蒲生氏郷
幸田露伴
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。蚊の嘴といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲んで居た一夜庵の宗鑑の膚を螫して、そして宗鑑に瘧をわずらわせ、それより近衛公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔を発せしめ、随って宗鑑に、飲まんとす
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幸田露伴
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。蚊の嘴といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲んで居た一夜庵の宗鑑の膚を螫して、そして宗鑑に瘧をわずらわせ、それより近衛公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔を発せしめ、随って宗鑑に、飲まんとす
幸田露伴
世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。洪水天に滔るも、禹の功これを治め、大旱地を焦せども、湯の徳これを済えば、数有るが如くにして、而も数無きが如し。秦の始皇帝、天下を一にして尊号を称す。威まことに当る可からず。然れども水神ありて華陰の夜に現われ、璧を使者に托して、今年祖龍死せんと曰えば、果して始皇やがて沙丘に崩ぜ
幸田露伴
侠客と一口に言つても徳川時代の初期に起つた侠客と其の以後に出た侠客とは、名は同じ侠客でも余程様子が違つて居るやうである。初期のは市人の中の気慨のある者か或は武士の仕官の途に断念した者などが、武士の跋扈に反抗して之を膺懲し或は之に対抗する考へから起つたのであるらしいが、夫から以後、即ち天明前後から天保あたりへ懸けての侠客といふものは多くは博徒のやうな類である。
幸田露伴
わたくしの学生時代の談話をしろと仰ゃっても別にこれと云って申上げるようなことは何もございません。特にわたくしは所謂学生生活を仕た歳月が甚だ少くて、むしろ学生生活を為ずに過して仕舞ったと云っても宜い位ですから、自分の昔話をして今の学生諸君に御聞かせ申そうというような事は、実際ほとんど無いと云ってもよいのです。ですから平に御断りを致します。何処ぞの学校の寄宿舎に
幸田露伴
夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。都会の人多くは心づかぬなるべし。舟に乗りて灘を行く折、天暗く水黒くして月星の光り洩れず、舷を打つ浪のみ青白く騒立ちて心細く覚ゆる沖中に、夜は丑三つともおもはるゝ頃、艙上に独り立つて海風の面を吹くがまゝ衣袂湿りて重きをも問はず、寝られぬ旅の情を遣らんと詩など吟ずる時、いなづま忽として起りて、水天一斉に
幸田露伴
運命は切り開くもの 幸田露伴 此処に赤ン坊が生れたと仮定します。其の赤ン坊が華族の家の何不足無いところに生れたとします。然する時は此の赤ン坊は自然に比較的幸福であります。又食ふや食はずの貧乏の家で、父たる者は何処かへ漂浪して終つて居るやうな場合の時、たゞ一人の淋しい生活をして居る婦人から生れたと致します。然る時はこの赤ン坊は自然に比較的不幸福であります。善事
泉鏡花
「さて何うも一方ならぬ御厚情に預り、少からぬ御苦労を掛けました。道中にも旅店にも、我儘ばかり申して、今更お恥しう存じます、しかし俥、駕籠……また夏座敷だと申すのに、火鉢に火をかんかん……で、鉄瓶の湯を噴立たせるなど、私としましては、心ならずも止むことを得ませんので、決して我意を募らせた不届な次第ではありません。――これは幾重にも御諒察を願はしう存じます。 ―
泉鏡花
不思議なる光景である。 白河はやがて、鳴きしきる蛙の声、――其の蛙の声もさあと響く――とゝもに、さあと鳴る、流の音に分るゝ如く、汽車は恰も雨の大川をあとにして、又一息、暗い陸奥へ沈む。……真夜中に、色沢のわるい、頬の痩せた詩人が一人、目ばかり輝かして熟と視る。 燈も夢を照らすやうな、朦朧とした、車室の床に、其の赤く立ち、颯と青く伏つて、湯気をふいて、ひら/\
泉鏡花
汽車は寂しかつた。 わが友なる――園が、自から私に話した――其のお話をするのに、念のため時間表を繰つて見ると、奥州白河に着いたのは夜の十二時二十四分で―― 上野を立つたのが六時半である。 五月の上旬……とは言ふが、まだ梅雨には入らない。けれども、ともすると卯の花くだしと称うる長雨の降る頃を、分けて其年は陽気が不順で、毎日じめ/\と雨が続いた。然も其の日は、午
泉鏡花
橘南谿が東遊記に、陸前国苅田郡高福寺なる甲胄堂の婦人像を記せるあり。 奥州白石の城下より一里半南に、才川と云ふ駅あり。此の才川の町末に、高福寺といふ寺あり。奥州筋近来の凶作に此寺も大破に及び、住持となりても食物乏しければ僧も不住、明寺となり、本尊だに何方へ取納しにや寺には見えず、庭は草深く、誠に狐梟のすみかといふも余あり。此の寺中に又一ツの小堂あり。俗に甲胄
泉鏡花
孰れが前に出来たか、穿鑿に及ばぬが、怪力の盲人の物語りが二ツある。同じ話の型が変つて、一ツは講釈師が板にかけて、のん/\づい/\と顕はす。一ツは好事家の随筆に、物凄くも又恐ろしく記される。浅く案ずるに、此の随筆から取つて講釈に仕組んで演ずるのであらうと思ふが、書いた方を読むと、嘘らしいが魅せられて事実に聞こえる。それから講釈の方を見ると、真らしいけれども考え
泉鏡花
「…………」 山には木樵唄、水には船唄、駅路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、労を休め、我が身を忘れて屈託なくその業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るようなものであろう。またそれがために勢を増し、力を得ることは、戦に鯨波を挙げるに斉しい、曳々! と一斉に声を合わせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。 同じ道
泉鏡花
「あなた、冷えやしませんか。」 お柳は暗夜の中に悄然と立って、池に臨んで、その肩を並べたのである。工学士は、井桁に組んだ材木の下なる端へ、窮屈に腰を懸けたが、口元に近々と吸った巻煙草が燃えて、その若々しい横顔と帽子の鍔広な裏とを照らした。 お柳は男の背に手をのせて、弱いものいいながら遠慮気なく、 「あら、しっとりしてるわ、夜露が酷いんだよ。直にそんなものに腰
泉鏡花
「自分も実は白状をしようと思ったです。」 と汚れ垢着きたる制服を絡える一名の赤十字社の看護員は静に左右を顧みたり。 渠は清国の富豪柳氏の家なる、奥まりたる一室に夥多の人数に取囲まれつつ、椅子に懸りて卓に向えり。 渠を囲みたるは皆軍夫なり。 その十数名の軍夫の中に一人逞ましき漢あり、屹とかの看護員に向いおれり。これ百人長なり。海野と謂う。海野は年配三十八九、骨
泉鏡花
日は午なり。あらら木のたらたら坂に樹の蔭もなし。寺の門、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を挟みて町の入口にはあたれど、のぼるに従いて、ただ畑ばかりとなれり。番小屋めきたるもの小だかき処に見ゆ。谷には菜の花残りたり。路の右左、躑躅の花の紅なるが、見渡す方、見返る方、いまを盛なりき。ありくにつれて汗少しいでぬ。 空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに野面を吹けり
泉鏡花
近來の小説の文章は、餘程蕪雜になつたやうに考へられる、思想が大切であるのは言ふまでも無いが、粗笨な文章では思想が何んなに立派でも、讀者に通じはしまい、感じはしまいと思ふ。就中近頃の小説の文章に、音律といふことが忽にされて居る、何うして忽せ處ではない、頭から文章の音律などは注意もしてゐないやうに思ふ。予が文章の音律と云ふのは、何も五七調とか七語調とか、馬琴流の
泉鏡花
宴會と云ふが、優しい心ざしの人たちが、なき母親の追善を營んだ、其の席に列なつて、式も盞も濟んだ、夏の夜の十時過ぎを、袖崎と言ふ、………今年東京の何某大學の國文科を卒業して、故郷へ歸省中の青年が山の麓を川に添つて、下流の方へ車を走らして歸つて來た。やがて町に近い、鈴の緒と云ふ橋が、河原の晃々と白い、水の蒼い、對岸の暗い、川幅を横に切つて、艷々と一條架る。袂に黒
泉鏡花
今年四月二十九日、新橋發、汽車は午前六時半なれども、三十日を前に控へたれば、未だ夜の明けぬに出立つ。夜逃の體に似たるかな。旅馴れぬ身のしをらしくも心急きたるなり。柳の翠ほのぼのと、丸の内を馳らすれば、朝靄のやゝ動くが、車の轍にまとひ、薄綿の大路靜に、停車場に着く。 あわたゞしき漢の習とて、待つ間もどかしく、とかくして汽車に乘れば、瞬く間に品川なり。 驛路や茶
泉鏡花
(彌次郎兵衞)や歸つて來た、べらぼうに疾いな、何うした。(喜多八)えゝ、車で行つて來たものですから。(彌次)其にしても馬鹿に疾いわ、汝が出掛けてから、見ねえ、未だ銚子が三本とは倒れねえ。第一、此姉さんを口説いて、其返事をきかねえ内だぜ。(女中)存じませんよ。(彌次)や、返事は其か、と額を撫でて、こりや鬱がせる、大に鬱ぐね、己も鬱ぐが喜多八、汝も恐しく鬱ぐぢや
泉鏡花
「奇妙、喜多八、何と汝のやうなものでも、年に一度ぐらゐは柄に無い智慧を出すから、ものは不思議よ。然し春早々だから、縁起だ、今年は南瓜が當るかな。しかし俺も彌次郎、二ツあつた友白髮、一ツはまんまと汝に功名をされたけれども、あとの一ツは立派に負けねえやうに目覺しく使つて見せる。」と、道中二日三日、彌次は口癖のやうに言つた。 此の友白髮と言ふのは、元旦、函嶺で手に
泉鏡花
彼處に、遙に、湖の只中なる一點のモーターは、日の光に、たゞ青瑪瑙の瓜の泛べる風情がある。また、行く船の、さながら白銀の猪の驅けるが如く見えたるも道理よ。水底には蒼龍のぬしを潛めて、大なる蠑の影の、藻に亂るゝ、と聞くものを。現に其處を漕いだ我が友の語れるは、水深、實に一千二百尺といふとともに、青黒き水は漆と成つて、梶は辷り櫓は膠し、ねば/\と捲かるゝ心地して、
泉鏡花
同じことを、東京では世界一、地方では日本一と誇る。相州小田原の町に電車鐵道待合の、茶店の亭主が言に因れば、土地の鹽辛、蒲鉾、外郎、及び萬年町の竹屋の藤、金格子の東海棲、料理店の天利、城の石垣、及び外廓の梅林は、凡そ日本一也。 莞爾として聞きながら、よし/\其もよし、蒲鉾は旅店の口取でお知己、烏賊の鹽辛は節季をかけて漬物屋のびらで知る通、外郎は小本、物語で懇意
泉鏡花
これは喜多八の旅の覺書である―― 今年三月の半ばより、東京市中穩かならず、天然痘流行につき、其方此方から注意をされて、身體髮膚これを父母にうけたり敢て損ひ毀らざるを、と其の父母は扨て在さねども、……生命は惜しし、痘痕は恐し、臆病未練の孝行息子。 三月のはじめ、御近所のお醫師に參つて、つゝましく、しをらしく、但し餘り見榮のせぬ男の二の腕をあらはにして、神妙に種
泉鏡花
旅は此だから可い――陽氣も好と、私は熟として立つて視て居た。 五月十三日の午後である。志した飯坂の温泉へ行くのに、汽車で伊達驛で下りて、すぐに俥をたよると、三臺、四臺、さあ五臺まではなかつたかも知れない。例の梶棒を横に見せて並んだ中から、毛むくじやらの親仁が、しよたれた半纏に似ないで、威勢よくひよいと出て、手繰るやうにバスケツトを引取つてくれたは可いが、續い