四月馬鹿
織田作之助
四月馬鹿 織田作之助 はしがき 武田さんのことを書く。 ――というこの書出しは、実は武田さんの真似である。 武田さんは外地より帰って間もなく「弥生さん」という題の小説を書いた。その小説の書出しの一行を読んだ時私はどきんとした。 「弥生さんのことを書く」 という書出しであった。 その小説は、外地へ送られる船の中で知り合った人の奥さん(弥生さん)を、作者の武田さ
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織田作之助
四月馬鹿 織田作之助 はしがき 武田さんのことを書く。 ――というこの書出しは、実は武田さんの真似である。 武田さんは外地より帰って間もなく「弥生さん」という題の小説を書いた。その小説の書出しの一行を読んだ時私はどきんとした。 「弥生さんのことを書く」 という書出しであった。 その小説は、外地へ送られる船の中で知り合った人の奥さん(弥生さん)を、作者の武田さ
上村松園
四条通附近 上村松園 四条柳馬場の角に「金定」という絹糸問屋があって、そこに「おらいさん」というお嫁さんがいた。 眉を落としていたが、いつ見てもその剃りあとが青々としていた。 色の白い、髪の濃い、襟足の長い、なんとも言えない美しい人だった。 あのような美しい、瑞々した青眉の女の人を、わたくしは母以外に識らない。 お菓子屋の「おきしさん」も美しい人であった。面
正岡子規
都会の中央、絶壁屏風の如く、緑滴り水流れ、気清く神静かに、騒人は月をここに賞し、兇漢は罪をここに蔵す、これを現今の御茶の水の光景とす。紅塵万丈の中この一小閑地を残して荒涼たる山間の趣を留む、夫の錙銖を争ふ文明開化なる者に疑ひなき能はざるなり。不折が画く所、未来の神田川、また余輩と感を同じうせし者あるに因るか。図中、三重に橋を架す、中なるは今の御茶の水橋の高さ
堀辰雄
夏に先立つて、村の會堂の廣場には辛夷の木に眞白い花が咲く。まだ會堂に閉されてゐて、その花の咲いてゐる間、よくその木のまはりで村の子供たちが日曜日など愉しさうに遊んでゐる。その花が散つて、すつかり青葉になつた頃、その村に夏を過しに來た人々がその會堂に出たりはひつたりしはじめる。 その頃から、こんどは村の古いホテルの裏の塀に沿つて、村で一番美しいと云はれるさるす
田中貢太郎
四谷怪談 田中貢太郎 元禄年間のことであった。四谷左門殿町に御先手組の同心を勤めている田宮又左衛門と云う者が住んでいた。その又左衛門は平生眼が悪くて勤めに不自由をするところから女のお岩に婿養子をして隠居したいと思っていると、そのお岩は疱瘡に罹って顔は皮が剥けて渋紙を張ったようになり、右の眼に星が出来、髪も縮れて醜い女となった。 それはお岩が二十一の春のことで
岡本綺堂
四谷怪談といえば何人もおなじみであるが、扨その実録は伝わっていない。四谷左門町に住んでいた田宮伊右衛門という侍がその妻のお岩を虐待して死に至らしめ、その亡魂が祟りをなして田宮の家は遂にほろびたというのが、先ず普通一般に信じられている伝説である。しかもそんなたぐいの話は支那に沢山あるから、お岩のことも矢はり支那から輸入されたものではないかと思われるが、現に江戸
宮島資夫
いかつい石垣が向い合って立っていた。子供の目には恐ろしく高く見える。石垣の上は四角く平らになっていた。昔はぶっさき袴の侍がその上に立って、四辺を睥睨したであろう。石垣に続いた土手は、ゆるい傾斜で、濠の水面まですべっていた。水は青いぬらで澱んでいた。菱の葉が浮いていた。夏は紅白の蓮の花が咲いた。土手には草が蓬々と茂っていた。が、濠端を通る人影はまばらだった。日
牧野信一
四郎は、つい此の間から、何時といふことなしに口笛が吹けるようになつた。どうしてそれが吹けるようになつたか? 自分にも気がつかなかつた。 「またお前は口笛を吹いてゐる。勉強しながら口笛なんて吹くものぢやありません。」と、四郎は母から叱られた。 なる程四郎は、机の前に坐つて、宿題の算術をやつてゐるところだつた。――四郎は、母の声を耳にすると同時に、ハツと気づいて
チェンバースロバート・W
動物は敷居の上で訝しげに立ち止まると、いざという時はいつでも逃げ出せるように警戒していた。セヴァーンはパレットを置き、手を差し伸べてそれを招いた。牝猫は不動のまま、黄色の両目をセヴァーンの上に向けていた。 「ニャンコ、」と彼は低く心地よい声で呼びかけた。「おはいり。」 細い尻尾が心を決めかねるように震えた。 「おいでよ。」と再び彼。 猫は明らかにその声にほっ
正宗白鳥
私は日露開戰の前年、讀賣新聞社に入社して、滿七年間の勤務を續けたのであつたが受け持ちは、主として美術、文學方面の消息を傳へることと、作品の批評をすることで、演劇の批評もしてゐた。今日の文化欄を主宰してゐたのだが、何もかも一人でやつてゐるやうなものであつた。當時の讀賣は、美術新聞であり文學新聞であつたものだが、さういふ新聞に於いて年少の私が一人で自由自在に殆ん
宮本百合子
ある回想から 宮本百合子 日本には、治安維持法という題の小説があってよい。そう思われるくらい、日本の精神はこの人間らしくない法律のために惨苦にさらされた。 先日、偶然のことから古い新聞の綴こみを見ていた。そしたら、一枚の自分の写真が目についた。髪をひきつめにして、絣の着物をきて、長火鉢のわきにすわっている。そして、むかいあいの対手に、熱心に話している。その顔
高村光太郎
私の父は八十三で亡くなった。昭和九年だったから、私の何歳の時になるか、私は歳というものを殆と気にとめていない。実は結婚する時自分の妻の年も知らなかった。妻も私が何歳であるか訊きもしなかった。亡くなる五六年前に一緒に区役所に行って、初めてその時妻の歳を知ったが、三つ位しか違わぬことが分った。私は現在目の前にあるものを尊しと思う。昔どうだったというようなことは全
牧野信一
一、趣味娯楽 二、好物料理 三、和洋装いづれを好まれますか 四、御交友名二三 五、今夏旅行御予定は? 一、遠足、日本酒、オートバイドライブ。 二、西洋料理、初夏の野菜、淡白な魚類。 三、洋装を好む。 四、現住小田原では牧雅雄(彫刻家)瀬戸一彌(文学家)朝井實(洋画家) 五、計劃はありません。 ●図書カード
宮本百合子
回覧板への注文 宮本百合子 私のところは、割におうようなので、些細なことで何や彼と廻してくるようなことはありません。 ただ、その表現がなかなか整理されず――つまりは、皆の人によくのみこませようとするのでしょうが、重複したりして煩わしいものがあります。 一番関心を持たせられるのは、お役所などから廻ってくる印刷物に相当ムダがあって例えば“祝い終った、さあ働こう”
高木貞治
回顧は老人の追想談になるのが普通で,それは通例不確かなものであることが世間の定評であるようであります.それは当然不確かになるべきものだと考えられます.遭遇というか閲歴というか,つまり現在の事だって本当には分らない.それは当然主観的である.しかも過去は一たび去って永久に消滅してしまう.そうしてそれを回想する主観そのものも年とともに易って行くのであるから,まあ大
小山内薫
因果 小山内薫 俳優というものは、如何いうものか、こういう談を沢山に持っている、これも或俳優が実見した談だ。 今から最早十数年前、その俳優が、地方を巡業して、加賀の金沢市で暫時逗留して、其地で芝居をうっていたことがあった、その時にその俳優が泊っていた宿屋に、その時十九になる娘があったが、何時しかその俳優と娘との間には、浅からぬ関係を生じたのである、ところが俳
中谷宇吉郎
今度岩波文庫に『寺田寅彦随筆集』の第一巻が出た。小宮さんの編輯によるもので、全部で五巻のうちの第一巻が出たのである。 その巻頭に『団栗』が載っている。全集第一巻とくらべてみると、執筆年代順からかぞえて、初めの十一篇が略され、十二番目の『団栗』が最初にとりあげられている。もちろん文芸的の価値からいっても、この『団栗』と次の『竜舌蘭』とは、先生の作品の中でも、特
宮沢賢治
カイロ団長 宮沢賢治 あるとき、三十疋のあまがえるが、一緒に面白く仕事をやって居りました。 これは主に虫仲間からたのまれて、紫蘇の実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、かたちのいい石や苔を集めて来て立派なお庭をつくったりする職業でした。 こんなようにして出来たきれいなお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。それは畑の豆の木の下や、林の楢の木の
太宰治
正直言うと、私は、この雑誌(懸賞界)から原稿書くよう言いつけられて、多少、困ったのである。応諾の御返事を、すぐには書けなかったのである。それは、私の虚傲からでは無いのである。全然、それと反対である。私は、この雑誌を、とりわけ卑俗なものとは思っていない。卑俗といえば、どんな雑誌だってみんな卑俗だ。そこに発表されて在る作品だって、みんな卑俗だ。私だって、もとより
坂口安吾
囲碁修業 坂口安吾 (一) 京都の伏見稲荷の近辺に上田食堂といふのがある。京阪電車の「稲荷」といふ停留場の西側出口に立つと、簡易食堂、定食十銭と書いて、露路の奥を指してゐる看板が見える。去年の秋から、その下へ、囲碁倶楽部といふ看板がふえた。僕が京都へ残して来た仕業である。看板の指し示す袋小路のどん底に、白昼もまつくらな簡易食堂があり、その二階が碁会所だつた。
中井正一
ユネスコの国際的報告書を読むと、日本はイスラエルとパキスタンにはさまれて、日本は図書館に関して処女地 Virgin Soil であると書いてあるにすぎぬのである。 私はこの数行を読むとき、いかにも敗れたる国のみじめな国際的取り扱いの地位を感じさせられたのである。 一等国であったのは、軍艦「大和」と、「人間魚雷」だけであって、文化の組織としては、パキスタン級で
宮沢賢治
おれはやっとのことで十階の床をふんで汗を拭った。 そこの天井は途方もなく高かった。全體その天井や壁が灰色の陰影だけで出來てゐるのか、つめたい漆喰で固めあげられてゐるのかわからなかった。 (さうだ。この巨きな室にダルゲが居るんだ。今度こそ會へるんだ。)とおれは考へて一寸胸のどこかが熱くなったか熔けたかのやうな氣がした。 高さ二丈ばかりの大きな扉が半分開いてゐた
中井正一
図書館の未来像 中井正一 概念は常に、技術の進展とともに変化してきた。図書館の概念もみずから、異なり発展しつつある。 文庫時代は、それは封建領主の財宝であって、大衆へのサービスの機能は全然考えられていないのである。ギリシャ、ローマ時代も、その意味では同じである。 図書館の名前の館の意味する、大衆の出入する意味に転化するのは、その文化様相の転換が、みずからその
中井正一
図書館法と出版界 中井正一 終戦後、アメリカが図書館界に示した関心はまことに深いものがあった。その一つは国立国会図書館の設立であり、その二は図書館法の制定であり、その三は、図書館学校のためにアメリカの費用でアメリカ教師を遣わしたことである。 図書館法は、昭和二十一年キニー氏の準備委員会に端を発し、ネルソン、バーネット、フェアウェザー等々のメンバーが自分の事の