ある幻想曲の序
寺田寅彦
何もない空虚の闇の中に、急に小さな焔が燃え上がる。墓原の草の葉末を照らす燐火のように、深い噴火口の底にひらめく硫火の舌のように、ゆらゆらと燃え上がる。 焔の光に照らされて、大きな暖炉の煤けた空洞が現われる。焔は空洞の腹を嘗めて頂上の暗い穴に吸い込まれる。穴の奥でひとしきりゴオと風の音がすると、焔は急に大きくなって下の石炭が活きて輝き始める。 炉の前に、大きな
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寺田寅彦
何もない空虚の闇の中に、急に小さな焔が燃え上がる。墓原の草の葉末を照らす燐火のように、深い噴火口の底にひらめく硫火の舌のように、ゆらゆらと燃え上がる。 焔の光に照らされて、大きな暖炉の煤けた空洞が現われる。焔は空洞の腹を嘗めて頂上の暗い穴に吸い込まれる。穴の奥でひとしきりゴオと風の音がすると、焔は急に大きくなって下の石炭が活きて輝き始める。 炉の前に、大きな
マンパウル・トーマス
僕は白状する。あの妙な男の話したことは、僕をまるっきり混乱させてしまったのである。だからあの晩僕自身が感動した通り、他人に感動してもらえるように、あの男の話を繰り返すことは、僕には今もってできそうもない気がする。どうもあの話の効果というのは、まったく一面識もない男が、呆れるほど率直に僕に語ってくれた、その率直さのみにかかっているらしい。―― あの見知らぬ男が
中谷宇吉郎
日本のある大學の若い教授P君が、アメリカの某所へ、研究員として暫く來ていた。そこの主任教授は、そう世界的な大學者というほどでもなかったが、何分こっちは餘所者なので、神妙に控えて、勉強していたそうである。 しかし、何分、P君は既に、日本では大學教授として、たくさんの助手たちをもっていたのに、アメリカに來ると、何から何まで自分でしなければならない。それに言葉も不
田中貢太郎
幻術 田中貢太郎 寛文十年と云えば切支丹で世間が騒いでいる時である。その年の夏、某城下へ二人の怪しい男が来て、不思議な術を行って見せたので、藩では早速それを捕え、死刑にすることにして刑場へ引出したが、切支丹ではどんな魔法があって逃げだすかも判らないと云うので、警護の士が厳しく前後を取り囲んでいた。また刑場の四方には竹矢来を結って、すこしの隙もないようにしてあ
宮沢賢治
チュウリップの幻術 宮沢賢治 この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけています。 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。 すもものかきねのはずれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってやって来ます。 てくてくあるいてくるその黒い細い脚はたしかに鹿に肖ています。そして日が照っているために荷物の上にかざさ
野村胡堂
駿河太郎は、首尾よく千代田城本丸の石垣のかげに身をひそめました。時は寛永十六年(西暦一六三九年)三月、いまから三百十二年まえの、夢みるようにかすんだうつくしい春のま夜中です。 西丸のうしろから、紅葉山の一角をめぐって、ここまでつづいた長い道灌堀、その水草のなかを半分はもぐって、本丸にたどりついた駿河太郎は、当代の将軍、徳川家光を討って取ろうという、おそろしい
豊島与志雄
幻覚記 豊島与志雄 一 筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く、夜は不気味である。 その堤防の上を、まだ夜明け前の頃、私は母と二人で歩いていた。私は七八歳だったが、別に恐さも不気味さも感ぜず、自分の村から半里余りも来たろうと
幸田露伴
こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出られないでいますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらいに満足して、無難に平和な日を過して行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落着い
上村松園
父 私が生まれたのは明治八年四月二十三日ですが、そのときには、もう父はこの世にいられなかった。 私は母の胎内にあって、父を見送っていたのであります。 「写真を撮ると寿命がない」 と言われていた時代であったので、父の面影を伝えるものは何ひとつとてない。しかし私は父にとても似ていたそうで、母はよく父のことを語るとき、 「あんたとそっくりの顔やった」 と言われたも
萩原朔太郎
いもうとよ、 そのいぢらしき顏をあげ。 みよ兄は手に水桃をささげもち、 いつさんにきみがかたへにしたひよる、 この東京の日くれどき、 兄の戀魚は青らみてゆきて、 日毎にいたみしたたり、 いまいきもたえだえ、 あい子よ、 ふたり哀しき日のしたに、 ひとしれず草木の種を研ぐとても、 さびしきはげに我等の素脚ならずや。 ああいとけなきおんみよ。 ―一九一四、五、三
今野大力
チビコは今年三つになりました、 チビコのお父さんは肺病でねています、 チビコのお母さんは又稼ぎに行くと言っています、 稼がなければ喰べられないから チビコはある晩ばあちゃんに抱かれてねながら 「メメが痛いメメが痛い」とパッチリ目あけたまま 泣いて泣いて眠りませんでした、 そして翌日、ゲッゲッと食べ物を吐き出しました、 メメは目ではなく腹のようでした、 「チビ
正宗白鳥
今から二十年あまりも前の事である。ロンドンからエデインボロウに向ひ、グラスゴーだのリバプールだのを経て、ロンドンへ帰るまでに、沙翁の故郷であつたストラツトフオード・オン・エボンへ立ち寄ることにした。途中の田舎町で、汽車の乗り換へを間違へたりして、まごまごしてゐた。それで、田舎の停車場にゐた学校帰りらしい数人の女学生に、ストラツトフオードへ行くには、どの汽車に
金鍾漢
ひるさがり とある大門のそとで ひとりの坊やが グライダアを飛ばしてゐた それが 五月の八日であり この半島に 徴兵のきまつた日であることを 知らないらしかつた ひたすら エルロンの糸をまいてゐた やがて 十ねんが流れるだらう すると かれは戦闘機に乗組むにちがひない 空のきざはしを 坊やは ゆんべの夢のなかで 昇つていつた 絵本で見たよりも美しかつたので
堀辰雄
私は自分の幼年時代の思い出の中から、これまで何度も何度もそれを思い出したおかげで、いつか自分の現在の気もちと綯い交ぜになってしまっているようなものばかりを主として、書いてゆくつもりだ。そして私はそれらの幼年時代のすべてを、単なるなつかしい思い出としては取り扱うまい。まあ言ってみれば、私はそこに自分の人生の本質のようなものを見出したい。 私は四つか五つの時分ま
中原中也
幼き恋は 寸燐の軸木 燃えてしまへば あるまいものを 寐覚めの囁きは 燃えた燐だつた また燃える時が ありませうか アルコールのやうな夕暮に 二人は再びあひました―― 圧搾酸素でもてゝゐる 恋とはどんなものですか その実今は平凡ですが たつたこなひだ燃えた日の 印象が二人を一緒に引きずつてます 何の方へです―― ソーセーヂが 紫色に腐れました―― 多分「話の
小川未明
正ちゃんのお母さんは、かわいい坊やが、病気になったので、髪もとかさずに心配していました。 お医者さまは、正ちゃんを診察して、 「なるたけ、静かに、寝かしておかなければなりません。」といったので、お母さんは、家に帰ると、ふとんをしいて、正ちゃんを眠らせようとしました。 昨夜から、熱が高かったので、気持ちがいらいらしているとみえて、正ちゃんは、よく眠りませんでし
島崎藤村
一 私の子供が初めて小學校へ通ふやうに成つた其翌日から、私は斯の手紙を書き始めます。昨日の朝、吾家では子供の爲に赤の御飯を祝ひました。輝く燈火の影に夜更しすることの多い都會の生活の中でも、子供ばかりは夜も早く寢、朝も早く起きますから、弟の方も兄と一緒に早く床を離れました。兄は八歳、弟は六歳に成ります。お人好しの兄に比べると弟はなか/\きかない氣で、玩具でも何
正岡子規
極めて幼き時の美はただ色にありて形にあらず、まして位置、配合、技術などそのほかの高尚なる複雑なる美は固より解すべくもあらず。その色すらなべての者は感ぜず、アツプ(美麗)と嬉しがらるるは必ず赤き花やかなる色に限りたるが如し。乳呑子のともし火を見て無邪気なる笑顔をつくりたる、四つ五つの子が隣の伯母さんに見せんとていと嬉しがる木履の鼻緒、唐縮緬の帯、いづれ赤ならざ
上村松園
幼き頃の想い出 上村松園 古ぼけた美 東京と違って、京都は展覧会を観る機会も数も少のうございますが、私は書画や骨董の売立のようなものでも、出来るだけ見逃さないようにして、そうした不足を満たすように心掛けて居ます。そうして、そのような売立なぞを観に参りまして、特に興味を惹かれますのは、評判の呼び物は勿論でございますが、それよりも片隅に放擲されて、参観者の注視か
佐藤春夫
先年、幼児がどこかでうつされて来た急性トラコーマが一家中にひろまって、それは当時、友人F博士の治療ですっかり治っているはずなのに、時折は何かの拍子で眼が渋いような感じがしたり、へんに涙っぽいような場合があって、再発ではないかと神経を病ませる。この間もちょっと、そんな事があったから先年もっともひどい目にあった八歳になる初雄も同じようなことを云い出したので、自分
小野佐世男
幽霊 小野佐世男 1 残暑がすぎ、凉風がさわやかに落葉をさそう頃になると、きまって思い出すことがある。 私はまだ紅顔の美少年(?)だった。その頃、私達一家は小石川の家から、赤坂の新居へ移った。 庭がとても広かった。麻布の一聯隊の高い丘が、苔むした庭の後にそびえ、雑草やくるみの木が、垂れさがるように見える空の上に生い茂っていた。また、丘の下のせいかじめじめとし
牧野信一
わたしはこの四五年来、少くとも一年のうちに二回以上は、全く天涯の孤独者であるかのやうな、そして深い寧ろ憂ひに閉ぢこめられたやうな姿で独り、登山袋に杖を突いて、遠方の景色にばかり見惚れてゐるかのやうな眼を挙げながら、すたすたとその山峡の村へ赴くのが慣ひである。 行先の村は、名称を誌したところで無駄に過ぎない程度の寒村で、いつもわたしは家族の者に向つても、出掛け
坂口安吾
幽霊の凄味の点では日本は他国にひけをとらない。西洋人の生活の中には悪魔が幅をきかしてゐるが、幽霊はあまり顔をださない。悪魔には日本の鬼や狐狸に通ずる一脈の滑稽味と童話的な郷愁的な感情が流れ、今日の知識人の生活の中では、恐怖の対象であるよりも、理知の故郷に住み古した一人の友達の感が深い。 幽霊は悪魔とちがつて、徹頭徹尾凄味あるのみ、甘さやユーモアは微塵もない。
小泉八雲
伯耆の国、黒坂村の近くに、一条の滝がある。幽霊滝と云うその名の由来を私は知らない。滝の側に滝大明神と云う氏神の小さい社があって、社の前に小さい賽銭箱がある。その賽銭箱について物語がある。 今より三十五年前、ある冬の寒い晩、黒坂の麻取場に使われている娘や女房達が一日の仕事を終ったあとで炉のまわりに集って、怪談に興じていた。はなしが十余りも出た頃には大概のものは