断腸亭日乗 05 断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申
永井荷風
間適の余生暦日なきこと山中に在るが如し。午後鷲津牧師来訪。この日風なく近年稀なる好き正月なり。されど年賀に行くべき処なければ、自炊の夕餉を終りて直に寝に就く。
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永井荷風
間適の余生暦日なきこと山中に在るが如し。午後鷲津牧師来訪。この日風なく近年稀なる好き正月なり。されど年賀に行くべき処なければ、自炊の夕餉を終りて直に寝に就く。
永井荷風
秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。 碧樹如レ烟覆二晩波一。清秋無レ尽客重過。故園今即如二烟樹一。鴻雁不レ来風雨多。姜逢元 等閑二世事一任二浮一。万古滄桑眼底収。偶□心期帰図画。□□蘆荻一群鴎。王一亭 先考所蔵の畫幅の中一亭王震が蘆雁の図は余の愛玩して措かざるものなり。 ◯
太宰治
ヨーロッパの近代人が書いた「キリスト伝」を二、三冊読んでみて、あまり感服できなかった。キリストを知らないのである。聖書を深く読んでいないらしいのだ。これは意外であった。 考えてみると、僕たちだって、小さい時からお婆さんに連れられてお寺参りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお経を聞き、また国宝の仏像を見て歩いたりしているが、さて、仏教とはどんな宗教かと
近松秋江
伊賀、伊勢路 近松秋江 私には、また旅を空想し、室内旅行をする季節となつた。東京の秋景色は荒寥としてゐて眼に纏りがない。さればとて帝劇、歌舞伎さては文展などにさまで心を惹かるゝにもあらず、旅なるかな、旅なるかな。芭蕉も 憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥 といひ、また 旅人と我名呼ばれん初しぐれ ともいつたが、旅にさすらうて、折にふれつゝ人の世の寂しさ、哀れさ、ま
夏目漱石
元日 夏目漱石 元日を御目出たいものと極めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈である。雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。尤も師走に想像を逞しくしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何
長谷川時雨
初かつを 長谷川時雨 鰹といふと鎌倉で漁れて、江戸で食べるといふふうになつて、賣るも買ふも、勇み肌の代表のやうになつてゐるが、鰹は東南の海邊では、どこでも隨分古くから食用になつてゐる上に、鰹節の製造されたのも古いと見えて、社の屋根の鰹木は、鰹節をかたどつたものだと、「舍屋の上に堅魚を」と古事記にあれば、水の江の浦島の子をよめる萬葉の長歌には 春の日の霞める時
中島敦
十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸わるくないな。全くこの中のどれにでも直ぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想の外に、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは
中島敦
名人傳 中島敦 趙の邯鄲の都に住む紀昌といふ男が、天下第一の弓の名人にならうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、當今弓矢をとつては、名手・飛衞に及ぶ者があらうとは思はれぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百發百中するといふ達人ださうである。紀昌は遙々飛衞をたづねて其の門に入つた。 飛衞は新入の門人に、先づ瞬きせざることを學べと命じた。紀昌は家に歸り、妻の
太宰治
いつも自分のところへ遊びに來てゐる人が、自分の知らぬまに、自分を批評してゐるやうな小論文を書いてゐるのを、偶然に雜誌あるひは新聞で見つけた時には、實に、案外な氣がするものである。その論の、當、不當にかかはらず、なんだか水臭い、裏切りに似たものをさへ感ずるのは、私だけであらうか。こんど改造社から、井伏さんの作品集が出版せられるさうだが、それに就いて何か書け、と
中島敦
山月記 中島敦 隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文
宮沢賢治
なめとこ山の熊 宮沢賢治 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみ
小泉八雲
昔、京都に近い愛宕山に、黙想と読経に余念のない高僧があった。住んでいた小さい寺は、どの村からも遠く離れていた、そんな淋しい処では誰かの世話がなくては日常の生活にも不自由するばかりであったろうが、信心深い田舎の人々が代る代るきまって毎月米や野菜を持ってきて、この高僧の生活をささえてくれた。 この善男善女のうちに猟師が一人いた、この男はこの山へ獲物をあさりにも度
高村光雲
町内に安床という床屋がありました。 それが私どもの行きつけの家であるから、私はお湯に這入って髪を結ってもらおうと、其所へ行った。 「おう、光坊か、お前、つい、この間頭を結ったんじゃないか。浅草の観音様へでも行くのか」 主人の安さんがいいますので、 「イエ、明日、私は奉公に行くんです」 と答えますと、 「そうかい。奉公に行くのかい。お前は幾齢になった」 などと
高村光雲
さて、いよいよ話が決まりましたその夜、父は私に向い、今日までは親の側にいて我儘は出来ても、明日からは他人の中に出ては、そんな事は出来ぬ。それから、お師匠様初め目上の人に対し、少しでも無礼のないよう心掛け、何事があっても皆自分が悪いと思え、申し訳や口返しをしてはならぬ。一度師の許へ行ったら、二度と帰ることは出来ぬ。もし帰れば足の骨をぶち折るからそう思うておれ。
宮沢賢治
床屋 宮沢賢治 本郷区菊坂町 ※ 九時過ぎたので、床屋の弟子の微かな疲れと睡気とがふっと青白く鏡にかゝり、室は何だかがらんとしてゐる。 「俺は小さい時分何でも馬のバリカンで刈られたことがあるな。」 「えゝ、ございませう。あのバリカンは今でも中国の方ではみな使って居ります。」 「床屋で?」 「さうです。」 「それははじめて聞いたな。」 「大阪でも前は矢張りあれ
宮沢賢治
セロ弾きのゴーシュ 宮沢賢治 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。 ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。 トランペットは一生けん命歌っています。
宮沢賢治
むかし、あるところに一疋の竜がすんでいました。 力が非常に強く、かたちも大層恐ろしく、それにはげしい毒をもっていましたので、あらゆるいきものがこの竜に遭えば、弱いものは目に見ただけで気を失って倒れ、強いものでもその毒気にあたってまもなく死んでしまうほどでした。この竜はあるとき、よいこころを起して、これからはもう悪いことをしない、すべてのものをなやまさないと誓
楠山正雄
文福茶がま 楠山正雄 一 むかし、上野国館林に、茂林寺というお寺がありました。このお寺の和尚さんはたいそうお茶の湯がすきで、いろいろとかわったお茶道具を集めてまいにち、それをいじっては楽しみにしていました。 ある日和尚さんは用事があって町へ行った帰りに、一軒の道具屋で、気に入った形の茶がまを見つけました。和尚さんはさっそくそれを買って帰って、自分のお部屋に飾
折口信夫
春永話 折口信夫 むら/\と見えて たなびく顔見世の幟のほどを 過ぎて来にけり 昭和十年三月、私の作る所である。歌は誇るに値せぬが、之に関聯して私ひとり思ひ出の禁じ難いものがある。京の顔見世は、近年十二月行ふことになつてゐる。十一月末にさし迫つて初める為、十二月興行と謂つた形をとることになつてしまつた。此は全く、明治中頃からの新しい為来りに過ぎない。明治の末
斎藤茂吉
最上川 斎藤茂吉 最上川は私の郷里の川だから、世の人のいふ『お国自慢』の一つとして記述することが山ほどあるやうに思ふのであるが、私は少年の頃東京に来てしまつて、物おぼえのついた以後特に文筆を弄しはじめた以後の経験が誠に尠いので、その僅の経験を綴り合せれば、ただ懐しい川として心中に残るのみである。 十三歳の時に上山小学校の訓導が私等五人ばかりの生徒を引率して旅
長塚節
月見の夕 長塚節 うちからの出が非常に遲かツたものだから、そこ/\に用は足したが、知合の店先で「イヤ今夜は冴えましようぜこれでは、けさからの鹽梅ではどうも六かしいと思つてましたが、まあこれぢや麥がとれましよう、十五夜が冴えりやあ麥は大丈夫とれるといふんですから、どうかさうしたいものでなどゝいふ主人の話を聞いたりして居たので、水海道を出たのは五時過ぎになツてし
岩野泡鳴
古い 京都の それ よりは 一層 正しく、 東西南北に 確実な 井桁(市の 動脈)を 打ち重ねた 北海の 首府―― 石狩原野 の 大開墾地に 囲まれて、 六万の 人口を 抱擁する 札幌の 市街―― 住民は 凡て 必らずしも 活動して ゐるでは ないが、 多くは 自己 一代の 努力に 由つて その家を 建てた ものだ。 然し 渠等の 目に 映ずるのは、ただ 焼
梶井基次郎
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。 どうして俺が毎晩家へ帰つて来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選り
徳冨蘆花
水汲み 徳冨盧花 玉川に遠いのが第一の失望であつた。井の水が悪いのが差当つての苦痛であつた。 井は勝手口から唯六歩、ぼろ/\に腐つた麦藁屋根が通路と井を覆ふて居る。上窄りになつた桶の井筒、鉄の車は少し欠けてよく綱がはずれ、釣瓶は一方しか無いので、釣瓶縄の一端を屋根の柱に結はへてある。汲み上げた水が恐ろしく泥臭いのも尤、錨を下ろして見たら、渇水の折からでもあら