスの廃宮殿に陣取り、傭兵や妖婦を身辺に集めている。
以上全てドレントン・デンが集めた情報は現地人から得たものだが、この現地人はメリランド戦艦まで泳いできて、翌朝、死際に艦上で奇妙な話を口走った。それがメクドナと黄蛾だ。でも、なぜ黄蛾なんだ。どうやら黄蛾と口走ったのは、ポート・インディゴが新たな天罰、つまり黄蛾で荒廃した為らしい。
暗闇の覆いの下に、すごいネタがあり、新聞の将来を左右する。明らかにデンの任務はそこへ向かっている。権威とか就業規則に、生来の特派員は無頓着だ。噂の黄蛾に会いに行くつもりだし、新たな疫病神をこの目で見てやる。
鮫なんか、くそ食らえ。砂丘までたった一キロだ。デンは舫い綱を伝い、密かに脂まみれの海に降りた。ヘルメットの中にはノートと拳銃を忍ばせた。運が良けりゃ、求める全てを得て、夜明け前に帰艦し、サクソン艦隊司令長官に全く悟られないだろう。
ということで、この筋金入りのバーモント州生まれの男は、しなやかで引き締まった痩身の、まるで野生猫であり、砂丘に向かって泳ぎ始めた。鮫が一番気になる。
『有名な従軍記者、惨死』
いい見出しだ。こんな特大見出しを決めつつ、自らの死亡記事を考えていたころ、つま先が砂に着いた。
ついにポート・インディゴだ。欧州人は当地に何年も足を踏み入れていない。ここに邪悪の新聞種があり、本件に競合紙はいない。
デンは勇敢に町へ乗り込んだ。町は薄暗い、しかも荒廃している。蛍が乱舞し、光っている。一、二軒の家から明かりが槍のように路上を突き刺していた。
その明かりの中に、何かどきっとするものがあった。ぞっとするほど人間の死体に似ている。何か黄色いものに包まれているようで、物体が震える有様は、夏の盛りの午後、木々が陽炎に揺らめくみたいだった。
デンはちょっと吐き気がしたが、足で物体に触った。途端にきらきら光る黄色い物が雲のように浮き上がり、デンの頭にまとわりついた。柔らかいリズミカルな羽音が、よどんだ空気を震るわせた。
後ずさりして、わっと叫んだ。立ち尽くす雲の中に、本物の黄蛾がおり、その姿は小さな毛虫で、脂ぎった体に、眼が突き出ている。最新の知見に照らしても、異常に恐ろしい姿だ。メリランド艦上で逃亡者が口走った言葉の一つ一つが今ありありと蘇った。
新しい災難がポート・インディゴに起こったのは、黄蛾が出現してからだ。この恐ろしい昆虫こそポート・インディゴの予言者でもあり、同時に祭壇布でもあった。黄蛾が雲のようにデンの足元に止まった。
次の瞬間デンが見たのは家の扉が開き、逆光に浮かぶ女の姿だった。両手を挙げてやけくそになって、助けを呼んでいる。
デンは道路を横切って、完璧なスペイン語で助太刀を申し出た。女が向きを変え、入室した部屋は幾分美しく調度されており、デンが後に続いた。
部屋の中央に突っ立ち、なにやら両手で虚空をはたいている男は四〇歳代か。整った顔立ちが絶望的な恐怖にゆがんでいる。
「突然狂ったのですか」
とデンが訊いた。
女がうめいた。
「いいえ。蛾です。黄蛾が見えないですか。けさ一匹来ました。予言は知っています。扉一枚、窓一枚も朝から開けておりませんが、この部屋に来たのです」
再びデンにさっきの恐怖がぶり返した。この部屋は様子からして、小さな黄蛾で満杯になり、不運な男が素手ではたき落とし、粉々になったサフランの花弁が男の足元に輪っか状になっている。だが、部屋中見渡しても、デンには黄蛾が見えなかった。
「何も見えませんが……」
とデンが訊いた。
「ええ。この人の苦しみは数分で終わります。ああ、神さま」
スペイン男の勇気が不意に失われたようだ。黄蛾のおぞましい恐怖により、男の魂が溶けてしまった。叫び声を上げると、両手をだらんと下げて、ウサギのように通りへ飛び出した。
デンが素早く跡をつけた。遠く行かなかった。というのもスペイン男が数十歩も行かないうちに頭から地面に倒れ、犬のように突っ伏したからだ。デンがうつぶせの体をひっくり返すと、四肢が既に冷たくなっていた。スペイン男は死んだ。
たちまち黄色い雲が男の周りにたかった。デンが女の方へ戻ってみれば、もう居ない。恐怖に我を忘れて、女は暗闇に逃げ込み、デンは二度と見なかった。
直後、デンの腕を触わるものが……。
誰かが優しくささやいた。
「アメリカ人ですね。でしたら勇敢な男性です。どうかお助けください」
遠くの窓から漏れる光の諸刃が、女の顔を横切った。とても美形、若さと健康に輝いている。前と別な女が美しく着飾り、顔はかわいいが何か曰くありげで、デンを寄せ付けない一方、誘惑している。
「あなたも危ないのですか」
とデンが訊いた。
「ええ。どんな危険かは言えませんが」
「でも見たところ、あなたは現地人でしょう」
「そうです。でもここではひとりぼっちです。親戚や友人は黄蛾のために死にました。こわい、とてもこわいのです、メクドナも」
「よく分りました。メクドナのことは僕も聞いています。何をして欲しいのですか」
「あなたは向こうの軍艦から冒険を求めていらした将校でしょう?」
「ええ、冒険を求めてきました。白状すれば、既に期待は大いに満たされました。でも僕は将校ではありません。単なる従軍記者に過ぎません」
「あの艦隊に、私を潜り込ませてくれませんか」
デンが尻込みした。お察しの通り、そんなことなど出来るはずがない。
この二番目の女はドナ・イネス・カストロと分り、ある計画を実行するけど、条件としてデンが女を助けることだとか。
女が言った。
「ここに立っていては危ないです。メクドナのスパイが至る所にいます。私の粗末な家にいらしてください。そうすれば老女ドナ・ベラを紹介します。いかがです?」
「そうして下さい」
少し歩き、二人が着いた門の先に、なんだか威厳のある家があった。
どうやらここは贅沢の極みに創られているようだ。多数の灯火の下、部屋はかなり大胆で奇抜だ。どこか遠くから、どんちゃん騒ぎが聞こえる。
デンが怪訝そうに振り返り、女に訊いた。
「あの騒ぎは何ですか」
ドナ・イネスが笑って答えた。
「つまりあなたはメクドナ様のお客ということよ。ごめんなさい、しばらく一人にさせますね」
向かいの扉がカチャリと閉まった。デンは囚われの身だと悟った。
しばらくして混血戦士が四人、完全装備で入ってきた。奴らなら奇怪な犯罪ぐらい何でもやりかねないと、一目で分った。
戦士の隊長が言った。
「メクドナ様が会いたがっておられる。ついてこい」
デンが戦士に連れられ、石畳の廊下に沿い、部屋の方へ行くと、どんちゃん騒ぎの音が聞こえた。扉を開けると、デンの目の前に目もくらむ光景が飛び込んできた。
実に驚くべき奇観だった。
ざっと四〇人ばかりの男女がテーブルの周りにたむろし、上座の小男は頭がでかく、とても利口そうな顔をしている。これがメクドナだ。
デンが入ると、メクドナが礼儀正しく立ち上がり、こう言った。
「ようこそ、つたない我が家と舞台に。ドナ・イネスが段取りを付けました。確かあなたはドレントン・デン特派員ですね。そうなら、喜んで書けるのが私の小発明品ですよ。あなたへのお返しとして、素晴らしいものを取っておきました。それまではどうかくつろいでください」
デンはしっかりした手つきで、ワインを手酌で飲んだ。
デンが完全に自覚していたのは、自分の神経が図太いこと、それに拳銃が信頼できること。まだチャンスはある。
しばらくして再び笑い声やおしゃべりが盛り上がり、激しいスペインダンスが始まった。
デンはテーブルに座って優雅な舞踏を眺めていた。どうやらデンのために踊っているようだ。囚われのデンは片目を舞踏に、片目を部屋の出口に向けていた。
「脱出は不可能よ」
と耳元でささやく声がした。
情熱的なスペイン女がデンの右側の空席に座った。三番目の女だ。顔は大理石のように硬いが、潤んだ瞳には友好的な光りがあった。
「可能なら僕を助けてください」
とデンが言った。
三番目のスペイン女が、
「気づかれずに扉の所まで行ければいいのですが……。あなたなりのお考えがおありでしょう。もしそうなら、扉まで突進しなさい、そうすればわたくしがそこにいます。さあ、踊りましょう。メクドナが疑わしげに見ていますから」
デンはすかさず浮かれ騒ぎに身を投じた。まさに火口の縁で踊る死のダンスであった。やがて、どんちゃん騒ぎにも真夜中の時報が鳴った。
デンは心ならずもダンスをやめて、メクドナを見た。メクドナは約束を忘れたのか、それとも拷問を先延ばしにするのか。とにかく指示を出さないので、舞踏が続いた。
次第に狂喜乱舞、騒がしくなっていった。デンはまさに舞踏の精霊に魂を奪われた。しばし何もかも忘れていると、背後から首を両手で捕まれて、息が出来ぬまま、どん詰まりへ連れて行かれ、万力のようにがっちり固定された。
デンは山猫のように戦ったが、見えぬ敵には全く歯が立たなかった。そのあと、柔らかい白い手が唇に触れ、何か甘く刺激のある液体を浸したハンカチを口と鼻に押し込まれた。
デンは息をぐっとこらえ、唇をぴったり閉じていたが、遂に頭がくらくらしてきて、心臓が肋骨をばらばらにしかねない。肉体がこれ以上耐えられないので、あえいで、空気をガーッと吸い込んだ。すると、まるで疲れた子供のように倒れ、甘く穏やかな眠りに落ちた。
気がついたとき、デンはマニラロープで縛られ、まるで丸焼きにされる鶏のよう。クロロホルムの余波でむかむか朦朧としていたが、それでも周りがおもしろくないなんて、不平を言うつもりはない。
部屋の中央に台があり、その上にガラス箱が立っており、巨大な棺の形をしている。ガラス面は真鍮でしっかり止めてあり、全体が台に固定されている。
メクドナが笑いながら、奇妙な装置を指差して、言った。
「何の機械かと思っているな。教えてやる。蒸し器だよ。お前を中に入れて、蓋を閉めて、ある方法でお前をじっくり蒸し焼きにする。装置の上端には穴が開けてあり、ある程度の空気が出入りするようにしてあるから、突然死することはない。装置の中は直立するだけの空間があり、お前はガラスの中からお前の行動に観客がどんな反応をするか、見ることが出来るぞ。ちょっとした新聞種だろ? 残念ながらお前の達筆が活躍する場はないけれど……」
メクドナの合図で仲間の二人がデンを持ち上げて、例の棺に押し込み、重い蓋をねじ止めした。たちまち暖かい空気が狭い空間に満ちた。一瞬頭がくらっとしたが、直後またすっきりしてきた。
メクドナが言った。
「これから半時間はちょっと単調になりそうだから、我々は勝手に楽しもう」
全員がテーブルの周りに集まり、デンは忘れ去られたようだ。
あちこち体をねじり、デンは縄抜けした。それから棺の側面を力一杯押した。そんな方法で脱出は不可能だ。なぜならテコ道具もないし、ガラスも分厚いからだ。
頭上の格子を透かして見れば、妙な絵が天井に彫刻されているような気がする。何かが日光に浮いているように見える。間違いなく一匹の小さな蝶々だ。
蝶々がだんだん降りてきて、棺の上昇気流に突っ込んできた。それから小さな透明の翼をたたみ、格子を通り抜け、羽ばたき、震えながらデンの足元に降りてきた。デンが優しく手に取った。
デンは口から出かかった叫びを必死に押さえた。ポート・インディゴで起きた天災なんて怖くない。だって汚い空気をあまり吸っていないもの。とはいえ、現地人に死が忍び寄ったことは事実だ。なぜならデンの震える手のひらにいる蝶々は黄蛾に外ならなかった。
芯から強烈な恐怖に襲われた。透明な囚人容器の向こうで、ひょっとしたら何かが起こり、馬鹿騒ぎが止まるかもしれない。
どんちゃん騒ぎの一団が一斉に会話をやめた。何かを見ているようだ。天井の高いところで、小さな黄色い群れが上ったり下りたりして、次第にはっきり見えてきた。
メクドナがつぶやいた。
「黄蛾だ。どこから来た?」
誰も答えない。だって誰も知らないもの。
ついに黄色い斥候に出くわした。大勢の青ざめた顔が天井を見上げている。サフランの花弁がロケット爆発のように散り、天井は何万という黄色の翼でいっぱいになり、ぶんぶんうなっている。
二匹の虫がメクドナの腕に落ちると、絶叫して飛び上がり、虫を振り払った。
「ああ神さま、これはいかん。これだけはまっぴらだ」
メクドナが前のめりになり、頭から床に倒れた。文字通り、死神の昆虫に刺されたようだ。
超人的な力でメクドナがのたうち回り、敵の黄蛾から一瞬逃れた。そのわずかな時間で、顔が奇妙に変化した。顔色が真っ黒になり、青ざめた唇の色と対照をなした。
次に地獄の底から絞り出すようにひとこえ絶叫して、メクドナが顔から倒れ、二度と動かなくなった。一同が震えた。事態がとても恐ろしいので、耳も聞こえず目も見えなくなったが、大災害とまでは言えない。
いよいよデンの出番だ。拳銃をひっつかんで二発ぶっ放した。
ガラスが粉々に砕けた。妙に思われるかもしれないが、発砲は気づかれなかった。見れば、あの三番目の美しい女が扉へ突進している。皆と同じようにすごくおびえているが、理性のかけらがまだ少し残っていた。デンが女の方へ忍び寄った。
女がささやいた。
「見て、扉を開けました。行って」
デンが尋ねた。
「あなたは?」
女が苦笑いして、上を指差して言った。
「残らねばなりません。私が生贄に選ばれたのであれば死にます。そうでなければここでも、どこでも安全です。外には護衛兵がいて出口を守っているでしょうが、撃ち殺しなさい。見て」
デンが見た。女が話している内に、部屋は黄色の濃い煙でいっぱいになった。無数の蛾が下りてくる。この悪名高い部族は皆殺しになる定めのようだ。デンに聞こえたのは阿鼻叫喚、だが黄色の雲以外何も見えなかった。
これ以上耐えられない。デンは扉へ手探りで進み、ウサギのように廊下を駆けた。
数秒後、路上にひとりぼっちとなった。あれはたしか、港に停泊しているメリランド戦艦の明かりだ。そのとき気づけば、小さい黄色い染みが二つ上着に付いている。
二匹の黄蛾だった。素早くマッチ箱を空にして、小さい虫を中に入れて、帽子の中に押し込んだ。
それはともかく、無人の通りを駆けて、ポート・インディゴが変わってくれよと願いつつ、煌々と明かりを点けたメリランド戦艦へひたすら向かった。頭を海面に出すまで、生きた心地がしなかった。だが運が味方して、しばらくして、自分の船室にたどり着いた。
午後遅くなってから、黄蛾を入れたマッチ箱のことを思い出した。早晩、あの恐ろしい珍品を取り出したくなる。鍵付書類箱からマッチ箱を拾い上げた。ここなら安全だ。マッチ箱の蓋を開けた。
なんと空っぽだ。ちょっと妙な臭いがして、サフラン粉の痕跡があるものの、それだけだ。はたして黄蛾は本物か、一時的な妄想か、黄色い死がもたらした幻想か。デンは決めかねて、つぶやいた。
「とにかくこの話をして有名になっちゃいかんなあ。この世の大嘘つきと言われかねない」
了
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