ある時刻
原民喜
わたしは熱があつて睡つてゐた。庭にザアザアと雨が降つてゐる真昼。しきりに虚しいものが私の中をくぐり抜け、いくらくぐり抜けても、それはわたしの体を追つて来た。かすかな悶えのなかに何とも知れぬ安らかさがあつた。雨の降つてゐる庭がそのまゝ私の魂となつてゐるやうな、ふしぎな時であつた。私はうつうつと祈つてゐるのだつた。
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原民喜
わたしは熱があつて睡つてゐた。庭にザアザアと雨が降つてゐる真昼。しきりに虚しいものが私の中をくぐり抜け、いくらくぐり抜けても、それはわたしの体を追つて来た。かすかな悶えのなかに何とも知れぬ安らかさがあつた。雨の降つてゐる庭がそのまゝ私の魂となつてゐるやうな、ふしぎな時であつた。私はうつうつと祈つてゐるのだつた。
喜田貞吉
虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制庭訓往来に、 賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。小賊何ぞ大賊に等しからんや。窃盗・強盗は山賊・海賊の比にあらず。山賊・海賊は他領押両(領)の大賊党に比せず。又位を諍ひ国を奪ふの大盗よりも軽し。然らば末代は皆賊世なり。たゞ我一人のみにあらざるなり。夫れ殷湯の夏を奪ひ、周武の紂を伐つ、何ぞ尭舜揖譲の政に同じからん。全く
田山花袋
時子 田山録弥 一 Bはやつとひとりになつた。時計を見ると、もう十時である。ホテルの室の中には、いろ/\なものが散ばつて、かなりに明るい電気が卓の上に、椅子の上に、またその向うにある白いベツトの上に一杯にその光線を漲らしてゐる。今まで間断なしに客が出入して、低い声音だの、高い哄笑だの、面白さうな笑声などがその一室に巴渦を巻いてゐたが――疲れ果てたやうな、早く
ウォルターズレティス・ドイリー
歩む彼女――わが喜びの貴婦人―― 群れ従える羊飼いの女よ。 率いる羊は内心そのもの。純白に保ち、 転げ落ちぬよう護っている。 花かぐわしい丘にて羊に餌をやり、 抱き寄せては寝入らせる。 めぐる彼女――母なる丘と明るくも 暗い谷間を、危なげなく深く。 宵にはあのあたたかいふくらみのうちに 清らかな星々が出でることだろう。 歩む彼女――わが喜びの貴婦人―― 群れ
鈴木大拙
「時」は流れると云ふ、それはどんな意味であるか、もとよりはつきりわからぬ。が、我々は普通さう云ふ、またさう考へて居る、何だかわからぬにしても、時を過去・現在・未来にわけると、その「流れ」は過去から現在に、現在から未来へと云ふ塩梅に、どん/\流れて行くと云ふことになつて居る。 「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチ/\と
土田耕平
時男さん――それは私の幼な友だちの名まへです。年は三つ違ひで、私が尋常科三年生の時、時男さんは六年生でありました。だから、お友だちといふよりも、まあ兄さんのやうなものでした。 私は、父と母と三人暮しで、町はづれの借家に住んでゐました。そこから、父は町のお役所へ、毎日通つてゐました。時男さんの家は、私の家から三軒目の隣でした。私が三年生になつたばかりの頃、時男
寺田寅彦
時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ 寺田寅彦 時の観念に関しては、哲学者の側でいろいろ昔からむつかしい議論があったようである。自分はそれらの諸説について詳しく調べてみる機会を得ないが、簡単な言葉でしかもそれ自身すでに時の概念を含んでいないような言葉で「時」に定義を下そうというような企てはたいてい失敗に帰しているようである。「一様に流れる量」であると
小川未明
よっちゃんは、四つになったばかりですが、りこうな、かわいらしい男の子でした。 よっちゃんは、毎日、昼眠をしました。そして、たくさんねむって、ぱっちりと目をあけましたときは、それは、いい機嫌でありました。 「チョット、チョット。」といって、よっちゃんの頭の上から、このとき呼ぶものがあります。よっちゃんは、ぱっちりした目を上に向けますと、茶だんすの上にのせてあっ
小川未明
町から遠く離れた田舎のことであります。その村には、あまり富んだものがありませんでした。村じゅうで、時計が、たった二つぎりしかなかったのです。 長い間、この村の人々は、時計がなくてすんできました。太陽の上りぐあいを見て、およその時刻をはかりました。けれど、この文明の世の中に、時計を用いなくては話にならぬというので、村の中での金持ちの一人が、町に出たときに、その
小川未明
私の生まれる前から、このおき時計は、家にあったので、それだけ、親しみぶかい感がするのであります。ある日のこと、父が、まだ学生の時分、ゆき来する町の古道具屋に、この時計が、かざってあったのを見つけて、いい時計と思い、ほしくてたまらず、とうとう買ったということです。 「これは、外国製で、こちらのものでありません。ある公使の方が持って帰られましたが、その方が、おな
海野十三
1 なにを感づいたものか、世界の宝といわれる、例の科学発明王金博士が、このほど上海の新聞に、とんでもない人騒がせの広告を出したものである。 その広告文をここへ抄録してみよう。 全世界人ヘノ警告文 余スナワチ金博士は、今度ヒソカニ感ズルトコロアリテ、永年ニ亘ル秘密ノ一部ヲ告白スルト共ニ、之ニサシサワリアル向ニ対シ警告ヲ発スル次第ナリ。抑々今回ノ告白対象ハ、余ガ
桑原隲蔵
この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」を參照ありたい。 晉室の南渡は支那の世相の一大廻轉で、種々の方面に重大なる影響を及ぼして居る。從つて支那歴史上決して輕々に看過すべからざる事變である。晉室の南渡を起頭とした三百年間、概して言へば六朝時代は、多くの場合に於て、一般の史家より餘り
木下夕爾
停車場のプラットホームに 南瓜の蔓が匍いのぼる 閉された花の扉のすきまから てんとう虫が外を見ている 軽便車が来た 誰も乗らない 誰も下りない 柵のそばの黍の葉つぱに 若い切符きりがちよつと鋏を入れる ●図書カード
堀辰雄
けさ急に思い立って、軽井沢の山小屋を閉めて、野尻湖に来た。 実は――きのうひさしぶりで町へ下りて菓子でも買って帰ろうとしたら、何処の店ももう大概引き上げたあとで、漸っと町はずれのアメリカン・ベエカリイだけがまだ店を開いていたので、飛び込んだら、欲しいようなものは殆ど何も無かった、木目菓子の根っこのところだけ、それも半欠けになって残っていたが、いくら好きでも、
小山清
一昨年(昭和三十年)の夏、私は筑摩書房発行の日本文学アルバムの仕事で太宰治の写真帳をつくるために、はじめて津軽を旅行した。青森に着いて県庁に太宰さんの兄さんの津島文治氏をたづねた際に、文治氏は、「魚服記」に書いてある滝は、金木町から少しはなれた処にある「藤の滝」といふのがどうもそれらしいと注意をしてくれた。私は藤の滝のことは太宰さんの甥にあたる津島一雄氏から
太宰治
「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈である。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。「晩年」は、昭和十一年の六月に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。一年に、三百冊ず
太宰治
「晩年」に就いて 太宰治 「晩年」は、私の最初の小説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」として置いたのです。 読んで面白い小説も、二、三ありますから、おひまの折に読んでみて下さい。 私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あま
牧野信一
羽根蒲団の上に寝ころんでゐるやうだ――などゝ私は思つた位でした。――午頃まで、この儘眠つてやらうかしら、などゝも私は思つたりしました。 春先で、思ひ切り好く晴れた朝の海辺なのです。――もう、かれこれ二時間も前から私は渚の暖かい砂の上で退屈な、然し極めて快い愚考に自ら酔つたまゝ、思ふさま胸を拡げて大の字なりにふんぞり反つてゐるのです。その私の肉体は、単に洞ろな
牧野信一
(四月――日) また、眼を醒すと夕方だ。とゞけてある弁当籠を開いてウヰスキーを二三杯飲むと、はつきり眼が醒る。鰯には手が出ない。セロリを噛む。 手紙を書くので明方までかゝつてしまつた、春の晩、灯の下で手紙を書く――これは、いくつになつても余の胸を和やかにさせる、春になると君は手紙を寄す人だ……などゝ云はれたことがある。 (次の日) 眼を醒すと、また夕暮時だ。
牧野信一
僕はどうしても厭だ、と云つたが、みち子がどうしても行くんだ、と云つて承知しない。何故僕が強情を張るか、その理由はちよつと……云ひにくいこともないけれど、云つたつて仕様がないから、云はない。 「無性! 無性! 無性屋さん……」と叫んだかと思ふと、いきなりみち子は僕の背中をドンと打つた。 僕はウーンと仰山なうめき声を発して死んだ真似をした。――さうしてみち子に悟
萩原朔太郎
ああ秋も暮れゆく このままに 故郷にて朽つる我にてはよもあらじ 草の根を噛みつつゆくも のどの渇きをこらへんためぞ 畠より疲れて歸り 停車場の裏手なる 便所のほとりにたたずめり 日はシグナルにうす赤く 今日の晝餉に何をたうべむ (故郷前橋にて) ●図書カード
土井晩翠
「晩翠放談」自序 土井晩翠 「宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(古今集戀の部よみ人知らず)此昔の名所本荒の郷が今日仙臺市本荒町のある處其二十一番地が私の本邸であつたが、若干の貸家と共に二十年(一九四五)七月十日の爆撃で灰燼となつた。今は一友人の厚意に因り其所有の借舍、青葉山に對し廣瀬川に臨む花壇川前町に鷦鷯一枝の安を得つゝある。其陋居に一
林芙美子
夕方、五時頃うかがいますと云う電話があったので、きんは、一年ぶりにねえ、まア、そんなものですかと云った心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まずその間に、何よりも風呂へ行っておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行った。別れたあの時よりも若やいでいなければならない。けっして自分の老い
林芙美子
晩菊 林芙美子 夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まァ、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。け