Vol. 2May 2026

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風雲児、坂本竜馬

菊池寛

現存する坂本龍馬の写真を見ると、蓬頭垢衣、如何にも風采あがらぬ浪士と云つた格好である。浜本浩に少し苦味を加へたやうな顔だ。 その近親の談話によると、龍馬が常用してゐた黒羽二重の紋服は、いつも膝の下一寸ばかりのところが、ピカ/\油染みて光つてゐたと云ふ。 鼻をこすつて、何かと云ふと得意がる癖があつたと云ふ。一日五度も六度もこれをやつた。 酒は大酒とは云へず寧ろ

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女強盗

菊池寛

女強盗 菊池寛 一 隆房大納言が、検非違使(警視庁と裁判所をかねたもの)の別当(長官)であった時の話である。白川のある家に、強盗が入った。その家の家人に、一人の勇壮な若者がいて、身支度をして飛出したが暗くてどちらが味方か敵かわからない。まごまごしているうちに、気がついて見ると、味方はことごとく敗走して、自分一人が強盗の中にいる。しかも、強盗達は、自分を仲間の

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大力物語

菊池寛

大力物語 菊池寛 一 昔、朝廷では毎年七月に相撲の節会が催された。日本全国から、代表的な力士を召された。昔の角力は、打つ蹴る投げるといったように、ほとんど格闘に近い乱暴なものであった。武内宿彌と当麻のくえはやとの勝負に近いものだ。 だから、国々から選ばれる力士も、その国で無双の強者だったのである。 ある時、越前の佐伯氏長が、その国の選手として相撲の節会に召さ

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差押へられる話

菊池寛

差押へられる話 菊池寛 私は、所得税に対して不服であつた。附加税をよせると、年に四百円近くになる。私は官吏や実業家のやうに、国家の直接な恩恵を受けてもゐないのに、四百円は、どんな意味からでも、取られすぎると思つた。文士など云ふ職業は、国家が少しも歓待もしなければ、保護奨励もしない。奨励しないどころか、発売禁止だとか上演禁止だとかで脅してゐながら、その上収入に

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入れ札

菊池寛

入れ札 菊池寛 上州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次一家の者は、赤城山へ立て籠って、八州の捕方を避けていたが、其処も防ぎきれなくなると、忠次を初、十四五人の乾児は、辛く一方の血路を、斫り開いて、信州路へ落ちて行った。 夜中に利根川を渡った。渋川の橋は、捕方が固めていたので、一里ばかり下流を渡った。水勢が烈しいため、両岸に綱を引いて渡ったが、それでも乾児の一人は

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藤十郎の恋

菊池寛

藤十郎の恋 菊池寛 一 元禄と云う年号が、何時の間にか十余りを重ねたある年の二月の末である。 都では、春の匂いが凡ての物を包んでいた。ついこの間までは、頂上の処だけは、斑に消え残っていた叡山の雪が、春の柔い光の下に解けてしまって、跡には薄紫を帯びた黄色の山肌が、くっきりと大空に浮んでいる。その空の色までが、冬の間に腐ったような灰色を、洗い流して日一日緑に冴え

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ある恋の話

菊池寛

ある恋の話 菊池寛 私の妻の祖母は――と云って、もう三四年前に死んだ人ですが――蔵前の札差で、名字帯刀御免で可なり幅を利かせた山長――略さないで云えば、山城屋長兵衛の一人娘でした。何しろ蔵前の札差で山長と云えば、今で云うと、政府の御用商人で二三百万円の財産を擁しておろうと云う、錚々たる実業家に当る位置ですから、その一人娘の――尤も男の子は二人あったそうです。

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第二の接吻

菊池寛

コツコツとかすかなノック。 「お入り!」というと、美智子の眉の長いかわいい顔がのぞき込む。 「村川さん、かくれんぼしない?」 「かくれんぼですか、また!」 村川は、少したじたじとなる。この川辺家へ来てから、幾度かくれんぼに引き出されたかわからない。 「いいわよね。しましょうよ、ね。村川さん!」 六歳にして、すでに女らしい媚態を持つ、おませなモダンガールの美智

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奉行と人相学

菊池寛

奉行と人相学 菊池寛 大岡越前守は、江戸町奉行になってから一、二年経った頃、人相と云うことに興味を持ち始めた。 それは、月番のときは、大抵毎日のように、咎人の顔を見ているために、自然その人間の容貌とその人間の性格とを、比較して考えるようになったのである。 が、大抵の場合、人殺しや、強盗は凶悪な面構えをしているし、かたりやすりは、ずるそうな顔をしている。 が、

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二千六百年史抄

菊池寛

今年の初、内閣情報部から発行してゐる「週報」から、最も簡単な日本歴史を書いてくれとの註文を受けた。多くの史学者に頼まず、僕を選んだのは、なるべく大衆に読ませようとの意図からであらう。 僕は、史学者でもない、歴史研究者でもない。しかし、歴史を愛し、歴史上の諸人物に親しみを持つ点に於ては、多く人後に落ちないつもりである。殊に、僕個人として、二千六百年を記念する意

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A Question of Chastity

貞操問答

菊池寛

七月、もうすっかり夏であるべきはずだのに、この三日ばかり、日の目も見せず、時々降る雨に、肌寒いような涼しさである。 今も、小雨が降っている。だが空はうす白く、間もなく雨も降り止みそうな光が、ただよっている。 新子は、ぼんやり二階の居間から、外を眺めている。 路次の水たまり、黒い小猫がぴょんぴょんと水溜をさけて、隣の生垣の下をくぐった。茶色の雨マントを着た魚屋

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小学生全集に就て(再び)

菊池寛

小学生全集に就て(再び) 菊池寛 小学生全集について、先月も書いたが、今月も少しかきたいと思ふ。 自分は、とにかく此全集には、全力をつくして当るつもりである。自分の担当して居る各巻については、一字一句もゆるがせにしないつもりである。 自分は、先に「小学童話読本」編輯以後も、「新小学童話読本」編輯のために、一昨年来数名の編輯員を常置して、あらゆる方面の童話を蒐

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「小学生全集」について

菊池寛

「小学生全集」について 菊池寛 新聞の広告でも御承知のことと、思ふが、今度自分は芥川の援助をも乞うて、「小学生全集」なるものを編輯することになつた。 曾て、自分は「小学童話読本」八巻を編輯した。清新にして健全なる童話を精選して、児童の読物に供するつもりであつた。二年近き歳月を費して、漸く完成したが、自分の蒐めた小学生の読物は、その何分の一しか収めることが出来

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Madame Pearl (Original Orthography Edition)

真珠夫人

菊池寛

汽車が大船を離れた頃から、信一郎の心は、段々烈しくなつて行く焦燥しさで、満たされてゐた。国府津迄の、まだ五つも六つもある駅毎に、汽車が小刻みに、停車せねばならぬことが、彼の心持を可なり、いら立たせてゐるのであつた。 彼は、一刻も早く静子に、会ひたかつた。そして彼の愛撫に、渇ゑてゐる彼女を、思ふさま、いたはつてやりたかつた。 時は六月の初であつた。汽車の線路に

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Madame Pearl

真珠夫人

菊池寛

汽車が大船を離れた頃から、信一郎の心は、段々烈しくなって行く焦燥しさで、満たされていた。国府津迄の、まだ五つも六つもある駅毎に、汽車が小刻みに、停車せねばならぬことが、彼の心持を可なり、いら立たせているのであった。 彼は、一刻も早く静子に、会いたかった。そして彼の愛撫に、渇えている彼女を、思うさま、いたわってやりたかった。 時は六月の初であった。汽車の線路に

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菊池寛

形 菊池寛 摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。 そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はその扱き出す三間柄の大身の鎗の鋒先で、さきがけ殿の功名を重ねていた。そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水

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A Go Handicap Record

碁の手直り表

菊池寛

我々の倶楽部と云うものが、木挽町八丁目にある。築地の待合区域のはずれに在る。向う側は、待合である。三階建のヒョロ/\とした家である。二階三間三階二間である。家賃は三分して、社と自分と直木とで三分の一ずつ出すことになっていた。しかし、それは規定だけで、全部社が立替えて払っていた。 茲に直木は休んでいた。神奈川の富岡に家を立てたが、一万数千円を入れて出来上っても

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納豆合戦

菊池寛

納豆合戦 菊池寛 一 皆さん、あなた方は、納豆売の声を、聞いたことがありますか。朝寝坊をしないで、早くから眼をさましておられると、朝の六時か七時頃、冬ならば、まだお日様が出ていない薄暗い時分から、 「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい節を付けて、売りに来る声を聞くでしょう。もっとも、納豆売は、田舎には余りいないようですから、田舎に住んでいる方は、まだお聞き

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極楽

菊池寛

京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳を一期として、卒中の気味で突然物故した。穏やかな安らかな往生であった。配偶の先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。先祖代々からの堅い門徒で、往生の一義に於ては、若い時からしっかりとした安心を懐いて居た。殊に配偶に別れ

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志賀直哉氏の作品

菊池寛

志賀直哉氏の作品 菊池寛 自分は現代の作家の中で、一番志賀氏を尊敬している。尊敬しているばかりでなく、氏の作品が、一番好きである。自分の信念の通りに言えば、志賀氏は現在の日本の文壇では、最も傑出した作家の一人だと思っている。 自分は、「白樺」の創刊時代から志賀氏の作品を愛していた。それから六、七年になる。その間に自分はかつて愛読していた他の多くの作家(日本と

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私の日常道徳

菊池寛

私の日常道徳 菊池寛 一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいし

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小説家たらんとする青年に与う

菊池寛

小説家たらんとする青年に与う 菊池寛 僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵えたい。全く、十七、十八乃至二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。 とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つと

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小田原陣

菊池寛

小田原陣 菊池寛 関東の北条 天正十五年七月、九州遠征から帰って来た秀吉にとって、日本国中その勢いの及ばないのは唯関東の北条氏あるだけだ。尤も奥羽地方にも其の経略の手は延びないけれど、北条氏の向背が一度決すれば、他は問題ではない。箱根山を千成瓢箪の馬印が越せば、総て解決されるのである。 聚楽第行幸で、天下の群雄を膝下に叩頭させて気をよくして居た時でも、秀吉の

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四条畷の戦

菊池寛

四条畷の戦 菊池寛 建武中興の崩壊 中島商相が、足利尊氏のために、災禍を獲た。尊氏の如く朝敵となったものは、古来外にも沢山ある。朝敵とならないまでも、徳川家康以下の将軍などは、それに近いものである。殊に温厚そうに見える二代将軍秀忠の如き、朝廷に対して、悪逆を極めている。 だが、尊氏丈が、どうして百世の下、なお憎まれ者になっているか。それは、純忠無比な楠公父子

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