The Chivalrous Two-Sword Style
任侠二刀流国枝史郎
ここは両国広小路、隅田川に向いた茜茶屋、一人の武士と一人の女、何かヒソヒソ話している。 「悪いことは云わぬ、諾と云いな」 「さあね、どうも気が進まないよ」 「馬鹿な女だ、こんないい話を」 「あんまり話がうますぎるからさ」 「気味でも悪いと云うのかい」 「そうだねえ、その辺だよ」 「案外弱気なお前だな」 「恋にかかっちゃあこんなものさ」 「ふん、馬鹿な、おノロ
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国枝史郎
ここは両国広小路、隅田川に向いた茜茶屋、一人の武士と一人の女、何かヒソヒソ話している。 「悪いことは云わぬ、諾と云いな」 「さあね、どうも気が進まないよ」 「馬鹿な女だ、こんないい話を」 「あんまり話がうますぎるからさ」 「気味でも悪いと云うのかい」 「そうだねえ、その辺だよ」 「案外弱気なお前だな」 「恋にかかっちゃあこんなものさ」 「ふん、馬鹿な、おノロ
国枝史郎
「福島は今日から馬市で、さぞまあ賑わうことだろう」 「福島の馬市も馬市だが、藪原の繁昌はまた格別じゃ。と云って祭りがあるのではないが、藪原長者の抱妓の中に鳰鳥という女が現われてからは、その顔だけでも拝もうとして、近在の者はいうまでもなく遠い他国からも色餓鬼どもが、我も我もと押し出して来て、夜も昼も大変な雑沓じゃ」 「そのように評判のその女、どういう素姓の者で
国枝史郎
「飛天夜叉、飛天夜叉!」 「若い女だということだね」 「いやいや男だということだ」 「ナーニ一人の名ではなくて、団体の名だということだ」 「飛天夜叉組ってやつか」 「術を使うっていうじゃアないか」 「摩訶不思議の妖術をね」 「宮方であることには疑がいないな」 「武家方をミシミシやっつけている」 「何がいったい目的なんだろう?」 「大盗賊だということだが」 「
国枝史郎
京都所司代の番士のお長屋の、茶色の土塀へ墨黒々と、楽書きをしている女があった。 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものはなしと、歌人によって詠ぜられた、それは弥生の春の夜のことで、京の町々は霞こめて、紗を巻いたように朧であった。 寝よげに見える東山の、円らの姿は薄墨よりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たち
国枝史郎
剣侠 国枝史郎 木剣試合 1 文政×年の初夏のことであった。 杉浪之助は宿を出て、両国をさして歩いて行った。 本郷の台まで来たときである。榊原式部少輔様のお屋敷があり、お長屋が軒を並べていた。 と、 「エーイ」 「イヤー」 という、鋭い掛声が聞こえてきた。 (はてな?) と、浪之助は足を止めた。 (凄いような掛声だが?) で、四辺を見廻して見た。 掛声はお長
国枝史郎
沙漠の古都 国枝史郎 第一回 獣人 一 「マドリッド日刊新聞」の記事…… 怪獣再び市中を騒がす。 去月十日午前二時燐光を発する巨大の怪獣何処よりともなく市中に現われ通行の人々を脅かし府庁官邸の宅地附近にて忽然消滅に及びたる記事は逸速く本社の報じたるところ読者の記憶にも新たなるべきがその後怪獣の姿を認めずあるいは怪獣の出現も通行の人々の幻覚に過ぎず事実上かかる
国枝史郎
血曼陀羅紙帳武士 国枝史郎 腰の物拝見 「お武家お待ち」 という声が聞こえたので、伊東頼母は足を止めた。ここは甲州街道の府中から、一里ほど離れた野原で、天保××年三月十六日の月が、朧ろに照らしていた。頼母は、江戸へ行くつもりで、街道筋を辿って来たのであったが、いつどこで道を間違えたものか、こんなところへ来てしまったのであった。声は林の中から来た。頼母はそっち
国枝史郎
名人地獄 国枝史郎 消えた提灯、女の悲鳴 「……雪の夜半、雪の夜半……どうも上の句が出ないわい」 寮のあるじはつぶやいた。今、パッチリ好い石を置いて、ちょっと余裕が出来たのであった。 「まずゆっくりお考えなされ。そこで愚老は雪一見」 立ち上がったあるじは障子を開けて、縁の方へ出て行った。 「降ったる雪かな、降りも降ったり、ざっと三寸は積もったかな。……今年の
国枝史郎
仇討姉妹笠 国枝史郎 袖の中には? 舞台には季節にふさわしい、夜桜の景がかざられてあった。 奥に深々と見えているのは、祇園辺りの社殿であろう、朱の鳥居や春日燈籠などが、書割の花の間に見え隠れしていた。 上から下げられてある桜の釣花の、紙細工の花弁が枝からもげて、時々舞台へ散ってくるのも、なかなか風情のある眺望であった。 濃化粧の顔、高島田、金糸銀糸で刺繍をし
国枝史郎
十二神貝十郎手柄話 国枝史郎 ままごと狂女 一 「うん、あの女があれなんだな」 大髻に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼主殿頭の、宏大の下屋敷が立っていた。 「世上で評判の『ままごと女』のようで」 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。 「つまり
国枝史郎
八ヶ嶽の魔神 国枝史郎 邪宗縁起 一 十四の乙女久田姫は古い物語を読んでいる。 (……そは許婚ある若き女子のいとも恐ろしき罪なりけり……) 「姫やどうぞ読まないでおくれ。妾聞きたくはないのだよ」 「いいえお姉様お聞き遊ばせよ。これからが面白いのでございますもの。――許婚のある佐久良姫がその許婚を恐ろしいとも思わず恋しい恋しい情男のもとへ忍んで行くところでござ
国枝史郎
土屋庄三郎は邸を出てブラブラ条坊を彷徨った。 高坂邸、馬場邸、真田邸の前を通り、鍛冶小路の方へ歩いて行く。時は朧ろの春の夜でもう時刻が遅かったので邸々は寂しかったが、「春の夜の艶かしさ、そこはかとなく匂ひこぼれ、人気なけれど賑かに思はれ」で、陰気のところなどは少しもない。 「花を見るにはどっちがよかろう、伝奏屋敷か山県邸か」 鍛冶小路の辻まで来ると庄三郎は足
河上肇
貧乏物語 河上肇 序 この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。今これを一冊子にまとめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸が出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り
金子ふみ子
金子ふみ 栗原兄 一、記録外の場面においては、かなり技巧が用いてある。前後との関係などで。しかし、記録の方は皆事実に立っている。そして事実である処に生命を求めたい。だから、どこまでも『事実の記録』として見、扱って欲しい。一、文体については、あくまでも単純に、率直に、そして、しゃちこ張らせぬようなるべく砕いて欲しい。一、ある特殊な場合を除く外は、余り美しい詩的
岡本一平
予は今備後の鞆の津より松山へ渡る汽船の甲板の上で意気込んで居る。何の意気込だ。夏目先生の『坊つちやん』の遺蹟を探らうとしての意気込みだ。 『坊つちやん』はたして実在の人だつたか? この小説はどこまで構想に事実の拠り処があるのか? 誰しも読者として小説に魅了せられた程の人はその小説並に著者を愛する心持ちの延長として遂にこの探求まで突進む事は自然の道理である。
岡本一平
第一図 つまらなくて、だれた国技館の中にたゞ一つ、つまつて吃驚するものがある。それは幕下二枚目、出羽ヶ嶽君の巨躯だ。彼は身長六尺五寸、体量四十二貫あるそうな。象のやうな身体を猫背にして勝つても負けても海豚のような細い眼は柔かく眠つてる。四十八手の裏表も彼に対しては桁が外れる。世の中で呆れる事が好きな人の為めにこの怪物の毎日の取組振りを紹介しよう。昨日は楢綿に
岡本一平
今度は相撲の稽古を思ひ立ち師匠には大錦卯一郎君を見立てた。何も素人の痩つぽちを弄くつて貰ふのに斯程の大力士を煩はさんでもよいのである。併し稽古の始めは大抵抛り出されて許り居るに決まつてる。同じ抛り出されるなら相手が無名の丸太ン棒であるよりは天下の横綱なる方が自尊心を傷ける程度が薄いといふものだ。大錦君は巡業の帰路上州高崎に居たのを訪うて志を申入れた。大錦君が
岡本一平
死んだ小説家の獨歩は天地に驚き度いと申しました。わたくしのは少し違ひます。時々呆れるやうなものに打つからぬと生命が居眠りをして仕舞ふのです。 ふと相撲場へ行きました。出羽嶽といふ力士の馬鹿々々しい大きさに少し呆れる事が出来ました。広い世界に同じ心持ちの人があるかも知れぬ。呆れをお福分けする積りで五六日土俵上の怪物の動静を絵でお知らせしました。 ところがこゝに
岡本一平
非凡人と凡人の遺書 岡本一平 牛や魚は死ぬ時遺言しない。鳥や松の木も死ぬ時遺言しない。遺言するのは人間だけである。死ぬ時自分以外に他あるを顧みて其処に何か責任上の一言を遺して置く。これ人間が万物の霊長たる由縁であらう。 毎年正月元日に筆を改めて遺言状を書き直すといふ用意周到の人が僕の知つてる範囲で二人ある。然も二人共可成り永生きの方なので何通書き直したか判ら
大町桂月
草木も眠る眞夜中に、どん/\と雨戸を叩くものあり。起き出でて見れば、押川春浪と鷹野止水と也。迎へ入れて、對酌して曉に達す。止水去れり。春浪なほ留まりて、なほ對酌して、正午を過ぎたり。共に出でて宮崎來城を訪ひ、又飮む。夜半に至りて辭し去る。春浪、前に在り。余、後に在り。春浪ふと立ちとまり、五紋付のきびらの羽織を脱ぎ、之をやるとて、余に渡さんとす。余は要らぬとて
大町桂月
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな これ、晶子女史の作也。晶子女史が、当代の歌壇、唯一の天才なることは此の一首にもあらはれたり。第二句、明星には、『金にはあれど』とあり。恋ごろもには、『御仏なれど』と改まれり。『金にはあれど』は、子供くさくして、露骨に失す。『御仏なれど』は、それよりは、よけれど、なほ野暮くさし。且つ、釈迦牟尼と、呼びすてにす
大町桂月
茶の名に知られたる狹山、東京の西七八里にありて、入間、北多摩二郡に跨る。高さは、わづかに百米突内外なれども、愛宕山、飛鳥山、道灌山の如き、臺地の端とは異なり、ともかくも、山の形を成して、武藏野の中に崛起し、群峯相竝び、また相連なりて、東西三里、南北一里に及ぶ。武藏野の單調をやぶりて、山らしく、且つ眺望あるは、唯こゝのみ也。 明治四十年六月二十五日、降りさうに
大町桂月
東京第一の射的場なる戸山の原、あちにも、こちにも、銃聲ぱち/\。臥してねらふ兵士、立ちて列をなして射撃にとりかゝらむとする兵士、部下を集めて射撃の講釋をなす士官、午後の暑さをよそに、とり/″\、汗を流して活動し、喇叭の聲やかましく、走る馬に塵たつ中を通りぬけて、ほつと一息す。寺の名は、亮朝院、神佛混淆の痕跡、七面大明神の額に殘れる堂前に、石の仁王あり。左の仁
大町桂月
小石川の小日向臺に、檜葉菩薩と稱する賢人あり。門内の檜葉の樹、偉大にして、東京に冠たるを以て、斯く名づく。啻に其の檜葉が偉大なるのみならず、其の人格偉大也。其の學も、其の徳も、其の才も、みな偉大也。三馬鹿、年來この菩薩の指導を受く。或時三馬鹿相會し、相議して曰く、『我等の如き馬鹿者は、何事に於ても小日向の菩薩に敵する能はず。併し我等も日本男兒と生れたるからに