玉の輿
正宗白鳥
時節外れの寒い風が吹いた。五人もの子供を抱へてゐながらビクともしない働きものゝおたまは、薄明りが差すと、誰れもまだ起きない前に寢床を離れて、手早く衣服を着替へて、藁草履を突掛けて、裏木戸から水汲みに出掛けた。風呂桶へ四五荷も汲んで、使ひ水をも大きな水瓶に滿すと、肥つた身體にべつたり汗の出るほどに温かくなつた。 共同井戸の側には、次第に人が集つた。 「かう出し
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正宗白鳥
時節外れの寒い風が吹いた。五人もの子供を抱へてゐながらビクともしない働きものゝおたまは、薄明りが差すと、誰れもまだ起きない前に寢床を離れて、手早く衣服を着替へて、藁草履を突掛けて、裏木戸から水汲みに出掛けた。風呂桶へ四五荷も汲んで、使ひ水をも大きな水瓶に滿すと、肥つた身體にべつたり汗の出るほどに温かくなつた。 共同井戸の側には、次第に人が集つた。 「かう出し
田山花袋
K先生。 私は昔から陶器できこえた尾張の瀬戸に住んでゐるもので御座います。甚だ失礼で御座いますけれども、先生の『日本一周』を読んで、いろ/\感じたことが御座いますので、それで突然こんな手紙をさし上げることになりました。 私は二十歳の一青年です。 『日本一周』には、前編にも後編にも土岐川のことが書いて御座います。そして先生は之れを激賞されて居られます。是非一度
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかしむかし、たれのどんなのぞみでも、おもうようにかなったときのことでございます。 あるところに、ひとりの王さまがありました。その王さまには、うつくしいおひめさまが、たくさんありました。そのなかでも、いちばん下のおひめさまは、それはそれはうつくしい方で、世の中のことは、なんでも、見て知っていらっしゃるお日さまでさえ、まいにちてらしてみて、そのたんびにびっくり
サン=テグジュペリアントワーヌ・ド
子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこの本をひとりのおとなのひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。そのおとなのひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どもの本もわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけ
ポーエドガー・アラン
神々は人民にては嫌悪し給うことをも 王には堪え忍びまたよく許し給う。 バックハスト1『フェレックスとポレックス』 騎士道華やかなりしエドワード三世2の治世年間、十月のある夜の十二時頃のこと、スロイス3とテムズ河との間を通うている商船で、その時テムズ河に碇泊していた「フリー・アンド・イージー丸」の乗組員に属する二人の水夫は、ロンドンの聖アンドルー教区にある一軒
小川未明
この世界が造られましたときに、三人の美しい天使がありました。いちばん上の姉さんは、やさしい、さびしい口数の少ない方で、そのつぎの妹は、まことに麗しい、目の大きいぱっちりとした方で、末の弟は快活な正直な少年でありました。 みんなは、それぞれこの世界が造られるはじめてのことでありますので、なにかに姿を変えなければなりませんでした。 「よく考えて、自分のなりたいと
蒲松齢
王成は平原の世家の生れであったが、いたって懶け者であったから、日に日に零落して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻を編んで作った牛衣の中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周という家の庭園があって、牆は頽れ家は破れて、ただ一つの亭のみが残っていたが、涼し
テニソンアルフレッド
本叢書は洽ねく大家の手に成るもの、或は青年の必讀書として世に傳はるものゝ中より、其内容文章共に英文の至珍とすべく、特に我青年諸氏に利益と快樂とを與ふるものを撰拔せり。 英語を學ぶに當り、文法字義を明かにし、所謂難句集に見る如き短文を攻究するの要あるは云ふまでもなしと雖も、亦可成多く一篇を成せる名家の著を讀み、英文に對する趣味を養ひ、不知不識其の豐富なる語類成
片山広子
この頃何年ぶりかでイエーツの戯曲「王の玄関」をよみ返してみた。芝居としては面白くないかもしれないと思つたが、アイルランド人である作者の心がみんなの人物のうちに映つて、天才も常識者も乞食も軍人も愉快に勝手にせりふを言つてゐる。王宮の入口だけを舞台にして、うごきの少ない芝居であるが、同作者の「鷹の井戸」「カスリン・ニ・フーリハン」がさうであるやうに、一つ一つのせ
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかしむかし、まだどんな人ののぞみでも、思いどおりにかなったころのことです。 あるところに、ひとりの王さまが住んでいました。この王さまには、お姫さまがいく人もありましたが、みんなそろって、美しいかたばかりでした。なかでもいちばん下のお姫さまは、それはそれは美しいので、世のなかのいろんなことをたくさん見て知っているお日さまでさえも、お姫さまの顔をてらすたびに、
新美南吉
王さまと靴屋 新美南吉 ある日、王さまはこじきのようなようすをして、ひとりで町へやってゆきました。 町には小さな靴屋がいっけんあって、おじいさんがせっせと靴をつくっておりました。 王さまは靴屋の店にはいって、 「これこれ、じいや、そのほうはなんという名まえか。」 とたずねました。 靴屋のじいさんは、そのかたが王さまであるとは知りませんでしたので、 「ひとにも
原民喜
終にあたりは冴えてしまった。今、二〇ワットの電燈の下に両方の壁が聳え立ち、窓は鎖され、扉には鍵がかけてある。さうすると、彼を囲繞する四畳半の鬼気が、彼を憫笑してくれるのであった。 彼は今日街に出て一人の婦人と恋の散歩をした。彼はぜんまい仕掛けの紳士よろしく、巧みなゼスチュアと頭に残らないやうな会話とで、愉しい時間を持つことが出来た。婦人はゴム人形のやうに溌剌
太宰治
玩具 太宰治 どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって暮しているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなってしまう場合がある。そんな場合になってしまうと、私は糸の切れた紙凧のようにふわふわ生家へ吹きもどされる。普段着のまま帽子もかぶらず東京から二百里はなれた生家の玄関へ懐手して静かにはいるのである。両親の居間の襖をする
太宰治
所收――「玩具」「魚服記」「地球圖」「猿ヶ島」「めくら草紙」「皮膚と心」「きりぎりす」「畜犬談」 「玩具」から「めくら草紙」に到る五篇は、私の第一創作集「晩年」から選び出した作品である。サンボリズムのにほひが強いやうに思はれる。卷頭の「玩具」などは、散文詩とでもいふべきもののやうに思はれる。「めくら草紙」は、書いてゐる時には實に悲しい氣持であつたが、いま讀む
竹久夢二
玩具の汽缶車 竹久夢二 お庭の木の葉が、赤や菫にそまったかとおもっていたら、一枚散り二枚落ちていって、お庭の木はみんな、裸体になった子供のように、寒そうに手をひろげて、つったっていました。 つづれさせさせ はやさむなるに あの歌も、もう聞かれなくなりました。北の山の方から吹いてくる風が、子供部屋の小さい窓ガラスを、かたかたいわせたり、畑の唐もろこしの枯葉
萩原朔太郎
青い服をきた獵人が、 釣竿のやうなてつぽうをかついで、 わん、つう、わん、つう、 このへんにそつくりかへつた主人のうしろから、 木製のしなびきつた犬が、 尻尾のさきをひよこつかせ、 わん、つう、わん、つう。
中原中也
どうともなれだ 俺には何がどうでも構はない どうせスキだらけぢやないか スキの方を減さうなんてチヤンチヤラ可笑しい 俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる それで何がわるからう 俺にはおもちやが要るんだ おもちやで遊ばなくちやならないんだ 利得と幸福とは大体は混る だが究極では混りはしない 俺は混らないとこばつかり感じ
中谷宇吉郎
一年ぶりに研究所へ顏を出してみたら、大分人數が殖えて、賑やかになっていた。しかし、雰圍氣は昔どおりで、まず芽出たいことであった。唯一つちがったことは、珈琲が値上りになっていたことである。 もちろんアメリカ國内の珈琲が高くなったわけではなく、研究所内で飮む珈琲が値上りしたのである。といっても、何のことか分からないかもしれないが、それにはまずこの研究所の珈琲制度
高村光太郎
珈琲店より 高村光太郎 例の MONTMARTRE の珈琲店で酒をのんで居る。此頃、僕の顔に非常な悲しみが潜んでゐるといつた君に、僕の一つの経験を話したくなつた。まあ読んでくれたまへ。 OPRA のはねたのが、かれこれ、十二時近くであつた。花の香ひと、油の香ひで蒸される様に暖かつた劇場の中から、急に往来へ出たので、春とはいひながら、夜更けの風が半ば気持ちよく
蒲松齢
安大成は重慶の人であった。父は孝廉の科に及第した人であったが早く没くなり、弟の二成はまだ幼かった。大成は陳姓の家から幼な名を珊瑚という女を娶ったが、大成の母の沈というのは、感情のねじれた冷酷な女で、珊瑚を虐待したけれども、珊瑚はすこしも怨まなかった。そして、朝あさ早く起きては身じまいをして、母の所へ挨拶にいった。 大成がその時病気になった。母は珊瑚がみだらで
永井荷風
シヤアル・ボオドレヱル 蝸牛匍ひまはる泥土に、 われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。 安らかにやがてわれ老いさらぼひし骨を埋め、 水底に鱶の沈む如忘却の淵に眠るべし。 われ遺書を厭み墳墓をにくむ。 死して徒に人の涙を請はんより、 生きながらにして吾寧ろ鴉をまねぎ、 汚れたる脊髄の端々をついばましめん。 あゝ蛆虫よ。眼なく耳なき暗黒の友、 汝が為めに腐敗の子、放
佐藤春夫
荷風先生は毅然たる現実主義精神を抱いた散文作家であると同時に、一面には嫋々たる抒情詩人である。この両面を解して後はじめて先生が真面目に接し得られるというべきである。先生のすべての傑作はみなこの両面がさまざまな釣合を保ちながら渾然融和の妙趣を発揮している。いずれも散文精神の伴奏として陰翳のような役割をしている先生の詩情が、詩の形をとって真正面から打ち出されたも
小川未明
北の国の王さまは、なにか目をたのしませ、心を喜ばせるような、おもしろいことはないものかと思っていられました。毎日、毎日、同じような、単調な景色を見ることに怠屈されたのであります。 このとき、南の国へ使いにいった、家来が帰ってまいりました。なにかおもしろい話を持ってこないかと、さっそく、その家来にご面会になりました。 「ご苦労だった。無事にいってこられて、なに
素木しづ
珠 素木しづ 丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子の産んだ赤ん坊は生き/\と心よく康やかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。 多緒子は産後思はしく