序(『歌声よ、おこれ』)
宮本百合子
序(『歌声よ、おこれ』) 宮本百合子 こんにち、わたしたちの生活と文学との建設のために、いくつもの大きい課題があらわれて来ている。苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに
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宮本百合子
序(『歌声よ、おこれ』) 宮本百合子 こんにち、わたしたちの生活と文学との建設のために、いくつもの大きい課題があらわれて来ている。苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに
神西清
チェーホフは自伝というものが嫌いだった。――僕には自伝恐怖症という病気がある。自分のことがかれこれ書いてあるのを読んだり、ましてやそれを発表するために書くなどということは、僕には全くやりきれない。……そんな意味のことを、一八九九年の秋、つまり死ぬ五年ほど前に、同窓のドクトル・ロッソリモに書き送っている。 これが単なるはにかみであるか、それともほかに何かわけが
坂口安吾
「海の霧」は私が始めて職業雑誌といふものへ書いた、つまり原稿料といふものを貰つた最初の作品で、昭和六年夏、私は二十六であつた。まるで私の身辺小説、何か愛人があつてその人との何かのやうな書き方であるが、全然ウソ、私小説ではない。 このときの文藝春秋は新人号といふので、井伏鱒二その他数名の執筆がすでに定まつてゐたのを、急に私が一枚加はつた。私は同人雑誌に短篇三つ
蒲松齢
金大用は中州の旧家の子であった。尤太守の女で幼な名を庚娘というのを夫人に迎えたが、綺麗なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴れて南の方へ逃げた。 その途中で金は少年に遇った。それも細君と一緒に逃げていく者であったが、自分から、 「私は広陵の王十八という者です。どう
中勘助
昭和三十五年三月三十一日 いつだつたか新聞に蓮の研究で有名な大賀博士が府中の大国魂神社のすばらしい欅の並木が滅びてゆくのを惜まれる記事が載つてたのを読んだ。さうしたらそのつぎなにかの雑誌に戸塚文子さんだつたか同じ処のくらやみ祭と烏の団扇のことを書いてゐられるのを見た。そしてこの偶然に出来た三題話がしきりに私の好奇心?をそそつていつかは行つてみようと私に決心を
上村松園
座右第一品 上村松園 縮図の帳面 もう大分と前の話ですが、裏ン町で火事があって火の子がパッパッと飛んで来て、どうにも手のつけようがないと思ったことがありました。火の手があまり急に強くなりましたので、家財道具を取り出すという余裕もありませず、イザ身一つで避難しようとします時、何ぞ手に提げて行けるほどの物でもと、そこらを見廻しながら、咄嗟のうちにこれをと思って大
太宰治
座興に非ず 太宰治 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣も、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍の池を拭って吹
太宰治
庭 太宰治 東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり、私より十以上も年上の長兄が家を守っている。そんなに、二度も罹災する前に、もっと早く故郷へ行っておればよかったのにと仰言るお方
北原白秋
松の葉の青きに しとしとと雨はふる。 凄まじき暴風雨の後に 針のごと雨はふる。 色黄なる毛虫は 土に沁みつき、 月見草は 萎れて白し。 桐、樅、無花果、 人工の盆栽の梅、 犯されし小娘か、みな、 泣き伏して声もなし。 しとしとと雨はふる。 浜の砂庭に吹き散り、 陸橋の下には 傷つきし犬瞳を凝らす。 あまりにも静かなり、ただ、 腹切りし苦しさに 肩衣をはねのけ
田中貢太郎
加茂の光長は瓦盃に残りすくなになった酒を嘗めるように飲んでいた。彼はこの二三日、何処となしに体が重くるしいので、所労を云いたてにして、兵衛の府にも出仕せずに家にいた。未だ秋口の日中は暑くて、昼のうちは横になったなりに体の置き処のないようにしているが、ついうとうとして夕方になってみると、幾らか軽い気もちになっているので、縁側に円蓙を敷かして、一人でちびりちびり
寺田寅彦
庭の追憶 寺田寅彦 郷里の家を貸してあるT氏からはがきが来た。平生あまり文通をしていないこの人から珍しい書信なので、どんな用かと思って読んでみると、 郷里の画家の藤田という人が、筆者の旧宅すなわち現在T氏の住んでいる屋敷の庭の紅葉を写生した油絵が他の一点とともに目下上野で開催中の国展に出品されているはずだから、暇があったら一度見に行ったらどうか。 という親切
豊島与志雄
庶民生活 豊島与志雄 自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。可なり急な坂で、車の滑りを防ぐためにでこぼこの鋪装がしてあった。自転車の達者な者は、一気に走り降りることも出来たが、昇りはみな徒歩で自転車を押し上げた。 その坂道を昇りきったところ、逆に言えば降り口に、小さな中華ソバ屋があった。その辺一帯は戦災地域で、焼け残りの家と、新たに建てた家
小泉信三
魚をじかに火で炙るということは、ほかの国ではしないことなのか。西洋を旅行して、裏町を歩いても、魚を焼く匂いをかいだ記憶はないように思う。青煙散ジテ入ル五侯ノ家、という唐詩の句は、別のことを詠じたものであるが、とにかく、脂ののった魚を焼く煙が、民家の軒をくぐって青く夕暮の空に上るという景色は、日本独特のもので、われわれに強く国土と季節を感ぜしめる。 魚を焼くと
原民喜
廃墟から 原民喜 八幡村へ移つた当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行つたり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとつたりしてゐた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだつたが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であつた。牛小屋の蠅は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蠅は吸着いたまま動かない。姪は箸を投
原民喜
廃墟から 原民喜 八幡村へ移った当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行ったり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとったりしていた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだったが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であった。牛小屋の蠅は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蠅は吸着いたまま動かない。姪は箸を投
折口信夫
うらゝかな春の入日、ちり/″\に地面も空もまつ白に、過ぎ行く花の幻影――その中に、かつきりと立つた延若の五右衛門――。私はその頭・背から輝き出る毫光を感じました。「国くづし」の立敵の表現は、歌舞妓の世界に、此が見をさめになつて行く。さう言ふ悲痛な信仰に似たものに、心が潤うて来るのをおさへることが出来ませんでした。 ●図書カード
津田左右吉
今、世間で要求せられていることは、これまでの歴史がまちがっているから、それを改めて真の歴史を書かねばならぬ、というのであるが、こういう場合、歴史がまちがっているということには二つの意義があるらしい。 一つは、これまで歴史的事実を記述したものと考えられていた古書が実はそうでない、ということであって、例えば『古事記』や『日本紀』は上代の歴史的事実を記述したもので
宮本百合子
「建設の明暗」の印象 宮本百合子 新築地の「建設の明暗」はきっと誰にとっても終りまですらりと観られた芝居であったろうと思う。 廃れてゆく南部鉄瓶工の名人肌の親方新耕堂久作が、古風な職人気質の愛着と意地とをこれまで自分の命をうちこんで来た鉄瓶作りに傾けて、鉄の配給統制で材料もなくなり日々の生活に窮しつつ猶組合の工場へ入って一人の労働者として働くことを肯じがたい
宮沢賢治
廿日月かざす刃は音無しの 黒業ひろごるそらのひま その竜之介 風もなき修羅のさかひを行き惑ひ すゝきすがるゝいのじ原 その雲のいろ 日は沈み鳥はねぐらにかへれども ひとはかへらぬ修羅の旅 その竜之介 ●図書カード
倉田百三
あはれなる廿日鼠 あはれなる廿日鼠 倉田百三 お手紙を有難う御座いました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしさうになつたことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間程干棚に出て街の上にかかる青空と遠い山脈の断片とを偸み見ましたが、もう春が地上に完全に支配してゐるのを見て驚いた程でした。あなたはミルトンについての論文で忙しいのですね。やはり身を入れ
寺田寅彦
マーカス・ショーとレビュー式教育 寺田寅彦 アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつ
国枝史郎
弓道中祖伝 国枝史郎 1 「宿をお求めではござらぬかな、もし宿をお求めなら、よい宿をお世話いたしましょう」 こう云って声をかけたのは、六十歳ぐらいの老人で、眼の鋭い唇の薄い、頬のこけた顔を持っていた。それでいて不思議に品位があった。 「さよう宿を求めて居ります。よい宿がござらばお世話下され」 こう云って足を止めたのは、三十二三の若い武士で、旅装いに身をかため
中谷宇吉郎
弓と鉄砲との戦争では鉄砲が勝つだろう。ところで現代の火器を丁度鉄砲に対する弓くらいの価値に貶してしまうような次の時代の兵器が想像出来るだろうか。 火薬は化合し易い数種の薬品の混合で、その勢力は分子の結合の際出て来るものである。その進歩が行き詰って爆薬の出現となったのであるが、爆薬の方は不安定な化合物の爆発的分解によるもので、勢力の源を分子内に求めている。もち
正宗白鳥
先夜室生犀星君の逝去を電話で最初に知らせて来た或る新聞記者は、同君についての私の感想を求めた。が、私は咄嗟に返答することが出来なかったので固く断った。私は現代作家論を幾つも書いているが、犀星論はまだ一度も書いたことがなかったように思っている。それについていろいろ考えながら眠りに就いた。翌日弔問のために、氏の住所を記した紙片を持って出掛けたが、一二度新聞社の自