命の鍛錬
関寛
命の鍛錬 關寛 第一 余明治三十五年春四月、徳島を去り、北海道に移住す。是より先き、四男又一をして、十勝國中川郡釧路國足寄郡に流るゝ斗滿川の畔に牧塲を經營せしむ。明治三十七年戰爭起るや、又一召集せられ、故に余は代りて此地に來り留守を監督する事となれり。我牧塲は事業漸く其緒に就きしものにて、創業の困難に加ふるに交通の不便あり。三十七年一月大雪の害と、其七月疫疾
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関寛
命の鍛錬 關寛 第一 余明治三十五年春四月、徳島を去り、北海道に移住す。是より先き、四男又一をして、十勝國中川郡釧路國足寄郡に流るゝ斗滿川の畔に牧塲を經營せしむ。明治三十七年戰爭起るや、又一召集せられ、故に余は代りて此地に來り留守を監督する事となれり。我牧塲は事業漸く其緒に就きしものにて、創業の困難に加ふるに交通の不便あり。三十七年一月大雪の害と、其七月疫疾
知里真志保
――魚のことおアイヌわ「チえ」chiep と言い、また詰めて「ちェ」chep と言う。』 バチラアさんの辞書にわ、そぉ書いてあり、金田一先生の著書にも、そぉ書いてある。学者も世間の人も、一般に、そぉ信じている。私もアイヌ語お学び始めた頃わ、そぉ信じていた。ところが、ある時、シラオイの一老人わ私にこぉ言った。 ――「チえ」と「ちェ」とわ、ちがう。「チえ」と言え
新美南吉
牛ひきの和太郎さんは、たいへんよい牛をもっていると、みんながいっていました。だが、それはよぼよぼの年とった牛で、おしりの肉がこけて落ちて、あばら骨も数えられるほどでした。そして、から車をひいてさえ、じきに舌を出して、苦しそうにいきをするのでした。 「こんな牛の、どこがいいものか、和太はばかだ。こんなにならないまえに、売ってしまって、もっと若い、元気のいいのを
楠山正雄
和尚さんと小僧 楠山正雄 一 大そうけちんぼな和尚さんがありました。何かよそからもらっても、いつでも自分一人でばかり食べて、小僧には一つもくれませんでした。小僧はそれをくやしがって、いつかすきを見つけて、和尚さんから、おいしいものを召し上げてやろうと考えていました。 ある日和尚さんは檀家から、大そうおいしいあめをもらいました。和尚さんはそのあめをつぼの中に入
坂本竜馬
先日申てあげたかしらん 世の中の事をよめるさてもよににつゝもあるか大井川くだすいかだのはやきとしつき 恋きゑやらぬ思ひのさらにうぢ川の川瀬にすだく螢のみかは みじか夜をあかずも啼てあかしつる心かたるなやまほととぎす ●図書カード
坂本竜馬
秋の暮れ 嵐山夕べ淋しく鳴る鐘に こぼれそめてし木々の紅葉 桂小五郎揮亳を需めける時示すとて ゆく春も心やすげに見ゆるかな 花なき里の夕暮の空 ○ こゝろからのどけくもあるか野辺ハ猶 雪げながらの春風ぞ吹 ○ 丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきはころびやすきぞ 奈良崎将作に逢ひし夢見て 面影の見えつる君が言の葉を かしくに祭る今日の尊さ 父母の霊を祭りて
坂本竜馬
○ 文開く衣の袖はぬれにけり 海より深き 君が美心 世の人はわれをなにともゆはゞいへわがなすことはわれのみぞしる 春くれて五月まつ間のほととぎす初音をしのべ深山べの里 湊川にて 月と日のむかしをしのぶみなと川流れて清き菊の下水 明石にて うき事を独明しの旅磯うつ浪もあわれとぞ聞 ○ 人心けふやきのふとかわる世に独なげきのます鏡哉 ●図書カード
折口信夫
和歌批判の範疇 折口信夫 一「こゝろ」 その一 およそ歌を見、歌を作る上において、必らず心得て置かねばならぬ、四つの段階的観察点がある。 此観察点は、元来作者の側にあるものではなくて、読者としての立ち場から出るものであるが、作者といへども、其作物を、完全なるものたらしめむ為には、出来るだけ自分の作物を客観の位置において、推敲を重ねなければならぬ。即、此場合に
折口信夫
私はまづ、縁遠さうな舞踊の方面からはじめるつもりである。 遊部 遊部は、終身事ふること勿し。故に遊部と云ふ。(以上、義解の本文)釈に云はく、……遊部は、幽顕の境を隔て、凶癘の魂を鎮むる氏なり。終身事ふること勿し、故に遊部と云ふ。古記に云はく、遊部は、大倭ノ国高市ノ郡に在り。生目天皇の苗裔なり。遊部と負ふ所以は、生目天皇の円目ノ王、伊賀比自支和気の女と娶ひて
三上義夫
日本の数学を普通に和算という。和算とは洋算に対しての名称であり、主として維新後に呼びなされた。けれどもこの名称の行われたのは、数学がひとり西洋伝来のもののみにあらず、わが国にも前から厳として存在し、価値の高いものであったことを、この名称によって指示しているのである。西洋の数学が学校教科に採用されつつある頃に、かくのごとき現象の見られたのは決して無意義のことで
東野辺薫
昨夜寝床に入ってからも、あれこれと思いめぐらしてみたのだが、別にこれという嘘言も浮かんでは来なかった。新聞の広告で見た新刊書がどうしても買いたくなったからと、半日をつぶすにしてはいかにも気の利かない口実とは承知でも、ともかくそんなことで町へ出ることにした。まだ細紐だけで炉の火を焚きにかかった母に、起きがけの一服をつけながら友太はさりげなく言い出した。 「……
三遊亭円朝
(和)茗荷 三遊亭円朝 或旅宿の亭主が欝ぎ込んで、主「何うも宿泊人がなくつては仕やうがない、何とか旨い工夫は無いものか知ら……ウム、日外お説教で聞いた事が有る釈迦如来のお弟子に槃特と云ふがあつて、至つて愚鈍にして忘れつぽい……托鉢に出て人にお前さんの名はと聞かれても、自分の名さへ忘れると云ふのだから、釈迦如来が槃特の名を木札に書き、之を首に懸けて托鉢に出した
徳田秋声
和解 徳田秋聲 一 奥の六畳に、私はM―子と火鉢の間に対坐してゐた。晩飯には少し間があるが、晩飯を済したのでは、夜の部の映画を見るのに時間が遅すぎる――ちやうどさう云つた時刻であつた。陽気が春めいて来てから、私は何となく出癖がついてゐた。日に一度くらゐ洋服を著て靴をはいて街へ出てみないと、何か憂鬱であつた。街へ出て見ても別に変つたことはなかつた。どこの町も人
萩原朔太郎
ゆきはふる まなつまひるのやまみちに 光るこなゆき さんらんたりや わが道心のたなごころ うすら侘しきたなごころ
坂口安吾
咢堂小論 坂口安吾 毎日新聞所載、尾崎咢堂の世界浪人論は終戦後現れた異色ある読物の一つであつたに相違ない。言論の自由などと称しても人間の頭の方が限定されてゐるのであるから、俄に新鮮な言論が現れてくる筈もなく、之を日本文化の低さと見るのも当らない。あらゆる自由が許された時に、人は始めて自らの限定とその不自由さに気付くであらう。とはいへ、ともかく新鮮な読物の極め
坂口安吾
毎日新聞所載、尾崎咢堂の世界浪人論は終戦後現れた異色ある読物の一つであったに相違ない。言論の自由などと称しても人間の頭の方が限定されているのであるから、俄に新鮮な言論が現れてくる筈もなく、之を日本文化の低さと見るのも当らない。あらゆる自由が許された時に、人は始めて自らの限定とその不自由さに気付くであろう。とはいえ、ともかく新鮮な読物の極めて稀な一つが八十を過
素木しづ
咲いてゆく花 素木しづ 少女は、横になって隅の方に――、殆ど後から見た時にはランプの影になって、闇がどうしてもその本の表を見せまいと思われる所で、一心になって小説をよみふけっていた。 明日からつゞく夏休の安らかさと、大きな自由との為めに、少女はいま心一っぱいに、小説のなかのかなしいなつかしい少年とその家庭とについていつまでもいつまでも涙ぐむことが出来るのだっ
服部之総
太平洋をはじめて汽船が横断したのは――といった問題を、ひと頃しきりに調べたことがあった。といったのでは、呑気とも好奇とも思われようが、いったい考証というようなものは、前後の問題から切離してみたら、まったく気狂じみたはなしである。 ところが、おかしなもので、はじめはある重要な歴史的関連を明らかにする目的から、――たとえば、この場合では幕末の日本開国を、米国の手
坂口安吾
哀れなトンマ先生 坂口安吾 「漫画」という変な雑誌へオツキアイするせいではありませんが、私は、どうも、ブンナグラレルかも知れませんが、帝銀事件というものを、事の始めから、それほど凄味のある出来事だと思っていませんでした。 私が、ヒドイ奴だと思ったのは小平という先生で、この先生はイヤだった。どうにも、むごたらしくて、救いがない。まるで、それがオキマリのように、
葛西善蔵
彼はまたいつとなくだん/\と場末へ追ひ込まれてゐた。 四月の末であつた。空にはもや/\と靄のやうな雲がつまつて、日光がチカ/\櫻の青葉に降りそゝいで、雀の子がヂユク/\啼きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地形ならしのヤートコセが始まつてゐた……。 彼は疲れて、青い顏をして、眼色は病んだ獸のやうに鈍く光つてゐる。不眠の夜が續く。ぢつとしてゐても動悸がひどく感
葛西善蔵
彼はまたいつとなくだん/\と場末へ追ひ込まれてゐた。 四月の末であつた。空にはもや/\と靄のやうな雲がつまつて、日光がチカ/\桜の青葉に降りそゝいで、雀の子がヂユク/\啼きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地形ならしのヤートコセが始まつてゐた……。 彼は疲れて、青い顔をして、眼色は病んだ獣のやうに鈍く光つてゐる。不眠の夜が続く。ぢつとしてゐても動悸がひどく感
北村透谷
哀詞序 北村透谷 歓楽は長く留り難く、悲音は尽くる時を知らず。よろこびは春の華の如く時に順つて散れども、かなしみは永久の皷吹をなして人の胸をとゞろかす、会ふ時のよろこびは別るゝ時のかなしみを償ふべからず。はたまた会ふ時の心は別るゝ時の心の万分の一にだも長からず。生を享け、人間に出でゝ、心を労して荊棘を過る、或は故なきに敵となり、或は故なきに味方となり、恩怨両
末吉安持
――汽車の窓にて 夏の日の午さがり、 我が汽車は物憂げに 黒き煙を息吹きつゝ、 炎天の東海道を西へ馳す。 世ゆゑ、はたわれからの 黒熱に膿み爛れ、 灰汗の洪水の胸底の 政の庁を失ひし 病人なれば、天地の 眺望ことごと灰濁みて、 あゝうたてしや、ひたぶるに、涙ぞ落つる。 乗合は背と背 肩犇々とすりあひぬ。 近江を過ぎて京ちかき 山科や、竹の入日に、 鬱憂のこゝ
太宰治
やんぬる哉 太宰治 こちら(津軽)へ来てから、昔の、小学校時代の友人が、ちょいちょい訪ねて来てくれる。私は小学校時代には、同級生たちの間でいささか勢威を逞しゅうしていたところがあったようで、「何せ昔の親分だから」なんて、笑いながら言う町会議員などもある。同級生たちはもうみんな分別くさい顔の親父になって、町会議員やらお百姓さんやら校長先生やらになりすまし、どう