職工と微笑
松永延造
職工と微笑 松永延造 序言 私は当時、単なる失職者に過ぎなかった。とは云え、私自身とは全体何んな特質を持った個体であったのか? 物の順序として、先ず其れから語り出されねばならない。 別段大きな特質を持たぬという点が私の特質であった故に、私は私自身に就いて、其れ程長い説明を此処で試みようとは思わない。正直と簡単とを尊重して、私は次の事丈を読者に告げ得れば、もう
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松永延造
職工と微笑 松永延造 序言 私は当時、単なる失職者に過ぎなかった。とは云え、私自身とは全体何んな特質を持った個体であったのか? 物の順序として、先ず其れから語り出されねばならない。 別段大きな特質を持たぬという点が私の特質であった故に、私は私自身に就いて、其れ程長い説明を此処で試みようとは思わない。正直と簡単とを尊重して、私は次の事丈を読者に告げ得れば、もう
石橋忍月
罪過論 石橋忍月 罪過の語はアリストテレスが、之を悲哀戯曲論中に用ひしより起原せるものにして、独逸語の所謂「シウルド」是なり。日本語に之を重訳して罪過と謂ふは稍々穏当ならざるが如しと雖も、世にアイデアル、リアルを訳して理想的、実写的とさへ言ふことあれば、是れ亦差して咎むべきにあらず。 吾人をして若し罪過の定義を下さしめば、簡明に左の如く謂はんと欲す。曰く、
石橋忍月
舞姫 石橋忍月 鴎外漁史の「舞姫」が国民之友新年附録中に就て第一の傑作たるは世人の許す所なり。之が賛評をなしたるもの少しとせず。然れども未だ其瑕瑾を発きたるものは之れ無きが如し。予は二三不審の廉を挙げて著者其人に質問せんと欲す。 「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇にして、此境遇に処せしむるに小心なる臆病なる慈悲心ある――勇気なく独立心に乏しき一
オー・ヘンリー
レイクランヅはハイカラな避暑地の目録には入つてゐない。クリンチ川の小さな支流に臨むカンバランド山脈の低い支脈の上に在る。もと/\レイクランヅといふのは、寂しい狹軌鐵道沿線の、二十數戸の靜かな村の名である。まるで、鐵道が松林の中で道に迷つて、怖く淋しくなつて、その村へ逃げ込んだやうにも見え、又村の方が道を失つて、汽車に故郷へ連れて歸つて貰ひ度さに、線路のふちに
オー・ヘンリー
一人の獄卒が、刑務所内にある靴工場へやってくる。そのとき、ジミィ・ヴァレンタインは靴の革をせっせと縫っていたのだが、獄卒に連れられて、表の事務所へ行くことになった。事務所に入ると、刑務所長がジミィに恩赦状を手渡した。今朝、知事の手でサインされたものだった。ジミィはやっとか、というふうに受け取った。四年の刑期のうち、もう十ヶ月くらいになる。三ヶ月くらいですむも
尾崎紅葉
むかしむかし翁は山へ柴刈に、 媼は洗濯の河にて、 拾いし桃実の裏より 生れ出でたる桃太郎、 猿雉子犬を引率して この鬼ヶ島に攻来り、 累世の珍宝を分捕なし、 勝矜らせて 還せし事、 この島末代までの 恥辱なり、 あわれ願わくは 武勇勝れたる鬼のあれかし、 其力を藉てなりとも この遺恨霽さばやと、 時の王鬼島中に触を下し、 誰にてもあれ日本を征伐し、 桃太郎奴
尾崎紅葉
未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾は、或は忙かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切に小き膓は断れぬべし。 元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌されたる日記を涜して、この黄
菊池寛
汽車が、国府津を出た頃、健作は食堂へは入つて行つた。寝るまでの中途半端の時間なので、客は十四五人もあちらの卓や此方の卓に散在してゐた。大抵は、二三人づれでビールや日本酒を飲んでゐた。健作は、晩飯を喰つてゐないので、ビフテキとチキン・ライスを註文した。 健作は、チキン・ライスを喰つてしまつてから、ふと気がついたのだが、健作が坐つてゐる席とは一番遠い端に、此方へ
菊池寛
朝から競馬場へ駈けつける。直ぐに穴場へ飛びこむ。馬券を握ってスタンドへ出る。スタートが切られて、ゴールになって、しかし自分の買った馬は不幸惨敗を喫してしまう。それから曳馬でも見てまた直ぐ穴場へ入って馬券を買って……。 そんな具合に朝のうちから馬券に熱くなっている人を見ると、見ている方で却ってはらはらする。 競馬の番組の仕組と云うものは、関東と関西とでは多少違
菊池寛
二三日降り続いた秋雨が止んで、カラリと晴れ渡った快い朝であった。 江戸川縁に住んでいる啓吉は、いつものように十時頃家を出て、東五軒町の停留場へ急いだ。彼は雨天の日が致命的に嫌であった。従って、こうした秋晴の朝は、今日の裡に何かよい事が自分を待っているような気がして、何となく心がときめくのを覚えるのであった。 彼は直ぐ江戸川に差しかかった。そして、小桜橋と云う
菊池寛
「雄辯」から、僕の自叙伝を求められたが、僕には既に「文藝春秋」に半歳に亙つて連載され、其後、平凡社から出た、僕の全集の中に収録されてゐる「半自叙伝」がある。 僕は其の「半自叙伝」の書き出しに、「自分は自叙伝など、少しも書きたくない」と断り書をしてゐるが、この気持は今でも変りはない。 事実、自分の半生には書くだけの波瀾も事件もないのである。僕は他の人に比べて、
菊池寛
高等学校に入学すると間もなく教室で、自分の机の直ぐ傍に顔のやゝ赤い溌剌たる青年を見附けた、その青年はASAKAと云ふ字を染めぬいた野球のユニホームを着て居たので、少からず我々を駭かしもすれば、笑はせもしたものだ、さうした稚気がその頃の久米には可なりあつた。其処がまた久米の可愛い所ではあつたが。 間もなく久米はそのユニホームを脱いだ事は脱いだが、そのユニホーム
菊池寛
今でこそ余程薄れたやうですが、昔は「芥川の脣」と云へば僕達の間では一寸評判のものでした。久米などはよく「芥川の脣」を噂した事がありました。芥川は御承知の通り色白の方であるのに、其の脣と云ふのが真紅で稍紫色を帯び非常に印象的なものでした、美女の脣のやうに妖艶で、美しいけれども少し凄艶な気のするものでした。昔の芥川を想ひ出す毎に必ず彼の脣を思ひ出します。此頃の「
菊池寛
彼は毎日電車に乗らぬ事はない。 従つて、電車内の出来事に依つて、神経をいら/\させられたり、些細な事から、可なり大きい不快を買つたりする事は毎度の事だつた。殊に、切符の切り方の僅かな間違などから起る車掌との不快な交渉は、勝つても負けても嫌であつた。車掌が乗客から、威丈高に云ひ込められて、不快な感情を職業柄ぢつと抑制して居る所などを見ると、彼は心から、同情せず
菊池寛
見かけだけは肥って居るので、他人からは非常に頑健に思われながら、その癖内臓と云う内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知って居た。 ちょっとした坂を上っても、息切れがした。階段を上っても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されても、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないこと
菊池寛
自分が京都に居たとき、いろ/\な物が安かった。食費が月に六円だった。朝が六銭で昼と晩が八銭ずつだった。一日二十二銭の訳なのだが、月極めにすると二十銭に負けて呉れるのだった。素人の家の間を借りて居たが、間代が二円だった。もっとも、自分は大学生として、最もつましい生活をして居たには違ない。が、食と住とが僅か十円以下で足りたかと思うと、隔世の感がある。 二十円足ら
菊池寛
十一月の終か、十二月の初頃でした。私は、その日珍しく社から早く帰って来ました。退社の時刻は、大抵六時――どんなに早くっても五時だったのですが、其日にかぎって、四時頃に社を出たように思います。 その頃は、江戸川縁の西江戸川町に住んで居ました。琴の師匠の家の部屋を借りて、妻と一緒に暮して居たのです。その日、私は社から帰って来ますと、久し振りで銭湯へ行きました。そ
菊池寛
久野の家を出た三人は、三丁目から切通しの方へ、ブラ/\歩いていた。五六年前、彼等が、一高にいたときは、この通を、もっと活溌な歩調でいくたび散歩したか分らなかった。 その時は、啓吉も久野も、今度久しぶりで、ヒョックリ上京して来た青木も、銘々それ/″\に意気軒昂たるものであった。その中でも、青木が一番自信を持っていた。その天才的な態度や行動のために、みんなからも
菊池寛
雄吉は、親友の河野が、二年越の恋愛事件以来――それは、失恋事件と云ってもよい程、失恋の方が主になって居た――事々に気が弱くてダラシがなく、未練がじめ/\と何時も続いて居て、男らしい点の少しもないのがはがゆくて堪らなかった。 河野の愛には報いないで、人もあろうに、河野には無二の親友であった高田に、心を移して行った令嬢や、又河野に対する軽い口約束を破ってまで、そ
菊池寛
父の死に會して家に歸つた折、偶々家に平賀源内の手紙があるのを知つた。手紙は、次ぎの通である。 二白私數年願置の秩父鐵山も成就仕追々生鐵鋼鐵共澤山出且刀劍にも爲作候處無類の上鋼鐵にて利劍を鍜出先日より田沼君へ差出置追て御樣させ被下筈に御座候且去秋初佐竹候よりお頼にて羽州秋田へ參候處國中産物勿論多くて經濟共被相頼凡一ヶ年二萬兩斗の國益御座候につき召座御褒美金百兩
菊池寛
芥川が死んでから、はやくも二年半近くになる。彼の死因は、彼の肉體及び精神を襲つた神經衰弱に半以上を歸せしめることが出來るだらうが、その殘つた半近きものは、彼が人生及び藝術に對して、あまりに良心的でありあまりに神經過敏であつたためであるやうに思はれる。彼のあまりに鋭すぎた神經は、實生活の煩はしさのために、いよ/\鋭くなり遂に齒こぼれのした細い劍のやうになつてし
菊池寛
まだ天子様の都が、京都にあった頃で、今から千年も昔のお話です。 都から二十里ばかり北に離れた丹波の国のある村に、三人の兄弟がありました。一番上の兄を一郎次と言いました。真中を二郎次と言い、末の弟を三郎次と言いました。兄弟と申しましても、十八、十七、十六という一つ違いで脊の高さも同じ位で、顔の様子や物の言いぶりまで、どれが一郎次でどれが二郎次だか、他人には見分
菊池寛
二人の生活は、八月に入つてから、愈々困憊の極に達して居た。来る日も、来る日も彼等の生活は陰惨な影に閉ざされて居た。 敬吉には、おくみの存在が現在の暗いじめ/\とした世界と、明るい晴々とした自由な世界とを、遮ぎつて居る障壁のやうに、思はれる日が多くなつた。おくみの羸弱い手が、自分の頸の廻りに、纏ひ附いて居る為に、けばくほど、深味へ陥ちて行くやうに思はれてしやう
菊池寛
人物 渡邊左衛門尉渡。 その妻袈裟。 遠藤武者盛遠。 時代 平家物語の時代。 情景 朧月夜の春の宵。月は、まだ圓ではないが、花は既に爛と咲きみだれてゐる。東山を、月光の裡にのぞむ五條鴨の河原に近き渡邊渡の邸の寢殿。花を見るためか、月を見るためか、簾は掲げられてゐる。赤き短檠の光に、主人の渡と妻の袈裟とがしめやかに向ひ合つて居る。袈裟は、年十六。輝くが如き美貌