Vol. 2May 2026

Sách

Thư viện tri thức thế giới miền công cộng

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原子力の管理

仁科芳雄

原子爆弾の攻撃を受けて間もない広島と長崎とを目撃する機会を得た自分は、その被害の余りにもひどいのに面を被わざるを得なかった。至る処に転がって居る死骸は云う迄もなく、目も鼻も区別できぬまでに火傷した患者の雑然として限りなき横臥の列を見、その苦悶の呻きを聞いては真に生き地獄に来たのであった。長崎では有名な浦上天主堂が見る影もない廃墟となり、古くからの敬虔な信者も

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原子核探求の思い出

長岡半太郎

昭和二十四年十一月四日の諸新聞は、湯川秀樹博士が中間子の研究により、十二月十日ノーベル賞を受けらるゝ決議が、ストックホルム學士院で通過したことを傳えた。學界はもちろん日本國民は、この吉報に對して歡喜の聲を發せざるものはなかつたろう。 由來ノーベル賞は、世界で優秀な科學研究を蒐集檢討して授與するものであつて、研究としては粹の粹なるものを選拔するにより、賞を受く

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原子爆弾雑話

中谷宇吉郎

昭和十二年の七月、北支の蘆溝橋に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に見えない大きい歴史の力にひきずられて、漸次中支に波及して行った。そして、十月に上海が陥ち、日本軍が首都南京に迫るに到って、漸く世界動乱の萌しが見えて来た。 丁度その頃、私は「弓と鉄砲」という短文を書いたことがある。切抜帖を開いてみると、それは十二年十一月の『東京朝日』に

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原民喜君を推す

佐藤春夫

數年前から漠然とこの頃の三田文學には人材が集つてゐるやうな氣がしてゐた。戰爭中で外の雜誌に文學の色彩が薄れてゐる時に、これがあまり時勢に追從せずにゐたためかと思ふ。終戰後山の中から文壇といふものを遠く見てゐると、だいぶんいろいろの新人が出て文壇の樣相が新らしくなつて行くのがよく判つた。さて三田の人々をこれ等の文壇と見くらべると、みなそれぞれの特色がありながら

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原爆体験以後

原民喜

幼いときから広島で育ち、付小に行く途中にあった土手町の桜並木、付中通学時代では國泰寺の楠木をなつかしく思いだす、その後広島をはなれて終戦前に広島に帰り、戦前の広島の最後の姿をみるとともに幟町で原爆にあった その悲惨な有様は文字などではとてもあらわし切れるものではなく、体験者でないと判らぬものだった、その後東京で私が不思議に負傷しなかったのをみて「原爆なんて…

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原爆回想

原民喜

原爆回想 原民喜 私の父は四十年前に一度、家を建てたのだが、たま/\地震があって、少し壁や柱にすき間が出来ると、神経質の父は早速その新築の家をとり壊して、今度は根底から細心の吟味を重ねて非常に岩乗な普請にした。二階建の家だが、下の間数が多いのに、上はたった二間しかなく、遠くから眺めるとちょこんと二階が屋根の上にのっかっているような家だった。私は子供の時から、

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原爆小景

原民喜

原爆小景 原民喜 コレガ人間ナノデス コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨脹シ 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ 「助ケテ下サイ」 ト カ細イ 静カナ言葉 コレガ コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス 燃エガラ 夢ノナカデ 頭ヲナグリツケラレタノデハナク

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原爆被災時のノート

原民喜

原爆被災時のノート 原民喜 八月六日八時半頃 突如 空襲 一瞬ニシテ 全市街崩壊 便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ 頭ヲ打ツ 次ノ瞬間暗黒騒音 薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ 品物ハ飛散ル 異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血 恭子ノ姿ヲ認ム マルハダカナレバ服ヲ探ス 上着ハアレドズボンナシ 達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル 江崎負傷ヲ訴フ 座敷ノ椽側ニテ持逃ノカ

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萩原朔太郎

高原の空に風光り、 秋はやふかみて、 鑛脈のしづくのごとく、 ひねもす銀針の落つるをおぼえ、 ゆびにとげいたみ、 せちにひそかに、 いまわれの瞳の閉づるを欲す。 ここは利根川、 その氾濫のながめいちじるく、 青空に桑の葉光り、 さんらんとして遠き山里に愁をひたす、 あはれ、あはれ、われの故郷にあなれば、 この眺望のいたましさ。 眼もはるにみゆ。 村落の光る厩

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厭世詩家と女性

北村透谷

厭世詩家と女性 北村透谷 恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ、然るに尤も多く人世を観じ、尤も多く人世の秘奥を究むるといふ詩人なる怪物の尤も多く恋愛に罪業を作るは、抑も如何なる理ぞ。古往今来詩家の恋愛に失する者、挙げて数ふ可からず、遂に女性をして嫁して詩家の妻となるを戒しむるに至らしめたり、詩家豈無情の動物

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去年の木

新美南吉

去年の木 新美南吉 いっぽんの木と、いちわの小鳥とはたいへんなかよしでした。小鳥はいちんちその木の枝で歌をうたい、木はいちんちじゅう小鳥の歌をきいていました。 けれど寒い冬がちかづいてきたので、小鳥は木からわかれてゆかねばなりませんでした。 「さよなら。また来年きて、歌をきかせてください。」 と木はいいました。 「え。それまで待っててね。」 と、小鳥はいって

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参宮がえり

田中貢太郎

明治五年比の晩春の夕方、伊良湖岬の手前の磯に寄せて来た漁船があった。それは参宮帰りの客を乗せたもので、五十前後に見える父親と、二十歳位になる忰の二人伴であった。 舟は波のうねりのすくない岩陰に繋がれて陸へは橋板が渡された。その舟には顔の渋紙色をした六十に近い老人と三十位の巌丈な男が艪を漕ぎ、十八九に見える女が炊事をやっていた。老人は伯父で巌丈な男と女は兄弟で

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参政取のけは当然

宮本百合子

参政取のけは当然 宮本百合子 法制会が、婦人参政権の問題を否決したのは、さまで意外なことではありません。何にしろ日本は、やっと普通選挙が実現されるかされないかと云う、社会進化の途上にあります。 英国でさえ、殆ど百年に近い時日を費したこの問題が、そう一朝一夕に片づこうとは思いません。実際運動に携わっている婦人達も、これで失望したり、騒ぎ立てたりするよりは、もう

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又復与太話

国枝史郎

日本の新興探偵小説界、宝石などは扱わないと云われる。ようござんす、認めましょう、しかし宝石に類したものばかりを扱っているではありませんか。文字にとらわれずに精神をご覧下さい。 × 甲賀三郎氏の批評ぶり、頸烈の度を加えて来ました。一種の壮快さを覚えます。しかし少々趣味にとらわれ、潔癖の押売りをするようです。 × その組立から云う時も、その文章から云う時も平林氏

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マル及ムレについて

木暮理太郎

本稿は昭和十一年十一月十五日霧の旅会で催した集会の席上に於て述べたもので、謂わば私の物ずきな地名穿鑿の際にふと思い付いた考に過ぎないのであるが、山名や地名などを考証する場合、時としてはこうした方面も考慮に入れて然る可きではあるまいかと思うので、本誌に掲載して読者の一粲を博することにした、何かの御参考ともなれば幸である。 『甲斐国志』の提要の部を見ると、郡名の

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ライス・ワッフルの友

牧野信一

こんなことを何も僕は決して誇り気に誌すわけではないのであるが、今不図考へて見て男の友達でも女の友達でも――それはいつも極く少人数であるが、一度交際した人と、自分から先に離れたといふ記憶を持たない、つい口の慎しみがなくて親しむに伴れては喧嘩などをすることは屡々であるが、その場限りで二三日経つと悪いことは皆な忘れてしまふ。ナンシーといふアメリカ娘もそのひとりであ

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友に

末吉安持

友よ恨まじ今日よりは ねたまじ、君は濃藍の 底見えわかぬわたづみの 珊瑚の宮に恋を得て 幸くあり、とに思ひ止まむ。 濃藍たゞえて見えわかぬ わたづみ底の恋なれば 誰が子誰が子の手をとりて 口つけかはし笑みかはし ありともいかで名を知らむ。 恋を恋はれぬ嫉妬もて、 相合ふ魂を咀ふとも、 三月尽の百蓮華 得やは枯さむあたゝかき 蕾ふくめる緋牡丹を。 寄藻の花も匂

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友だちどうし

小川未明

乳色の冬の空から、まぶしいほど、日の光は大地へ流れていました。風のない静かな日で雪のない国には、やがて、春が間近へやってくるように感ぜられるのでありました。 年ちゃんは、紅茶の空きかんの中へ、ガラスのおはじきを入れていましたし、正ちゃんは、ほうじ茶の紙の空き袋の中へ、ガラスのおはじきも入れていれば、また、秋の暮れにお宮の大きな木の下で拾った、銀杏の実も入れて

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友と二人の夜

今野大力

遠い野中の家より 私を慕うて呉れる友は 今夜も十時がなって帰った 夜露を分けて来て呉れても あたたかいもてなしさえ 貧しい私達にはゆるされず ひとえの着物のはじを 幾度か合せ乍ら 語りても聞いてもほほえみ乍ら 何程のへだてた思いもなく ありのままの事を語らいて お互に解け合うよろこび 本箱からは 勝手なものをとり出して 入れ様ともせず 一ぱいに机の上につまさ

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友人

上村松園

友人 上村松園 私にはこれという友人がなく、つきあいらしい交際もしたことがない。 昔から独りぼっちといった感じである。 女の人で当時絵を進んでやるという人もほとんどと申してよいくらい少なく、たまたまあったところで自分よりも歳下の女性と話し合う気もおこらず、また男の方だと、画学校や絵画の集会などではとにかくとして、親しく交際するということは思いも寄らなかったも

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友人一家の死

松崎天民

○ K君――――。 物価暴騰の声に、脅やかされているばかりが能ではない。時には遊びの気分に浸って、現実の生活苦を忘れようではないか。――僕達はこうした主旨から、大正八年七月川開きの夜を、向島の百花園で、怪談会に興じた。 泉鏡花氏、喜多村緑郎氏の他、発起人として尽力したのは、平山蘆江氏や三宅孤軒氏などであった。七夕祭の夜、喜多の家の茶荘に招かれた時、平山君や僕

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友よ 友だちよ

中野鈴子

わたしは 三度目の開腹手術を受けるために 行ってきます 友よ 手術をしなければならぬということは 命があるということです いろいろの 心のキズを耐え 力あつめて立ちつづけてきた 体に三度目のメスを受けねばならぬ 黄色い目じりから泪がにじんで流れようとする 友よ 手術をしなければならぬということは 命があるということです 命がなければ 誰の顔も見えなくなるでは

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