小説の選を終えて
宮本百合子
小説の選を終えて 宮本百合子 私のところへ送付された十数篇の応募原稿の中から、左の四篇を予選にのこして回覧した。予選には洩れたが、何かの意味で書き直したら作者の勉強になるだろうと考えられた作品にはそれぞれ寸評を加えて原稿を送りかえした。 今回は、大体に云って特にずばぬけた作品がなかったのは残念である。この次には大いに期待している。 「火葬場の下」 榎南謙一
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宮本百合子
小説の選を終えて 宮本百合子 私のところへ送付された十数篇の応募原稿の中から、左の四篇を予選にのこして回覧した。予選には洩れたが、何かの意味で書き直したら作者の勉強になるだろうと考えられた作品にはそれぞれ寸評を加えて原稿を送りかえした。 今回は、大体に云って特にずばぬけた作品がなかったのは残念である。この次には大いに期待している。 「火葬場の下」 榎南謙一
豊島与志雄
短篇集を一冊まとめるについて、作品をあれこれ物色してるうちに、つい、近作ばかり集める結果となってしまった。時間的に距離の近いものほど、感情のつながりが濃いからであろうか。その代り、作品の出来栄えについては、却って自分には見えにくい。 校正刷を一覧したところ、淡々と書き進めた作品もあるけれど、それよりも、勝手気儘に書きちらした作品の方が多い。言いたいことを端的
豊島与志雄
本書に収められてる六つの小説は、みな、「近代伝説」として書かれたものである。 近代伝説とは、茲では、或る創作方法を謂うのであり、随って、作品の或る性格を謂うのである。 小説の苦渋があまりに多すぎるとするならば、その苦渋を乗り越えた愉しい境地はないものであろうか。人心があまりに老衰しているとするならば、その老衰を乗り越えた童心的な境地はないものであろうか。現実
豊島与志雄
茲に収められてるものは、都会の知識階級のおかしな物語である。これらの物語はみな、小悪魔の角度から眺められた。小悪魔は虚構の人物であるが、この場合、必要な創作技法であり、モラール探求の特殊な触手であった。だが、この類の物語を更に蒐集することに、小悪魔は退屈しないだろうけれど、作者は恐らく倦きるだろう。それ故作者はすぐに、少年正夫にとびついていった。正夫は結論で
豊島与志雄
ここに収めた作品はみな、近代説話として書いたものばかりである。近代説話というのは、私が勝手に造った名前で、或る一種の創作方法で書かれたもののことを指す。 終戦後、物が自由に書けるようになってから、私はおもに小説を書いた。そして作者としての私の関心は、おのずから直接現在の人間生活に向けられた。――太平洋戦争の結果は、わが国の社会状態に大変革の一線を引いた。この
豊島与志雄
戦乱の期間中、私は幾度か中華民国に旅して、おもに上海に滞留した。そして彼地の有力な精神の代表者の一人として、秦啓源を捉えた。その生活や思想や人柄に、或は逆に私の方が捉えられたのかも知れない。――この秦啓源のことを、私はだいたい本書の作品のなかで述べた。 戦後の激発期に、東京では実にさまざまな精神動向が見られた。その精神動向の代表的なものの一つとして、私は波多
豊島与志雄
終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。この近代説話ものについては、聊か特殊の意図があったのである。 いったい、短篇小説では、作者が真に言いたいこと、つまり作品の中核は、煎じつめれば案外に僅かなもので、大部分は主としてそれへの肉付けとなる。主要人物の境遇とか環境とか生活様式とか、さまざまなものを書かなければならない。然し、作者
太宰治
小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。小説を読んで、襟を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。たと
黒島伝治
小豆島 黒島傳治 用事があって、急に小豆島へ帰った。 小豆島と云えば、寒霞渓のあるところだ。秋になると都会の各地から遊覧客がやって来る。僕が帰った時もまだやって来ていた。 百姓は、稲を刈り、麦を蒔きながら、自動車をとばし、又は、ぞろ/\群り歩いて行く客を見ている。儲けるのは大阪商船と、宿屋や小商人だけである。寒霞渓がいゝとか「天下の名勝」だとか云って宣伝する
小川未明
おそろしいがけの中ほどの岩かげに、とこなつの花がぱっちりと、かわいらしい瞳のように咲きはじめました。 花は、はじめてあたりを見て驚いたのであります。なぜなら、目の前には、大海原が開けていて、すぐはるか下には、波が、打ち寄せて、白く砕けていたからであります。 「なんというおそろしいところだ。どうしてこんなところに生まれてきたろう。」と、小さな赤い花は、自分の運
坂口安吾
「扨て一人の男が浜で死んだ。ところで同じ時刻には一人の男が街角を曲つてゐた」―― といふ、これに似通つた流行唄の文句があるのだが、韮山痴川は、白昼現にあの街角この街角を曲つてゐるに相違ない薄気味の悪い奴を時々考へてみると厭な気がした。自分も街角を曲る奴にならねばならんと思つた。 韮山痴川は一種のディレッタントであつた。顔も胴体ももくもく脹らんでゐて、一見土左
坂口安吾
「扨て一人の男が浜で死んだ。ところで同じ時刻には一人の男が街角を曲っていた」―― という、これに似通った流行唄の文句があるのだが、韮山痴川は、白昼現にあの街角この街角を曲っているに相違ない薄気味の悪い奴を時々考えてみると厭な気がした。自分も街角を曲る奴にならねばならんと思った。 韮山痴川は一種のディレッタントであった。顔も胴体ももくもく脹らんでいて、一見土左
国枝史郎
小酒井さんが長逝されました。私はボンヤリしています。同じ名古屋に住んでいたため特に親交があったからです。 医学者として大家であり、探偵文学者として一流であったことは世間周知のことと思いますが、私の知っている幾人かの実業家は小酒井さんのことをこのように申して居りました。 「小酒井さんは大事業家の素質を持っています。あの人が病身だということは如何にも残念です。健
平林初之輔
小酒井不木氏が死んだ。 生理学者として、法医学者としての博士については、私は、博士が非常に明晰な頭脳の所有者で医学界で期待されていたということだけしか知らぬ。実地の医学の方面では、闘病術その他の著者として、肺結核その他一般の慢性病の療法において抵抗療法の主唱者であり、一病一薬主義の正統派の治療法の反対者であったことくらいしか知らぬ。そしてまたここでは、博士の
国枝史郎
「高きに登って羅馬を俯瞰し、巨火に対して竪琴を弾じ、ホーマアを吟じた愛す可き暴王、ネロを日本へ招来し、思想界へ放火させようではないか。五百あまりの白骨が、塁々として現われようぞ。惜しい人間が幾人あろう? 一、二、三……」と指を折る。「あっ、不可ない、十人とは無いや」斯ういうことを心の中で、往々考える傲慢な私も、小酒井不木氏の前へ出ると、穏しい中年の紳士となり
国枝史郎
◇ 小酒井不木さんが逝去された。哀悼にたえない。氏が医学界と探偵小説界に尽くされた功績の数々については、世人は大方知悉していられることと思われる。 ここでは主として氏が日常のことと執筆態度などについて書くことにする。 氏の義理堅さは有名なもので、原稿など依頼を受け、引き受けられるや、枚数期日など極めて正確で殆ど編集者に迷惑をかけたことなどはなかった。いつも編
小酒井不木
私は元来学究の徒でありまして、研究室以外の世の中をあまり見ておりませんですから、私の作品には研究室のにおいが濃厚につきまとっております。けれども、それが一方において私の作品の特色ともなっていると思います。本集には、私の最も力を注いだ探偵小説を集めました。 集中の「少年科学探偵小説」は、少年諸君のために書かれたものでありますけれど、大人の方々にもきっとお気に入
小川未明
彼らの群れから離れて、一羽の小鳥が空を飛んでいますと、いつしか、ひどい風になってきました。そして、小鳥は、いくら努力をしましても、その風のために吹き飛ばされてしまいました。 空には、雲が乱れていました。方角もわからなくなってしまいました。小鳥は、ただ飛んでゆきさえすれば、そのうちに林が見えるだろう。また、山か、野原に出られるだろうと思っていました。 日はだん
宮本百合子
小鈴 宮本百合子 弟の家内が今年の正月で三十三を迎えた。三十三は女の厄年といわれている。 厄年というものを迷信的に考えはしないけれど、たとえば女の子の十六歳、十九歳などという年齢を、何か意味あるけじめのように見ることは、その年頃の生理やそれにつれて激しく動く感情の波立ちから、全然根拠が無いとも思われない。三十三という年ごろも、女の生涯からみれば、何かそこに配
佐藤垢石
小アジ釣は誰にでもやれるのでファンが大分多い。それに沖合遠く漕ぎ出す必要がないから危険も少い訳である。横浜からも鶴見からも毎日乗合船が出て、一日一円五十銭程度であるから費用もかからない。 釣道具も餌も船頭が用意しておいてくれる。釣方も面倒ではない。簡単にやれる。錘は六、七十匁から百二、三十匁までであって両天びんになっている。鈎素の長さは一尋が普通であって小ア
宮本百合子
小鳥 宮本百合子 午後から日がさし、積った白雪と、常磐木、鮮やかな南天の紅い実が美くしく見える。 机に向っていると、隣の部屋から、チクチク、チチと小鳥の囀りが聞えて来る。二三日雪空が続き、真南をねじれて建った家には、余り充分日光が射さなかった。寒さや陰気さで縮んでいた彼等は、久し振りに障子もあけて置ける暖かさでさぞ嬉しいのだろう、雨だれの音、小鳥の声が、入り
小川未明
町からはなれて、静かな村に、仲のいい兄妹が住んでいました。 兄を太郎といい、妹を雪子といいました。二人は、毎月、町へくる新しい雑誌を買ってきて、いっしょに読むのをなによりの楽しみとしていました。 ある日のこと、二人は、雑誌を開いて見ていますと、その月のには、美しい花や鳥の写真がたくさんに載っていました。 「まあ、きれいだこと、兄さん、この鳥は、よく見る鳥じゃ
宮本百合子
小鳥の如き我は 宮本百合子 枯草のひしめき合うこの高原に次第次第に落ちかかる大火輪のとどろきはまことにおかすべからざるみ力と威厳をもって居る。 燃えにもえ輝きに輝いた大火輪はその威と美とに世のすべてのものをおおいながらしずしずと凱歌を奏しながらこの高原の絶端に向って下る。 山も――川も――野も――、そうして私まで、 世は黄金で包まれた。 雲は紫に赤にみどりに
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかしむかし、ハツカネズミと小鳥と腸づめがなかまになって、一家をもちました。長いあいだ、みんなはいいぐあいになかよくくらして、財産もだいぶこしらえました。 小鳥のしごとは、まい日森のなかをとびまわって、たきぎをとってくることでした。ハツカネズミは水をくんで、火をおこし、おぜんごしらえをする役めです。それから、腸づめは煮たきをすることになっていたのです。 しあ