夜光虫
小泉八雲
月なき無窮の夜空に、あまたの星がきらめいて、横たわる天の河も、ひときわさんざめいている。風は凪いでいるが、海はざわめいている。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せて来る小浪が、皆火のように燦めいている。黄泉の国の美しさもこのようではなかろうかと思うばかりである。真に夢のようである。小浪の浪間は漆黒であるが、波の穂は金色を帯びて浮び漂っている――そのまばゆさに
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小泉八雲
月なき無窮の夜空に、あまたの星がきらめいて、横たわる天の河も、ひときわさんざめいている。風は凪いでいるが、海はざわめいている。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せて来る小浪が、皆火のように燦めいている。黄泉の国の美しさもこのようではなかろうかと思うばかりである。真に夢のようである。小浪の浪間は漆黒であるが、波の穂は金色を帯びて浮び漂っている――そのまばゆさに
小泉八雲
月もなき無窮の夜空、あまたの星のきらめきて、横たはる天の河、ひときはさんざめく。風凪たれど、海ざわめきぬ。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せ來る小浪の、皆火のやふに燦めきぬ。黄泉の國の美しさもかくあらむや。眞に夢の如し。小浪の浪間は漆黒なれど、波の穗の、金色を帶び、漂ひぬ。――そのまばゆきに驚かされぬ。たゆげなる浪、ことごとく蝋燭の焔のやふに黄色の光を放つ
小川未明
私は、夜を讃美し、夜を怖れる。 青い、菜の葉に塩をふりかけて、凋れて行く時の色合のような、黙って、息を止めているような、匂いはないけれど、もしこれを求めたら、腥い匂い、それも生々しい血汐の流れている時分の臭いでなく、微かに、ずっと前に、古くからそこに残っている匂いがするような、青い月夜もある。 風もなく、雨も降らず、大空には星の光りも隠れて、しかも厚い鉄板を
牧野信一
海辺の連中は雨が降ると皆な池部の家に集まるのが慣ひだつた。暑中休暇の学生達が主だつた。麻雀に熱中してゐる一組があつた。窓枠に腰を掛けてマンドリンを弄んでゐるのは一番年長の池部だつた。池部は学校を出てもう三年も経つたが、この旧家の長男で別段働く必要もなかつたので、天文学に関する書籍などを漁りながら静かな、だが殊の他憂鬱の日を送つてゐる境涯だつた。 「斯んなに雨
小川未明
ある日のこと、義夫は、お母さんにつれられて町へいくと、露店が並んでいました。くつしたや、シャツなどを拡げたのや、バナナを積み上げて、パン、パンと台をたたいているのや、小間物を並べたのや、そうかと思うと、金だらいの中で金魚を泳がしているのや、いろいろでありましたが、あるところへくると、ちょうど自分くらいの男の子が、集まっている店がありました。それは、やどかりの
木下夕爾
鞭の影が 地図の上に のびたりちぢんだりする 先生の声がとぎれると 虫の音が部屋にみちてくる 学問のたのしさ そしてまた何というさびしさ 本の上に来て 髭をふる しべりあの地図より青いすいつちよよ ●図書カード
新美南吉
人 姉 妹 旅人 法螺吹きの泥棒 少年 所 森の近くの一軒家。姉妹に あてがはれた小さい勉強室 時 春になつたばかりの風の夜 (机を向ひあはせて姉と妹が、一つのスタンドの光で勉強してゐる。机上には桜草の鉢がおいてある。) (風の音) 妹 ひどい風ね。 (汽車の音) 妹 九時の上りかしら。姉 さうぢやないわ、八時十分の下りよ。妹 ああ、早くお父さん達帰
今野大力
ある夜は くらやみの中に 妻をよびよせて 話すことすべて狂人の如く * 来年の三月に死ぬと 自分のいのちを予言して 今日すいみん剤を多量にのんだと いい、胸の苦るしさを訴えて 妻を涙ぐませる うそのような真実に近いような ある日の宵 * しゃべるとつかれてくるに しゃべること 自分でよせと思いつつも たわごとの如くしゃべくる宵 ●図書カード
正岡子規
夜寒十句 正岡子規 虚子を猿楽町に訪ひて夜に入りて帰途に就く。小川町に出づるに男女竪にも横にも歩行きて我車ややもすれば人に行き当らんとする様なり。彼等の半は両側の夜店をあさり行くにぞある。考へて見れば今宵は五十稲荷の縁日なり。我昔こゝらにさまよひし頃は見んとも思はざりし夜店なれど、此頃は斯る事さへなつかしく店々こまかに見もて行かんと思ふに実にせんなき身とはな
北大路魯山人
元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。この風情とは、美的趣味と風流とが主になって働きかけ、まず見る眼を喜ばせ、次に食べる心を楽しませるのである。 しかし、料理という仕事も至芸の境にまで進み得ると、まことに僅少な材料費、僅少な手
立原道造
凡そ人は夢のなかに氣ままにしのびいることの出來ないたちのものである。それは夢といふものが、シヤボン玉に似て、無理になかへおしこまうとするとやぶれてしまふからである。 ところが、ゴンゴンといふ者には、その不思議が出來た。 これは、彼の夢物語であるが、それを諸君にお傳へしよう。 A―― それは、にぎやかな町であつた。多分、夕方であつたのであらう。靄のやうなものが
久保田万太郎
* ……大風呂横町と源水横町との間の、不思議とその一つにだけ名のなかつた横町の角に荷を下ろした飴屋のちやんぎり。……そのちやんぎりの一トしきりの音の止んだとき、両側の、どこの屋根の上にも、看板のかげにも、勿論広い往来のどこの部分にも、そのときすでに日のいろは消えてゐた。そして両側の、茂り交した柳の木末に早くも、「夕暮」は下りた。……といふことは、蝙蝠がとんで
ベルトランアロイジウス
私を眠りへと誘なう美しい調べを聞いた それは誰かのささやきのようでもあった しかし、その歌はやさしく悲しい声に乱された シャルル・ブルニュ「ふたつの聖霊」より 聞いて、聞いて 私よ、オンディーヌよ やさしい月の光がさす窓を 月光に輝く飾り硝子を 夜露のようにそっとたたくのは私 私こそは 白絹のようなしぶきに身をつつみ 美しい星空を映した静かな湖を統べる 水の
波立一
幽かなエンジンの響 ――炭山の深夜 午前三時 朝退けの号笛 未だ夜は明けぬ 寝たげな共同風呂場 とぎれ とぎれの騒めき おい 見たか ――採炭部の掲示板 浴槽の中は黙り勝ちだ 午前四時半 東の空 白む 発電所の煙突 ――クッキリとしてきた 淡く 電燈の息絶ゆく 重く湛えた貯水池 その辺の一軒長屋 続々と黒い影 阿母! みな集ったか ――要らねいんだ お茶は
小川未明
それは、寒い、寒い冬の夜のことでありました。空は、青々として、研がれた鏡のように澄んでいました。一片の雲すらなく、風も、寒さのために傷んで、すすり泣きするような細い声をたてて吹いている、秋のことでありました。 はるか、遠い、遠い、星の世界から、下の方の地球を見ますと、真っ白に霜に包まれていました。 いつも、ぐるぐるとまわっている水車場の車は止まっていました。
萩原朔太郎
高い家根の上で猫が寢てゐる 猫の尻尾から月が顏を出し 月が青白い眼鏡をかけて見てゐる だが泥棒はそれを知らないから 近所の家根へひよつこりとび出し なにかまつくろの衣裝をきこんで 煙突の窓から忍びこまうとするところ。 ●図書カード
尾崎放哉
「それで貴女とう/\離婚れてしまいましたので……丁度、昨年の春の事で御座いました」 「まーとう/\。ほんまに憎らしいのは其女の奴どすえなー、妾なら死んでも其家を動いてやりや致やしませんで、」 あんまり今の女の声が高かつたので、思はずわれも其話しの方に釣り込まれた。 我は少し用事があつたので神戸の伯母さんの家へ、暑中休暇に成るとすぐから行つて居たのであつたが、
牧逸馬
夜汽車 牧逸馬 私が在米中の見聞から取材した創作でして、あちらの生活に泡のように浮んでは消える探偵小品的興味を、私の仮装児ヘンリイ・フリント君に取扱わせた短篇の一つでございます。 大戦当時の英国首相クライヴ・ジョウジ氏の大陸旅行の一隊に市伽古まで追随して、大政治家の言行を通信する筈だった、紐育自由新報記者ヘンリイ・フリント君は、社会部長マックレガアの電報を紐
竹内浩三
ふみきりのシグナルが一月の雨にぬれて ボクは上りの終列車を見て 柄もりの水が手につめたく かなしいような気になって なきたいような気になって わびしいような気になって それでも ためいきも なみだも出ず ちょうど 風船玉が かなしんだみたい 自分が世界で一番不実な男のような気がし 自分が世界で一番いくじなしのような気がし それに それがすこしもはずかしいと思
中原中也
雪の野原の中に、一条のレールがあつて、そのレールのずつと地平線に見えなくなるあたりの空に、大きなお月様がポツカリと出てゐました。レールの片側には、真ッ黒に火で焦がされた、太い木杭が立ち並んでゐて、レールを慰めてゐるやうなのでありました。 そのレールの上を、今、円筒形の、途方もなく大きい列車が、まるで星に向つて放たれたロケットのやうに、遮二無二走つて行くのでし
水野仙子
夜の浪 水野仙子 どちらから誘ひ合ふともなく、二人は夕方の散歩にと二階を下りた。婢が並べた草履の目に喰ひ入つてゐた砂が、聰くなつてゐる拇指の裏にしめりを帶びて感じられた。 『いつてらつしやいまし。』と、板の間に手をつく聲が、しばらく後を見送つてゐることゝ、肩のあたりにこそばゆい思をしながら、あの女にも嫉妬を持つと民子は自分の胸のうちを考へた。綺麗な女ではない
平出修
夏水をかぶつた猿ヶ馬場耕地の田地は、出来秋の今となつては寔に見すぼらしいものであつた。ひこばえのやうにひよろ/\した茎からは、老女のちゞれた髪の毛を思はせるやうな穂が見える。それも手にとつて見るとしいなが多い。枯穂も少くない。刈つたところで藁の値うちしかないかもしれない。米として見た処で鳥の餌の少し上等な位にしか精げられないだらうと思はれる。地租特免になつて
林芙美子
夜福 林芙美子 一 青笹の描いてある九谷の湯呑に、熱い番茶を淹れながら、久江はふつと湯呑茶碗のなかをのぞいた。 茶柱が立つてゐる。絲筋のやうなゆるい湯氣が立ちあがつてゐる。 「おばアちやん、清治のお茶、また茶柱が立つてゐますよ」 雪見障子から薄い朝の陽が射し込んでゐる。 久江はその湯呑茶碗をそつと持つて、お佛壇の棚へそなへた。佛壇の中には、十年も前に亡くなつ
牧野信一
私は夏の中頃から、鬼涙村の宇土酒造所に客となつて膜翅類の採集に耽つてゐた。私は碌々他人と口を利くこともなく、それで誰かゞ私の無愛想な顔を蜂のやうだと嘲つたが、全く私は眼玉ばかりをぎろ/\させて口を突らせ、蜂のやうに痩せて、あたりの野山を飛びまはつてゐた。 或る朝私は靄の深い時刻に起き出て、先達うちから山向うの柳村の鎮守社の境内に半鐘型のスヾメ蜂の巣を発見して