緑雨と一葉
伊庭心猿
かの日都を落ちて船橋にやどり申候 きのふより市川町に戻りて百姓家を借りうけ、ともかくすごし居り候 今宵は松葉の土手と申すを下りて渡船にのりて月を觀候 なみ/\の旅ならねば落人の身の上いとゞ悲しく候 これは殘少き眞間のもみぢに候 處の名とは申ながら※ましく候 鬼共の都にて立騷ぎ候姿 目に見えておもひ候やうに眠られず候 この先いかゞ成行くべきかみづからも知らず候
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伊庭心猿
かの日都を落ちて船橋にやどり申候 きのふより市川町に戻りて百姓家を借りうけ、ともかくすごし居り候 今宵は松葉の土手と申すを下りて渡船にのりて月を觀候 なみ/\の旅ならねば落人の身の上いとゞ悲しく候 これは殘少き眞間のもみぢに候 處の名とは申ながら※ましく候 鬼共の都にて立騷ぎ候姿 目に見えておもひ候やうに眠られず候 この先いかゞ成行くべきかみづからも知らず候
太宰治
緒方氏を殺した者 太宰治 緒方氏の臨終は決して平和なものではなかったと聞いている。歯ぎしりして死んでいったと聞いている。私と緒方氏とは、ほんの二三度話合っただけの間柄ではあるが、よい小説家を、懸命に努力した人間を、よほどの不幸の場所に置いたまま、そのまま死なせてしまったという事実に就いて、かなりの苦痛を感じている。 追悼の文は、つくづく、むずかしいものである
中谷宇吉郎
昔、寺田(寅彦)先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。 大学を新しく卒業して、地方の中学校即ち今の高等学校などへ赴任する学生が、先生のところへ暇乞いに行くと、先生はどういうところへ行っても、研究だけは続けなさいと諭された。「地方の学校へ行くと、研究の設備などは、もちろん少いだろう。研究費だってほとんどないだろうが、その気さえあれば、研
中谷宇吉郎
もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。その頃先生はよく新しく卒業して地方の高等学校などへ奉職して行く人に、金や設備が無くても出来る実験というものがあるという話をして、そういう「仕事」を是非試みてみるようにと勧められていた。それ等の実例として挙げられた色々の題目の中には何時も決まって線
牧野信一
私はこの七月から入社いたし皆様のために働くことゝなりました。私の心は悦しさに充ちて居ります。それは皆様といふ沢山なお友達を得ることが出来たからであります。庭の草花もほゝえむでゐるかのやうに見える程、私は爽かさを感じながら面白く仕事をして居ります。 しかし世の中のことがさう易々と運ばれるわけはありません。殊に巣を出たばかりの私のすることは定めし皆様方に御不満が
岸田国士
編輯当番より 岸田國士 少しは面倒な仕事、柄にない仕事でも、みんなが順番にやるといふことになると、私はなんとしても厭やとは云へない。順番に何かの役目が廻つて来るといふことは、誰にでも幾分か楽しいことではないかと思ふ。人間生活の自然な相を映してゐるやうでもあり、秩序の観念の理想的な表示ででもあるやうな気がするためであらうか。私は、さういふ楽しさを子供の時分から
梶井基次郎
試驗期で編輯は少し困難で、頁數が少なかつたが、とにかく私の當番もすんだ。 京都の清水のものが出たこと、眞素木にワクが入つたこと共に新味である。 一月號から使つてゐたが、表紙は清水を通して本庄俊一氏にいただいたものである。今改めて御禮申します。
梶井基次郎
同人の大部分が歸省中の編輯の任に當り、それを全うする積りであつたが、十七日に點呼があるので、殘務を中谷や外村や小林にあづけ十六日の朝東京を立つた。 全くこの夏は暑かつた。平常は無爲な私も事務に追はれて、アスフアルトが弛んでゐるやうな街を歩いた。少し健康は害してゐたが、日によつてはその暑熱が私を街へ誘惑することもあつた。松住町から湯島臺へ上つて行く左手のバラツ
梶井基次郎
忽那が三人寄せ書きの後記を書かうと云つて、よしとは云つたもののこれと云つて書く程のことも見付からない。然し一つ、この度第三種郵便物に加入することにしたので、その手續きに出掛けた、そのことだけは書いておき度い。積極的な用事もなく、居殘つてゐるのだが、内心では早く歸つていゝ作をして驚かしてやり度く思つてゐる。それだけ。
梶井基次郎
例月に比して小量のものしか載せ得なかつたことは、青空の經濟策に變動があつたことにもよるが、編輯の任にあたつた私が病態思ふやうに働らけなかつたためである。その點パートナーの三好を多々煩はしたことを感謝しなければならない。 青空も滿二年を經た。絶えざる成長が行はれたことは讀者も感じられることゝ思ふ。内部にはそれと共に新らしい進展のための用意が出來てゐる。それが今
喜田貞吉
自分がこの特別号の発行を思い付いたのは、本年二月下旬、東京築地本願寺で催された同情融和会の折であった。かくて爾来材料の蒐集に着手し、四月にその計画を発表して各地の有志家に材料の提供を依頼し、五月の本誌上に始めて予告を掲げた様な次第であったが、今やともかくもこれだけのものを発行せしむるに至ったのは、同情者各位とともに愉快に堪えぬところである。 自分は歴史家とし
牧野信一
△銀座通りで夜更迄話した、「雑誌をやらう」と、それでも足りないで家へ帰つて夜明しなどした。五年も前の話である、鈴木と二人で、春の夜だつた。感傷的な事を云ふやうだが、今度「金と銀」が四月に出る、沈丁花の香りを窓にしながら私はこれを書く、つまらない因念だが、それも自分の悦びの一つだ。 △あの頃なら自分は全部を投げて、雑誌の仕事に従事する事が出来た、今は、この他に
正宗白鳥
この頃は回顧談が流行してゐる。昔の有名人の噂などはことに雜誌の讀者に喜ばれてゐるらしくも思はれる。讀者の喜ぶか喜ばぬかは別として、筆者自身いい氣持で書いてゐるらしい。芥川に關する回顧談、回顧的作品など、私の目に觸れただけでも幾つあつたことか。芥川龍之介といふ大正期の作家が、どれほど傑かつたにしろ、どれほど人間的妙味に富んでゐたにしろ、その噂はもう澤山だと云つ
岸田国士
練習曲 岸田國士 ――おれはかうして雲を見てゐる。君はさうして新聞を読んでゐる。彼女は、こゝへ来て、どつちに先づ話しかけるだらう。――二五高女卒頗富愛嬌不幸無支度先方職不望温情有方至急。――あの下駄の音はあんまり落着いてるね。君は珈琲を飲むかい。――飲む。信用及商品持込家財其儘証人不要手軽月賦も可。――来たぞ、おい……。――長くお待ちになつて……?――ねえ、
佐藤垢石
縁談 佐藤垢石 一 私のように、長い年月諸国へ釣りの旅をしていると、時々珍しい話を聞いたり、また自らも興味のある出来ごとに誘い込まれたりすることもあるものだ。これから書く話も、そのうちの一つである。 外房州の海は、夏がくると美しい風景が展開する。そして、磯からあまり遠くない沖で立派な鯛が釣れるのだ。私は、その清麗な眺めと爽快な鯛釣りに憧れて、毎年初夏の頃から
佐々木邦
会社に勤めること三年余、僕も少し世の中が分って来たような心持がする。公私、いろ/\と教えられるところがあった。 公に於ては、上のものに認められなければ駄目だと悟った。出世の階段を自分の足で一段々々上って行くのだと思うと違う。自分の足もあるけれど、上のものが認めて引っ張り上げてくれるのである。それだから空々寂々では一生下積みを免れない。誠心誠意に努力するものが
原民喜
就職のことがほぼ決定してその日の午後二時にもう一度面会に行けばいいと云ふ時、恰度午後一時半、彼は電車通りで下駄の鼻緒を切った。で、すぐ何処かで紐を貰へばまだ間にあったのに、円タクを呼んでその儘彼は自宅へ帰ってしまった。 親爺は息子がこんな理由で帰って来たのを知ると、「フン。」と云ったきり賛成も批難もしなかったが、腹の底では、「こいつ俺のやり方を真似てあてこす
小川未明
流れの辺りに、三本のぶなの木が立っていました。冬の間、枝についた枯れ葉を北風にさらさらと鳴らしつづけていました。他の木立はすべて静かな眠りに就いていたのに、このぶなの木だけは、独り唄をうたっていたのです。 ここからは、遠い町の燈火がちらちらと見られました。ちょうど霧のかかった港に集まった船の灯のように、もしくは、地平線近く空にまかれたぬか星のように、青い色の
北大路魯山人
いなせな縞の初鰹 北大路魯山人 鎌倉を生きて出でけん初鰹 芭蕉 目には青葉山ほととぎすはつ鰹 素堂 初がつおが出だしたと聞いては、江戸っ子など、もう矢も楯もたまらずやりくり算段……、いや借金してまで、その生きのいいところをさっとおろして、なにはさておき、まず一杯という段取りに出ないではいられなかったらしく、未だに葉桜ごろの人の頭にピンと来るものがある。ところ
上村松園
縮図帖 上村松園 縮図は絵の習いたてからとっており、今でも博物館あたりへ通って縮図して来ることがある。 そろそろ絵を習いはじめた頃、松年先生、百年先生の古画の縮図をみてはそれをその通り模縮写させていただいたものである。 その時分展覧会があるごとに、どんな場合でも矢立てと縮図帖とは忘れずに携えていっては沢山の縮図をしてきたものだ。 花鳥、山水、絵巻物の一部分、
宮本百合子
繊細な美の観賞と云う事について 宮本百合子 「春」と云う名のもたらした自然の賜物の中にすべての美がこめられて私達の目前に日毎に育って居る。 晴ればれと高い空を見ながら木蓮の白い花が青と紫の中に浮いて居るのを見ながら、私の心は驚くばかりの美を感謝もし讚えても居る。 「美」と云うものを幾度も幾度も口に云い筆先に現わすのはあんまり好い事ではないかもしれないけれ共私
根岸正吉
この一顆を大杉栄氏に呈す 彼は真の技術者にてありき。 躯幹偉大に筋骨たくましく 色浅黒き男なり。 其眼を見よ。 何物かを求めて止まぬ いずこにか何かを認めし其眼を見よ。 彼の父は放浪の織工なりき 彼の母は優しき心の美しき容の織工なりき。 帝都の郊外なる海近き 同じ工場に働く内に 若い血は若い血を呼んで 人も羨む美しき恋に落ちぬ。 彼は生れぬ先からの織工なりき
槙村浩
おなじみの古調でハイネはしみじみとシュレジェンの織工の歌をぼくに告げた無慈悲な神々、王と、不実な祖国とえ三重の呪咀を織りこんだむかしの労働者の歌を その后ぼくは皇帝の監獄部屋で皇帝の親衛兵たちのボロを解きながら皇帝の緋色の衣装を拝受した このマンチュリアの婦人服に似た着衣は皇帝の女囚によって織られた三重の呪咀は、高貴な織物の一片々々にしみわたっていた僕は毎朝
蒲松齢
洞庭湖の中には時とすると水神があらわれて、舟を借りて遊ぶことがあった。それは空船でもあると纜がみるみるうちにひとりでに解けて、飄然として遊びにゆくのであった。その時には空中に音楽の音が聞えた。船頭達は舟の片隅にうずくまって、目をつむって聴くだけで、決して仰向いて見るようなことをしなかった。そして、舟をゆくままに任しておくと、いつの間にか遊びが畢って、舟は元の