ヤトラカン・サミ博士の椅子
牧逸馬
ヤトラカン・サミ博士の椅子 牧逸馬 1 マカラム街の珈琲店キャフェ・バンダラウェラは、雨期の赤土のような土耳古珈琲のほかに、ジャマイカ産の生薑水をも売っていた。それには、タミル族の女給の唾と、適度の蠅の卵とが浮かんでいた。タミル人は、この錫蘭島の奥地からマドラスの北部へかけて、彼らの熱愛する古式な長袖着と、真鍮製の水甕と、金いろの腕輪とを大事にして、まるで瘤
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牧逸馬
ヤトラカン・サミ博士の椅子 牧逸馬 1 マカラム街の珈琲店キャフェ・バンダラウェラは、雨期の赤土のような土耳古珈琲のほかに、ジャマイカ産の生薑水をも売っていた。それには、タミル族の女給の唾と、適度の蠅の卵とが浮かんでいた。タミル人は、この錫蘭島の奥地からマドラスの北部へかけて、彼らの熱愛する古式な長袖着と、真鍮製の水甕と、金いろの腕輪とを大事にして、まるで瘤
岸田国士
ある大学の哲学教授、加来典重は、カントの研究家としてその名を知られ、近年は、ハイデッゲルなどの名をもその講義の間にしばしばはさみはするが、学生の一人がサルトルについて質問を行つたところ、それは自分の専門以外であると答へたことによつて、相手に首をひねらせた逸話の持主である。時に文明批評や随想に類する文章を二、三の雑誌に発表することもあるが、その衒学的臭味によつ
小泉八雲
人力車で旅行していて、できるのはあたりを眺めることと夢見ることくらいである。揺れるので読書はできないし、自分のと連れの人力車が二台並んで走れるような道幅があったとしても、車輪の回る音や風の音がするので会話することもできない。日本の景色の特徴にも慣れてくると、旅行の間、長い休憩の時を除けば、強く印象づけられるような新規な事柄でもなければ、もう見ようともしないの
竹久夢二
博多人形 竹久夢二 お磯は、可愛い博多人形を持っていました。その人形は、黒い眼と薔薇色の頬を持った、それはそれは可愛らしい人形でありましたから、お磯はどの人形よりも可愛がっていました。どこへゆく時にも傍をはなしませんでした。夜寝る時でさえ、そっと傍へ寝かしてやるほどでした。 ある日お磯は、牧場へ茅花を摘みにゆきました。やはりいつものように右の手には御気に入り
堀辰雄
この家のすぐ裏がやや深い谿谷になっていて――この頃など夜の明け切らないうちから其処で雉子がけたたましく啼き立てるので、いつも私達はまだ眠いのに目を覚ましてしまう程だが、――それでも私はその谿谷が悪くなく、よく小さな焚木を拾いがてらずんずん下の方まで降りていったりする。その谿谷の丁度向う側にある、緑色の屋根をした大きなヴィラが、いまはまだ木の枝を透いて手にとる
松本文三郎
印度の聖人 松本文三郎 今日私のお話し致しますることは印度の聖人と云ふ題でありまして、印度人の所謂聖人とは、如何なる人であるか、又何う云ふ事を爲すものであるかと云ふことを、少しお話して置きたいと思ふのであります。 世の人は總て西藏の國を世界の祕密國と云うて居る、成程西藏は外人の入ることを容易に許さない所でありますから、土地を開放しないと云ふ點から見ると如何に
国枝史郎
印度独立運動が活溌になりガンジーの名が国際舞台へ大きくうつしだされてきた。 ガンジーにつれて思い出されるのは同国の詩人タゴールのことである。 タゴールがノーベル賞金を受けて世界的有名になった頃、日本観光に来た。それを招待してタゴールを日本中へ紹介したのは大阪朝日新聞社で、天王寺の公会堂で、タゴールの初御目見得と第一声とを発表した。その時わたしは同社の若い記者
小酒井不木
印象 小酒井不木 毎月一回、同好のものによって開かれる犯罪学集談会の席上で、今宵は「女子の復讐心」が話題となりました。正午過から降り出した吹雪のために、集ったのは僅かに五人の男子でありましたが、五人はいつものように鹿爪らしくならないで、各々椅子を引き寄せてストーヴを取り囲み、ウイスキーを飲み、煙草をふかしながら、色々語りあいました。窓ガラスを打つ雪の音が間断
宮本百合子
久し振りで女優劇を観る。 番組に一通り目を通しただけでも、いつもながら目先の変化に苦心してある様子が窺われる。一番目「恋の信玄」から始って、チェーホフの喜劇「犬」に至る迄、背景として取入れられている外国の名を列挙したばかりでも、相当なヴァラエティーは予期されよう。併し、全体として、見物は、その大がかりな規模にふさわしい深い感銘を、観覧後まで心に与えられたであ
国枝史郎
本誌五月号の探偵創作の中、小舟勝二氏の作「昇降機」を面白く――というよりも夫れ以上に敬服して読みました。 (1)よく昇降機の性質を知っていて夫れを活用したこと(2)「――四階。客無し。運転継続――五階。停止」というようなテキパキしていて新鮮で要領のよい動的描写(3)橋本が昇降機へ飛び付いてから死ぬ迄の物凄い光景等々、実に旨いものだと思いました。全体が手堅く、
宮本百合子
あとがき(『モスクワ印象記』) 宮本百合子 わたしがソヴェト同盟に暮したのは、もう二十年も前のことになる。一九二七年の暮から三〇年十一月までのことであったが、三一年から三二年までわたしはずいぶん沢山のソヴェト社会の日常生活や文化・文学についての報告を書いた。そしてそれらは、書いているわたし自身がそこで暮した新しい社会生活の姿にいきいきとして新たな感動をよみが
岸田国士
危機を救ふもの 岸田國士 無力な新劇団が乱立し、互に仕事の邪魔をし合つてゐるといふ状態も決して悦ぶべき状態ではないが、それが新劇直接の病根だとは、僕は思はぬ。それをさうさせた原因は、もつと遠くにあり、数個の劇団の大同団結は、幾分の補強工事になるかもしれぬが、将来発展の見通しは、僕にはつかぬ。 従つて、村山知義氏等の提唱する劇団の大同団結案に対しては、僕は傍観
三木清
危機における理論的意識 三木清 思想の問題は今や思想の危機の問題として現われている。人々は到るところ、あらゆる機会において、思想の危機について語りかつ叫ぶ。しかし彼らは自己の語りつつあるもの、叫びつつあるものが何であるかを理解しない。いな、みずから理解することなく、理解しようと欲することなく、語りかつ叫ぶということがそれ自身また思想の危機のひとつの特徴である
堀辰雄
又四五日前から寢込んでゐる。どうも春先きになるといけない。いつもきつと得體の知れない熱が出るのである。 僕は本箱から鴎外の「即興詩人」を引つぱり出して見た。病氣をするとこの本を手にとるのがいつの間にやら習慣みたいになつてゐる。もう何遍目だか知れない。それだのに又しても讀んで行くうちに、僕はこのロマネスクな物語の中に引きずり込まれてしまふ。このアンデルゼンの小
寺田寅彦
卵形といえば一方が少し尖った長円い形にきまったようなものであるが稀には円形の卵もある、亀、梟などがその例である。また鵜やかいつぶりの卵などはほとんど両端の丸みが同じで楕円形をしている。しかし一般にはほとんどいわゆる卵形で一方が尖っている。特に著しいのは千鳥や海鴨などのである。 こんな風に卵が色々の形をしているのは何故だろうと物好きな学者は研究したものである。
寺田寅彦
レーリー家の祖先は一六六〇年頃エセックス(Essex)州のモルドン(Maldon)附近に若干の水車を所有して粉磨業を営んでいた。一七二〇年頃ターリング(Terling)に新しく住家を求め、その後 Terling Place の荘園を買った。その邸宅はもとノリッチ僧正(Bishops of Norwich)の宮殿であった。その後ヘンリー八世の所有となったことも
加能作次郎
故郷へ帰らうか、それとも京都へ行かうか、平三は此の問題に二日間悩まされた。同じことを積んだり崩したりして何時までも考がまとまらなかつた。 彼は毎年夏季休暇には帰省するを常として居たが、今年は最初から京都で暮さうと思つて居た。それは故郷の生活の単調無為なのに懲りて居るのと、他に厭な事情もあるのと、一つは京都は彼の第二の故郷とも言ふべき土地であり、その上もう六七
寺田寅彦
厄年と etc. 寺田寅彦 気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動が出来ず仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた。強いて空虚を充たそうとする自覚的努力の余勢がかえって空虚その物を引展ばすようにも思われた。これに反して振り返って見た月日の経過はまた自分ながら驚くほどに早いも
徳田秋声
正兵衛といえるはこの村にて豪家の一人に数えらるる程の農民なるが、今しも三陸海嘯の義捐金を集めんとて村役場の助役は来りつつ、刀豆を植えたる畑の中に正兵衛を見つけて立ちながら話す。 それでは東北に大海嘯があったため三万の人が亡くなったというのだね、まあまあ近辺でなくて僥倖だった、何百里とあるのだから、とんとさしさわりがなくて安心というものだ。 と余念なく豆の葉の
桜間中庸
すかんぽ原は 夕やけしてた 赤ん坊おぶつて 探していつた すかんぽ原は つくしのにほひ どこかで子供の うたごゑしてた すかんぽ原は トンネルつづき こもつたおとで 汽笛がしてた ●図書カード
富永太郎
陽の眼を知らぬ原始林の 幾日幾夜の旅の間 わたくし 熟練な未知境の探険者は たゞふかぶかと頭上に生ひ伏した闊葉の 思ひつめた吐息を聴いたのみだ。 たゞ蹠に踏む湿潤な苔類の ひたむきな情慾を感じたのみだ。 まことに原始林は 光なき黄金の水蒸気に氾濫し 夏の日の大いなる堆肥の内部さながらに エネルギーの無言の大饗宴であつた。 あゝ嘗て私の狂愚と慚羞とを照した太陽
槙本楠郎
汽車のやうな郊外電車が、勢ひよくゴッゴッゴッゴッと走つて来て、すぐそばの土堤の上を通るごとに、子供達は躍り上つて、思はず叢から手を挙げました。けれどそれが行つてしまふと、またみんな一心に、自分の知らない草や花や虫や石をさがして、草原を分け進むのでした。 いろんなものを拾ひ集めて、その名を覚えたり、それできれいな博物の標本をつくつたり、それを遠い街の子供会へ贈
中谷宇吉郎
ジュネーヴにおける原子力平和利用の會議は十二日間にわたって開かれたが、日本の新聞では、この會議の記事が、大々的に報道されたことと思う。 アメリカの新聞でも、もちろん相當なスペースを割いて報道していたが、扱い方はいかにもアメリカ流である。シカゴ・デイリイ・ニュースには、これを米ソ原子力競技に見立てた記事が出ていた。ジュネーヴ會議を、アメリカではどういう風に受取
中谷宇吉郎
この頃アメリカでは、原子力平和利用の切手を賣っている。米大陸を見せた地球の一面と、歐亞大陸の面と、二つの地球を並べて、これを原子核に見立て、電子軌道の形の輪でつつんだ圖柄である。この構圖は、この種の切手としては、秀逸である。 原子力の切手(原物は青色刷) 「原子を平和へ」という標語が眞ん中にあり、周圍には、人間の創造力は、人生に捧げられるべきである、という意