Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

14,981종 중 5,616종 표시

デカルト哲学について

西田幾多郎

デカルト哲学について 西田幾多郎 一 カント哲学以来、デカルト哲学は棄てられた。独断的、形而上学的と考えられた。哲学は批評的であり、認識論的でなければならないと考えられている。真の実在とは如何なるものかを究明して、そこからすべての問題を考えるという如きことは顧みられなくなった。今日、人は実践ということを出立点と考える。実践と離れた実在というものはない。単に考

JA
Hanya teks asli

哲学はやさしくできないか

三木清

哲學はやさしくできないか 三木清 哲學がむつかしいといふことは、いはゆる定評である。なぜ哲學はむつかしいのか、哲學はもつとやさしくすることができないか、さういふ問に對して誌上でぜひ答をせよとの、『鐵塔』の編輯者からの再三の命令を受け、催促に會つて、何か自分の意見を述べねばならないことになつた。 私など日頃そのやうなむつかしいものを書いて讀者を惱してゐる者の恐

JA
Hanya teks asli

哲学と哲学史

桑木厳翼

哲學の研究に入るに當つて、人生問題其他の實踐的動機よりするものは暫く之を省き、單に其の理論的關心よりするものに就て考察すれば、其中に於て大體二樣の方向を區別し得ると思ふ。一は科學研究と關聯するもので、一は哲學史より入るものである。科學研究との關係にも又二種の別がある。或る科學原理を擴張して哲學原理とし、若しくは其原理より類推して或る哲學原理を構成するが如く、

JA
Hanya teks asli

哲学はどう学んでゆくか

三木清

哲學はどう學んでゆくか 三木清 哲學はどう學んでゆくかといふ問は、私のしばしば出會ふ問である。今またここに同じ題が私に與へられた。然るにこの問に答へることは容易ではないのである。これがもし數學や自然科學の場合であるなら、どういふものから入り、どういふ本を、どういふ順序で勉強してゆくべきかを示すことは、或ひはそんなに困難ではないかも知れない。それが哲學において

JA
Hanya teks asli

コーヒー哲学序説

寺田寅彦

コーヒー哲学序説 寺田寅彦 八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くって飲めず、飲めばきっと嘔吐したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったころであった。もっともそのころでも

JA
Hanya teks asli

フランス哲学についての感想

西田幾多郎

私はフランス哲学にはドイツ哲学やイギリス哲学と異なった独得な物の見方考え方があると思う。しかし私は今それについて詳しく考え、詳しく書く暇を有たない。ただこれまで人に話したり、或は機に触れて書いたりしたことを、思い出るままに記すだけである。 デカルトといえば、合理主義的哲学の元祖である。しかし彼の『省察録』Meditationes などを読んでも、すぐ気附くこ

JA
Hanya teks asli

哲学の現代的意義

戸坂潤

文学に於ける思想性云々ということがよく云われている。文学に就いての文壇的常識のマンネリズムによると文学は思想という何らか或るものとはさし当り無関係であるかのような想定であったとみていい。処へ文壇的文学(純文学其の他と呼ばれた)が一種の停滞を自覚せざるを得ないようになって、その停滞を何とか打破しようという処から、改めて文学の思想性ということが注目されるようにな

JA
Hanya teks asli

おかまの唄

小川未明

松林で、聞きなれた鳥の声がしました。窓をあけると、やまがらやしじゅうからが、枝から枝をつたって鳴いていました。 「僕のにがしたやまがらではないかな。」 少年が、じっとその姿を見ていました。遠い町で逃がしたのが、どうして、ここまで飛んでこられよう、と思いました。 戦争のさいちゅうで、もし家が焼けたら、かごの中の鳥がかわいそうだといって、自分はかわいいやまがらを

JA
Hanya teks asli

からすの唄うたい

小川未明

ある田舎の街道へ、どこからか毎日のように一人のおじいさんがやってきて、屋台をおろして、チャルメラを吹きならして田舎の子供たちを呼び集め、あめを売っていました。 おじいさんは、小さな町の方から倦まずに根気よくやってきたのです。空の色がコバルト色に光って、太陽がにこやかに、東のいきいきとした若葉の森にさえ微笑めば、おじいさんは、かならずやってきました。 チャルメ

JA
Hanya teks asli

イグアノドンの唄 ――大人のための童話――

中谷宇吉郎

終戦の年の北海道は、十何年ぶりの冷害に見舞われ、米は五分作か六分作という惨めさであった。豊作でさえ米の足りない北海道のことであるから、この年の冬は、誰も彼も皆深刻な食糧危機におびやかされた。 それにこの冬は、例年にない珍しい大雪であった。毎日のように、暗い空からは、とめどもなく粉雪が降りつづき、それが人々の生活の上に重苦しくおおいかぶさっていた。この雪に埋れ

JA
Hanya teks asli

唇のねじれた男

ドイルアーサー・コナン

アイザ・ホイットニ、聖ジョージ神学校校長で亡きイライアス・ホイットニ神学博士の弟君であるが、そのころは阿片に溺れていた。この悪癖が身に付いたのは学生時代のちょっとしたおふざけかららしい。ド・クインシの書いた夢や興奮を読んで、試しに煙草を阿片丁機に浸してみると、同じ効果が得られたというわけだ。だが多くのものの例に漏れず、始めるのは易しいがやめるのは難しいとやが

JA
Hanya teks asli

唐招提寺木彫如来形像

高村光太郎

唐招提寺には鑑眞和上に隨從して來た諸律僧の中の優れた彫刻家が、唐風の樣式をそのまま作り出した佛像が多いので、一種別樣の作風が見られて興味がある。そして此の律宗獨特の作風がすぐあとにつづく弘仁の密教的佛像に影響を與へてゐる點もおもしろい。この如來形像の一木造りの殘缺も遺憾なく當時傳來の技法を示してゐる。大陸で發達した石彫彫刻の技法が檀木の彫刻に自然と移行して來

JA
Hanya teks asli

唖の妖女

田中貢太郎

明治七年四月のこと、神奈川県多摩郡下仙川村浅尾兼五郎の家へ妖怪が出ると云う噂がたった。 それも一度や二度のことでなく、前年の五月から怪しい事が続くと云うので、県庁でも捨て置けずとあって、兼五郎の家へ人をやって取調さしたが、原因も判らず相変らず怪しい事が起った。そこで、県警察部でも兼五郎を召喚して、これ亦峻烈な取調をしたが、兼五郎の所為でないから、どうすること

JA
Hanya teks asli

唖娘

田中貢太郎

伊井蓉峰の弟子に石井孝三郎と云う女形があった。絵が好きで清方の弟子になっていた。あまり好い男と云うでもないがどことなく味のある顔をしていた。下廻で田舎を歩いていた時、某町で楽屋遊びに来る十七八のな女を見つけた。それは髪結をしている唖女であった。下廻で宿屋に往けないので小屋に寝臥していた石川はその女と関係して夫婦約束までした。 そのうちにそこの芝居は終って、一

JA
Hanya teks asli

唖娘スバー

タゴールラビンドラナート

此スバーと云う物語は、インドの有名な哲学者で文学者の、タゴールが作ったものです。インド人ですが英国で勉強をし立派な沢山の本を書いています。六七年前、日本にも来た事がありました。此人の文章は実に美しく、云い表わしたい十のことは、三つの言葉でさとらせるように書きます。此物語の中にも沢山そう云う処がありますが、判り難そうな場処は言葉を足して、はっきり訳しました。此

JA
Hanya teks asli

唯物史観と文学

平林初之輔

唯物史觀と文學 唯物史觀と文學 平林初之輔 一 人或は言うであろう。「勿論、宗教的、道徳的、哲學的、法律的の觀念は歴史の進歩と共に變化した。けれども宗教、道徳、哲學、政治、法律等は此の變化をうけずに生きのこつていた。」 「おまけに、凡(あら)ゆる社會状態に共通の、自由とか正義とかいう永久眞理がある。ところが共産主義は永久眞理を抹殺してしまう。それは凡(すべ)

JA
Hanya teks asli

唯物論とファッシズム

戸坂潤

今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。日本のファッシズムがイタリヤやドイツ、オーストリアのファッシズムと同じ現象上の規定を持っていないことは明らかで、日本に特有な根本規定がそこでも無論大切であるが、そうだからと云って、日本型ファッシズムがファッシズム一般に属するということを見逃すならば、夫は由々しい誤算である。人

JA
Hanya teks asli

『唯研ニュース』

戸坂潤

会員の待望によって、『唯研ニュース』が創刊される運びになった。会員諸氏は多分之を喜んで呉れるだろう。然し或細心な会員達の内には、同時に財政上の困難が心配になると云う人がいるかも知れない。今まで出していたニュースは、「唯研」全体のものだったのに、事実上は「唯研」の研究組織部の研究予報に過ぎなかった。この不充分を補うために出たのが、この『唯研ニュース』なのだが、

JA
Hanya teks asli

啄木とデカルト命題

三枝博音

最近、或る啄木展で、啄木がデカルト命題に魅せられている書簡を見て、私は青春の啄木を見る気がした。日付は明治三十九年の一月十八日、二十一歳の年の冬である。 そこには、次のようなことが書かれていた。「我考ふ、故に我在り」というデカルトの提言は意味が深い、人間のもつどんな確信だって、つまりは「我の存在」の自覚に伴われないものはないではないか、『聖書』も読み、『法華

JA
Hanya teks asli

啄木と賢治

高村光太郎

啄木と賢治 高村光太郎 ○岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て住んでみるとだんだんよく分ってきました。此の地方の人の性格は多く誠実で、何だか大きな山のような感じがします。為ることはのろいようですが、しかし確かです。天然の産物にも恵まれていて、今にこれがみんな世の中に利用されるようになったら、岩手県は日本の宝の蔵にな

JA
Hanya teks asli

商品としての近代小説

平林初之輔

商品としての近代小説 平林初之輔 一 文学作品の大衆性の問題は、ルナチヤルスキイ等がいふやうに、文学作品の形式の問題に止まるであらうか? 更に進んでは、これは文学そのものに内在する問題であらうか? そして或る作品が大衆性を有するといふこと自体が、その作品の何か非常に望ましき芸術的なメリツト若しくは価値であるだらうか? 私は最近まで、この疑問に対して「然り」と

JA
Hanya teks asli

うまい商売

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

あるお百姓さんが、牝牛を市場へ追っていって、七ターレルで売ってきました。かえり道に、池のはたをとおらなければなりませんでした。まだ池までこないうちに、もう遠くのほうから、カエルたちが「アク、アク、アク」と、ないているのがきこえてきました。 「まったく、うるさくがなりたてやあがる。」 と、お百姓さんはひとりごとをいいました。 「おらのもらった金は七だぞ。八じゃ

JA
Hanya teks asli

商売の繁昌する家

田中貢太郎

芝公園大門脇に『わかもと』の本舗がある。その『わかもと』の事務所は、寺院の一部であった。観相家の松井桂陰君が某時その『わかもと』の某君を訪問した時、 「あなたのところは、どうしてこんなところに事務所を置くのですか」 と云って訊いてみると、 「これには面白い話があるよ」 と冒頭して話した。 「わかもと」の主人長尾欽弥君がそこへ入って、製薬に著手した時には、貧乏

JA
Hanya teks asli

商売は道によってかしこし

宮本百合子

商売は道によってかしこし 宮本百合子 商売は道によってかしこし。こういう言葉がある。さすが専門にそれを研究しているものは見事なものだ、という意味もいくらかふくまれているだろう。しかし、この言葉が云われるとき人々はその口辺に一寸薄笑いを浮べる。からくりはお手のものというわかり合いが互の間にとりかわされるのが普通だからである。 小説のことに関して、こんな話し出し

JA
Hanya teks asli