Vol. 2May 2026

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哀しき父

葛西善蔵

彼はまたいつとなくだん/\と場末へ追ひ込まれてゐた。 四月の末であつた。空にはもや/\と靄のやうな雲がつまつて、日光がチカ/\桜の青葉に降りそゝいで、雀の子がヂユク/\啼きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地形ならしのヤートコセが始まつてゐた……。 彼は疲れて、青い顔をして、眼色は病んだ獣のやうに鈍く光つてゐる。不眠の夜が続く。ぢつとしてゐても動悸がひどく感

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哀しき父

葛西善蔵

彼はまたいつとなくだん/\と場末へ追ひ込まれてゐた。 四月の末であつた。空にはもや/\と靄のやうな雲がつまつて、日光がチカ/\櫻の青葉に降りそゝいで、雀の子がヂユク/\啼きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地形ならしのヤートコセが始まつてゐた……。 彼は疲れて、青い顏をして、眼色は病んだ獸のやうに鈍く光つてゐる。不眠の夜が續く。ぢつとしてゐても動悸がひどく感

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哀詞序

北村透谷

哀詞序 北村透谷 歓楽は長く留り難く、悲音は尽くる時を知らず。よろこびは春の華の如く時に順つて散れども、かなしみは永久の皷吹をなして人の胸をとゞろかす、会ふ時のよろこびは別るゝ時のかなしみを償ふべからず。はたまた会ふ時の心は別るゝ時の心の万分の一にだも長からず。生を享け、人間に出でゝ、心を労して荊棘を過る、或は故なきに敵となり、或は故なきに味方となり、恩怨両

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哀音

末吉安持

――汽車の窓にて 夏の日の午さがり、 我が汽車は物憂げに 黒き煙を息吹きつゝ、 炎天の東海道を西へ馳す。 世ゆゑ、はたわれからの 黒熱に膿み爛れ、 灰汗の洪水の胸底の 政の庁を失ひし 病人なれば、天地の 眺望ことごと灰濁みて、 あゝうたてしや、ひたぶるに、涙ぞ落つる。 乗合は背と背 肩犇々とすりあひぬ。 近江を過ぎて京ちかき 山科や、竹の入日に、 鬱憂のこゝ

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Yannuru kana — Alas, There Is Nothing to Be Done

やんぬる哉

太宰治

やんぬる哉 太宰治 こちら(津軽)へ来てから、昔の、小学校時代の友人が、ちょいちょい訪ねて来てくれる。私は小学校時代には、同級生たちの間でいささか勢威を逞しゅうしていたところがあったようで、「何せ昔の親分だから」なんて、笑いながら言う町会議員などもある。同級生たちはもうみんな分別くさい顔の親父になって、町会議員やらお百姓さんやら校長先生やらになりすまし、どう

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デカルト哲学について

西田幾多郎

デカルト哲学について 西田幾多郎 一 カント哲学以来、デカルト哲学は棄てられた。独断的、形而上学的と考えられた。哲学は批評的であり、認識論的でなければならないと考えられている。真の実在とは如何なるものかを究明して、そこからすべての問題を考えるという如きことは顧みられなくなった。今日、人は実践ということを出立点と考える。実践と離れた実在というものはない。単に考

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哲学はやさしくできないか

三木清

哲學はやさしくできないか 三木清 哲學がむつかしいといふことは、いはゆる定評である。なぜ哲學はむつかしいのか、哲學はもつとやさしくすることができないか、さういふ問に對して誌上でぜひ答をせよとの、『鐵塔』の編輯者からの再三の命令を受け、催促に會つて、何か自分の意見を述べねばならないことになつた。 私など日頃そのやうなむつかしいものを書いて讀者を惱してゐる者の恐

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哲学と哲学史

桑木厳翼

哲學の研究に入るに當つて、人生問題其他の實踐的動機よりするものは暫く之を省き、單に其の理論的關心よりするものに就て考察すれば、其中に於て大體二樣の方向を區別し得ると思ふ。一は科學研究と關聯するもので、一は哲學史より入るものである。科學研究との關係にも又二種の別がある。或る科學原理を擴張して哲學原理とし、若しくは其原理より類推して或る哲學原理を構成するが如く、

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哲学はどう学んでゆくか

三木清

哲學はどう學んでゆくか 三木清 哲學はどう學んでゆくかといふ問は、私のしばしば出會ふ問である。今またここに同じ題が私に與へられた。然るにこの問に答へることは容易ではないのである。これがもし數學や自然科學の場合であるなら、どういふものから入り、どういふ本を、どういふ順序で勉強してゆくべきかを示すことは、或ひはそんなに困難ではないかも知れない。それが哲學において

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コーヒー哲学序説

寺田寅彦

コーヒー哲学序説 寺田寅彦 八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くって飲めず、飲めばきっと嘔吐したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったころであった。もっともそのころでも

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フランス哲学についての感想

西田幾多郎

私はフランス哲学にはドイツ哲学やイギリス哲学と異なった独得な物の見方考え方があると思う。しかし私は今それについて詳しく考え、詳しく書く暇を有たない。ただこれまで人に話したり、或は機に触れて書いたりしたことを、思い出るままに記すだけである。 デカルトといえば、合理主義的哲学の元祖である。しかし彼の『省察録』Meditationes などを読んでも、すぐ気附くこ

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哲学の現代的意義

戸坂潤

文学に於ける思想性云々ということがよく云われている。文学に就いての文壇的常識のマンネリズムによると文学は思想という何らか或るものとはさし当り無関係であるかのような想定であったとみていい。処へ文壇的文学(純文学其の他と呼ばれた)が一種の停滞を自覚せざるを得ないようになって、その停滞を何とか打破しようという処から、改めて文学の思想性ということが注目されるようにな

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おかまの唄

小川未明

松林で、聞きなれた鳥の声がしました。窓をあけると、やまがらやしじゅうからが、枝から枝をつたって鳴いていました。 「僕のにがしたやまがらではないかな。」 少年が、じっとその姿を見ていました。遠い町で逃がしたのが、どうして、ここまで飛んでこられよう、と思いました。 戦争のさいちゅうで、もし家が焼けたら、かごの中の鳥がかわいそうだといって、自分はかわいいやまがらを

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からすの唄うたい

小川未明

ある田舎の街道へ、どこからか毎日のように一人のおじいさんがやってきて、屋台をおろして、チャルメラを吹きならして田舎の子供たちを呼び集め、あめを売っていました。 おじいさんは、小さな町の方から倦まずに根気よくやってきたのです。空の色がコバルト色に光って、太陽がにこやかに、東のいきいきとした若葉の森にさえ微笑めば、おじいさんは、かならずやってきました。 チャルメ

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イグアノドンの唄 ――大人のための童話――

中谷宇吉郎

終戦の年の北海道は、十何年ぶりの冷害に見舞われ、米は五分作か六分作という惨めさであった。豊作でさえ米の足りない北海道のことであるから、この年の冬は、誰も彼も皆深刻な食糧危機におびやかされた。 それにこの冬は、例年にない珍しい大雪であった。毎日のように、暗い空からは、とめどもなく粉雪が降りつづき、それが人々の生活の上に重苦しくおおいかぶさっていた。この雪に埋れ

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唇のねじれた男

ドイルアーサー・コナン

アイザ・ホイットニ、聖ジョージ神学校校長で亡きイライアス・ホイットニ神学博士の弟君であるが、そのころは阿片に溺れていた。この悪癖が身に付いたのは学生時代のちょっとしたおふざけかららしい。ド・クインシの書いた夢や興奮を読んで、試しに煙草を阿片丁機に浸してみると、同じ効果が得られたというわけだ。だが多くのものの例に漏れず、始めるのは易しいがやめるのは難しいとやが

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唐招提寺木彫如来形像

高村光太郎

唐招提寺には鑑眞和上に隨從して來た諸律僧の中の優れた彫刻家が、唐風の樣式をそのまま作り出した佛像が多いので、一種別樣の作風が見られて興味がある。そして此の律宗獨特の作風がすぐあとにつづく弘仁の密教的佛像に影響を與へてゐる點もおもしろい。この如來形像の一木造りの殘缺も遺憾なく當時傳來の技法を示してゐる。大陸で發達した石彫彫刻の技法が檀木の彫刻に自然と移行して來

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唖の妖女

田中貢太郎

明治七年四月のこと、神奈川県多摩郡下仙川村浅尾兼五郎の家へ妖怪が出ると云う噂がたった。 それも一度や二度のことでなく、前年の五月から怪しい事が続くと云うので、県庁でも捨て置けずとあって、兼五郎の家へ人をやって取調さしたが、原因も判らず相変らず怪しい事が起った。そこで、県警察部でも兼五郎を召喚して、これ亦峻烈な取調をしたが、兼五郎の所為でないから、どうすること

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唖娘

田中貢太郎

伊井蓉峰の弟子に石井孝三郎と云う女形があった。絵が好きで清方の弟子になっていた。あまり好い男と云うでもないがどことなく味のある顔をしていた。下廻で田舎を歩いていた時、某町で楽屋遊びに来る十七八のな女を見つけた。それは髪結をしている唖女であった。下廻で宿屋に往けないので小屋に寝臥していた石川はその女と関係して夫婦約束までした。 そのうちにそこの芝居は終って、一

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唖娘スバー

タゴールラビンドラナート

此スバーと云う物語は、インドの有名な哲学者で文学者の、タゴールが作ったものです。インド人ですが英国で勉強をし立派な沢山の本を書いています。六七年前、日本にも来た事がありました。此人の文章は実に美しく、云い表わしたい十のことは、三つの言葉でさとらせるように書きます。此物語の中にも沢山そう云う処がありますが、判り難そうな場処は言葉を足して、はっきり訳しました。此

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唯物史観と文学

平林初之輔

唯物史觀と文學 唯物史觀と文學 平林初之輔 一 人或は言うであろう。「勿論、宗教的、道徳的、哲學的、法律的の觀念は歴史の進歩と共に變化した。けれども宗教、道徳、哲學、政治、法律等は此の變化をうけずに生きのこつていた。」 「おまけに、凡(あら)ゆる社會状態に共通の、自由とか正義とかいう永久眞理がある。ところが共産主義は永久眞理を抹殺してしまう。それは凡(すべ)

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唯物論とファッシズム

戸坂潤

今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。日本のファッシズムがイタリヤやドイツ、オーストリアのファッシズムと同じ現象上の規定を持っていないことは明らかで、日本に特有な根本規定がそこでも無論大切であるが、そうだからと云って、日本型ファッシズムがファッシズム一般に属するということを見逃すならば、夫は由々しい誤算である。人

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『唯研ニュース』

戸坂潤

会員の待望によって、『唯研ニュース』が創刊される運びになった。会員諸氏は多分之を喜んで呉れるだろう。然し或細心な会員達の内には、同時に財政上の困難が心配になると云う人がいるかも知れない。今まで出していたニュースは、「唯研」全体のものだったのに、事実上は「唯研」の研究組織部の研究予報に過ぎなかった。この不充分を補うために出たのが、この『唯研ニュース』なのだが、

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啄木とデカルト命題

三枝博音

最近、或る啄木展で、啄木がデカルト命題に魅せられている書簡を見て、私は青春の啄木を見る気がした。日付は明治三十九年の一月十八日、二十一歳の年の冬である。 そこには、次のようなことが書かれていた。「我考ふ、故に我在り」というデカルトの提言は意味が深い、人間のもつどんな確信だって、つまりは「我の存在」の自覚に伴われないものはないではないか、『聖書』も読み、『法華

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