紫式部の美的情緒と浄土教
岡本かの子
紫式部が晩年阿弥陀仏の信仰に依り安心立命を得て愈々修道に心掛けた様子は式部が、日記の終りに近い条で自ら告白して居るから疑いはない。しかし、私は源氏物語や家集の和歌を読んで、それ等に含まれている式部の美的情緒の一般にも浄土教的思想の影響が可なり在るように思えるからそれに就いて述べてみ度い。 当時の仏教は霊験仏法や儀礼仏法が盛んであったが、然し心の底から生死の問
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岡本かの子
紫式部が晩年阿弥陀仏の信仰に依り安心立命を得て愈々修道に心掛けた様子は式部が、日記の終りに近い条で自ら告白して居るから疑いはない。しかし、私は源氏物語や家集の和歌を読んで、それ等に含まれている式部の美的情緒の一般にも浄土教的思想の影響が可なり在るように思えるからそれに就いて述べてみ度い。 当時の仏教は霊験仏法や儀礼仏法が盛んであったが、然し心の底から生死の問
岡本かの子
餅を焼き乍ら夫はくくと笑った――何を笑って居らっしゃるの」台所で雑煮の汁をつくっていた妻は訊ねた。 知って居るところへは旅行をするから年末年始の礼を欠くという葉書を出してあるので客は一人も来ない。女中も七草前に親許へ正月をしに帰してやった。で、静かなこの家は夫妻二人きり。温室育ちの蘭が緋毛氈の上で匂っている。三日間の雑煮も二人で手分してつくっている。 夫は餅
岡本かの子
場所、東京、山の手の一隅、造作いやしからねど古りたる三間程の貸家建の茶の間、ささやかなれど掃き浄められて見好げなる庭を前にす。 晴れたる夏の朝、食後卓上の器具とりかたづけられぬ前、卓上には器具の真中に夏花の一輪挿し。室内の壁間ところどころに金縁、或は白木の手製らしき額縁にはめられたる油画。ある一二ヶ所にヴァイオリン一二挺掛けてある。 男二十四五、武骨なれども
岡本かの子
オペラがはねて、一人の東洋婦人がタキシーを探していた。 一人のオペラ帽を光らした中年の紳士が婦人を誘って戸の開いている立派な自家用自動車の傍へ連れて行った。 婦人「あら、これはタキシーではありませんわ」 フランス紳士「そうです、これは私のです」 うしろから髪をのばしたばかりの小柄の東洋の青年が、せかせか歩いて来た。 青年「ママン! 誘惑されちゃいけない」 紳
岡本かの子
巴里は世界の十字路といわれている。巴里の中でもブラス・ドゥ・オペラ(オペラの辻)は巴里の十字路といわれている。 冬の日が暮れると神廟のようなオペラの建物は闇の中にいよいよ黒く静まり返える。オペラの開幕は八時だから今はまだその広い入口の敷石に衛戍の兵士が派手な制服で退屈な立番の足を踏み代えているだけである。その前にすぐ地下鉄の出入口が客を呑み吐きしている。オペ
岡本かの子
トシオは、大そう賢く生れ付いた男の子でした。それゆえ、まだやっと、今年十一歳になったばかりですのに、もうこの世のなかのいろいろな方面の、様々なことを知って居ました。書物などで読んだことも、一々はっきり、頭に覚え込むという風でした。 しかし、あまり、いろいろ知り過ぎたせいで、このごろ敏夫は却って、沢山な疑いを持つ様になりました。先ず、どうして世の中には、こんな
岡本かの子
父親が英国好きの銀行家であるために初め一年間はぜひともロンドンに住み、それからあとは目的のパリ留学に向わして貰える約束を持った青年画家があった。いやいや住んでいるものだからいつもロンドンからパリに行くことをあこがれていた。その画家はパリにあこがれるのによくこういう言葉を使った。 ――おおマロニエの花よ」 そしてその花の咲くころその花の下で純なパリ娘と恋をする
岡本かの子
ミス・マシュウが素人のままで女の媚が金に換る過程をはっきり掴めたのは父親が死んだその夜だ。 父親はアルバート・ホールのオーケストラに出たことのある笛吹きだった。頽齢で楽団を辞職させられてから僅の年金では暮しに足りなくて音楽の家庭教師をした。その職業も有り無しなので娘も働きに出た。 母親はマシュウが七つの時、仏蘭西から来た小唄うたいと駆落ちして行方が知れない。
岡本かの子
その人にまた逢うまでは、とても重苦しくて気骨の折れる人、もう滅多には逢うまいと思います。そう思えばさばさばして別の事もなく普通の月日に戻り、毎日三時のお茶うけも待遠しいくらい待兼ねて頂きます。人間の寿命に相応わしい、嫁入り、子育て、老先の段取りなぞ地道に考えてもそれを別に年寄り染みた老け込みようとは自分でも覚えません。縫針の針孔に糸はたやすく通ります。畳ざわ
岡本かの子
それはまだ、東京の町々に井戸のある時分のことであった。 これらの井戸は多摩川から上水を木樋でひいたもので、その理由から釣瓶で鮎を汲むなどと都会の俳人の詩的な表現も生れたのであるが、鮎はいなかったが小鯉や鮒や金魚なら、井戸替えのとき、底水を浚い上げる桶の中によく発見された。これらは井の底にわく虫を食べさすために、わざと入れて置くさかなであった。「ばけつ持ってお
岡本かの子
力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ 甲斐なしや強げにものを言ふ眼より涙落つるも女なればか 血の色の爪に浮くまで押へたる我が三味線の意地強き音 前髪も帯の結びも低くしてゆふべの街をしのび来にけり 天地を鳴らせど風のおほいなる空洞なる声淋しからずや 朝寒の机のまへに開きたる新聞紙の香高き朝かな 我が髪の元結ひもやゝゆるむらむ温き湯に身をひたす時
岡本かの子
二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で怜悧でありますから、仏教の信仰を通して語る私の言葉は、殆んど
岡本かの子
八月の炎天の下、屋根普請に三四人の工人達が屋根を這ったり上ったり降りたりしていた。黒赭いろの背中、短いズボンで腰部をかくすほか、殆ど裸体であった。 ええぞ、ええぞ、 という節のはやり歌のはやるある夏の頃であった。 ええぞ、ええぞ、 とうたい乍ら、工人達は普請にいそしんでいた。 その黒赭いろの背をまろぶ汗の玉の大粒なこと――涼しい、涼しい、と感じながら、そのこ
岡本かの子
娘 岡本かの子 パンを焼く匂いで室子は眼が醒めた。室子はそれほど一晩のうちに空腹になっていた。 腹部の頼りなさが擽られるようである。くく、くく、という笑いが、鳩尾から頸を上って鼻へ来る。それが逆に空腹に響くとまたおかしい。くく、くく、という笑いが止め度もなく起る。室子は、自分ながら、どうしたことかと下唇を痛いほど噛んで笑いを止め、五尺三寸の娘の身体を、寝床か
岡本かの子
呼ばれし乙女 岡本かの子 師の家を出てから、弟子の慶四郎は伊豆箱根あたりを彷徨いているという噂であった。 一ヶ月ばかり経つと、ある夜突然師の妹娘へ電報をよこした。 「ハコネ、ユモト、タマヤ、デビョウキ、アスアサキテクレ」 受取って玄関で開いた千歳は、しばらく何が何やら判らなかった。慶四郎と姉となら、一時、ああいう話もあったのだから呼出すもよい。妹の自分を名指
岡本かの子
女は、窓に向いて立っていた。身じろぎさえしない。頬には涙のあと。 「……ね。……思い返して呉れませんか。……もう一度。……。ね」 男は、荷造りの手をまた止めた。 女はうしろを向かなかった。女の帯の結び目を見上げていた男の眼から、大粒な涙が滴った。かすかな歔欷。 女はまだうしろを向かなかった。女の涙の痕へまた新らしい涙の雫が重なった。 男は立って行って、女の傍
岡本かの子
今の世の中に、こういうことに異様な心響を覚え、飽かずその意識の何物たるかに探り入り、呆然自失のような生涯を送りつつあるのは、私一人であろうか。たぶん私一人であろう。確とそうならば、これは是非書き遺して置き度い。書くことによってせめて、共鳴者を、私のほか一人でも増して置き度い。寂しいが私はこれ以上は望むまい。 こういう序文が附加えられて、一冊の白隠伝の草稿が無
岡本かの子
「それはヘロドトスの古希臘伝説中の朴野な噴水からアグリッパの拵えた羅馬市中百五つの豪壮な噴水、中世の僧院の捏怪な噴水、清寂な文芸復興期の噴水、バロッコ時代の技巧的な噴水――どれもみな目に見えぬものを水によって見ようとする人間の非望を現わしたものではないでしょうか」 「これも理想を追求する人間意慾の現れと見るときには、あまりに雛型過ぎて笑止なおもちゃじみた事柄
岡本かの子
「とく子、お地蔵さまの縁日へ連れてってやろう。早く支度をしな」 美少年が古い乾き切った物干台の上で手を振った。わたしはその声を心待ちに待っていたのではあるが、そう思い取られるのも口惜しいから病室の窓から鼻から上を顔半分のぞかしたまま、ちょっと首をかしげてみせた。なんだかよく聴き取れなかったというしぐさ。すると美少年は案の定、わたしの懸念していた例の暴言癖を出
岡本かの子
扉の彼方へ 岡本かの子 結婚式の夜、茶の間で良人は私が堅くなってやっと焙れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。 「これから、あなたとは永らく一つ家の棟の下に住んで貰わなければならん。遠慮はなるべく早く切り上げるようになさるがいい」 私は良人にこう云われると、持ち前の子供らしさが出てつい小さな欠伸を一つ出して仕舞いました。良人
岡本かの子
とと屋禅譚 岡本かの子 一 明治も改元して左程しばらく経たぬ頃、魚河岸に白魚と鮎を専門に商う小笹屋という店があった。店と言っても家構えがあるわけでなく鮪や鮫を売る問屋の端の板羽目の前を借りて庇を差出し、其の下にほんの取引きに必要なだけの見本を並べるのであった。それだからと言って商いが少ないと言うわけではない。 なにしろ東京中の一流の料理屋が使う白魚と鮎に関す
岡本かの子
酋長 岡本かの子 朝子が原稿を書く為に暮れから新春へかけて、友達から貸りた別荘は、東京の北端れに在った。別荘そのものはたいしたことはないが、別荘のある庭はたいしたものだった。東京でも屈指の中であろう。そして、都会のこういう名園がだんだんそうなるように、公開的の性質を帯び、春から秋までは、いろいろな設備をして入場者を遊ばせるのである。しかし、冬は手入れかたがた
岡本かの子
狐 岡本かの子 非有想非無想処――大智度論 時は寛保二年頃。 この作中に出る人々の名は学者上りの若い浪人鈴懸紋弥。地方藩出の青年侍、鈴懸の友人二見十郎。女賊目黒のおかん。おかんの父。 一 上目黒渋谷境、鈴懸の仮寓、小さいが瀟洒とした茶室造り、下手に鬱蒼たる茂み、上手に冬の駒場野を望む。鈴懸、炉に炬燵をかけて膝を入れながら、甘藷を剥いて食べている。友人の二見、
岡本かの子
勝ずば 岡本かの子 夜明けであった。隅田川以東に散在する材木堀の間に挟まれた小さな町々の家並みは、やがて孵化する雛を待つ牝鶏のように一夜の憩いから目醒めようとする人々を抱いて、じっと静まり返っていた。だが、政枝の家だけは混雑していた。それも隣近所に気付かれないように息を殺しての騒ぎだった。政枝が左手首を剃刀で切って自殺を計ったという騒ぎである。 姉の静子は医