Vol. 2May 2026

Sách

Thư viện tri thức thế giới miền công cộng

14,981종 중 3,816종 표시

一隅

宮本百合子

一隅 宮本百合子 洋傘だけを置いて荷物を見にプラットフォームへ出ていた間に、児供づれの女が前の座席へ来た。反対の側へ移って、包みを網棚にのせ、空気枕を膨らましていると、 「ああ、ああ、いそいじゃった!」 袋と洋傘を一ツの手に掴んだ肥った婆さんが遽しく乗り込んで来た。 「早くかけとしまいよ、ばあや、そら、そこがあいてるわよ、かけちゃいさえすればいいから……よ」

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一青年異様の述懐

清水紫琴

一青年異様の述懐 清水紫琴 恋愛を知らずして、恋愛を画くは。殆んど素人の、水先案内をなすが如し。いはんや、異性の人の、恋愛においてをや。されどかれは、誤れば人命を傷ふの恐れあれど、これは間違へばとて、人の笑ひを招くに止まると、鉄面にものしぬ。予は敢へて、恋愛を説くといはじ。ただその一端はかくやらむと。疑ひを大方に質すのみ。 つゆ子しるす 予は何故に、彼女のこ

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おおかみと七ひきのこどもやぎ

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

一 むかし、あるところに、おかあさんのやぎがいました。このおかあさんやぎには、かわいいこどもやぎが七ひきあって、それをかわいがることは、人間のおかあさんが、そのこどもをかわいがるのと、すこしもちがったところはありませんでした。 ある日、おかあさんやぎは、こどもたちのたべものをとりに森まで出かけて行くので、七ひきのこどもやぎをよんで、こういいきかせました。 「

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七代目坂東三津五郎

久保田万太郎

七代目坂東三津五郎(屋号、大和屋)。本名、守田寿作。 明治十五年九月二十一日、東京、京橋新富町に生れた。 明治二十二年十月、八歳で、坂東八十助と名のり、初舞台をした。 劇場は新富座で、役は“伽羅先代萩”の幼君鶴千代だつた。……といつてしまへば何んのこともないが、このときのこの先代萩、じつに、政岡と細川勝元とを九代目団十郎、八汐と仁木弾正とを五代目菊五郎、嘉藤

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オオカミと七ひきの子ヤギ

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

むかしむかし、あるところに、おかあさんのヤギがいました。このおかあさんヤギには、かわいい子ヤギが七ひきありました。おかあさんヤギは、ちょうど人間のおかあさんがその子どもをかわいがるのとおなじように、七ひきの子ヤギたちをかわいがっていました。 ある日、おかあさんヤギは、森へいって、食べものをとってこようと思いました。それで、七ひきの子ヤギたちをよびあつめて、こ

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七つの手紙 或女友達に

堀辰雄

一九三七年九月十一日、追分にて お手紙を難有う。私達の仲間のものはもう殆ど此村から引き上げて行きました。さうしてこれからは、この小さな村の何もかも、みんな私が一人占めです。 夏の間、みんなでよくおしやべりをしにいつたあの栗の木、――さういふ私達の午後のために涼しい木蔭をつくつてゐてくれた、あの栗の木の下に、私は二三日前から、一人でもつて本や紙を一かかへ抱へて

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七百五十句

高浜虚子

緑竹に蒼松にある冬日かな 一月四日 ホトトギス、玉藻、花鳥堂社員来。 旧正の草の庵の女客 羽子つこか手毬つこかともてなしぬ 二月一日 まり千代、小くに、五郎丸、小時、実花来。 白梅の光り満ちたる庵かな 二月二十六日 句謡会。草庵。 鵯の木の間伝ひて現れず 三月二日 明女、久子等静岡勢来る。 我君と共に老いたり梅も亦 三月十三日 泊月句集序句。 鶯のしば鳴く庵

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七福神詣

三遊亭円朝

七福神詣 三遊亭円朝 「元日や神代のことも思はるゝ」と守武の発句を見まして、演題を、七福神詣りとつけましたので御座ります。まづ一陽来復して、明治三十一年一月一日の事で、下谷広小路を通る人の装束は、フロツクコートに黒の山高帽子を戴き、玉柄のステツキを携へ、仏蘭西製の靴を履き、ギシリ/\とやつて参りハタと朋友に行逢ひまして、甲「イヨーお芽出たう、旧冬は何かと。乙

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七羽のカラス

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

むかし、ある男に七人のむすこがありました。けれども、むすめはひとりもありませんでした。それだけに、この男はむすめをたいそうほしがっていました。 そのうちに、おかみさんのおなかが大きくなって、子どもが生まれそうになりました。やがて生まれた子どもは、待ちにまっていた女の子でした。 この男はどんなによろこんだかしれません。けれども、子どもは小さくて、やせこけていま

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七里ヶ浜の哀歌

三角錫子

一 真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに 捧げまつる 胸と心 二 ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も 小さき腕に 力もつきはて 呼ぶ名は父母 恨は深し 七里が浜辺 三 み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて 月も星も 影をひそめ みたまよ何処に 迷いておわすか 帰れ早く 母の胸に 四 みそらにかがやく 朝日のみ光り 暗にしずむ

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(七銭でバットを買つて)

中原中也

七銭でバットを買つて、 一銭でマッチを買つて、 ――ウレシイネ、 僕は次の峠を越えるまでに、 バットは一と箱で足りると思つた。 山の中は暗くつて、 顔には蜘蛛の巣が一杯かかつた。 小さな月が出てゐるにはゐたが、 それでも木の繁つた所は暗かつた。 ア、バアバアバアバ、 僕は赤ン坊の時したことを繰返した。 誰も通るものはなかつた。 暫くゆくと自転車を坂の下に落と

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『七面鳥』と『忘れ褌』

佐藤垢石

『七面鳥』と『忘れ褌』 佐藤垢石 一 『斉正、その方は七面鳥を持っているか』 鍋島斉正が登城したとき、将軍家定がだしぬけにこんな質問を発したから斉正は面喰らった。 『……』 『持っているじゃろう、一羽くれ』 『不用意にござります。わたくし生来活き物を好みませぬので――』 『はて、心得ぬ』 『何か、お慰みのご用にでも遊ばされまするか』 『そんなこと、どうでもえ

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「ヒリモア」万国公法の内宗教を論ずる章(撮要)

フィリモアロバート

○万類の動物中、人類を除くのほか、一も上帝の上帝たるを識るものあることなし。」人類はたとい暴虐野蛮の種族といえども、その尊信するところの神の正邪はしばらく措き、神を拝することを知らざる者なし、と「シセロ」の説に見えたり。〈「ヒリモア」万国公法第二巻三百二十一葉にあり。〉 ○物理の要するところ、人と教とは人間の幸福において互に相連結するをもって、これを担当すべ

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D・D・Tと万年床

坂口安吾

D・D・Tと万年床 坂口安吾 私の書斎が二ヶ年ほったらかしてあるのは、別にとりたてゝ理由あることではないのである。D・D・Tが発明されたせいである。私はむかしは一ヶ月か二ヶ月目ぐらいには部屋を掃除していたのであるが、一昨年の新年ごろ、発疹チブスがでた。私の住む矢口というところが、この発祥の地で、私の家も隣に患者が現れ、よって進駐軍指導のトラック隊が、私の家へ

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「万年筆」欄より

寺田寅彦

近頃北米テキサス州のフォートウォースという町で電話を使って説教した牧師がある。自分の受持の寺院で大勢の聴衆に対して説教すると、その声は同時に電話で市中の各所へ配布された。その配布先は飲食店が五、六軒、商館が十二、三軒、私宅が五百軒ばかりと役所が二十箇所ほどであった。(明治四十一年八月二十八日『東京朝日新聞』)

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万の死

小川未明

万は正直な、うらおもてのない人間として、村の人々から愛されていました。小学校を終えると、じきに役場へ小使いとしてやとわれました。彼は、母親の手一つで大きくなりましたが、その母も早く死んだので、まったくひとりぽっちとなりました。こんなことが、人々の同情をそそるのでありましょう。どこへいっても、きらわれることなく、日を送りました。 「おまえさんも、早くお嫁さんを

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万物の声と詩人

北村透谷

万物の声と詩人 北村透谷 万物自から声あり。万物自から声あれば自から又た楽調あり。蚯蚓は動物の中に於て醜にして且つ拙なるものなり。然れども夜深々窓に当りて断続の音を聆く時は、人をして造化の生物を理する妙機の驚ろくべきものあるを悟らしむ。自然は不調和の中に調和を置けり。悲哀の中に欣悦を置けり。欣悦の裡に悲哀を置けり。運命は人を脅かすなり、而して人を駆つて怯懦卑

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万福追想

葉山嘉樹

万福追想 葉山嘉樹 渓流は胡桃の実や栗の実などを、出水の流れにつれて持つて来た。水の引きが早いので、それを岩の間や流木の根に残して行く。 工事場の子供たちは、薪木にする為に、晒されて骨のやうになつた流木や、自分たちのお八つにする為に、胡桃や栗の実を拾ひ集めるのだつた。 胡桃の実も栗も、黒くなつてゐて、石の間や流木の間に挾まつてゐると、なか/\見つけるのに骨が

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万葉の手古奈とうなひ処女

杉田久女

万葉の手古奈とうなひ処女 杉田久女 或日私は沈丁花の匂ふ窓辺で万葉集をひもどいてゐる中、ふと高橋虫麿の葦屋の菟名負処女の墓の長歌に逢着して非常な興味を覚えたのである。 人も知る如く虫麿は、かの水江浦島子や、真間の手児名や、河内大橋を独り渡りゆく娘子等をよんで、集中異彩を放つ作家であるが、此うなひ処女の一篇はことにあはれ深いものである。 手を翻せば雲となり、手

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万葉びとの生活

折口信夫

万葉びとの生活 折口信夫 一 飛鳥の都以後奈良朝以前の、感情生活の記録が、万葉集である。万葉びとと呼ぶのは、此間に、此国土の上に現れて、様々な生活を遂げた人の総べてを斥す。啻に万葉集の作者として、名を廿巻のどこかに止めて居る人に限るのではない。又記・紀か、類聚歌林か、或は其外の文献にでも、律語の端を遺したらう、と思はれる人だけをこめて言ふのでもない。此時代は

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万葉集巻十六

正岡子規

萬葉集卷十六 正岡子規 萬葉集は歌集の王なり。其歌の眞摯に且つ高古なるは其特色にして、到底古今集以下の無趣味無趣向なる歌と比すべくもあらず。萬葉中の平凡なる歌といへども之を他の歌集に插めば自ら品格高くして光彩を發するを見る。しかも此集今に至りて千年、未だ曾て一人の之を崇尚する者あるを聞かず。眞淵の萬葉を推したるは卞和の玉を獻じたるに比すべきも、彼猶此玉を以て

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万葉集に現れた古代信仰 ――たまの問題――

折口信夫

万葉集に現れた古代信仰といふ題ですが、問題が広過ぎて、とりとめもない話になりさうです。それで極めて狭く限つて、只今はたまに関して話してみます。 玉といへば、光りかゞやく美しい装飾具としての、鉱石の類をお考へになるでせう。又、万葉集で「玉何」と修飾の言葉としてついてゐるのは、その美しさを讚美した言葉だ、とお考へになるでせうが、多くの場合、それは昔からの学者の間

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万葉集研究

折口信夫

万葉集研究 折口信夫 一 万葉詞章と踏歌章曲と 万葉集の名は、平安朝の初め頃に固定したものと見てよいと思ふ。この書物自身が、其頃に出来てゐる。此集に絡んだ、第一の資料は古今集の仮名・真名両序文である。これを信じれば、新京の御二代平城天皇の時に出来た事になるのである。従つて此集の名も、大体此前後久しからぬ間に、纏つたものと見てよさゝうである。 詩句と歌詞とを並

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