奇談クラブ〔戦後版〕 07 観音様の頬
野村胡堂
奇談クラブその夜の話し手は、彫刻家の和久井献作でした。この人は日本の木彫に一新生面を開いた人ですが、旧い彫刻家達の持っている技巧を征服した上、一時はシュールレアリズムの運動にまで突き進み、一作毎にジャーナリズムの問題を捲き起して居ります。 「私のお話は、まことに他愛のないことですが、若い頃聴いた話を綴り合せて、仏像に恋をした話を纏め上げて見たいと思います。仏
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野村胡堂
奇談クラブその夜の話し手は、彫刻家の和久井献作でした。この人は日本の木彫に一新生面を開いた人ですが、旧い彫刻家達の持っている技巧を征服した上、一時はシュールレアリズムの運動にまで突き進み、一作毎にジャーナリズムの問題を捲き起して居ります。 「私のお話は、まことに他愛のないことですが、若い頃聴いた話を綴り合せて、仏像に恋をした話を纏め上げて見たいと思います。仏
野村胡堂
話し手の望月辛吉は、有名なジレッタントで、レコードの蒐集家の一人として知られた男でした。叔父の経営している会社の平社員で――望みさえすれば、専務にも支配人にもなれる七光りの背景を持っているのですが、望月辛吉に取っては下手な詩を作って、好きなレコードを集めて、外国の探偵小説を読んで、マドロス・パイプを磨いて、出世もしない代り、首にもならない今の地位が、譬えよう
野村胡堂
その夜の話し手遠藤盛近は、山羊の萎びた中老人で、羊羹色になった背広の、カフスから飛出すシャツを気にし乍ら、老眼鏡の玉を五分間に一度位ずつの割りで拭き拭き、見掛けに依らぬ良いバリトンで、こう話し始めました。 「私の話はさしたる奇談ではありませんが、旧式の道徳観からすれば少しく途方も無いのです。旧い秩序と常識を尊ぶ方々からは、甚だ喜ばれないかも知れず、これだけの
野村胡堂
「これは低俗な義理人情や、歪められた忠義を鼓吹した時代には発表の出来なかった話で、長い間私の材料袋に秘められて居りましたが、今となっては最早憚り恐るる節もなく、この物語を発表したからと言って、私を不忠者不義者扱いにする、頭の固い便乗者も無くなってしまったことでしょう。私は思い切ってこの秘話を発表いたしますが、たった一つ、殿様の本当の名前だけは隠さして頂きたい
野村胡堂
「あらゆる偶然は可能だ、と笠森仙太郎は信じておりました。この広い宇宙の中で、大海の粟粒よりもはかない存在に過ぎない我々の地球が、他のもう一つの気紛れな粟粒なる彗星と衝突することだってあり得るだろうし、世界の人間が全部、一ぺんに気が違うことだって、あり得ないと断ずることはできない。プロバビリティの算出によれば、我々――いや私のような平凡人でも、随分運の廻り合せ
野村胡堂
「徳川時代の大名生活のただれ切った馬鹿馬鹿しさは話しても話しても話し切れませんが、私にもその一つ、取って置きの面白い話があるのです」 話し手の宇佐美金太郎は、こんな調子で始めました。飴の中から飛出したような愉快な江戸っ子で、大柄の縞の背広は着ておりますが、その上から白木綿の三尺を締めて、背広に弥蔵でもこさえたい人柄です。 「私の話は、大名が乞食になった話で、
野村胡堂
「皆さんのお話には、譬喩と諷刺が紛々として匂う癖に、どなたも口を揃えて、――私の話には譬喩も諷刺も無いと仰しゃる――それは一応賢いお言葉のようではありますが、甚だ卑怯なように思われてなりません。そこへ行くと、私のこれから申上げようと思う話は、譬喩と諷刺と当て込みと教訓で練り固めたようなもので、まことに早や恐縮千万ですが、よく噛みしめて、言外の意を味わって頂き
野村胡堂
「痴人夢を説くという言葉がありますが、人生に夢が無かったら、我々の生活は何と果敢なく侘しく、荒まじきものでしょう。夢あればこそ我々はあらゆる疾苦と不平と懊悩にも堪えて、兎にも角にも何万日という――考えただけでも身顫いを感ずるような、恐ろしい生活を続けて行くのです」 それは吉井明子夫人の美しさと聡明さに吸い寄せられた、限りなき猟奇探究者達の集りなる、「奇談クラ
野村胡堂
「徳川時代にも、幾度か璽光様のようなのが現われました。流行る流行らないは別として、信じ易い日本人は精神病医学のいわゆる憑依妄想を、たちまち生身の神仏に祭り上げたり、預言者扱いをして、常軌を逸した大騒ぎを始めるのです。私はそれが、良いとか悪いとか申すのではありません。兎にも角にもここでは、徳川時代の最も代表的な生き仏の話も皆様に聴いて頂こうかと思うのです」 奇
野村胡堂
「さて皆様、私はここで、嘘のような話を聴いて頂きたいのであります。話の真実性については、皆様の御判断に任せるとして、兎も角も、これは決して嘘ではないということだけは、当夜の盛大な結婚式に列席した方々は、証明して下さることと思います」 話し手の小塚金太郎は、斯んな調子で始めました。名前はひどく世俗的で、手堅い商人かなんかのように響きますが、実はまだ若い作曲家で
野村胡堂
吉井明子夫人を会長とする奇談クラブの席上で、話の選手に指名された近江愛之助は、斯んな調子で語り始めるのでした。 「これは決して世間並の奇談ではありません。話の中には妖怪変化が出て来るわけでもなく、常識を超越した不思議な事件が起るわけでもないのです。ただ併し、私はその様な道具立のおどろおどろしき物語よりも、此世の中には、もっともっと不思議な事件があるような気が
海野十三
義弟の出獄 烏啼天駆といえば、近頃有名になった奇賊であるが、いつも彼を刑務所へ送り込もうと全身汗をかいて奔走している名探偵の袋猫々との何時果てるともなき一騎討ちは、今もなお酣であった。 その満々たる自信家の烏啼天駆が、こんどばかりは困り果ててしまった。散歩者の胸の中から心臓を掏り盗る技術も持っているし、一夜のうちに時計台を攫っていってしまう特技もある怪賊烏啼
原民喜
二年のB組の教室は、今しーんとして不思議な感激が満ちたまま、あっちでもこっちでも啜泣く声がきこえた。 「僕は泥水のやうに濁った腐敗分子でした。」と教壇の上で一人が釘づけになって、次を云はうとしてゐた。その時小使が頓馬な顔つきでドアを開けて、空の薬鑵を持って帰らうとしかけたが、 「それは後にしてくれ給へ。」と主任教師がすると、小使はけげんな顔つきで教室を名残惜
坂口安吾
お奈良さま 坂口安吾 お奈良さまと云っても奈良の大仏さまのことではない。奈良という漢字を当てるのがそもそもよろしくないのであるが、こればかりは奈良の字を当てたいという当人の悲願であるから、その悲願まで無視するのは情において忍びがたいのである。 お奈良さまはさる寺の住職であるが、どういうわけか生れつきオナラが多かった。別に胃腸が人と変っているわけではないらしく
野上豊一郎
奈良二題 野上豐一郎 社交團 正倉院の曝凉は途中で雨が降りだすと追ひ出されて拜觀劵がそれきり無效になるので天氣を見定めて出かけねばならなかつた。それに、拜觀時間は十時から三時までと限られてあつたので、時間を有效に利用しなければ、私の計畫してゐたものは全部調べられるかどうかわからなかつた。私はその時(大正十五年十一月)は主として北倉と南倉の階上に陳列されてある
芳賀矢一
一、地にひれふしてあめつちに いのりしまこといれられず 日出づる國のくにたみは あやめもわかぬやみぢゆく 二、御大喪の今日の日に 流るゝ涙はてもなし きさらぎの空はるあさみ 寒風いとゞ身にはしむ ●図書カード
梶井基次郎
奎吉 梶井基次郎 「たうとう弟にまで金を借りる樣になつたかなあ。」と奎吉は、一度思ひついたら最後の後悔の幕迄行つて見なければ得心の出來なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まつて來るのを感じながら思つた。 彼にとつてはもうこうなればその醜い欲望が勝を占めてしまふに違ひなかつた。彼は彼で祕かにそれを見越して、それを拒否する意志の働くのを斷念する傾きが
小川未明
やさしい奥さまがありました。あわれな人たちには、なぐさめてやり、また、貧しい人たちには、めぐんでやりましたから、みんなから、尊敬されていました。 冬になると雪が降りました。そして、いままで、外で働いていたものは、仕事をすることができなくなりました。家にいてさえ、寒い日がつづいたのであります。 「ああこんなような日には、食べるものもなく、また、たく薪もなく、困
国枝史郎
年増女の美しさは、八月の肌を持っているからだ。 ああ小径には凋るる花 残んの芳香を上げている。 「よろしゅうございます、お話ししましょう。が、それ前に標語を一つ、お話しすることにいたしましょう。 『心にゴロン棒の意気を蔵し、顔に紳士の仮面をくっつけ、チャップリンの足どりで歩いたら、人生めったに行き詰まらない』と。……私のための標語なので。……で、お話しいたし
喜田貞吉
余輩は前号において征夷大将軍の名義について管見を披瀝し、平安朝において久しく補任の中絶しておったこの軍職が、源頼朝によって始めて再興せられたものである事情を明かにし、その以前に木曾義仲がすでに征夷大将軍に任ぜられたとの古書の記事があり、それが古来一般に歴史家によって認められているとはいえ、その実義仲の任ぜられたのは頼朝討伐のための征東大将軍であって、征夷では
小島烏水
泊まったのは、二の俣の小舎である。 頭の上は大空で、否、大空の中に、粗削りの石の塊が挟まれていて、その塊を土台として、蒲鉾形の蓆小舎が出来ている。立てば頭が支える、横になっても、足を楽々延ばせない、万里見透しの大虚空の中で、こんな見すぼらしい小舎を作って、人間はその中に囚われていなければならない、戸外には夜に入ると、深沈たる高山の常、大風が吼けって、瓦落瓦落
久生十蘭
京都所司代、御式方頭取、阪田出雲の下役に堀金十郎という渡り祐筆がいた。 御儒者衆、堀玄昌の三男で、江戸にいればやすやすと御番入もできる御家人並の身分だが、のどかすぎる気質なので、荒けた東の風が肌にあわない。江戸を離れて上方へ流れだし、なんということもなく、京都に住みついてしまった。 筆なめピンコともいう、渡り祐筆の給金は三両一人扶持。これが出世すると、七両と
木暮理太郎
秩父という名が大宮を中心とした所謂秩父盆地に限られていた時代には、武甲山や三峰山などが秩父の高山であるように思われていたのも無理ではない。今から約百年前の文政七、八年頃に出来上った『新篇武蔵風土記稿』を見ると、少し高い山では僅に三峰山、武甲山、両神山及雲取山などが挙げられているだけである。三峰山は古くからお犬様で名高い神社のある山で、現に三、四百人位は泊れる
木暮理太郎
私が始めて秩父の山々から受けた最も強い印象は、其色彩の美しいこと及び其連嶺の長大なることであった。水蒸気の代りに絹針でも包んだような上州名物の涸風が、木の葉色づく十月の半過ぎから雪の白い越後界の山脈を超えて、収穫に忙しい人々の肌を刺すように吹きすさむ日が続くと、冬枯の色は早くも樹々の梢に上って、日蔭には霜柱が白く、咽ぶような幽韻な音を間遠に送る大和スズの声を