五月の空
宮本百合子
五月の空 宮本百合子 一九二二年五月 或午後、机に向って居ると、私の心に、突然、或諧調のある言葉が、感情につれて湧き上った。 丁度、或なおしものの小説を始めようかとして居、巧く運ばないので苦しかったので、うれしく其を書きしるした。 後、折々、そう云う現象が起る。 純粋に云って、詩と云うもののカテゴリーに入るか、如何うか、兎に角私にとっては、斯様な形式で書く唯
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宮本百合子
五月の空 宮本百合子 一九二二年五月 或午後、机に向って居ると、私の心に、突然、或諧調のある言葉が、感情につれて湧き上った。 丁度、或なおしものの小説を始めようかとして居、巧く運ばないので苦しかったので、うれしく其を書きしるした。 後、折々、そう云う現象が起る。 純粋に云って、詩と云うもののカテゴリーに入るか、如何うか、兎に角私にとっては、斯様な形式で書く唯
坂口安吾
五月の詩 坂口安吾 昔、武士が三四人集つた話の席で、首をはねられて、首が胴を放れてから歩くことが出来るかどうか、といふ話がでた。先づ歩くことは出来ないだらうと外の者が言ひ合つてゐるのに、たつた一人、いや、歩くことが出来る、と頑張つた男がある。議論の果、ぢや、実際出来るかどうかやつてみようといふことになり、殿様の御前で、たつた一人頑張つたといふ男の首をはねて、
蔵原伸二郎
風の旅びとがこつそり尾根道を通る ここはしずかな山の斜面 一匹の雌きじが 卵を抱いている 青いハンカチのように 夕明かりの中を よぎる蝶 谷間をくだる せせらぎの音 ふきやもぐさの匂いが 天に匂う (どこからも鉄砲の音などきこえはしない) 一番高い山の端に陽がおちる 乳いろのもやが谷々からのぼつてくる やがて、うす化粧した娘のような新月が もやの中からゆつく
樋口一葉
池に咲く菖蒲かきつばたの鏡に映る花二本ゆかりの色の薄むらさきか濃むらさきならぬ白元結きつて放せし文金の高髷も好みは同じ丈長の櫻もやう淡泊として色を含む姿に高下なく心に隔てなく墻にせめぐ同胞はづかしきまで思へば思はるゝ水と魚の君さま無くは我れ何とせんイヤ汝こそは大事なれと頼みにしつ頼まれつ松の梢の藤の花房かゝる主從の中またと有りや梨本何某といふ富家の娘に優子と
ベルトランルイ
これまでに誰一人身代限やお仕置になつたことの無い正しい家柄 「ジアン・ド・ニルの家」 親指は肉付豐かな弗羅曼の酒屋の亭主、根が瓢輕な巫山戯もの、三月釀造極上麥酒の招牌を出した戸口のとこで煙草をのんでる。 人差指はその家婦だ。干鱈のやうに乾涸びた男まさり、朝つぱらから女中を打ちどほしだ、嫉けるのだらう、徳利は手を離さない、好きだから。 中指は息子だ。地體、荒削
高浜虚子
さきに『ホトトギス』五百号を記念するために改造社から『五百句』という書物を出した。これは私が俳句を作りはじめた明治二十四、五年頃から昭和十年までの中から五百句を選んだものであった。先頃桜井書店から何か私の書物を出版したいとの事であったので、『ホトトギス』が五百五十号になった記念に、その後の私の句の中から五百五十句を選み出してそれを出版して見ようかと思い立った
高浜虚子
『ホトトギス』五百号の記念に出版するのであって、従って五百句に限った。 この頃の自分の好みから言えば、勢い近頃の句が多くならねばならぬのであるが、しかし古い時代の句にもそれぞれの時代に応じて捨てがたく思うものもあるので、先ず明治・大正・昭和三時代の句をほぼ等分に採ったことになった。 範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から昭和十年まで、即昭和十一年十一月
木村荘八
私事に傾くとすれば恐縮するが、今となつては強ち「私事」でもなく、これも「東京世相」の一つの波の色と化つてゐることだらう。 いろは牛鳥肉店 図は牛肉店「いろは」第八支店の、そこで僕の生育した家の正面を写すものであるが、図の向つて左、家の片影に遠見に走るところが、元柳町の、芸妓じんみちになるところで、家の前面に数本の梧桐が立つてゐる。この梧桐については別の文中に
岡本綺堂
五色蟹 岡本綺堂 一 わたしはさきに「山椒の魚」という短い探偵物語を紹介した。すると、読者の一人だというT君から手紙をよこして、自分もかつて旅行中にそれにやや似た事件に遭遇した経験をもっているから、何かの御参考までにその事実をありのままに御報告するといって、原稿紙約六十枚にわたる長い記事を送ってくれた。 T君の手紙には又こんなことが書き添えてあった。――わた
蒲松齢
南方に五通というみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟りは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江地方の五通に至っては、民家に美しい婦があるときっと己の所有として、親兄弟は黙って見ているばかりでどうすることもできなかった。それは害毒の烈しいものであった。 呉中の質屋に邵弧という者があった。
幸田露伴
五重塔 幸田露伴 其一 木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠のひ一トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と酷く丸めて引裂紙をあしらひに一本簪でぐいと留めを刺し
幸田露伴
木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらいに一本簪でぐいと留めを刺した色気なしの様はつ
小川未明
ある田舎に、同じような床屋が二軒ありました。たがいに、お客を自分のほうへたくさん取ろうと思っていました。一軒が、店さきをきれいにすれば、一軒もそれに負けまいと思って、大工を呼んできてきれいにしました。 一軒で、お客に、お茶を出せば、また一軒でも、それを見習って、お客にお茶を出したのであります。そして、各々の床屋の主人は、すこしでもていねいに、客の頭を刈って、
平林初之輔
その晩の九時半ごろのことである。 ちょうどその日、宿直の番に当たった会計の野田幸吉は、宵の口の騒ぎもほぼ静まり、ほうぼうからうるさく問い合わせてくる電話の応接もたいてい済んだので、肘掛け椅子をガス・ストーブの傍へ曳きずっていって、疲れた身体をぐったりとその上に乗せた。 彼の様子は妙にそわそわしていた。椅子を立ったり坐ったり、ときどき社長室へ通ずるドアのところ
甲賀三郎
西村電機商会主西村陽吉が変死を遂げてから二日目の朝、暁方からどんよりと曇っていた空は十時ごろになると粉雪をちらちら降らしはじめた。 朝の跡片づけの手伝いをすませた瀬川艶子は、自分の部屋に定められた玄関脇の三畳に引っ込むと、机の前に崩れ坐った。彼女の涼しい目は眠られないふた晩に醜く脹れ上がり、かわいい靨の宿った豊頬はげっそりと痩せて、耳の上から崩れ落ちたひと握
国枝史郎
「おやっ!」 と叫んだ長谷川の声がひどく間が抜けて大きかったので、山本は危なくコーヒー茶碗をテーブルの上へ落とそうとした。 「おい、いったいどうしたんだい、大声が自慢にゃあならないぜ」 「シェーネス・フロイラインが通るのだよ」 長谷川は窓へ飛んでいった。 「どれ」 と言うと、山本も長谷川の肩越しに窓外を見た。 雪が止んだので人通りがある。 一人の娘が歩いてい
小酒井不木
「それっ!」 という月並みな叫び声を口々に発して立ち上がりざま一同が逃げ支度にかかると、このとき遅く、いままで艶子たちの腰かけていた長椅子の下から大黒鼠が毒ガスを嗅がされたときのように、両手を床の上に泳がせて一人の白い手術衣を着た医員がむくむくと這い出したので、一同は驚きのあまりその場に立ちすくんでしまった。 見ると、それは医員に扮装したほかならぬ冬木刑事で
国枝史郎
二回目平林氏の作中、舟木新太郎と想像される人間が、貼紙をして立ち去った件は、どうにも解釈に苦しみました。つまり、どう夫れを受けついで、どう展開してよいものかと苦しんだ訳です。 四回目甲賀氏の作に就いては、既にマイクロフォンで春生氏が指摘して居りましたが、艶子の親と西村との関係を、探偵することによって結び付けず、作者が説明して了ったのは些か探偵小説の約束を破っ
西田幾多郎
井上先生の我學界に於ける功績の偉大なることは、あまりに顯著であつて、今更私などがかれこれ云ふまでもない。先生は實に語通りに我國の哲學界の元老である。私は久しく田舍ばかりに居たものから、左程先生に親炙する機會もなく、從つて先生について多くのものを語ることもできない。唯、先生の喜壽を祝すると共に、二三の思出を記すに過ぎない。 私が先生に教を受けたのは明治二十年代
久保田万太郎
井上さん。 ……あなたに手紙を書かうと思つてからもう半年になります。――と、藪から棒にかういつてもあなたには分らないかも知れませんが、去年の九月、あなたがほんたうに公園のみくに座へ出ることになつたとき、初日にあの「胡蝶蘭」といふ芝居を見て、早速「井上正夫に与ふるの書」をあなたに書かうとじつは思つたのでした。が、二三枚書いて、厭になり、そのまゝ途中でよしてしま
北条民雄
諸君は井戸の中の蛙だと、癩者に向つて断定した男が近頃現れた。勿論このやうな言葉は取り上げるに足るまい。かやうな言葉を吐き得る頭脳といふものがあまり上等なものでないといふことはも早や説明の要もない。しかし乍ら、かかる言葉を聞く度に私は、かつていつたニイチェのなげきが身にしみる。 「兄弟よ、汝は軽蔑といふことを知つてゐるか、汝を軽蔑する者に対しても公正であれとい
小山清
井伏さんに「点滴」という文章がある。太宰治を追憶した文章である。それによると、太宰と井伏さんとは、水道栓から垂れる雫の割合のことで、無言の対立を意識していたようである。太宰は一分間に四十滴ぐらいの雫が垂れるのを理想としていたようで、そして井伏さんは一分間に十五滴ぐらい垂れるのを理想と見なし、いまでもそうだという。終戦前、二人が疎開していた甲府の宿屋の洗面所の
佐藤春夫
太宰治は井伏鱒二は悪人なりの一句を言ひ遺して死んだと聞く。これはなかなか重要な遺言だと思はれるから、自分はこれを解説し太宰にとつて井伏鱒二が悪人であつた事を裏書きして置きたいと思ふ。 太宰は逆説的表現を好む男であつたから、井伏鱒二は悪人なりと書いてあつても自分は大して奇異には思はない。むしろ、「井伏さんには長い間いろいろ御世話になりましたありがたう」と書いて
太宰治
『井伏鱒二選集』後記 太宰治 第一巻 ことしの夏、私はすこしからだ具合いを悪くして寝たり起きたり、そのあいだ私の読書は、ほとんど井伏さんの著書に限られていた。筑摩書房の古田氏から、井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を