十二支考 11 鼠に関する民俗と信念
南方熊楠
明けまして子年となると、皆様一斉に鼠を連想する。子の年は鼠、丑の年は牛と、十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし、インドやメキシコにも多少似寄った十二物を暦日に配当した事あれど、支那のように方位に配当したと聞かぬ(拙文「四神と十二獣について」)。清の趙翼の『※余叢考』三四にいわく、『春風楼随筆』に、『唐書』にキルギス国
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南方熊楠
明けまして子年となると、皆様一斉に鼠を連想する。子の年は鼠、丑の年は牛と、十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし、インドやメキシコにも多少似寄った十二物を暦日に配当した事あれど、支那のように方位に配当したと聞かぬ(拙文「四神と十二獣について」)。清の趙翼の『※余叢考』三四にいわく、『春風楼随筆』に、『唐書』にキルギス国
竹内浩三
一月―― 凍てた空気に灯がついた 電線が口笛を吹いて 紙くずが舞上った 木の葉が鳴った スチュウがノドを流れた 二月―― 丸い大きな灰色の屋根 真白い平な地面 つけっぱなしのラムプが 低うく地に落ちて 白が灰色に変った 三月―― 灰色はコバルトに変り 白は茶色に変った 手を開けたら 汗のにおいが少しした 四月―― ごらん おたまじゃくしを 白い雲を そして若
太宰治
十二月八日 太宰治 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという
中谷宇吉郎
六華豊年の兆という言葉がある位、雪の結晶といえば六花ときまっているように思われているが、中には十二花のものもある。第2図の写真は一九三四年の冬十勝岳で撮られた十二花の結晶の一例であるが、その外に、三花四花などの結晶も案外珍しくない。 十二花の雪は実は天保三年刊行の土井利位の『雪華図説』に立派な摸写が出ている。第1図はそれを転載したもので、長短二種の枝が交互に
野口雨情
螢の提灯光つてる ぴかん ぴかん光つてる 早くみんなで追つかけよう 螢の提灯考へた ぴかん ぴかん考へた 早く提灯とつちまい 螢の提灯消えちやつた つーん つーん消えちやつた 早く蝋燭見せてやれ。
太宰治
れいの戦災をこうむり、自分ひとりなら、またべつだが、五歳と二歳の子供をかかえているので窮し、とうとう津軽の生家にもぐり込んで、親子四人、居候という身分になった。 たいていの人は、知っているかと思うが、私は生家の人たちと永いこと、具合の悪い間柄になっていた。げびた言い方をすれば、私は二十代のふしだらのために勘当されていたのである。 それが、二度も罹災して、行く
海野十三
十八時の音楽浴 海野十三 1 太陽の下では、地球が黄昏れていた。 その黄昏れゆく地帯の直下にある彼の国では、ちょうど十八時のタイム・シグナルがおごそかに百万人の住民の心臓をゆすぶりはじめた。 「ほう、十八時だ」 「十八時の音楽浴だ」 「さあ誰も皆、遅れないように早く座席についた!」 アリシア区では博士コハクと男学員ペンとそして女学員バラの三人がいるきりだった
海野十三
『十八時の音楽浴』の作者の言葉 海野十三 この書は、僕の科学小説集の第三冊目にあたる。 この前、同じ版元から『地球盗難』を刊行したが、これは意外に好評であった。この『地球盗難』はその後、三夜連続のラジオドラマとして放送され、更に好評を博した。それでいよいよ待望の科学小説時代が来たらしいと思ったわけであったが、途端に日中戦争が始まり、出版界は大動揺を来たした。
織田作之助
十八歳の花嫁 織田作之助 最近私の友人がたまたま休暇を得て戦地から帰って来た。○日ののちには直ぐまた戦地へ戻らねばならぬ慌しい帰休であった。 久し振りのわが家へ帰ったとたんに、実は藪から棒の話だがと、ある仲人から見合いの話が持ち込まれた。彼の両親ははじめ躊躇した。婚約をしてもすぐまた戦地へ戻って行かねばならぬからである。しかし、先方はそれを承知だと、仲人に説
宮本百合子
十八番料理集 宮本百合子 白菜と豚の三枚肉のお鍋 そろそろ夜がうすら寒くなってくると家でよくするお惣菜の一つです。白菜を四糎位に型をくずさない様にぶつぶつ切りまして、三枚肉は普通に切ったのを一緒に水をたっぷり入れてはじめからあんまり強くない火で永い時間に煮ます。味は食塩と味の素と胡椒でつけて一番終いにほんの一滴二滴醤油を落します。白菜がすっかりやわらかくなっ
永井荷風
十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。もしこの事がなかったなら、わたくしは今日のように、老に至るまで閑文字を弄ぶが如き遊惰の身とはならず、一家の主人ともなり親ともなって、人間並の一生涯を送ることができたのかも知れない。 わたくしが十六の年の暮、といえば、丁度日清戦役の最中である。流行感冒に罹ってあくる年の正月一ぱい一番町の家の一間
宮沢賢治
よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒もみんな二人のものだった。 おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集めていろいろに取り合せてみた。嘉吉は朝いつもの時刻に眼をさましてから寝そべったまま煙草を
中谷宇吉郎
機会があったら今一度行ってみたいと思うものは、十勝岳の真冬の景色である。もう五年も前の話になるが、雪の研究のためと言って、二冬続けて、五度ばかりも十勝岳へ行ったことがある。 十勝岳といっても、落着く先は、いつも中腹千メートルあまりの高さの所にあるヒュッテであった。そのヒュッテは、本当は森林管視人の住い家であって、その頃はO老人夫婦が棲んでいた。O老人はその生
高村光太郎
銅とスズとの合金が立つてゐる。どんな造型が行はれようと無機質の圖形にはちがひがない。はらわたや粘液や脂や汗や生きもののきたならしさはここにない。すさまじい十和田湖の圓錐空間にはまりこんで天然四元の平手打をまともにうける銅とスズとの合金で出來た女の裸像が二人影と形のやうに立つてゐる。いさぎよい非情の金屬が青くさびて地上に割れてくづれるまでこの原始林の壓力に堪へ
宮本百合子
十四日祭の夜 宮本百合子 七月も一日二日で十日になる。今年も暑気はきびしいように思われる。年々のいろいろな七月、いろいろなあつさを思いかえすうち、不図明るい一つの絵提灯のような色合いでパリの七月十四日の夜が記憶に甦って来た。 一七八九年の七月十四日、フランスの人々は現代に到る自分たちの社会を持つようになった。その国民的な祝祭が十四日祭に毎年行われる。 映画の
野村胡堂
「あら松根様の若様」 「――――」 恐ろしい魅力のある声を浴せられて、黙って振り返ったのは、年の頃二十三四、色の浅黒い、少し沈鬱な感じですが、何となく深味のある男でした。 不意に呼びかけられて、右手に編笠を傾げるうちにも、左手は一刀の鯉口を、こう栂指で押えていようといった嗜みは、敵持ちか、要心深さがさせる業か、とに角容易ならぬ心掛の若者です。 「余吾之介様―
中島敦
十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸わるくないな。全くこの中のどれにでも直ぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想の外に、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは
久保田万太郎
――まど子さん、何年になつたの、今度?…… と、ぼくは、たま/\逢つたKさんの、上のはうのお嬢さんに、何んの気なしに訊いた。 ――来年、卒業です。 と、まど子さんは、ニッコリ、口もとをほころばした。 ――えッ、来年、卒業?…… ぼくは、おもはず大きな声をだして、 ――ほんと、まど子さん?…… と、改めて、まど子さんの顔をみた。 ――えゝ。 まど子さんは、もう
海野十三
十年後のラジオ界 海野十三 「ときにAさん。」 「なんだいBさん。」 「十年経ったら、ラジオ界はどうなる?」 「しれたことサ。ラジオ界なんてえものは、無くなるにきまってる。」 「へえ、なくなるかい。――今は随分流行ってるようだがネ。無くなるとは、ヤレ可哀相に……。」 「お前は気が早い。くやみを言うにゃ、当らないよ。僕はラジオ界がなくなると言ったが、『ラジオ』
宮本百合子
十年の思い出 宮本百合子 文芸のような無限の仕事をするものにとって、十年という月日は決して長いものではありません、考えように依ってはほんの僅かな一瞬間に過ぎないのに。そればかりのことをいかにも大そうらしく、十年の思い出などといわれることが私はほんとに嫌いです。それに私は文壇というようなことを、余り意識に置いておりませんし、一時かなり長く仕事から遠ざかっていま
永井荷風
病來十年わたしは一歩も東京から外へ出たことがなかつた。 大正二年の夏慶應義塾講演會の大阪に開催せられた時わたしも厚かましく講演に出掛けたのが旅行の最終であつた。 今年大正十一年十月の朔日、わが市川松莚子、一座の俳優を統率して京都に赴き、智恩院の樓門を其のまゝの舞臺となし野外の演藝を試るといふ。蓋しわが劇界未聞の壯擧である。この壯擧を聲援せんが爲日頃松莚子と深
永井荷風
庭の山茶花も散りかけた頃である。震災後家を挙げて阪地に去られた小山内君がぷらとん社の主人を伴い、倶に上京してわたしの家を訪われた。両君の来意は近年徒に拙を養うにのみ力めているわたしを激励して、小説に筆を執らしめんとするにあったらしい。 わたしは古机のひきだしに久しく二、三の草稿を蔵していた。しかしいずれも凡作見るに堪えざる事を知って、稿半にして筆を投じた反古
長塚節
十日間 長塚節 三月二日、月曜、晴、暖、 起床平日よりはやし、冷水浴、 宵に春雨が降つたらしく屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある松葉は松もんもが交つてるので目障りであるがけさは濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\とあるく、平氏門に片寄つてさうして戸袋にくつゝいた老梅が一株は蕾がちで二株は十分に開いて居る、蕾
宮本百合子
十月の文芸時評 宮本百合子 小さき歩み ああ、しばらく、と挨拶をするような心持で、私は佐藤俊子氏の「小さき歩み」という小説(改造)を手にとった。この作者が田村という姓で小説を書いていた頃の写真の面影は、ふっさりと大きいひさし髪の下に、当時の日本の婦人としては感覚的なある強さの感じられる表情をうかべて、遠い大正年代初頭の記憶に刻まれている。当時この作者は、恋愛