Ein Zwei Drei
堀辰雄
Ein Zwei Drei 堀辰雄 1 本輯に「栗鼠娘」を書いてゐる野村英夫は、僕の「雉子日記」などに屡出てくる往年の野村少年である。冬になるとよく病氣をしてゐたが、そのころはいかにも牧童なんぞになつたら似合ひさうな少年で、死んだ立原道造なども弟のやうにかはいがつてゐたものだ。が、この少年、おとなしさうに見えて、なかなかの強情つぱりで、それには立原もよく手こ
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堀辰雄
Ein Zwei Drei 堀辰雄 1 本輯に「栗鼠娘」を書いてゐる野村英夫は、僕の「雉子日記」などに屡出てくる往年の野村少年である。冬になるとよく病氣をしてゐたが、そのころはいかにも牧童なんぞになつたら似合ひさうな少年で、死んだ立原道造なども弟のやうにかはいがつてゐたものだ。が、この少年、おとなしさうに見えて、なかなかの強情つぱりで、それには立原もよく手こ
坂口安吾
芸術の最高形式はファルスである、なぞと、勿体振って逆説を述べたいわけでは無論ないが、然し私は、悲劇や喜劇よりも同等以下に低い精神から道化が生み出されるものとは考えていない。然し一般には、笑いは泪より内容の低いものとせられ、当今は、喜劇というものが泪の裏打ちによってのみ危く抹殺を免かれている位いであるから、道化の如き代物は、芸術の埒外へ投げ捨てられているのが普
坂口安吾
芸術の最高形式はファルスである、なぞと、勿体振つて逆説を述べたいわけでは無論ないが、然し私は、悲劇や喜劇よりも同等以下に低い精神から道化が生み出されるものとは考へてゐない。然し一般には、笑ひは泪より内容の低いものとせられ、当今は、喜劇といふものが泪の裏打ちによつてのみ危く抹殺を免かれてゐる位ひであるから、道化の如き代物は、芸術の埒外へ、投げ捨てられてゐるのが
牧野信一
(或時私は、菓子のことに就いて人に問はれた時、次のやうな返答を誌したことがある。たしか、おとゝしあたりの夏で田舎住ひを余儀なくされてゐた私であつた。) ―――――――――― 菓子のこと? おゝ、さうだ! ある! こんな話で好かつたら僕にも――。 ミセス・Nは、十余年前からの僕の極めて親しい友達なのであるが、五六年前に自国へ戻り、賢いミセスになつてからは、僕の
太宰治
HUMAN LOST 太宰治 思いは、ひとつ、窓前花。 十三日。 なし。 十四日。 なし。 十五日。 かくまで深き、 十六日。 なし。 十七日。 なし。 十八日。 ものかいて扇ひき裂くなごり哉 ふたみにわかれ 十九日。 十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。となり
牧野信一
「今日は二人で、こうして海を眺めながら、歌を作り合ふじやありませんか。 貴方は文科へ行つてゐらつしやるのだから定めし詩や歌をお作りになることがお上手でせう。 私なんか、どうもたゞ下手の横好で……ちよつと待つて下さい――えゝと、 ひとつ出来ました。 まあこんなものですが、見て下さい。」 「……ウム。こりや、うまい、ほんとにうまい、実によく整つてゐますね。」俺に
太宰治
I can speak 太宰治 くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂わば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき
プラーテンアウグスト
Konata ni wa Abruzzi no yama, kanata Pontini no numa, Geijutsu no kuni wo idete zka rakuyen ni iru. ●図書カード
田山花袋
J. K. Huys Mans あたりで、フランスの新らしい文章は一変したと言はれてゐる。文体、文章などゝ言ふものは、十年の間にはいつ変るともなく変つて行くものださうだが、実際さうだと私は思つてゐる。で、私はその意味でも Huys Mans の文章を面白いと思つてゐる。 Huys Mans の文章はゾラの系統をひいてゐる。それはその出立点が其処から出発したか
プラーテンアウグスト
Urbino no wakdo kosowa edakumi no ichi to tatre, Leonardo,Yo ni suguretaru kimi ga zae ni to wa kudarazi. ●図書カード
寺田寅彦
LIBER STUDIORUM 寺田寅彦 一 震災後復興の第一歩として行なわれた浅草凌雲閣の爆破を見物に行った。工兵が数人かかって塔のねもとにコツコツ穴をうがっていた。その穴に爆薬を仕掛けて一度に倒壊させるのであったが、倒れる方向を定めるために、その倒そうとする方向の側面に穴の数を多くしていた。準備が整って予定の時刻が迫ると、見物人らは一定の距離に画した非常
中原中也
人がいかにもてなしてくれようとも、それがたゞ暖い色をした影に見え、自分が自分で疑はれるほど、淋しさの中に這入つた時、人よ憶ひ出さないか? かの、君が幼な時汽車で通りかゝつた小山の裾の、春雨に打たれてゐたどす黒い草の葉などを、また窓の下で打返してゐた海の波などを…… ※ 実生活は論理的にやるべきだ! 実生活にあつて、意味のほか見ない人があつたら、その人は実生活
服部之総
How much dollar? を「ハ・マ・チ・ド・リ」と、居留地の人力車夫仲間できめてしまう。こうしてできた実用英語がピヂン・イングリッシュである。十九世紀の世界を、シナの開放と日本の開国で円形に完成した者は英語国民であったから、香港、上海、横浜と逐次つくられていった外人セツルメントで、土地のシナ人や日本人とのあいだで用いられる実用国際語も、英語を基調と
仁科芳雄
今日の純物理學界に於て,最も重きをなす世界人は Niels Bohr である.Planck 老い Einstein 衰へた今日,其右に出づるものは見當たらない.勿論各國共その國内に於ては色々の意味に於て權威者はある.又各專門に於てそれぞれの第一人者は存在する.然しこれ等の人々を一堂に集めた時,名實共に備はつた碩學を選んだとすれば,Bohr はその首位に推され
堀辰雄
Ombra di Venezia 堀辰雄 きのふからギイ・ド・プウルタレスの「伊太利に在りし日のニイチェ」といふ本を讀み出してゐる。忠實な傳記ではないかも知れないけれど、なかなか面白い。いま讀んでゐるところは、ニイチェが三十六七の時、獨逸を去つてはじめて伊太利に赴き、先づ最初ヴェネチアに滯在してゐた頃(一八八〇年三月―六月)の有樣を敍した一章であるが、ここに
富永太郎
うす暗い椽側の端で、 琥珀色した女の瞳が 光つた――夫に叛いた。 もうむかふへ向いた、 庭の樹立と遊んでゐる―― あの狡猾なまなざしは。 とり残された共犯者が 清潔な触手で追ひかける。 だがみんな滑つてしまつた、 女の冷たい角膜の上を。 夫の眼がやつと、鋭く、追ひかけた。 薄闇の中でカチカチとぶつかる、 樹と 夕焼と 瞳と、 瞳と……瞳と……。 ●図書カード
坂口安吾
Pierre Philosophale 坂口安吾 小心で、そして実直に働いて来た呂木が、急に彼の人生でぐずりはぢめたのは三十に近い頃であつた。少年のころ見覚えのある景色で、もう長いこと思ひ出さずにゐたのだが、一つの坦々とした平野を夜更けの壁にひろびろと眺めた。古い絵本と静かな物語を思ひ出した。その頃から、働くのが厭だといふのではないが、――いはば、何かしら、
寺田寅彦
PROFESSOR TAKEMATU OKADA 寺田寅彦 Prof. Takematu Okada was born on August 17, 1874, In Husa of Tiba Prefecture, a sunny and peaceful riverside town of the Great Ton, within forty kilom
プリリューエドゥアール・エルネ
(著者のプリリューは,最外殻の子嚢子座および内部の子嚢殻の両方を合わせてこうよんでいると思われる.以降,多くの場合,子嚢子座と読み替えて差し支えない) 国立学院教授(原文では「M. PRILLIEUX, de 〔l'Institut〕」.確証には至らなかったが,「M.」は教授職などの専門職を表す敬称Matreの略とみなし,仮に「教授」の訳をあてる.不可解なこ
中谷宇吉郎
いつか小宮さんと同車した時、科学者などいわゆる文章の素人の人が書いたものの中には非常に面白いものがあるから、何か書いてみてはどうかと勧められたことがある。その時レッシングがその姉に手紙をときどきくれと云ったら、その姉が私は教育を受けていないので碌な手紙は書けないからと云ったという話が出た。レッシングはその時、姉に Schreibe wie du sprich
宮本百合子
Sketches for details Shima 宮本百合子 ○床の間の上の長押に功七級金鵄勲章の金額のところはかくれるような工合に折った書類が 茶色の小さい木の椽に入ってかかっている、針金で。 ○大きい木の椽に、勲八等の青色桐葉章を与う証が入っている。 「三万五千五百八十四号ヲ以テ勲等簿冊ニ記入ス」 書院の袋戸棚 四枚の芭蕉布にぼんやり雪舟まがいの山水
辻潤
Ich Moi bin an Aristocratic Proletariat and an inverted Idealist who contradict himself for ever. I have just got the conviction of such an audacious fellow who can even plagiarize
谷崎潤一郎
何でも十二月の末の、とある夕暮の事だった。 晴れるとも曇るとも思案の付かない空が下界を蔽い、本郷一帯の高台を吹き廻る風はヒューヒュー鳴って、大学前の大通りを通る程の物が、カサカサと乾涸らびた微かな音を立てゝ居た。 此の辺の道路は雨が降ると溝泥になる癖に、此の日は堅い冷めたい鉄板の如き地肌を寒風に曝して、其の上へ叩き付けられる砂塵が、鼠花火のように二三町渦を巻
竹内浩三
Ishikoro no michi Ishikoro no michi Kaa tto higa sena wo yaku Aoba no Midori ga me ni itai Ishikoro no saka Ishikoro no saka ●図書カード