九月四日
岡本綺堂
九月四日 岡本綺堂 久しぶりで麹町元園町の旧宅地附近へ行って見た。九月四日、この朔日には震災一週年の握り飯を食わされたので、きょうは他の用達しを兼ねてその焼跡を見て来たいような気になったのである。 旧宅地の管理は同町内のO氏に依頼してあるので、去年以来わたしは滅多に見廻ったこともない。区劃整理はなかなか捗取りそうもないので、わざわざ見廻りにゆく必要もないので
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岡本綺堂
九月四日 岡本綺堂 久しぶりで麹町元園町の旧宅地附近へ行って見た。九月四日、この朔日には震災一週年の握り飯を食わされたので、きょうは他の用達しを兼ねてその焼跡を見て来たいような気になったのである。 旧宅地の管理は同町内のO氏に依頼してあるので、去年以来わたしは滅多に見廻ったこともない。区劃整理はなかなか捗取りそうもないので、わざわざ見廻りにゆく必要もないので
宮本百合子
九月の或る日 宮本百合子 一 網野さんの小説集『光子』が出たとき私共はよろこび、何か心ばかりの御祝でもしたいと思った。出版記念の会などというものはなかなか感情が純一に行かないものだし、第一そういう趣味は網野さんから遠い故、一緒に何処かで悠くり御飯でも食べて喋ろう。夏休みの間からたのしみにしていた。沓掛から、きっちり予定通り八月三十一日に網野さんは帰って来た。
伊庭心猿
市電は、三筋町で二三人おろすと、相變らず單調な音をきしらせ、東に向つてのろのろと進んだ。なまぬるい風、灼けつくやうな舗道のてりかえし。――その時である。まだ停留所までだいぶあるのに、車體が左右に大きく横搖れして、急に停つた。 乘客は、いつせいに窓の外をみた、いちめんの土煙だ。兩側の家が、屋根瓦をとばし、壁をくづし、柱をねぢまげ、前につんのめつた。黒塗の土藏が
長谷川時雨
九条武子 長谷川時雨 一 人間は悲しい。 率直にいえば、それだけでつきる。九条武子と表題を書いたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリヤが一輪、目にうかんできて、いつまでたっても、一字もかけない。 遠くはなれた存在だった、ずっと前に書いたものには、気高き人とか麗人とか、ありきたりの、誰しもがいうような褒めことばを、ならべただけですんでいたが、そんなお座なり
坂口安吾
九段 坂口安吾 東京は小石川に「もみぢ」という旅館がある。何様のお邸かと見まごうのは、もとは何様かのお邸だから当り前の話。旧財閥や宮様の邸宅別荘が売り物にでて大旅館や料亭になっているのは全国的な現象で、この旅館に限ったことではない。 ここが他といくらか違うのは、旧財閥の邸宅を買いとって旅館をひらいたのが、旅館業者や玄人筋ではなくてズブの素人。それも売った方と
中谷宇吉郎
震災で失ったものの中で、この頃になって、惜しいと思い出したものは九谷焼である。父が心懸けて集めたもので、古い時代のいわゆる古九谷と呼ばれている高価な品ではないのだが、現今大量生産でどんどん造り出している今の九谷焼と、古い時代の「真正の九谷焼」との連絡を見るために、丁度都合のよい標本であったことと、自分には父を偲ぶよすがとなる品であったので、時がたつにつれてし
中谷宇吉郎
支那の古い時代の青墨の色に、興味をもったのは、高等学校の学生時代である。 四高へ通っていたころ、中村浩さんという日本画家と知り合いになった。油絵から転向した人で、色にはきわめて敏感であった。支那の名墨の墨色図鑑を自分でつくって、秘蔵していた。旧家やこっとう屋を回って、ちょっと磨らせてもらって、その墨色を収集したものである。 それ以来、興味はもっていたが、名墨
野村胡堂
「今晩はまったくすばらしかったよ。愛ちゃんが、あんなにピアノがうまいとは夢にも思わなかったぜ。練習しているのを聴くと、ピアノというものは、うるさい楽器だからな」 「まア、お兄さん、それじゃ褒めているんだか、くさしているんだか、わからないじゃありませんか」 狩屋三郎と妹の愛子は、日比谷音楽堂の帰り、まだおさまらぬ興奮を追って、電車にも乗らずに、番町の住居まで、
添田唖蝉坊
乞はない乞食 添田唖蝉坊 指がなくて三味線を弾く男 浅草に現はれる乞食は、みなそれぞれに風格を具へてゐるので愉快である。乞食といふ称呼をもってする事は、この諸君に対してはソグハないやうな気がするくらいだ。いかにこれらの諸君が人生の芸術家であるか、また、浅草を彩るカビの華であるかといふことについて語らう。 浅草といふ舞台には、かかる登場者が順次に現はれ、消えて
小川未明
ある村へ、一人の乞食の子が入ってきた。十二、三で顔はまっ黒く、目の大きな子だ。そのうえいじ悪で、人に向かって、けっして、ものをくれいといったことがない。毎日毎日外を歩いていて、ほかの子供がなにか食べていると、すぐさまそれを奪い取って食べてしまう。また銭を持っていると、すぐさまその銭を奪い取って、自分でなにか買って食べてしまう。だから村じゅうでは、その乞食の子
鈴木三重吉
乞食の子 鈴木三重吉 一 トゥロットの別荘のうしろは、きれいな小さな砂浜になつてゐました。今トゥロットは、そこへ下りてあすんでゐます。そこへは村の人なぞはめつたに来ません。ですから、海のきはへさへ出なければ、一人でそこであすんでもいゝと、おゆるしが出てゐるのでした。 でも、お庭には、ちやんと女中のジャンヌがこしをかけて、見ないやうなふりをして、ちよいちよい、
太宰治
乞食学生 太宰治 大貧に、大正義、望むべからず ――フランソワ・ヴィヨン 第一回 一つの作品を、ひどく恥ずかしく思いながらも、この世の中に生きてゆく義務として、雑誌社に送ってしまった後の、作家の苦悶に就いては、聡明な諸君にも、あまり、おわかりになっていない筈である。その原稿在中の重い封筒を、うむと決意して、投函する。ポストの底に、ことり、と幽かな音がする。そ
野村胡堂
江戸川乱歩氏と初めて逢ったのは、今から三十年ほど前の、報知新聞社の応接間であった。私はその頃報知新聞の学芸部長であり、江戸川氏は新進の作家で、その探偵小説は読書界の驚異の的であった。私は写真報知という旬刊誌の編集を監督し、実際の編集は中代冨士男君や亡くなった佐近益栄君がやっていたが、写真報知に短篇連載を書くことになった江戸川氏と、打合せをする必要があり、中代
平林初之輔
江戸川乱歩氏の作を『新青年』所載「悪夢」と「孤島の鬼」と二つ読んだ。 「悪夢」は氏の旧作「白昼夢」などとともにグロテスクをねらった作品である。四肢も耳も口もつぶれて、肉塊のような存在となっている廃中尉とその細君との変態的性生活を描いたものである。江戸川氏の想像力の怪異さはある意味で、世界の文学にも類例のない程のもので、この作品でも、そういう人間を性的享楽の対
邦枝完二
星灯ろう 陰暦七月、盛りの夏が過ぎた江戸の町に、初秋の風と共に盂蘭盆が訪れると、人々の胸には言い合わせたように、亡き人懐かしいほのかな思いと共に、三界万霊などという言葉が浮いてくる。 今宵は江戸名物の、青山百人町の星灯ろう御上覧のため、将軍家が御寵愛のお光の方共々お成りとあって、界隈はいつもの静けさにも似ず、人々の往き来ににぎわっていた。 「なアお牧、お春や
加能作次郎
……その頃、伯父は四条の大橋際に宿屋と薬屋とをやつてゐた。祇園の方から鴨川を西に渡つて、右へ先斗町へ入らうとする向ひ角の三階家で、二階と三階を宿屋に使ひ、下の、四条通りに面した方に薬屋を開いてゐたのだつた。そして宿屋の方を浪華亭といひ、薬屋の方を浪華堂と呼んでゐた。 私は十三歳の夏、この伯父を頼つて京都へ行つたのだつた。中学へでも入れて貰ふつもりで行つたのだ
新美南吉
坊やがせがむと 乳母車、 つばきの花をつけられる。 そしてくる/\ くる/\と、 ご門のとこまでひかれてく。 坊やがねないと 乳母車、 ねんねこようをきかされる。 そしてゆら/\ ゆら/\と、 ぶらんこみたいに揺られる。 坊やがねちやうと 乳母車、 日かげにそつといれられる。 そしてふんはり ふんはりと、 もひとつ毛布をのせられる。 ●図書カード
葉山嘉樹
乳色の靄 葉山嘉樹 四十年来の暑さだ、と、中央気象台では発表した。四十年に一度の暑さの中を政界の巨星連が右往左往した。 スペインや、イタリーでは、ナポレオンの方を向いて、政界が退進した。 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げられた、胃袋の形をしたフェットがあった。 時代は賑かであった。新聞は眩しいほど、それ等の事を並べたてた。 それは、富士山の頂上を
片山広子
十坪に足りない芝庭である。ひさしく手を入れないので一めんに雑草が交つて野芝となつてしまつた。しかし野も林も路もすべての物が青む季節になれば、野芝の庭もめざましく青い。庭のまん中よりやや西に寄つて一本のいてふの樹が立つてゐる。心をきり落したので、いてふはずんぐりとふとつて無数の枝を四方にさし伸べて、むかしの武蔵野の草はらに一ぽんのいてふが立つて風に吹かれてゐた
北大路魯山人
一口に乾山と言えば、乾山の陶器を想い出すのが世間の通例である。乾山について絵画の天才を想起する者は、大部分玄人筋であると言える。能書乾山を識り、乾山の能書を叫ぶものは通の通である。 乾山が光琳の弟であることは、乾山の優れた資質を知らぬ者に、なにかしらん安心を与えている。 確かに光琳の方が乾山より有名である。のみならず、光琳は芸術的価値から言っても、固より乾山
豊島与志雄
終戦の年の暮、父の正吉が肺炎であっけなく他界した後、山川正太郎は、私生活のなかに閉じこもりました。訪客は避けず、公式な会合には顔を出さず、という態度です。時に、識り合いの文学者や科学者を訪れたり、焼け跡を彷徨したり、読書に夜を更かしたり、また常に、酒を飲みました。そして父の死後五十日目、突然、自宅でささやかな宴を催しました。 山の幸、野の幸、海の幸と言えば大
林芙美子
龜さん 林芙美子 むっくり、むっくり、誰もとおらない田舍みちを、龜さんが荷物を首にくくりつけて旅をしていました。みちの兩側は廣い麥畑です。 麥畑の上をすずしい風がそよそよと吹いています。「ああ、くたびれた。どこへ行ったら水があるのかな。」龜さんは首を持ちあげて、じっとあたりをみました。 どこかで蛙の合唱がきこえます。何でも、このへんには蛙の小學校があるのでし
田中貢太郎
岩手県の北上川の流域に亀ヶ淵と云う淵があったが、そこには昔から大きな亀が住んでいて、いろいろの怪異を見せると云うので夜など往くものはなかった。 その亀ヶ淵の近くに小学校の教員が住んでいた。それは、伝兵衛と云う中年の男であったが、それが初秋の比、夕飯の後で北上川の網打ちに往って、彼方此方と網を入れてみたが、不思議に何も獲れなかった。伝兵衛は漁のない腹だたしさと
キャロルルイス
アキレスは、亀に追いついて、甲羅の上に座ってくつろいでいました。 「じゃあ貴方は競走コースのゴールに到着したというんですか?」亀は言いました。「コースは無限に連なる距離からなるというのに。ゴールなんてできないって、誰だったか頭のいい人が証明したんじゃありませんでしたっけ。」 「できるんだよ」アキレスは言いました。「やってやった! 案ずるより歩くが易し。分かる