瀕死の探偵
ドイルアーサー・コナン
ハドソン夫人――彼女はシャーロック・ホームズの家主であるが、辛抱強い女性である。二階の部屋には四六時中、おかしな、しかも大抵は歓迎できない連中が上がり込むばかりでなく、その居住者ときたら生活が突飛で不規則で、これにはさすがの彼女もあきれ顔だったろう。ホームズは信じられないほどだらしないし、とんでもない時間に楽器をかき鳴らす。室内での気まぐれな射撃訓練、時々異
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ドイルアーサー・コナン
ハドソン夫人――彼女はシャーロック・ホームズの家主であるが、辛抱強い女性である。二階の部屋には四六時中、おかしな、しかも大抵は歓迎できない連中が上がり込むばかりでなく、その居住者ときたら生活が突飛で不規則で、これにはさすがの彼女もあきれ顔だったろう。ホームズは信じられないほどだらしないし、とんでもない時間に楽器をかき鳴らす。室内での気まぐれな射撃訓練、時々異
佐藤垢石
瀞 佐藤垢石 一 南紀の熊野川で、はじめて鮎の友釣りを試みたのは、昭和十五年の六月初旬であった。そのときは、死んだ釣友の佐藤惣之助と老俳優の上山草人と行を共にしたのである。 私らは、那智山に詣でた。那智の滝の上の東側の丸い山を掩う新緑は、眼ざめるばかり鮮やかであった。黄、淡緑、薄茶、金茶、青、薄紺など、さまざまの彩に芽を吹いた老木が香り合って、真昼の陽光に照
壺井栄
この一月の末に、足かけ四年ぶりに郷里の小豆島へ帰った。大して目的はなく、もしかしたら持病になりつつあるぜんそくが癒るかもしれないと聞かされての、急な思いつきだったのだが、帰ってみると顔を合せるほどの人がみんな聞く。 「どんなご用で。どうしに? いつまで?」 実はぜんそく云々ともいえず、墓参りに戻ってきたのですといっても、これまでがなにか用事にかこつけてしか帰
鈴木三重吉
私は瀬戸内海に臨んだ広島市猿楽町に生れた。丁度練兵場の入口になつてゐる町なのであるが、其所は兵隊の入る小さな飲食店、酒屋、餅屋、饅頭屋、それから兵隊の帽子や軍用雑貨を売る小さな店、さういふ店の前へ以て来て、幾通りとなく靴直しの群が列んで靴直しをやつてゐるやうな所である。 私の家は昔からさういつたなかにあつた。母は私の八つの時死んだ。それが長病ひをした後であつ
寺田寅彦
瀬戸内海の潮と潮流 寺田寅彦 瀬戸内海はその景色の美しいために旅行者の目を喜ばせ、詩人や画家の好い題目になるばかりではありません。また色々な方面の学者の眼から見ても面白い研究の種になるような事柄が沢山あります。一体、あのような込み入った面白い地形がどうして出来たかという事は地質学者の議論の種になっているのです。また瀬戸内海の沿岸では一体に雨が少なかったり、ま
北大路魯山人
倉橋さんから先日彩壺会の講演の依頼を受けました。所が私は倉橋さんみたいにうまくお話が出来ません。そこで講演は幾度かお断わりしましたが、私がかつて発見いたしました美濃の発掘品を並べて、一先ず簡単にご報告をしようということを約束しました。 古来日本では志野の焼物が大変喜ばれておる。ところがそれがどこで出来たか全くわかっておらなかった。瀬戸で志野某が注文して焼かせ
北大路魯山人
瀬戸黒だね、俺が茶碗を作るとしたら。その標準となるものは、最近見たものの中ではまずこれが良い。根強い強さに恐ろしい美しさを持っている。この強さを持つ、この美しさをもつ工人が数知れず瀬戸赤津にいるのだというが、この集落の人たちは今後なにを生んで見せることであろう。いやいやすでに純白の茶碗に豪壮単純な絵を描き、前代未聞の茶碗を作ったそうな。それが朝鮮の真似でもな
新美南吉
ひとつの火 新美南吉 わたしが子どもだったじぶん、わたしの家は、山のふもとの小さな村にありました。 わたしの家では、ちょうちんやろうそくを売っておりました。 ある晩のこと、ひとりのうしかいが、わたしの家でちょうちんとろうそくを買いました。 「ぼうや、すまないが、ろうそくに火をともしてくれ。」 と、うしかいがわたしにいいました。 わたしはまだマッチをすったこと
長谷川時雨
うづみ火 長谷川時雨 兩國といへばにぎわ敷所と聞ゆれどこゝ二洲橋畔のやゝ上手御藏橋近く、一代の富廣き庭廣き家々もみちこほるゝ富人の構えと、昔のおもかげ殘る武家の邸つゞきとの片側町、時折車の音の聞ゆるばかり、春は囘向院の角力の太鼓夢の中に聞て、夏は富士筑波の水彩畫を天ねむの後景として、見あかぬ住居さりとて向島根岸の如き不自由は無、娘が望かなひ、かの殿の内君とな
国木田独歩
たき火 国木田独歩 北風を背になし、枯草白き砂山の崕に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖より帰る父の舟遅しとまつ逗子あたりの童の心、その淋しさ、うら悲しさは如何あるべき。 御最後川の岸辺に茂る葦の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半の満汐に人知れず結びし氷、朝の退潮に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線
小川未明
季節が、冬から春に移りゆく時分には、よくこんなような静かな、そして、底冷えのする晩があるものですが、その夜は、まさしくそんな夜でありました。一家は、いつものごとく時計が十時を打つと寝につきました。子供たちは、二階へ上がって、まくらに頭を載せると、すぐかすかな、健康で心地よさそうな鼻息をたてていました。兄が十六、弟が十であります。電燈が消されたから、二つのいが
寺田寅彦
火事教育 寺田寅彦 旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。犠牲は大きかったがこの災厄が東京市民に与えた教訓もまたはなはだ貴重なものである。しかしせっかくの教訓も肝心な市民の耳に入らず、また心にしみなければあれだけの犠牲は全くなんの役にも立たずに煙になってしまったことになるであろう。今度の火災については消防方面の当局者
田中貢太郎
火傷した神様 田中貢太郎 一 天津神国津神、山之神海之神、木之神草之神、ありとあらゆる神がみが、人間の間に姿を見せていたころのことであった。 その時伊豆国に、土地の人から来宮様と崇められている神様があった。 伝説にもその神様がどんな風采をしていたと云うことがないから、それははっきり判らないが、ひどく酒が好きであったと云うところからおして、体が大きくてでっぷり
原民喜
火の唇 原民喜 いぶきが彼のなかを突抜けて行った。一つの物語は終ろうとしていた。世界は彼にとってまだ終ろうとしていなかった。すべてが終るところからすべては新しく始る、すべてが終るところからすべては新しく……と繰返しながら彼はいつもの時刻にいつもの路を歩いていた。女はもういなかった、手袋を外して彼のために別れの握手をとりかわした女は。……あの掌の感触は熱かった
原民喜
火の唇 原民喜 いぶきが彼のなかを突抜けて行つた。一つの物語は終らうとしてゐた。世界は彼にとつてまだ終らうとしてゐなかつた。すべてが終るところからすべては新らしく始まる、すべてが終るところからすべては新らしく……と繰返しながら彼はいつもの時刻にいつもの路を歩いてゐた。女はもうゐなかつた、手袋を外して彼のために別れの握手をとりかはした女は……。あの手の感触は熱
逸見猶吉
西蔵は世界の屋根といはれてゐるほどで、国全体が高い山々の連りだ。その山々の中でも群を抜いて高く、西蔵の屋根ともいはれるのが、印度との国境に跨るヱヴェレスト山である。その頂上には古い昔から、大理石のやうに硬くて真白な雪が凍りついてゐて、壁のやうにそゝり立つ、そこまで、まだ誰一人攀ぢ登つた者がない。さういふ天の世界にとゞくやうな、空気の稀薄いところでは、あれあれ
カフカフランツ
十六歳のカルル・ロスマンは、ある女中に誘惑され、その女とのあいだに子供ができたというので、貧しい両親によってアメリカへやられたのだが、彼がすでに速度を下げた船でニューヨーク港へ入っていったとき、ずっと前から見えていた自由の女神の像が、まるで突然強まった陽の光のなかにあるように見えた。剣をもった女神の腕がまるでつい今振り上げたばかりのようにそびえ、その姿のまわ
原民喜
火の子供 原民喜 〈一九四九年 神田〉 僕は通りがかりに映画館の前の行列を眺めてゐた。水色の清楚なオーバーを着たお嬢さんの後姿が何気なく僕の眼にとまつた。時間を待つてゐる人間の姿といふものは、どうしても侘しいものが附纏ふやうだが、そのお嬢さんの肩のあたりにも何か孤独の光線がふるへてゐた。たつた一人で、これから始る映画を見たところで、どれだけ心があたたまるとい
寺田寅彦
火山の名について 寺田寅彦 日本から南洋へかけての火山の活動の時間分布を調べているうちに、火山の名前の中には互いによく似通ったのが広く分布されていることに気がついた。たとえば日本の「アソ」、「ウス」、「オソレ」、「エサン」、「ウンセン」等に対してカムチャツカの「ウソン」、マリアナ群島の「アソンソン」、スマトラの「オサール」などがあり、またわが国の「ツルミ岳」
今村明恒
わが日本は地震の國といはれてゐる。また火山の國ともいはれてゐる。地震や火山が多いからとて御國自慢にもなるまいし、強い地震や激しい噴火が度々あるからとて、外國に誇るにも當るまい。實際この頃のように地震、火災、噴火などに惱まされつゞきでは、却つて恥かしい感じも起るのである。たゞわれ/\日本人としてはかような天災に屈することなく、寧ろ人力を以てその災禍をないように
小島烏水
火と氷のシャスタ山 小島烏水 山仲間から、アメリカで好きな山は何か、と聞かれると、一番先きに頭に浮ぶのは、シャスタ山である。がそれは必ずしも、好きであるからではない、位置が南に偏り過ぎて、雪が早く融けるし、氷河は小ッぽけな塊に過ぎないし、富士山のように、新火山岩で、砂礫や岩石が崩れ易いので、高山植物は稀薄であるし、「好き」になるところまでは行かないが、それで
宮沢賢治
竜王の名をしるしたる 紺の旗黄と朱の旗 さうさうと焔はたちて 葉桜の梢まばゆし 布をもてひげをしばりし 行者なほ呪をなしやめず にくさげに立ちて見まもる 軍帽をかぶれる教師 ●図書カード
小川未明
村へ石油を売りにくる男がありました。髪の黒い蓬々とした、脊のあまり高くない、色の白い男で、石油のかんを、てんびん棒の両端に一つずつ付けて、それをかついでやってくるのでした。 男は、勤勉者でありました。毎日、欠かさずに、時間も同じように、昼すこし過ぎると村に入ってきて、一軒、一軒、「今日は、石油はいりませんか?」と、いって歩くのでした。 その男は、ただ忠実に仕
牧野富太郎
火の玉を見たこと 牧野富太郎 時は、明治十五、六年頃、私はまだ二十一、二才頃のときであったろうと思っているが、その時分にときどき、高知(土佐)から七里ほどの夜道を踏んで西方の郷里、佐川町へ帰ったことがあった。 かく夜中に歩いて帰ることは当時すこぶる興味を覚えていたので、ときどきこれを実行した。すなわちある時はひとり、またある時は二人、三人といっしょであった。