戯曲体小説 真夏の夜の恋
谷崎潤一郎
人物 山内滋 山内博士の子息 松本文造 薬局の書生 黛夢子 歌劇女優 黛薫 夢子の妹 歌劇女優 滋の父 医学博士 浅草厩橋 山内病院の院長 滋の母 其の他浅草公園の俳優不良少年少女等数人及び病院の看護婦召使等 時 現代 所 浅草公園を中心とする区域
Public domain world knowledge library
谷崎潤一郎
人物 山内滋 山内博士の子息 松本文造 薬局の書生 黛夢子 歌劇女優 黛薫 夢子の妹 歌劇女優 滋の父 医学博士 浅草厩橋 山内病院の院長 滋の母 其の他浅草公園の俳優不良少年少女等数人及び病院の看護婦召使等 時 現代 所 浅草公園を中心とする区域
岸田国士
レオン・ドオデが、ジュウル・ルナアルの芸術を指して、「小ささの偉大さ」と呼んでゐるが、そのジュウル・ルナアルは、芸術家としてのエドモン・ロスタンをまた、「月並で、しかして、偉大」と評した。この二つの「偉大」といふ言葉には、それぞれ、評者の「使ひ癖」も現はれてゐるらしいが、兎も角、このパラドクサルな讃辞は、私に、作家の稟質といふ問題を考へさせると同時に、芸術の
岸田国士
戯曲界不振の声を聞くことすでに久しい。一見、まさにその通りである。本紙記者からその問題について書けと言われた時、私は書けばどうなるのだろうと思った。が、よく考えてみると、なるほど戯曲は小説ほど人目にたゝないけれども、この一、二年来、決して不振とは言い切れない、ある新しい気運をはらみ、私などの眼からみると、これまでにない活発な動きを示しだしているのである。 も
岸田国士
戯曲時代 岸田國士 雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢を、誰かゞ、名づけて戯曲時代と呼んでも、それは少しも不思議ではない。 『戯曲時代』――これは、また、十月創刊の一同人雑誌の標題である。その同人の一人が、自ら「劇芸術界の山椒」と名乗るその雑誌の内容については、他に、之を
岸田国士
「戯曲時代」といふ言葉の定義は僕が嘗て下したところによると「雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が、可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢」に外ならぬのであるが、さういふ時勢も昨年の半頃から、そろ/\また遷りかけてゐるやうに見える。調べて見ないとはつきりしたことは云へぬが、兎に角、二月号の大雑誌は申し合せたやうに
豊島与志雄
戯曲を書く私の心持 豊島与志雄 四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。そして僕自身も戯曲を書いて見たい気持はしばしば起ったんですけれど、いざ書こうとなると内容のイメージが、どうしても小説的に、言いかえれば、平面的になって来て仕方がなかった。この小説的とか平面的とか云う意味は、小説に於ける地の文が必要がなく
岸田国士
戯曲の生命と演劇美 岸田國士 日本の新劇が、従来西洋の芝居をお手本として「新しい演劇美」を取り入れようとした事実は、今日誰でも知つてゐることであるが、西洋の芝居のどこが面白いかといふことになると、それは誰もはつきりしたことが云へず、結局、脚本の文学的価値と、「演出」なる特殊な技術にその重心をおいて、万事が解決されたものの如く考へてゐたのである。勿論、俳優の演
岸田国士
戯曲の翻訳 岸田國士 自分の好きな作品、何遍も読み返した作品を、ゆつくり、丹念に翻訳することができたら、愉快であると同時に、結果もよからうと思ふが、今までは、なかなか、さう誂へ向きな仕事はできなかつた。 僕は、これでも、十篇近くの長短篇戯曲を訳したことになるが、原作は読んでないといふ北村喜八氏の批評を俟つまでもなく、どれも自分流で、それだけ満足といふ域に達し
岸田国士
今度明治大学の文科に文芸科といふのができ、一般文芸に関する教育、殊に、創作方面に於ける実際的指導をさへすることになり、私も亦、戯曲講座の一部を受持つことになつた。 自分の専門とはいひながら、「戯曲を書く」といふことについて、私自身、誰に習つた覚えもなく、従つて、その「コツ法」を人に伝へることなど、まつたく思ひもよらぬことなのだが、今仮に、「戯曲並に戯曲創作に
岸田国士
関口次郎君の第二戯曲集が出た。 目次に関係なく、作品の出来栄えから、と云ふよりも、寧ろ、僕の好みから本書に収められた九篇の戯曲に等級をつけるとすれば、先づ左の如くであらう。 秋の終り 女優宣伝業 鴉 乞食と夢 勝者被勝者 真夜中 彼等の平和 夜 女と男 此の等級のつけ方に、作者は或は不服かも知れぬが、それはそれでいゝのだ。僕は、関口君の特質が最も高く発揮され
北条民雄
彼女は非常に秀れた頭脳を持つてゐたのだと僕は思ふよ、これといふ理由はないのだけれど。僕はなんとなく、神秘的なものを感じてならないんだ。 その少女のことを語り始めようとする時、多田君はきつとかういふ前置をする習慣があつた。今年二十四の青年で、病気になつてから詩を書いてゐた。私は多田君とかなり親しい間柄で、その少女のことはもう幾度となく聴かされた。最初の一二回は
萩原朔太郎
世には二種屬の人間がある。一方の種屬の者は、いつもムダな死金を使ひ、時間を空費し、無益に精力を消耗して、人生を虚妄の悔恨に終つてしまふ。彼等は「人生の浪費者」である。反對に他の者は、物質上にも精神上にも、巧みにそれの最高能率を利用して、人生を最も有意義に處世する。彼等は「人生の所得者」である。 ところでこの前者の範疇は僕であり、後者の典型は室生犀星である。室
今野大力
あらゆる所有の王国に呪いあれ * 万民平等なる母体の胎児たりし時 卿等に所有の観念の兆せしや否や 我古代より現代に至る 社会の変遷による人々の苦悩は 個人があやまれる自由の曲訳により 所有の観念のあやまれる故なりと断ずるなり * 自由とは何ぞや * あらゆる個人の所有を許さざる万民平等の時 神人等が私慾の一点も加えられざる処 これあるのみ * 我ここに按ずる
戸坂潤
単に文芸批評だけではない。総ての評論風の批評は直接感受した印象の追跡を建前とする。ただその印象が芸術的な印象ではなくて、理論的印象や科学的印象である時、普通これを印象とは呼ばないまでで、この場合、印象の持っている印象らしい特色には別に変りがない。印象はそれを感受する人間の感覚的性能如何によって大変違って来る。印象とは刺戟に対する人格的反作用のことであろうが、
小川未明
陰気な建物には小さな窓があった。大きな灰色をした怪物に、いくつかの眼があいているようだ。怪物は大分年を取っていた。老耄していた。日が当ると茫漠とした影が平な地面に落ちるけれど曇っているので鼠色の幕を垂れたような空に、濃く浮き出ていた。 室の中にはいくつかの室が仕切ってあった。いずれも長方形の室で壁が灰色に塗ってあった。この家は外形から見て陰気なばかりでなく中
小舟勝二
1 「事件は今から六年前、九月三十日、午後八時から九時までの間に、いわゆる東京六大百貨店の一、S百貨店に突発した、小いさな出来事だ。大百貨店に於ける一装飾工の惨死! このことに興味を抱いた君が、これからS百貨店へ行って、六年以上勤続の店員に訊ねることは無駄だ。恐らく、誰もそんな事件に就いては初耳だ、と答えるだろうから―― 然し、当夜此の惨事に立会ったものは、
今村恒夫
俺達の手を見てくれ給え ごつごつで無細工で荒れて頽れて生活の如に殺風景だが 矍鑠とした姿を見てくれ給え 頑健なシャベルだ 伝統と因習の殻を踏み摧き 時代の扉を打ち開く巨大な手だ りゅうりゅうと筋骨はもくれ上り 俺達の如く底力を秘めている どきっどきっ脈打つ血管には 火よりも赤い革命の血が流れ すべっすべっ皮膚は砲身の如く燿いている ペシャンコにひしゃげた爪は
富永太郎
おまへの手はもの悲しい 酒びたしのテーブルの上に。 おまへの手は息づいてゐる、 たつた一つ、私の前に。 おまへの手を風がわたる、 枝の青蟲を吹くやうに。 私は疲れた、靴は破れた。 ●図書カード
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
ある粉ひきの男が、だんだん貧乏になりました。そして、とうとうしまいには、粉ひきの水車と、そのうしろにはえている一本の大きなリンゴの木のほかには、なにひとつないようになってしまいました。 あるとき、粉ひきが森にはいって、たきぎをとっていますと、見かけたことのない、ひとりのおじいさんが粉ひきのところへやってきて、 「おまえは、なんでそんなにほねをおって木を切って
田山花袋
矢張私達の問題は、作者の頭の中のイリユウジヨンを如何にそこにあらはすかといふことが大切であつて、古来幾多の作品に徴してもそれだけはたしかであるやうである。それは時代的背景とか、時代的思想とか、またはその時の調子とか気分とかいふものも決して度外視することは出来ないけれども、さういふものはその表現の中に必然にあらはれて来てゐなければならないもので、私達作者に取つ
佐左木俊郎
手品 佐左木俊郎 口上 雪深い東北の山襞の中の村落にも、正月は福寿草のように、何かしら明るい影を持って終始する。貧しい生活ながら、季節の行事としての、古風な慣習を伝えて、そこに僅かに明るい光の射すのを待ち望んでいるのである。併し、これらの古風な伝習も、そんなにもう長くは続かないであろう。 それらの古風な慣習の一つに「チャセゴ」というのがある。正月の十五日の晩
久米正雄
手品師 久米正雄 浅草公園で二三の興行物を経営してゐる株式会社『月世界』の事務所には、専務取締役の重役がいつもの通り午前十時十五分前に晴々しい顔をして出て来た。美しく霽れ上つた秋の朝で、窓から覗くと隣りのみかど座の前にはもう二十人近くの見物人が開館を待つてゐる。重役はずつとそれらを見渡して、満足さうに空を仰いだ。すぐ前にキネマ館が白い壁を聳ててゐるので、夜前
豊島与志雄
手品師 豊島与志雄 一 昔ペルシャの国に、ハムーチャという手品師がいました。妻も子もない一人者で、村や町をめぐり歩いて、広場に毛布を敷き、その上でいろんな手品を使い、いくらかのお金をもらって、その日その日を暮らしていました。赤と白とのだんだらの服をつけ三角の帽子をかぶって、十二本のナイフを両手で使い分けたり、逆立ちして両足で金の毬を手玉に取ったり、鼻の上に長
薄田泣菫
手品師と蕃山 薄田泣菫 手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。むかし、備前少将光政が、旅稼ぎをする手品師の岡山の城下に来たのを召し出して、手品を見た事があつた。 一体大名や華族などといふものは、家老や家扶たちの手で、始終上手な手品を見せつけられてゐるものなのだが、備前少将は案外眼の明るい大名だつたので、用人達もこの人の