墨汁一滴
正岡子規
墨汁一滴 正岡子規 病める枕辺に巻紙状袋など入れたる箱あり、その上に寒暖計を置けり。その寒暖計に小き輪飾をくくりつけたるは病中いささか新年をことほぐの心ながら歯朶の枝の左右にひろごりたるさまもいとめでたし。その下に橙を置き橙に並びてそれと同じ大きさほどの地球儀を据ゑたり。この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見て
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正岡子規
墨汁一滴 正岡子規 病める枕辺に巻紙状袋など入れたる箱あり、その上に寒暖計を置けり。その寒暖計に小き輪飾をくくりつけたるは病中いささか新年をことほぐの心ながら歯朶の枝の左右にひろごりたるさまもいとめでたし。その下に橙を置き橙に並びてそれと同じ大きさほどの地球儀を据ゑたり。この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見て
本庄陸男
もはや日暮れであった。濶葉樹のすき間にちらついていた空は藍青に変り、重なった葉裏にも黒いかげが漂っていた。進んで行く渓谷にはいち早く宵闇がおとずれている。足もとの水は蹴立てられて白く泡立った。が、たちまち暗い流れとなって背後に遠ざかった。深い山気の静寂がひえびえと身肌に迫った。 ずいぶんと歩いたのである。道もない険岨な山を掻きわけて登り、水の音を聞いてこの谷
福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこ
平野万里
晶子鑑賞 平野萬里 「新墾筑波を過ぎて幾夜か寝つる」といふ形、即ち五七・七の片歌といふ短い唄がわが民族の間に発生し、それが二つ重つて五七・五七・七の今の短歌の形が出来たのは何時の頃であらうか。少くもそれは数千年の昔のことで、その後今日までこの形式をかりて思ひを抒べた人々は恐らく幾千万の多きに上ることであらう。その内本来無名の民衆を除いて所謂歌人だけを数へても
林芙美子
心を高めるやうな無窮の愉しみと云ふものは、いまだに何一つ身につけてはをりませんが、小説書きの小説識らずで、まして音楽にしても絵画にしましてもわたくしは一文字も解らない童児なのです。だけど、それらのものは不思議に愛情をもつて観たり聴いたりすることが出来ます。世間ではよく趣味のあるなしを論じるひともあるけれども、眼の高さ、学問の高さをとりのぞいたならば、君子も乞
林芙美子
十月×日 一尺四方の四角な天窓を眺めて、始めて紫色に澄んだ空を見た。 秋が来たんだ。コック部屋で御飯を食べながら私は遠い田舎の秋をどんなにか恋しく懐しく思った。 秋はいゝな……。 今日も一人の女が来た。マシマロのように白っぽい一寸面白そうな女。厭になってしまう、なぜか人が恋いしい。 そのくせ、どの客の顔も一つの商品に見えて、どの客の顔も疲れている。なんでもい
林芙美子
新版 放浪記 林芙美子 第一部 放浪記以前 私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。 更けゆく秋の夜 旅の空の 侘しき思いに 一人なやむ 恋いしや古里 なつかし父母 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放され
林不忘
つづれ烏羽玉 林不忘 花吹雪 どこかで見たような顔だね 花を咲かすのが雨なら散らすのも雨。 隅田川木母寺梅若塚の大念仏は十五日で、この日はきまって雨が降る。いわゆる梅若の涙雨だが、それが三日も続いた末、忘れたようにからりとあがった今日の十八日は、浅草三社権現のお祭、明日が蓑市、水茶屋の書き入れどきである。 阪東第十三番目の聖観世音。 今も昔もかわらないのが浅
林不忘
巷説享保図絵 林不忘 金剛寺坂 一 「お高どの、茶が一服所望じゃ」 快活な声である。てきぱきした口調だ。が、若松屋惣七は、すこし眼が見えない。人の顔ぐらいはわかるが、こまかいものとくると、まるで盲目なのだ。その、見えない眼をみはって、彼はこう次の間のほうへ、歯切れのいい言葉と、懐剣のようにほそ長い、鋭い顔とを振り向けた。 冬には珍しい日である。梅がほころびそ
林不忘
首 一 「卑怯! 卑怯ッ! 卑怯者ッ!」 大声がした。千代田の殿中である。新御番詰所と言って、書役の控えている大広間だ。 荒磯の描いてある衝立の前で、いまこう、肩肘を張って叫び揚げた武士がある。 紋服に、下り藤の紋の付いた麻裃を着て、さッと血の気の引いた顔にくぼんだ眼を据え、口唇を蒼くしている戸部近江之介である。西丸御書院番頭脇坂山城守付きの組与頭を勤めてい
林不忘
煩悩秘文書 林不忘 深山の巻――女髪兼安―― 猿の湯 岩間に、黄にむらさきに石楠花が咲いて、夕やみが忍び寄っていた。 ちょうど石で畳んだように、満々と湯をたたえた温泉の池である。屹立する巌のあいだに湧く天然の野天風呂――両側に迫る山峡を映して、緑の絵の具を溶かしたような湯の色だった。 三国ヶ嶽を背にした阿弥陀沢の自然湯――。 白い湯気が樹の幹に纏わる。澄んだ
浜尾四郎
殺人鬼 浜尾四郎 美しき依頼人 1 二、三日前の大風で、さしも満開を誇つた諸所の桜花も、惨ましく散りつくしてしまつたろうと思われる四月なかばごろのある午後、私は勤先の雑誌社を要領よく早く切り上げて、銀座をブラブラと歩いていた。 どこかに寄つてコーヒーでも一杯のんで行こうか、いや一人じやつまらない、誰か話し相手はないか、とこんな事を考えながら尾張町から新橋の方
中里介山
法然上人は美作の国、久米の南条稲岡庄の人である。父は久米の押領使、漆の時国、母は秦氏である。子の無いことを歎いて夫婦が心を一つにして仏神に祈りをした。母の秦氏が夢に剃刀を呑むと見て身ごもりをした。父の時国が云うのに、 お前が孕める処定めてこれは男の子であって一朝の戒師となる程の者に相違ないと。 母の秦氏は心が柔和で、身に苦しみがない。堅く酒肉五辛を断って三宝
戸坂潤
二三年来、問題に触れて書いて来た社会評論の内から、手頃と思われるものを選んで、出版することにした。私はかねてから、批評の任務は努めて客観的公正を守るということにあると信じている。観察者には色眼鏡があってはならない、事実そのものをして語らせなければならないのである。 尤も又私が信ずる処によると、評論は如何なる場合にも文学的特色を有っていなければならない。その結
戸坂潤
社会時評 戸坂潤 目次 思想問題恐怖症 自由主義の悲劇面 転向万歳 倫理化時代 減刑運動の効果 世人の顰蹙 林檎が起した波紋 小学校校長のために 博士ダンピングへ 荒木陸相の流感以後 スポーツマンシップとマネージャーシップ 失望したハチ公 武部学長・投書・メリケン 農村問題・寄付行為其他 三位一体の改組その他 罷業不安時代 パンフレット事件及び風害対策 高等
戸坂潤
ドイツのプランケンベルクに生れた。父は鞣皮業。一八三二年父と共にウッケラートに移り、従前通りの事業に従事しつつウッケラートの小学校に通学、後ケルンの高等小学校に暫く在学した。其後半年程厳格なる教育のために語学校に送られた。幼年期には至極粗暴であったが、少年期に入るに及んで温順となり鞣皮工の労働の傍ら文学、経済学、哲学等の研究にいそしむ。一八四五―四九年の間独
戸坂潤
ここに編纂したものは、必ずしも研究論文ではない。と共に一時的な時評でもない。私は、時代の評論とでも云うべきだと考える。大体から云うと、ごく啓蒙的なものであるから、無用な先入見にわずらわされない読者には、読みよいものかと思われる。 日本は世界的な角度から見られねばならぬ、というのが私の一貫する態度だ。これは、日本は民衆の立場から見られねばならぬということに基く
戸坂潤
文学という言葉を文献学という意味に使い、所謂文学の代りに文芸という言葉を使え、という意見もあるが、私はにわかに賛成出来ない。文学は単なる文芸でもなく又文献学でもなしに、ある他のもっと大事なものを指していると私は考える。 世間で文学と呼び慣らわしているものをよく見ると、必ずしも芸術の一様式である文芸のことばかりを意味しているのではない。文芸を浸潤し、更に広く他
戸坂潤
現代唯物論の対象となるものを物質論・認識論・科学論・文化論・の四部門に分けて見た。存在が物質であり、之を認識するのが認識であり、その認識が科学に組織されるのであり、そして科学は文化に包括される、と考えたからである。夫々の部門に適当な論文を配置して統一を与えた。 各部門がこれ等の論文で要を尽しているなどとは到底思われない。寧ろ当然載るべき個処の論文が載っていな
戸坂潤
私は今現代哲学に就いて、教師風の説明を与えることを目的としているのではない。無論おのずからそういう結果になった部分もあるし、又そうなることを避けねばならぬ理由もないのだが、併しいつも私にとって、もっと遙かに大事な問題は、吾々が実際に生活しているこの現在の社会に触れて発生する処の、時事的な或いは又原則的な問題なのであって、こうした時事的又は原則的な問題をば、時
戸坂潤
この書物で私は、現代日本の日本主義と自由主義とを、様々の視角から、併し終局に於て唯物論の観点から、検討しようと企てた。この論述に『日本イデオロギー論』という名をつけたのは、マルクスが、みずからを真理と主張し又は社会の困難を解決すると自称するドイツに於ける諸思想を批判するに際して、之を『ドイツ・イデオロギー』と呼んだのに傚ったのだが、それだけ云えば私がこの書物
戸坂潤
私は二年あまり前に、『イデオロギーの論理学』を出版したが、今度の書物は全く、それの具体化と新しい領域への展開なのである。が、そればかりでなく、又その敷衍と平易化とでもあることを願っている。 イデオロギーの問題が、一般社会から云っても又階級的に云っても、至極重大な客観的な意味を有っていることを、今更口にする必要はないであろう。併しこの問題は世間の人々が想像して
戸坂潤
この書物は、過去一年余りの間に私が様々な雑誌に発表した文章を、略々発表の時期の順序に従って編集したものである。どの文章もそれだけで独立な統一を有っているのではあるが、書物全体が実は、初めから一定のテーマを追跡することによって、それからそれへと次々に展開された諸問題の一系列を形づくっている。それ故この書物を初めから順次に読むならば、個々の文章だけでは気付かれな
戸坂潤
私は今特に、文明批評又は文化批判の立場から、技術の問題を取り上げる。「技術の哲学」と名づけた理由は之である。そしてここでは主に、技術をイデオロギー理論に関係させて取り扱おうと思ったのである。 この問題についてはまだまだ書くことがあると思うから、序説の積りで之を出版したいと考える。――検閲にそなえるために正確に云い表わせない点があったのは残念だ。 一九三三・一