大菩薩峠 04 三輪の神杉の巻
中里介山
一 大和の国、三輪の町の大鳥居の向って右の方の、日の光を嫌って蔭をのみ選って歩いた一人の女が、それから一町ほど行って「薬屋」という看板をかけた大きな宿屋の路地口を、物に追われたように駈けこんで姿をかくします。 よくはわからなかったが、年はたしか二十三から七までの間、あまり目立たないつくりで、伏目に歩みを運ぶ面には、やつれが見えて何となしに痛わしいが、それでも
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中里介山
一 大和の国、三輪の町の大鳥居の向って右の方の、日の光を嫌って蔭をのみ選って歩いた一人の女が、それから一町ほど行って「薬屋」という看板をかけた大きな宿屋の路地口を、物に追われたように駈けこんで姿をかくします。 よくはわからなかったが、年はたしか二十三から七までの間、あまり目立たないつくりで、伏目に歩みを運ぶ面には、やつれが見えて何となしに痛わしいが、それでも
中里介山
一 天誅組がいよいよ勃発したのは、その年の八月のことでありました。十七日には大和五条の代官鈴木源内を斬って血祭りにし、その二十八日は、いよいよ総勢五百余人で同国高取の城を攻めた日。その翌日、十津川へ退いて、都合二千余人で立籠った時の勢いは大いに振ったもので、この分ならば都へ攻め上り、君を助けて幕府を倒すこと近きにありと勇み立ち、よく戦いもしたけれど、紀州、藤
中里介山
一 これらの連中がみんな東を指して去ってから後、十日ほどして、一人の虚無僧が大湊を朝の早立ちにして、やがて東を指して歩いて行きます。これは机竜之助でありました。 竜之助の父弾正は尺八を好んで、病にかからぬ前は、自らもよく吹いたものです。子供の時分から、それを見習い聞き習った竜之助は、自分も尺八が吹けるのでありました。 眼の悪い旅には陸よりも船の方がよかろうと
中里介山
一 机竜之助は昨夜、お絹の口から島田虎之助の最期を聞いた時に、 「ああ、惜しいことをした」 という一語を、思わず口の端から洩らしました。 そうしてその晩、お絹は夜具を被って寝てしまったのに、竜之助は柱に凭れて夜を明かしたのであります。 その翌朝、山駕籠に身を揺られて行く机竜之助。庵原から出て少し左へ廻りかげんに山をわけて行く。駕籠わきにはがんりきが附添うて、
中里介山
一 伊勢から帰った後の道庵先生は別に変ったこともなく、道庵流に暮らしておりました。 医術にかけてはそれを施すことも親切であるが、それを研究することも根がよく、ひまがあれば古今の医書を繙いて、細かに調べているのだが、どうしたものか先生の病で、「医者なんという者は当にならねえ、人の病気なんぞは人間業で癒せるもので無え」と言って、自分で自分を軽蔑したようなことを言
中里介山
白根入りをした宇津木兵馬は例の奈良田の湯本まで来て、そこへ泊ってその翌日、奈良王の宮の址と言われる辻で物凄い物を見ました。兵馬が歩みを留めたところに、人間の生首が二つ、竹の台に載せられてあったから驚かないわけにはゆきません。捨札も無く、竹を組んだ三脚の上へ無雑作に置捨てられてあるが、百姓や樵夫の首ではなくて、ともかくも武士の首でありました。 「これは何者の首
中里介山
一 甲府の神尾主膳の邸へ来客があって或る夜の話、 「神尾殿、江戸からお客が見えるそうだがまだ到着しませぬか」 「女連のことだから、まだ四五日はかかるだろう」 「なにしろ有名な難路でござるから、上野原あたりまで迎えの者をやってはいかがでござるな」 「それには及ぶまい、関所の方へ会釈のあるように話をしておいたから、まあ道中の心配はあるまいと思う」 「関所の役人が
中里介山
一 これよりさき、竜王の鼻から宇津木兵馬に助けられたお君は、兵馬恋しさの思いで物につかれたように、病み上りの身さえ忘れて、兵馬の後を追うて行きました。 よし、その言い置いた通り白根の山ふところに入ったにしろ、そこでお君が兵馬に会えようとは思われず、いわんや、その道は、険山峨々として鳥も通わぬところがある。何の用意も計画もなくて分け入ろうとするお君は無分別であ
中里介山
今日から「Ocean の巻」と改めることに致しました。Ocean は申すまでもなく「大洋」のことであります。わざと英語を用いたのは気取ったのではありません。「大洋」とするよりも「海原」とするよりも「わだつみ」と言ってみるよりも、いっそこの方がこの巻にふさわしいような気持がするからであります。従来も「みちりや」と名附けてみたり「ピグミー」を出してみたりするのも
中里介山
一 過ぐる夜のこと、机竜之助が、透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の蝉丸神社の鳥居から、今晩、またしても夢のように現われて来た物影があります。先晩は一人でしたが、今夜は、どうやら二人らしい。 その二人、どちらも小粒の姿で、ことによると子供かも知れない。石の階段をしとしとと下りて、鳥居のわきから、からまるようにして海道筋へ姿を見せた二人は、案の如
平山蘆江
帝劇に上演された大菩薩峠、あれは芝居ではない、仕方話の手見世だ、芝居として見るのなら、行友李風氏の脚色で澤田正二郎君がやつた方が遙かに大菩薩峠の悌を出し、且机龍之助の姿を見せてくれている。 七幕十四場、ずつと通して見て筋が通る通らないという人もあるようだが、それはいう方が間違つている。大菩薩峠という長い/\もの語りの中の要所々々を、草双紙の口繪でも見せるよう
竹久夢二
大きな蝙蝠傘 竹久夢二 それはたいそう大きな蝙蝠傘でした。 幹子は、この頃田舎の方から新しくこちらの学校へ入ってきた新入生でした。髪の形も着物も、東京の少女に較べると、かなり田舎染みて見えました。けれど、幹子はそんな事を少しも気にかけないで、学科の勉強とか運動とか、つまり、少女のすべきことだけをやってのけると言った質の少女でした。たとえば青い空に葉をさしのべ
国枝史郎
問「大衆文芸と純文芸、どこに相違点があるのでしょう?」答「純文芸は叱る文芸、大衆文芸は叱らない文芸。ざっとこんなように別れましょうかね」問「変な云い廻わしじゃありませんか」答「ちっとも変じゃありませんよ。ひとつ簡単に説明しましょう。純文芸の作家連は、こう世間様へ申します。『俺の作は可い作だ。お前達よ、読まなければならない。読まない奴はヤクザ者だ』そういう態度
国枝史郎
中里介山氏の「大菩薩峠」は、実に素晴らしい作である。大デュマなんか飛び越している。だがユーゴーを持って来るのは、まだ少し早いかも知れない。机龍之介の性格描写は、前古未曾有といっていい、筋の通った登場人物が、廿人ぐらいはあるだろうが、それぞれクッキリと描き分けた手際は、将に巨匠といっていい。龍之介と対抗すべき人物は、新思想家の駒井能登守であるが、洵に立派に描か
中井正一
大衆の知恵 中井正一 私はこの雑誌の五号で「カットの文法」という文章を書いたが、あの中で私は次のように書いた。カットをつなぐのは、ほんとうは、観衆なのである。観衆が、あの場面と場面をどんなこころで、つないで見るかを頭に置いて、シナリオ・ライターも、監督も、フィルムをつないでいくのである。 フィルムには「である」「でない」の言葉がカットとカットの間にないから、
中谷宇吉郎
伊豆の伊東の温泉の沖合に、大謀網が設置されていたころの話である。 高等水産学校につとめているI君が漁撈の視察にやってきて、大謀網を見に行きませんかというので、一緒に出掛けることにした。I君は心得たもので、土地の水産組合へ行って名刺を出して、大謀網の魚を運ぶ船に乗せてもらうようにすっかり手配してくれた。 四月のことで、海の風はまだなかなか寒い。小さい発動機船の
宮本百合子
大きい足袋 宮本百合子 私とじいやとは買物に家を出た。寒い風が電線をぴゅうぴゅうと云わせて居る。厚い肩掛に頸をうずめてむく鳥のような形をしてかわいた道をまっすぐにどこまでも歩いて行く。〔九字分消去〕ずつ買った。又もと来た道を又もどると一軒の足袋屋の前に来るとじいやは思い出したように「そうそうおれの足袋が無かったわい」と云ってのれんをくぐると眼のくちゃくちゃし
木下尚江
大野人 木下尚江 昨年の秋『日蓮論』の附録にする積りで書きながら、遂に載せずに今日に及べるもの 一 日蓮を書いて居ると、長髪白髯の田中正造翁が何処からともなく目の前に現はれる。予は折々、日蓮を書いて居るのか、翁を書いて居るのかを忘れて仕舞つた。予が始めて翁を知つたのは最早十年以前。其時は丁度六十であつた。田中正造と云へば足尾鉱毒問題の絶叫者として、議会の名物
古川緑波
五月上旬から、六月へかけて、梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため、大阪に滞在すること、約一ヶ月。 大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明朝の快便をさえ思わせるものがある。だから、大阪へ行ったら、おどりを、と、たのしみにしているわけ。 東京では、すし屋へ行って
田山花袋
汽車で、東京の近郊に行く。麦の黄熟したさま、里川のたぷたぷと新芽をたゝえて流れてゐるさま、杜の上に晴れやかに簇がり立つた雲のさま、すべて心を惹かないものはない。『麦ははや刈り取るべくもなれる野にをりをり白し夏蕎麦の花』歌は平凡だが実景である。 香川景樹の歌に、『夜半の風麦の穂立におとづれて蛍とぶべく野はなりにけり』といふのがあるが、いつでも今頃になると思ひ出
長岡半太郎
大阪といふところ 長岡半太郎 は仁徳天皇のころから既に開けた都會であることは申すに及ばない。聖徳太子の四天王寺や、蓮如上人の石山本願寺建立に因みて、抹香臭い氣持ちがする。しかし豐臣秀吉が爭亂を平定して、こゝに築城してから、その空氣は一新し、大阪の本質を發揮した。大阪は海灣に面して、淀川は舟楫の便あり、四通八達、物資の集散地として、屈強な地の利、水の利がある。
北条民雄
十日ほども降り続いた梅雨があけると、おそろしくむし暑い日が続いて、街は、腐敗したどぶ川の悪臭が染み込んでぶくぶくと泡立つてゐるやうに感ぜられた。赤茶けた媒煙に煙つた陰鬱な低い空の下に並んでゐる家々は、なんとなく古ぼけて傾きかかつてゐるやうであつた。姙婦の腹のやうに丸く脹らんだ橋にさしかかると、車は一瞬仰向くやうに空を見て、橋上に乗り上るとすうつと地底に引き込
中谷宇吉郎
今のことはよく知らないが、一昔前のいわゆる大阪商人は朝、人に会うと「おはようございます」の代りに「もうかりまっか」と言ったそうである。それには「いやあきまへんで」という受言葉がある。 東京の実業家の中には、この例をひいて大阪商人を軽べつする人がある。しかし私は、そういう大阪人をひどく尊敬している。というのは、われわれの仲間のうちで、朝、人に会った時に、最初に
坂口安吾
将棋の升田七段が木村名人に三連勝以来、大阪の反逆といふやうなことが、時々新聞雑誌に現れはじめた。将棋のことは門外漢だが、升田七段の攻撃速度は迅速意外で、従来の定跡が手おくれになつてしまふ(時事新報)のださうで、新手の対策を生みださぬ限り、この攻撃速度に抗することができないだらう、と云ふ。新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれてゐることだから、