青葉の下
小川未明
峠の上に、大きな桜の木がありました。春になると花がさいて、とおくから見るとかすみのかかったようです。その下に、小さなかけ茶屋があって、人のいいおばあさんが、ひとり店先にすわって、わらじや、お菓子や、みかんなどを売っていました。 荷を負って、峠を越す村人は、よくここのこしかけに休んで、お茶をのんだりたばこをすったりしていました。 賢吉と、とし子と、正二は、いき
공개저작물 세계 지식 라이브러리
小川未明
峠の上に、大きな桜の木がありました。春になると花がさいて、とおくから見るとかすみのかかったようです。その下に、小さなかけ茶屋があって、人のいいおばあさんが、ひとり店先にすわって、わらじや、お菓子や、みかんなどを売っていました。 荷を負って、峠を越す村人は、よくここのこしかけに休んで、お茶をのんだりたばこをすったりしていました。 賢吉と、とし子と、正二は、いき
田中貢太郎
青蛙神 田中貢太郎 揚子江と灌水の間の土地では、蛙の神を祭ってひどく崇めるので、祠の中にはたくさんの蛙がいて、大きいのは籠ほどあるものさえある。もし人が神の怒りにふれるようなことがあると、その家はきっと不思議なことがあって蛙がたくさんきて几や榻であそんだり、ひどいのになると滑かな壁を這いあがったが堕ちなかった。そのさまは一様でなかったが、その家に悪いしらせが
岡本綺堂
時は現代。陰暦八月十五日のゆうぐれ。 満州、大連市外の村はずれにある李中行の家。すべて農家の作りにて、家内の大部分は土間。正面には出入りの扉ありて、下のかたの壁には簑笠などをかけ、その下には鋤またや鍬などの農具を置いてあり。その傍らには大いなる土竃ありて、棚には茶碗、小皿、鉢などの食器をのせ、竃のそばには焚物用の高粱を束ねたるを積み、水を入れたるバケツなども
寺田寅彦
青衣童女像 寺田寅彦 木枯らしの夜おそく神保町を歩いていたら、版画と額縁を並べた露店の片すみに立てかけた一枚の彩色石版が目についた。青衣の西洋少女が合掌して上目に聖母像を見守る半身像である。これを見ると同時にある古いなつかしい記憶が一時に火をつけたようによみがえって来た。木枯らしにまたたく街路の彩燈の錦の中にさまざまの幻影が浮かびまた消えるような気がするので
間所紗織
色は万国共通の言葉であり,どこの国へ行っても一目で理解し合えるものであると思っていましたのに,アメリカに留学した3年間に,外国人との色に対する感じ方の相違や習慣の相違にぶつかって,まごついたり,失敗したりしたことがありました。 アメリカに行ってしばらくの間,私は英語の学校に通いました。クラスには,ハンガリア人,ポーランド人,スペイン人,ユダヤ人等,世界中の様
三島霜川
青い顏 三島霜川 古谷俊男は、椽側に据ゑてある長椅子に長くなツて、兩の腕で頭を抱へながら熟と瞳を据ゑて考込むでゐた。體のあいた日曜ではあるが、今日のやうに降ツては何うすることも出來ぬ。好な讀書にも飽いて了ツた。と謂ツて泥濘の中をぶらついても始まらない。で此うして何んといふことは無く庭を眺めたり、また何んといふことはなく考込むでボンヤリしてゐた。此の二三日絲の
鈴木三重吉
青い顔かけの勇士 鈴木三重吉 一 トゥロットのお家は貴族で、お父さまは海軍の士官ですが、今は遠方へ航海中で、トゥロットはお母ちやまや女中のジャンヌたちと一しよに、海岸の別荘でくらしてゐます。トゥロットにはイギリス人の或ミスが、まいにち家庭教師にかよつて来て、町中や浜べへつれて出たりして、いろ/\のことををしへてゐます。 「おぼつちやま、ミスがいらしつて、おま
宮沢賢治
ま青きそらの風をふるはし ひとりはたらく脱穀機 R-R-r-r-r-r-r-r-r 脱穀小屋の庇の下に 首を垂れたる二疋の馬 R-R-r-r-r-r-r-r-r 粉雪おぼろにひかりたち はるかにりりと鐘なれば うなじをあぐる二疋の馬 華やかなりしそのかみの よきギャロップをうちふみて うまやにこそは帰り行くなれ ●図書カード
徳田秋声
古くから馴染のあるこの海岸へ、彼は十年振りで来て見た。どこもさうであるやうに、ここも震災で丸潰れになつて、柱に光沢の出てゐるやうな家は一つも見当らなかつた。町はどこもがさがさしてゐたが、しとしとした海風は、やつぱり懐しかつた。脚の不自由な人があるので、家を出て自動車に乗るにも、駅へ来てプラツトホームへ出て行くにも、家族的旅行の楽しさの一半は減殺される訳であつ
久生十蘭
前大戦が終った翌年、まだ冬のままの二月のはじめ、パリの山手のレストランで働いているジャンヌ・ラコストという娘が、この十カ月以来、消息不明になっている姉のマダム・ビュイッソンの所在をたずねていた。スペインの国境に近いビアリッツにいる姉の一人息子が失明したという通知があったので、大急ぎで知らせなければならないと思ったのである。 心あたりというほどのものはなかった
坂口安吾
匂いって何だろう? 私は近頃人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになった。ああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだ。つまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。 私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している。私がだんだん母に似てきたのだ。あ、また――私は母を発見するたびにすくんでしまう
佐藤垢石
青鱚釣は例年八十八夜即ち五月上旬には釣れはじまる。江戸前三枚洲、ガン場、中川尻、出洲など大そうな賑わいである。また千葉方面では浦安、船橋なども人出が多く最近は周西方面まで遠征する人もあり、西海岸では立会川、鈴ヶ森、品川、羽田、川崎方面からも舟出する。 この魚は餌に対する振舞になかなか微妙なところがあり、鈎に掛ってから引きが強いので昔から大層な人気がある。少し
楠山正雄
名だかい「青い鳥」のお芝居を、少年少女の皆さんのためにできるだけやさしく、讀みやすく、物語風に書きやはらげてみました。 「青い鳥」の原作は、六幕十二景といふ長いお芝居で、今から三十年あまり前に、近代のベルギーの大詩人で、モリス・メーテルリンクといふ人が書きました。このお芝居がヨーロッパのどこの國でも大へんな評判になつて、わが國にもつたはつてたび/\舞臺で演じ
今野大力
柱時計のけだるきリズムに 眠たげなる洋燈の光りに 深々と沈みゆく我らが生 九時を聞き十時を聞き すべては眠りを欲りするの時 みな底の吐息は泡となり ほそぼそき昇天の心は 我生の魂と共にかいのぼりゆく ●図書カード
寺田寅彦
静岡地震被害見学記 寺田寅彦 昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東久能山の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当潰家もあり人死もあった。しかし破壊的地震としては極めて局部的なものであって、先達ての台湾地震などとは比較にならないほど小規模なものであった。 新聞では例によっ
宮本百合子
貧困というものは、云ってみれば今日世界にみちている。病気というものも、その貧困ときりはなせない悲しいつながりをもって今日の世界にみちている。今日の社会感情のなかでは、貧しさと病とに対して闘っている人々の余りの多さのために、おどろきが失われて普通のことがらの一つでもあるかのようになってさえいる。沁々考えてみると、そういう共通な不幸に感じを鈍くさせられて生きてい
田山花袋
箇に立籠つて、自からその特色を護るのもわるくはないけれども、願くは、自分の書いたものが横に社会に影響して、実生活の上までにも感化乃至動揺を与ふやうなものでありたい。しかしその程度が、今のやうに単に面白いとか、めづらしいとか、新しいとかいふ以上に――。 せめて世間から憎まれるとか、抗議を起されるとか、異端視されるといふあたりまで行きたい。世間がそれに対して真面
宮本百合子
静かな日曜 宮本百合子 十三日。 おかしな夢を見た。 ひどくごちゃごちゃ混雑した人ごみの狭い通りを歩いていると右側に一軒魚屋の店が出ていた。 男が一人鉢巻をし、体をゆすって、俎の上に切りみを作っている。立って見ていると表面の黒いかたまりにさっと庖丁を渡*、二つにひろげてぽんと、何と云うかどっさり魚を並べてある斜かいの台の上に放り出した。 「何の肉です?」 誰
酒井嘉七
「あすの朝迄に一人殺して下さい。いゝですか。九時に報告に来て下さい。私は今晩ここで徹夜しますから朝までずつとゐます。報酬は先に渡しておきます。」 と、札束を机の上へ投げる音がする。午後の十時である。八階二十五号室の表に佇んで聞くともなく、かうした会話を耳にした警手の西山は、ぎよッとした。この建物に警手として雇われてから、まだ一週間にもならない彼には、この二十
十一谷義三郎
静物 十一谷義三郎 一 家を持つて間のない道助夫妻が何かしら退屈を感じ出して、小犬でも飼つて見たらなどと考へてる頃だつた、遠野がお祝ひにと云つて喙の紅い小鳥を使ひの者に持たせて寄来してくれた。道助はその籠を縁先に吊しながら、此の友人のことをまだ一度も妻に話してなかつたのを思ひ出した。 「古くからの親友なんだ、好い人だよ。」と彼は妻に云つた。 「では一度お招び
喜田貞吉
踏み出しの方向如何によって、一歩の差は遂に千里の差となる。称号廃止以前のエタの状態を見るに慣れたものは、所謂エタと普通人との間には、まるで人種がでも違ったものの如く考えたのも無理からぬ程に、彼此の地位に懸隔が設けられていた。しかしその中間に非人というものを置いて、さらにその所謂非人の古えを考えてみたならば、その間何ら区別のないものたる事は、容易に理会せらるべ
国木田独歩
非凡なる凡人 国木田独歩 上 五六人の年若い者が集まって互いに友の上を噂しあったことがある、その時、一人が―― 僕の小供の時からの友に桂正作という男がある、今年二十四で今は横浜のある会社に技手として雇われもっぱら電気事業に従事しているが、まずこの男ほど類の異った人物はあるまいかと思われる。 非凡人ではない。けれども凡人でもない。さりとて偏物でもなく、奇人でも
田中正造
栃木県下都賀郡谷中村民吾等の現住せる谷中村ハ今や奸悪なる買収の毒手ニ罹りて瀕死の境に彷徨しつゝあり。吾等茲に聊か従来の実情及現在の状態を開陳して非常歎願を敢てするの理由を言明せんと欲す。希くハ微衷を諒せられんことを。 一、抑谷中村ハ古来天産に富み関東中其比を見ざる豊饒の沃土なり。二十年来鉱毒のために戸口漸々減少せしと雖も、現在尚ほ三百九十六の戸数と二千五百の
豊島与志雄
非情の愛 豊島与志雄 椰子の実を灯籠風にくりぬいたのへぽつりと灯火をつけてる、小さな酒場「五郎」に名物が一つ出来た。名物といっても、ただ普通の川蟹で、しかも品切れのことが多い。千葉県下の河川で獲れるのだが、数量は少い。樽の底に水をひたひたに注ぎ、飯粒をばらまき、そこに飼っておくと、いつまでも元気よく生きている。それを、でて食べるのである。この川蟹が品切れにな