科学と科学の観念
戸坂潤
現在の時局は、文化の観点から云えば勿論のこと、文化以外の観点である軍事や生産技術の観点から云っても、科学の時代である。科学という観念が、尊ばれ流行し又親しまれている。科学という字が読書氏や政客や為政者の身近かに、或る関係を持つものとして現われて来た。曾て「文学する」という云いまわしが文壇の若い層で、短い時間口にされたことがあるが、今日では「科学する」という云
Thư viện tri thức thế giới miền công cộng
戸坂潤
現在の時局は、文化の観点から云えば勿論のこと、文化以外の観点である軍事や生産技術の観点から云っても、科学の時代である。科学という観念が、尊ばれ流行し又親しまれている。科学という字が読書氏や政客や為政者の身近かに、或る関係を持つものとして現われて来た。曾て「文学する」という云いまわしが文壇の若い層で、短い時間口にされたことがあるが、今日では「科学する」という云
宮本百合子
科学の精神を 宮本百合子 科学への関心が、いくらか流行の風潮ともなって、昨今たかめられて来ている。いろいろの面から観察されることだろうが、私として頻りに考えられることは、そういう今日の傾向のなかで、科学知識と科学の精神という二つのものが、どんな工合に互の相異や連関を明らかにされて来ているのだろうかという点である。部分的にとりあげれば多極な問題も、根源に横わる
寺田寅彦
科学者とあたま 寺田寅彦 私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題
海野十三
科学者と夜店商人 海野十三 こう暑くなっては、科学者もしぶしぶと実験室から匍い出さずにはいられない。気温が華氏八十度を越えると脳細胞中の電子の運動がすこし変態性を帯びて来るそうだ。そんなときにうっかり忘我的研究をつづけていると、電子はその変態性をどんどん悪化させ、遂には或る臨界点を過ぎてしまった。再び頭脳は常態に復帰しないそうだ。そうなると病院の檻の中に実験
寺田寅彦
科学者と芸術家 寺田寅彦 芸術家にして科学を理解し愛好する人も無いではない。また科学者で芸術を鑑賞し享楽する者もずいぶんある。しかし芸術家の中には科学に対して無頓着であるか、あるいは場合によっては一種の反感をいだくものさえあるように見える。また多くの科学者の中には芸術に対して冷淡であるか、あるいはむしろ嫌忌の念をいだいているかのように見える人もある。場合によ
海野十三
科学が臍を曲げた話 海野十三 みなさん、科学だって、時には気むずかしいことがありますよ。そんなときには、臍を曲げちまいますよ、臍をネ。 童話みたいですが、昔、オーストリヤの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部坩堝に入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、忽ち一陣の炭酸瓦斯
中谷宇吉郎
この数年来の科学の飛躍的発展は、今さら述べ立てるまでもない。人工衛星、原子力問題、人工頭脳、南極観測と……、この近年の新聞や雑誌に、科学関係の記事が、一つも載らない日は、まず無いといってよい。まさに科学ブームの時代である。 二十五年ばかり前に、朝日新聞が、初めて科学欄をつくり、月に一回か二回、科学の記事を載せ始めたのは、当時としては、まさに劃期的な壮挙であっ
中谷宇吉郎
今世紀にはいってからの科学の進歩には、まことに目ざましいものがあった。とくにこの十年以来、その進歩は、一大飛躍をなし、原子力の開放、人工衛星の打ち揚げなど、人類の歴史の上に、金字塔として残る幾多の事業を為しとげた。 こういう華々しい科学の成果に幻惑された人々の中には、あたかも科学を万能のものとする考え方が、次第に一つの風潮となりつつある。そして科学がさらに数
宮沢賢治
漢子称して秘処といふ その崖上にたどりしに 樺柏に囲まれて はうきだけこそうち群れぬ 漢子首巾をきと結ひて 黄ばめるものは熟したり なはそを集へわれはたゞ 白きを得んと気おひ云ふ 漢子が黒き双の脚 大コムパスのさまなして 草地の黄金をみだるれば 峯の火口に風鳴りぬ 漢子は蕈を山と負ひ 首巾をやゝにめぐらしつ 東に青き野をのぞみ にと笑みにつゝ先立ちぬ ●図書
平林初之輔
私がこれから書き記してゆくような出来事は、この世の中では、決して二度と起こりもしまいし、たとえ起こったところで、当事者が私のような破廉恥漢でなければ、それを公に発表しようなどという気は起こさぬだろうと思う。第一そんな気を起こす前に、大抵の人なら、小刀を頸動脈へつきさして、時間的に、そういう考えの起こる余裕を無くしているだろう。とは言え、私自身でも、これを書き
竹久夢二
秘密 竹久夢二 一体世の中に、何故? ときかれて、何となればと答の出来る様なことは、ごくつまらない事に違ひない。 机にも脚が四本ある、犬にも足が四本ある。何故、犬には歩けて、机には歩けないか? こんなことに答が出来たとて、おもしろくもなんともない。 けれど、私は何故に生れたらう? とさうきいて御覧なさい。知つてゐる人は言はないし、知らない人は答はしない。それ
谷崎潤一郎
その頃私は或る気紛れな考から、今迄自分の身のまわりを裹んで居た賑やかな雰囲気を遠ざかって、いろいろの関係で交際を続けて居た男や女の圏内から、ひそかに逃れ出ようと思い、方々と適当な隠れ家を捜し求めた揚句、浅草の松葉町辺に真言宗の寺のあるのを見附けて、ようよう其処の庫裡の一と間を借り受けることになった。 新堀の溝へついて、菊屋橋から門跡の裏手を真っ直ぐに行ったと
チェスタートンギルバート・キース
一 巴里の警視総監であるアリステード・ヴァランタンは晩餐におくれた。そして来客達はもう彼より先きに来はじめていた。それで忠実な執事のイワンがお相手をしていた。イワンは顔に刀傷の痕のある、そして灰色の口髭と色別のつかないような顔色をした老人で、いつも玄関のテーブルに――そこには武器類がかかっている――に控えている。この家は主人のヴァランタンと同様に風変りで有名
小酒井不木
秘密の相似 小酒井不木 一 おなつかしきT様。 私は、何といって私の今の心もちをあなたに御伝えしてよいやら、本当に迷ってしまいました。あなたは今頃定めし私を怨んでおいでになることと思います。本当に私こうして筆を執って居ましても、恐しいような、恥かしいような、また悲しいような思いになりまして、何から書きかけてよいやらわからなくなりました。私はこれから、あなたに
ブラックウッドアルジャーノン
絹商人のハリスは商用がすんで南ドイツを故国へ帰る途中、この際ひとつシュトラスブルクから登山鉄道に乗って、じつに三十年もの歳月を経たこんにち改めて母校を訪ねてみようと、とつぜん思いついた。そして、ジョン・サイレンス(沈黙のジョン)が全生涯で最も不思議な事件の一つに接したのは、セント・ポールズ・チャーチャードにあるハリス兄弟商会の若い方の協同経営者が起こした、こ
佐左木俊郎
秘密の風景画 佐左木俊郎 一 伸子は何か物の堕ちる音で眼をさました。陽が窓いっぱいを赤くしてガアンと当たっていた。いつもの習慣で、彼女はすぐ隣のベッドに眼を引き寄せられた。ベッドは空いていた。姉の美佐子は昨晩も帰らなかったのだ。 昨晩も扉に錠をせずに眠ってしまったことを伸子は思い出した。床の上に朝刊がおちていた。彼女の眠りを醒ましたのは、その配達が新聞を投げ
松本泰
竹藪がざわざわ鳴っていた。崖に挟まれた赤土路を弟妹達が歩いている。跣足になっているのも、靴を穿いているのもいた。一同が広々とした畷へ出て、村の入口に架っている小さな橋を渡ろうとすると、突然物陰から、飛白のよれよれの衣物を着た味噌歯の少年が飛出して来て、一番背の高い自分に喰付こうとした。遮二無二に噛り付いてくる少年の前額に掌をかけて、力任せに押除けようといてい
南方熊楠
英譯 Ratzel,‘The History of Mankind,’ 1896 vol. , p. 164. に東西兩半球間過去の交通を論じ、「日本と支那より西北亞米利加に漂著せる人あり。又米國の貨品が布哇に漂著せる例あり。然れども南半球に至りては、高緯度に有て風と潮流が西より南米大陸に向ひ、赤道近くに隨ひ、風潮並びに南米より東方に赴き去り、凡て東半球と南
豊島与志雄
秦の出発 豊島与志雄 喧騒の都市上海の目貫の場所にも、思わぬところに閑静な一隅がある。円明園路の松崎の事務所もその一つだ。街路には通行人の姿さえ見えないことがあり、煙草の屋台店がぽつねんとして――私はいつもここで煙草を買うことにしていた。その屋台店の近くの大楼の六階に松崎の事務所はある。南の窓一面に陽を受け、東の窓からは、煉瓦塀越しに、英国領事館内の木立が見
桑原隲蔵
秦始皇帝 桑原隲藏 一 支那四千年の史乘、始皇の前に始皇なく、始皇の後に始皇なし。瞶々者察せず、みだりに惡聲を放ち、耳食の徒隨つて之に和し、終に千古の偉人をして、枉げて桀紂と伍せしむ。豈に哀からずや。 こは私が去る明治四十年十月十日、始皇の驪山の陵を訪うた當時の紀行の一節である。五年後の今日、復た始皇の傳を作つて、彼の爲に氣を吐くとは、淺からぬ因縁といはねば
豊島与志雄
秦の憂愁 豊島与志雄 星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。だが秦啓源は、謂わば上海の市中に潜居してるもののようで、その消息がよく分らなかった。 星野は中日文化協会の人に頼んだ。 協会の人は頭をかしげた。 「秦啓源氏のことは、よく分りませんが、早速取調べて、何とか連絡をつけましょう。」 それが、幾日待っても、音沙汰なかっ
木暮理太郎
秩父の数多い山の中で、高さに於ても姿に於ても、金峰山は一際すぐれて群を抜いている。御室から登る五十町の峻坂は、岩といい樹といい、如何にも山らしい感じを与えるので、決して飽きることのない路である。絶頂の五丈石は、よしや下から眺めて期待した程のものでないにしても、三角点を中心として縦横に重なり合っている大きな岩塊は、高山の生れたままの荒っぽい一面を偲ばせるものが
木暮理太郎
何の為に山へ登るか。自分は此稿を書こうとして、筆を持ったまま考に耽っていると、不図心の奥でひそやかな声がそう囁いた。 然し自分は今茲にそれを論じようとしていたのでは勿論ない。唯秩父山脈が首都に近い割合に、相当の高さと深さと大さとを有し、麓に一ノ瀬、梓山、栃本などの愛す可き山村を抱いて、二、三泊の旅行ならば、充分に楽しい愉快な山の気分を味わうことが出来るのに、
木暮理太郎
荒模様であった空は、夜が明けると少し穏になって、風は強いが雨脚は疎になった。七月二十四日の朝である。松本駅前の旅館に泊っていた槇君と私とは、駅に向って馳せ集る夥しい人の群に、それは秩父宮殿下が今朝此処へ御着きになって、やがて信濃鉄道へ御乗換になる其折の、奉迎奉送の人達であると知りながら、又昨日中房温泉から殿下のお迎に下って来た私等でありながら、忘れてはふと何