絵のない絵本 01 絵のない絵本
アンデルセンハンス・クリスチャン
ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞か
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アンデルセンハンス・クリスチャン
ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞か
石河幹明
慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々自から伝記を記すの例あるを以て、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しく之を勧めたるものありしかども、先生の平生甚だ多忙にして執筆の閑を得ずその儘に経過したりしに、一昨年の秋、或る外国人の需に応じて維新前後の実歴談を述べたる折、風と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、自から校正を加え、
江戸川乱歩
「社長、又脅迫状です」 ドアが開いて、庶務の北川が入って来た。株式会社西村電気商会主の西村陽吉は、灰皿の上に葉巻を置いて、クルリと廻転椅子を廻し笑顔を向けた。 「又かい。根気のいいものだね」 彼はものうげに、北川のさし出す書状を受取ると、チエッと舌打ちをしながら、開封した。 「慣れっちまいましたね。封筒を見れば、これは脅迫状だなんて、直ぐに分る様になりました
浅野正恭
本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。 霊界通信なるものは、純真なる
生田長江
私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい軽羅をのみ纏ふて今、彼一人の爽かな径を行つてゐる。 他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、より恥しくない子供だけを
谷崎潤一郎
伝曰。上杉謙信。居常愛二少童一。又曰。福島正則。夙有二断袖之癖一。老而倍太甚。終至二失レ家亡一レ身矣。雖レ然是豈一謙信一正則而已乎。世所レ謂英雄俊傑者之於二性生活一也。逸事異聞之可レ伝可レ録者頻多。曰二男色一曰二嗜虐性一。則是武人習性之所二敢使一レ然。非三復足二深咎一也焉。本篇所レ伝武州公者。夙生二于戦国一。智謀兼備。武威旁暢。真為二一代之梟雄一矣。而坊間伝
谷崎潤一郎
「こいさん、頼むわ。―――」 鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、 「雪子ちゃん下で何してる」 と、幸子はきいた。 「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」 ―――なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度
神吉三郎
ソーロー Thoreau の『ウォールデン―森の生活』(Walden, or Life in the Woods)はアメリカの代表的古典の一つである。そのうちに盛られた精神は今日われわれの耳目にふれてつくられるアメリカという概念からはだいぶ懸けはなれているように見えるが、実はその基盤によこたわる大きな要素の一つであって、こういう要素を見落としてはわれわれのア
石川千代松
一八八七年の春英国で科学の学会があった。此時ワイスマン先生も夫れへ出席せられ、学会から帰られた時私に「モースからお前に宜しく云うて呉れとの伝言を頼まれたが彼れは実に面白い人で、宴会のテーブルスピーチでは満場の者を笑わせた。」夫れから後其年の十一月だと思ったが、先生がフライブルグに来られた事がある。其時折悪くワイスマン先生と私とはボーデンセイへ研究旅行へ行って
江見水蔭
――氷川社内の一小破片――それが抑もの初採集――日本先住民は大疑問――余は勞働に耐え得る健康を有す―― 誰でも知つて居なければならぬ事を、然う誰でも知らずに居る大問題がある。自分も知らぬ者の一人で有つた、それは日本に於ける石器時代住民に就てゞある。 明治三十五年の夏であつた。我が品川の住居から遠くもあらぬ桐ヶ谷の村、其所に在る氷川神社の境内に、瀧と名に呼ぶも
古川緑波
昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一日より大阪吉本興行部の手で、京都新京極の中座といふ万才小屋と、富貴といふ寄席で声帯模写をやり、大阪へ廻って、南北の花月に出演、名古屋松竹座へ寄り、三月帰京、此の月一杯遊び、四月一日より常盤興行の手で、「笑の王国」創立、四月一杯のつもり
賀川豊彦
私は、不思議な運命の子として、神聖な世界へ目醒めることを許された。そして、人間の世界の神聖な姿と、自然の姿に隠れた神聖な実在を刻々に味ふことが、私の生活の凡てになつてしまつた。二十二の時に、貧民窟に引摺られたのも、この神聖な姿が、私をそこへひこずつて行つたのだつた。そして、私の芸術も、この美を越えた聖、生命の中核をなす聖なるものを除いて何ものでもない。
井上円了
余は、数年来研究せる四百余種の妖怪を八大部門に分かち、一昨年一年間を期して講述し、一時その筆記を印刷して有志諸氏に配布したりしが、その後、四方より続々購読を望まるるものありとて、書肆より切に再版を請求しきたれるをもって、ここに旧稿のまま再び印刷に付することとなす。再版は購読者の便をはかり、各部門につきてこれを合綴し、目録および付録を増加し、八大部門を合して六
石川三四郎
芙美子さん 大空を飛んで行く鳥に足跡などはありません。淋しい姿かも知れないが、私はその一羽の小鳥を訳もなく讃美する。 同じ大空を翔けつて行くやつでも、人間の造つた飛行機は臭い煙を尻尾の様に引いて行く。技巧はどうしても臭気を免れません。 大きくても、小さくても、賑やかでも、淋しくても、自然を行く姿には真実の美がある。魂のビブラシヨンが其儘現はれる。それが人を引
岡倉由三郎
たやすく郷党に容れられ、広く同胞に理解されるには、兄の性行に狷介味があまりに多かった。画一平板な習俗を懸命に追うてただすら他人の批評に気をかねる常道の人々からは、とかく嶮峻な隘路を好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧の眼を見はらしめるに至った兄は、いまさらのように天地のひろさを思い祖国の
江南文三
佐渡が島を出て 江南文三 足掛四年、丸二年半の佐渡の生活は、私を純粹の島男にしてしまひました。 佐渡に來ておけさをどりをせぬやつは木佛金佛石ぼとけなり 小佐渡來よ大佐渡も來よ文三とおけさをどりを共にをどらむ 最後に親よりまして自分を慕つてくれる四十人あまりの青年と輪を作つて踊りました。 日本國どうなるとても佐渡が島おけさをどりて文三を待て 日本國どうなるとて
井上哲次郎
一 わが国には古来、神道だの儒教だの仏教の哲学が行なわれておったのであるけれども、西洋文明の輸入とともに別系統の哲学思想が新たに明治年間に起って来た。すなわちそれは西洋の哲学思想に刺戟せられて、わが国においても種々なる哲学的思索を促してきたのである。その結果、伝統的の東洋思想とはおのずから異った哲学思想の潮流を発生するようになってきた次第である。西洋思想の真
石河幹明
瘠我慢の説は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳、榎本武揚の二氏に寄せてその意見を徴められしものなり。先生の本旨は、右二氏の進退に関し多年来心に釈然たらざるものを記して輿論に質すため、時節を見計らい世に公にするの考なりしも、爾来今日に至るまで深く筐底に秘して人に示さざりしに、世間には往々これを伝うるものありと見え、現に客冬刊行の或る雑誌に
種田山頭火
このみちや いくたりゆきし われはけふゆく しづけさは 死ぬるばかりの 水がながれて 九月九日 晴、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中) 私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。 七時の汽車で宇土へ、宿においてあつた荷物を受取つて、九時の汽車で更に八代へ、宿をきめてから、十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした
ディケンズチャールズ
「二都物語」はチャールズ・ディッケンズ(一八一二―一八七〇)の一八五九年の作である。すなわちこの巨匠が数え年四十八歳の時の作である。作者は一八三六年に諧謔小説「ピックウィク倶楽部」によって一躍ウォールター・スコット以後のイギリス随一の流行作家となり、以来「オリヴァー・トゥウィスト」、「ニコラス・ニックルビー」、「骨董店」、「バーナビー・ラッジ」、「マーティン
マルサストマス・ロバート
第一章 問題の要旨――人口及び食物の増加率 社会の改善に関する研究において、当然現れ来たるこの問題の研究方法は次の如くである、―― 一、幸福に向っての人類の進歩を在来阻害し来った諸原因を探究すること、及び、 二、将来におけるかかる原因の全的または部分的除去の蓋然性を検討すること。 この問題に十分に立入り、そして人類の改善に在来影響を及ぼした一切の原因を列挙す
菊池寛
昔、しなの都に、ムスタフという貧乏な仕立屋が住んでいました。このムスタフには、おかみさんと、アラジンと呼ぶたった一人の息子とがありました。 この仕立屋は大へん心がけのよい人で、一生けんめいに働きました。けれども、悲しいことには、息子が大のなまけ者で、年が年じゅう、町へ行って、なまけ者の子供たちと遊びくらしていました。何か仕事をおぼえなければならない年頃になっ
マロエクトール・アンリ
生い立ち わたしは捨て子だった。 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣けばきっと一人の女が来て、優しくだきしめてくれたからだ。 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの
下村湖人
「癪にさわるったら、ありゃしない。」と、乳母のお浜が、台所の上り框に腰をかけながら言う。 「全くさ。いくら気がきついたって、奥さんもあんまりだよ。まるで人情というものをふみつけにしているんだもの。」と、竈の前で、あばた面をほてらしながら、お糸婆さんが、能弁にあいづちをうつ。 「お前たち、何を言っているんだよ。」と、その時、台所と茶の間を仕切る障子が、がらりと