虱
芥川竜之介
虱 芥川龍之介 一 元治元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐に加はる為、国家老の長大隅守を大将にして、大阪の安治川口から、船を出した。 小頭は、佃久太夫、山岸三十郎の二人で、佃組の船には白幟、山岸組の船には赤幟が立つてゐる。五百石積の金毘羅船が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、川口を海へのり出した時の景色は、
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虱 芥川龍之介 一 元治元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐に加はる為、国家老の長大隅守を大将にして、大阪の安治川口から、船を出した。 小頭は、佃久太夫、山岸三十郎の二人で、佃組の船には白幟、山岸組の船には赤幟が立つてゐる。五百石積の金毘羅船が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、川口を海へのり出した時の景色は、
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或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。 僕等は東家の横を曲り、次手にO君も誘うことにした。不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていた
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死後 芥川龍之介 ……僕は床へはいっても、何か本を読まないと、寝つかれない習慣を持っている。のみならずいくら本を読んでも、寝つかれないことさえ稀ではない。こう言う僕の枕もとにはいつも読書用の電燈だのアダリン錠の罎だのが並んでいる。その晩も僕はふだんのように本を二三冊蚊帳の中へ持ちこみ、枕もとの電燈を明るくした。 「何時?」 これはとうに一寝入りした、隣の床に
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一九二六年四月二十日水曜日の朝端しなくも東京に発表せられしロイテル電報は政治社会及商業社会に少なからぬ畏懼と激動とを与へぬ 報は火曜日の夜日本領瓜哇発にて其文左の如し 今午後の事也昨朝当港に碇泊せる仏国東洋艦隊に属せる一水兵は我太平洋艦隊なる香取の一水兵と珈琲店に於て争論を引き起し其場に居合せたる日仏両国の水兵は各々其味方をなし果は双方打擲に及び剰へ其処に掲
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仙人 芥川龍之介 皆さん。 私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。 昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。 権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。 「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さ
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仙人 芥川龍之介 上 いつごろの話だか、わからない。北支那の市から市を渡って歩く野天の見世物師に、李小二と云う男があった。鼠に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く笥が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。 天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、ま
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青年と死 芥川龍之介 × すべて背景を用いない。宦官が二人話しながら出て来る。 ――今月も生み月になっている妃が六人いるのですからね。身重になっているのを勘定したら何十人いるかわかりませんよ。 ――それは皆、相手がわからないのですか。 ――一人もわからないのです。一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない後宮にいるのですからそんな事の出来る訣はないので
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わたしは彼是十年ばかり前に芸術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛してゐた。長崎の「日本の聖母の寺」は未だに私の記憶に残つてゐる。かう云ふわたしは北原白秋氏や木下杢太郎氏の播いた種をせつせと拾つてゐた鴉に過ぎない。それから又何年か前にはクリスト教の為に殉じたクリスト教徒たちに或興味を感じてゐた。殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興
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猿蟹合戦 芥川龍之介 蟹の握り飯を奪った猿はとうとう蟹に仇を取られた。蟹は臼、蜂、卵と共に、怨敵の猿を殺したのである。――その話はいまさらしないでも好い。ただ猿を仕止めた後、蟹を始め同志のものはどう云う運命に逢着したか、それを話すことは必要である。なぜと云えばお伽噺は全然このことは話していない。 いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土
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猿 芥川龍之介 私が、遠洋航海をすませて、やつと半玉(軍艦では、候補生の事をかう云ふのです)の年期も終らうと云ふ時でした。私の乗つてゐたAが、横須賀へ入港してから、三日目の午後、彼是三時頃でしたらう。勢よく例の上陸員整列の喇叭が鳴つたのです。確、右舷が上陸する順番になつてゐたと思ひますが、それが皆、上甲板へ整列したと思ふと、今度は、突然、総員集合の喇叭が鳴り
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三右衛門の罪 芥川龍之介 文政四年の師走である。加賀の宰相治修の家来に知行六百石の馬廻り役を勤める細井三右衛門と云う侍は相役衣笠太兵衛の次男数馬と云う若者を打ち果した。それも果し合いをしたのではない。ある夜の戌の上刻頃、数馬は南の馬場の下に、謡の会から帰って来る三右衛門を闇打ちに打ち果そうとし、反って三右衛門に斬り伏せられたのである。 この始末を聞いた治修は
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寒さ 芥川龍之介 ある雪上りの午前だった。保吉は物理の教官室の椅子にストオヴの火を眺めていた。ストオヴの火は息をするように、とろとろと黄色に燃え上ったり、どす黒い灰燼に沈んだりした。それは室内に漂う寒さと戦いつづけている証拠だった。保吉はふと地球の外の宇宙的寒冷を想像しながら、赤あかと熱した石炭に何か同情に近いものを感じた。 「堀川君。」 保吉はストオヴの前
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西郷隆盛 芥川龍之介 これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一しょに飯を食いに行って、偶然この話を聞いた。 それがどう云うものか、この頃になっても、僕の頭を離れない。そこで僕は今、
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道祖問答 芥川龍之介 天王寺の別当、道命阿闍梨は、ひとりそっと床をぬけ出すと、経机の前へにじりよって、その上に乗っている法華経八の巻を灯の下に繰りひろげた。 切り燈台の火は、花のような丁字をむすびながら、明く螺鈿の経机を照らしている。耳にはいるのは几帳の向うに横になっている和泉式部の寝息であろう。春の夜の曹司はただしんかんと更け渡って、そのほかには鼠の啼く声
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竜 芥川龍之介 一 宇治の大納言隆国「やれ、やれ、昼寝の夢が覚めて見れば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松ヶ枝の藤の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹かぬ。いつもは涼しゅう聞える泉の音も、どうやら油蝉の声にまぎれて、反って暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童部たちに煽いででも貰おうか。 「何、往来のものどもが集った? ではそちらへ参ると致そう。童部たち
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破提宇子と云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元和六年、加賀の禅僧巴なるものの著した書物である。巴は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だったらしい。 破提宇子の流布本は、華頂山文庫の蔵
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路上 芥川龍之介 一 午砲を打つと同時に、ほとんど人影の見えなくなった大学の図書館は、三十分経つか経たない内に、もうどこの机を見ても、荒方は閲覧人で埋まってしまった。 机に向っているのは大抵大学生で、中には年輩の袴羽織や背広も、二三人は交っていたらしい。それが広い空間を規則正しく塞いだ向うには、壁に嵌めこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてそ
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老年 芥川龍之介 橋場の玉川軒と云う茶式料理屋で、一中節の順講があった。 朝からどんより曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪よけの縄がたるむほどつもっていた。けれども、硝子戸と障子とで、二重にしめきった部屋の中は、火鉢のほてりで、のぼせるくらいあたたかい。人の悪い中洲の大将などは、鉄無地の羽織に、茶のきん
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六の宮の姫君 芥川龍之介 一 六の宮の姫君の父は、古い宮腹の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質の人だつたから、官も兵部大輔より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母と一しよに、六の宮のほとりにある、木高い屋形に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠つたのだつた。 父母は姫君を寵愛した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰
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ある婦人雑誌社の面会室。 主筆 でっぷり肥った四十前後の紳士。 堀川保吉 主筆の肥っているだけに痩せた上にも痩せて見える三十前後の、――ちょっと一口には形容出来ない。が、とにかく紳士と呼ぶのに躊躇することだけは事実である。 主筆 今度は一つうちの雑誌に小説を書いては頂けないでしょうか? どうもこの頃は読者も高級になっていますし、在来の恋愛小説には満足しないよ
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或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。 廣い門の下には、この男の外に誰もゐない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな圓柱に、蟋蟀が一匹とまつてゐる。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありさうなものである。それが、この男の外には誰もゐない。 何故かと云ふと、この二三年、京都には、地
芥川竜之介
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 何故かと云うと、この二三年、京
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お富の貞操 芥川龍之介 一 明治元年五月十四日の午過ぎだつた。「官軍は明日夜の明け次第、東叡山彰義隊を攻撃する。上野界隈の町家のものは々何処へでも立ち退いてしまへ。」――さう云ふ達しのあつた午過ぎだつた。下谷町二丁目の小間物店、古河屋政兵衛の立ち退いた跡には、台所の隅の蚫貝の前に大きい牡の三毛猫が一匹静かに香箱をつくつてゐた。 戸をしめ切つた家の中は勿論午過
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ここは南蛮寺の堂内である。ふだんならばまだ硝子画の窓に日の光の当っている時分であろう。が、今日は梅雨曇りだけに、日の暮の暗さと変りはない。その中にただゴティック風の柱がぼんやり木の肌を光らせながら、高だかとレクトリウムを守っている。それからずっと堂の奥に常燈明の油火が一つ、龕の中に佇んだ聖者の像を照らしている。参詣人はもう一人もいない。 そう云う薄暗い堂内に