Vol. 2May 2026

Sách

Thư viện tri thức thế giới miền công cộng

14,981종 중 12,096종 표시

自然に学べ

宮本百合子

自然に学べ 宮本百合子 明日の女らしさ、男らしさ。(川上まさ子さんへの答)のびのびとした手脚と美しく張った胸。女性の肉体の魅力は解放された女性の肉体にこそあります。まめやかで、創意にみちた精神の輝きのあふれた眼ざしと、よく働きよく笑う女性の笑顔を、どんな男がまねられましょう。 これまで日本の女性にあてはめられていた女らしさは、男の扮する女形で表現されました。

JA
Chỉ nguyên tác

自然の恵み ――少国民のための新しい雪の話――

中谷宇吉郎

われわれは大きい自然の中で生きている。この自然は、隅の隅まで、精巧をきわめた構造になっている。その構造には、何一つ無駄がなくて、またどんな細かいところまでも、実に美しく出来上がっている。 寺田先生がかつて、どんなに精巧につくられた造花でも、虫眼鏡でのぞいてみると汚らしいが、どんなつまらぬ雑草の一部分でも、顕微鏡でみると、実に驚くほど美しいということを書いてお

JA
Chỉ nguyên tác

自然描写における社会性について

宮本百合子

自然描写における社会性について 宮本百合子 「見る人のこころごころの秋の月」という文句がある。天にはただ一つしかない秋の月ではあるが、その月を眺めるひとの心のありようによって、清明な快い月であると思われるであろうし、月のさやけさに又かえって恨が深まるようなこともあろう。自然と人間との感情の交錯を、人間の主観の立場に立って観察したわかり易い一例であると思う。

JA
Chỉ nguyên tác

自然現象の予報

寺田寅彦

自然現象の科学的予報については、学者と世俗との間に意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議を醸す事あり。また個々の場合における予報の可能の程度等に関しては、学者自身の間にも意見は必ずしも一定せざる事多し。左の一篇は、一般に予報の可能なるための条件や、その可能の範囲程度並びにその実用的価値の標準等につきて卑見を述べ、先覚者の示教を仰ぐと同時に、また一面には学者と

JA
Chỉ nguyên tác

自然界の縞模様

寺田寅彦

自然界の縞模様 寺田寅彦 ここでかりに「縞模様」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。こういう意味ではいわゆる定常波もこの中に含まれてもいいわけであるが、この動的なそうしてすでによく知られて研究し尽くされた波形はしばらく別物として取り除いて、ここではそ

JA
Chỉ nguyên tác

自由

小川未明

街の鳥屋の前を通ったとき、なんという鳥か知らないけれど、小鳥にしては大きい、ちょうど小さいはとのような形をした鳥が、かごの中にいれられて、きゅうくつそうに、じっとしていました。 黄色なくちばし、その鈍重なからだつき、そして、たえずものおじする、つぶらな黒い目を見ると、いじらしいという感じをさせられた。私は、この鳥をきらいでなかったのです。 「こんなに、狭いか

JA
Chỉ nguyên tác

自由主義私見

豊島与志雄

自由主義は、行動方針の問題ではなくて、生活態度の問題である。実践的動向の向うにある目的ではなくて、生活それ自体の翹望である。翹望である以上、固より、対象として「自由」を持つものではあるが、かかる「自由」は、本来、生活それ自身と合体しているものであり、謂わば、生活が本能的に持っている一面である。随って、かかる「自由」は、それのみでは、或る特定の社会構図を画くも

JA
Chỉ nguyên tác

自由の使徒・島田三郎

木下尚江

自由の使徒・島田三郎 木下尚江 幸福なる思ひ出 若き友よ。 僕が島田三郎先生を語るとなれば、直ぐに一つの場面が目に浮ぶ。 大正十二年、この年は正月早々から先生は身心の疲労で、議会へも出なされず一切来客を謝絶して、番町の自邸で静養して居られた。かゝる時、僕のやうな世務に全く無交渉の者は幸福で、時々お邪魔して、自由にお話することが出来た。 或日、先生は、この社会

JA
Chỉ nguyên tác

自由画稿

寺田寅彦

自由画稿 寺田寅彦 はしがき これからしばらく続けて筆を執ろうとする随筆断片の一集団に前もって総括的な題をつけようとすると存外むつかしい。書いてゆくうちに何を書くことになるかもわからないのに、もし初めに下手な題をつけておくとあとになってその題に気兼ねして書きたいことが自在に書けなくなるという恐れがある。それだから、いつもは、題などはつけないで書きたいことをお

JA
Chỉ nguyên tác

自由の真髄

新渡戸稲造

論語にある「己の欲するところに従えども矩を踰えず」の一句こそ実に自由の定義を能く述べて尽したものであると前号に説明し、然らば矩とは何なるかと反問し、これには大略内部と外部との二つに分つことが出来ようと述べた。外部の矩とは外部より来る要求、圧迫、強制等で、風俗習慣も一国の法律もその類であるが、しかしこの意味に於ける外部の矩も自分が心から心服して何の不平もなく甘

JA
Chỉ nguyên tác

自由なる空想

小川未明

最近は、政治的に行きつまり、経済的にも、また行きつまっている様な気がする。その反映は文芸の上にも現われていないことはない。だが、この時にこそ、文芸は、展開せられるのでもある。我々は、常に、思想の自由を有している。空想し、想像することの自由を有している。外的関係が、心までを萎縮するとはかぎらない。 現実の上に、真美の王国を築くことのできないものはこれを常に心の

JA
Chỉ nguyên tác

自由と進歩

中谷宇吉郎

新年を迎えて、過去一年間をふり返ってみると、まことに多事であったという気がする。鳩山総理のモスクワ訪問と日ソ交渉、砂川事件など、何となく急迫した空気が、日本の空におおいかぶさってくる気配が感ぜられる。 こういう気持を一層強めたものは、昨年の春から夏にかけて、一時日本を風靡した、いわゆる自由論争である。この方は、砂川事件ほど刺戟的ではなかったが、有識階級の間に

JA
Chỉ nguyên tác

自画像

寺田寅彦

自画像 寺田寅彦 四月の始めに山本鼎氏著「油絵のスケッチ」という本を読んで急に自分も油絵がやってみたくなった。去年の暮れに病気して以来は、ほとんど毎日朝から晩まで床の中で書物ばかり読んでいたが、だんだん暖かくなって庭の花壇の草花が芽を吹き出して来ると、いつまでも床の中ばかりにもぐっているのが急にいやになった。同時に頭のぐあいも寒い時分とは調子が違って来て、あ

JA
Chỉ nguyên tác

自画像

黒島伝治

自画像 黒島傳治 なか/\取ッつきの悪い男である。ムッツリしとって、物事に冷淡で、陰鬱で、不愉快な奴だ。熱情なんど、どこに持って居るか、そんなけぶらいも見えん。そのくせ、勝手な時には、なか/\の感情家であるのだ。なんでもないことにプン/\おこりだす。なんにでも不平を持つ。かと思うと、おこって然るべき時に、おこらず、だまってにやけこんで居る。 どんなにいゝ着物

JA
Chỉ nguyên tác

自覚について

宮本百合子

自覚について 宮本百合子 わたしたちの生活に平和が戻り新しい民主生活の扉が開かれて、二度目の春を迎えることになりました。 昨年はわたしたち婦人にとって初めての経験である総選挙も行われ、そのほかずいぶん多事な一ヵ年を過しました。そして今日わたしたちがいちばん痛切に感じていることはなんでしょう。世界のなかに新しい日本として生きてゆくために、そしてまたわたしたちの

JA
Chỉ nguyên tác

自転車乗りの影

ドイルアーサー・コナン

一八九四年から一九〇一年に至るまで、シャーロック・ホームズは多忙の身であった。この八年、有名な難事件で持ち込まれなかったものはないと言っていいだろうし、また何百という個人依頼、およびそのうちの複雑怪奇なものでも颯爽たる役を果たした。多くの驚嘆すべき成功とわずかな避けられぬ失敗、これが長きにわたる間断ない仕事の結果であった。私はこれら全事件の完全なる記録を残し

JA
Chỉ nguyên tác

自転車嬢の危難

ドイルアーサー・コナン

一八九四年から一九〇一年までの八年間は、シャーロック・ホームズは、とても多忙な身であった。 この八年間に、公の事件で重大なものは、一つとしてホームズのところに、持って来られなかったものはなかったし、またその外に私的の事件で扱ったものは、無数で、その中でも、実に錯綜した難問題で、颯爽たる役目をやったものもたくさんあった。この雑多の仕事の中では、もちろんその大部

JA
Chỉ nguyên tác

自転車日記

夏目漱石

自転車日記 夏目漱石 西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気

JA
Chỉ nguyên tác

自選 荷風百句

永井荷風

わが発句の口吟、もとより集にあむべき心とてもなかりしかば、書きもとどめず、年とともに大方は忘れはてしに、おりおり人の訪来りて、わがいなむをも聴かず、短冊色帋なんど請わるるものから、是非もなく旧句をおもい出して責ふさぐことも、やがて度重るにつれ、過ぎにし年月、下町のかなたこなたに佗住いして、朝夕の湯帰りに見てすぎし町のさま、又は女どもと打つどいて三味線引きなら

JA
Chỉ nguyên tác

原民喜

四丁目の角で二人を見はぐれたのを幸と、川田はぐんぐん勝手な方向へ進んだ。振返ったらまた彼等がやって来さうなので、傍目も振らなかった。眼は怒り、額は愁ひ、短靴はやたらに急いだが、搾めつけられた胸は今やうやく緩んで来た。高層建築の上に濁った秋空が、茫漠とした観念のやうに横はってゐた。そこに川田は、さっきの議論の続きを感じた。 彼等二人は終に論理の釘で川田を身動き

JA
Chỉ nguyên tác

舌切りすずめ

楠山正雄

舌切りすずめ 楠山正雄 一 むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがありました。 子供がないものですから、おじいさんはすずめの子を一羽、だいじにして、かごに入れて飼っておきました。 ある日おじいさんはいつものように山へしば刈りに行って、おばあさんは井戸ばたで洗濯をしていました。その洗濯に使うのりをおばあさんが台所へ忘れていった留守に、すずめの子が

JA
Chỉ nguyên tác

舞台のイメージ

豊島与志雄

舞台のイメージ 豊島与志雄 戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。云い換えれば、人物と事件とが――その現われが、一つの枠の中にかっきりはまっていなければいけない。 そういう舞台的イメージが、戯曲創作の場合には、最も大切であるように思われる。 小説とか対話とか戯曲とか……を区別するのに、出来上った作品について云えば、

JA
Chỉ nguyên tác

舞姫

永井荷風

お! ローザ、トリアニ。リヨンのオペラ座、第一の舞姫、ローザ、トリアニ。 われ始めて、番組の面に、第一位舞踏者なる位付けせし、君が名を読みし時、お、ローザ、トリアニ。われは暖き伊太利亜より来ませし姫かと疑ひぬ。君がふくやかなる長き面は、誰が目にも、まがうかたなきフランスの姫ならざりしか。舞台に出るフランスのかゝる技芸家は、好みて伊太利亜綴りの芸名を用ゆと覚ゆ

JA
Chỉ nguyên tác