Vol. 2May 2026

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日高十勝の記憶

岩野泡鳴

日高十勝の記憶 岩野泡鳴 オホナイの瀧 日高の海岸、樣似を進んで冬島を過ぎ、字山中のオホナイといふあたりに來ると、高い露骨な岩山が切迫してゐて、僅かに殘つた海岸よりほかに道がない。おほ岩を穿つたトンネルが多く、荷車、荷馬車などはとても通れない。人は僅かに岩と浪との間を行くのであつて、まごついてゐると、寄せ來る浪の爲めに乗馬の腹までも潮に濡れてしまふのだ。 或

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旧主人

島崎藤村

今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木村――はい、小諸まで一里と申しているのです。 柏木界隈の女は佐久の岡の上に生活を営てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生烈しい労働を為なければなりま

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旧友の死

辰野隆

去月二十七日の朝六時頃、僕は夢を見た。広い原にぼんやり佇んでゐると、向ふから一群の中学生が四列縦隊で元気よく進んで来る、先頭に立つて何か旗やうなものを捧げてゐるのが、紛ふ方なき旧友志田文雄なのだ。稍反り身になつて、白い布を肩から斜に懸けてゐた。彼の歩調は如何にも活溌だつたが、近づいて来るに従つて、その衰へ果てた蒼白の顔色に、僕ははつと驚いて、叫んだ。「文雄さ

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旧東京と蝙蝠

正岡容

私は、昨年の明日、東京巣鴨花街の居宅を兵火に焼かれた。それから一年目の今日、ここ下総市川の里に卜居して残花の午下りを、嘱されて旧東京夏宵の追懐など閑文字を弄する境涯になつてゐられようとは、どうしてあのときおもひ知る由があつたらう。すべては是れ平和来の余沢と申さなければならない。 年少返らぬ日の東京街上の夏景色をおもふとき、忽ちにして眼底に蘇へり来るは群青で波

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旧聞日本橋 01 序文/自序

三上於菟吉

長谷川時雨は、生粋の江戸ッ子ということが出来なければ、生抜きの東京女だとは言えるであろう。彼女の明治初期の首都の中心日本橋油町に法律家を父として生れて、最も東京風な家庭教育の下に育って来た女だ。彼女は寺小屋風が多分に遺った小学校に学んだり、三味線、二絃琴の師匠にも其処で就いた。時雨は現在では、さまざまの思想と生活との推移から複雑な人になっているが、内心にはい

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旧聞日本橋 02 町の構成

長谷川時雨

一応はじめに町の構成を説いておく。 日本橋通りの本町の角からと、石町から曲るのと、二本の大通りが浅草橋へむかって通っている。現今は電車線路のあるもとの石町通りが街の本線になっているが、以前は反対だった。鉄道馬車時代の線路は両方にあって、浅草へむかって行きの線路は、本町、大伝馬町、通旅籠町、通油町、通塩町とつらなった問屋筋の多い街の方にあって、街の位は最上位で

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旧聞日本橋 03 蕎麦屋の利久

長谷川時雨

角の荒物屋が佐野吾八さんの代にならないずっと前――私たちまだ宇宙にブヨブヨ魂が漂っていた時代――そこは八人芸の○○斎という名人がいたのだそうで、上げ板を叩いて「番頭さん熱いよ」とうめ湯をたのんだり、小唄をうたったりすると、どうしても洗湯の隣りに住んでる気がしたり、赤児が生れる泣声に驚かされたりしたと祖母がはなしてくれた。 この祖母が、八十八の春、死ぬ三日ばか

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旧聞日本橋 04 源泉小学校

長谷川時雨

源泉小学校 長谷川時雨 源泉小学校は大伝馬町の裏にあって、格子戸がはまった普通の家造りで、上って玄関、横に二階をもった座敷と台所。たぶん台所と並んだ玄関の奥へ教場の平屋を建てましたのであろう。玄関の横の八畳には通りにむかって窓があった。ここの畳へ座る人種は我々と違っていた。特別の机が配置してあって、手焙りが冬は各自についている。窓の下のところには、紙だとうに

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旧聞日本橋 05 大丸呉服店

長谷川時雨

大丸呉服店 長谷川時雨 ――老母のところから、次のような覚書をくれたので、「大丸」のことはもっと後にゆっくりと書くつもりだったが、折角の志ゆえそのまま記すことにした。 小伝馬町三丁目のうなぎやは(近三)明治廿四、五年ごろまであったと思います。 大伝馬町四丁目(この一町だけ通はたご町)大丸呉服店にては一月一日表戸を半分おろして、店を大広間として金屏風を立てまわ

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旧聞日本橋 06 古屋島七兵衛

長谷川時雨

古屋島七兵衛 長谷川時雨 古屋島という名は昔の武者にでもありそうだし、明治維新後の顕官の姓名にもありそうだが、七兵衛さんというと大変心安だてにきこえる。葱を売りにくる人にも、肥とろやさんにも、薪屋さんにもありそうな名だ。この名を覚えているのは、あたしの家の書生さんだったから――というより、道十郎めっかちを思いださせる顔だったからだ。 道十郎めっかちというのは

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旧聞日本橋 07 テンコツさん一家

長谷川時雨

テンコツさん一家 長谷川時雨 ――老母よりの書信―― 鼠小僧の家は、神田和泉町ではなく、日本橋区和泉町、人形町通り左側大通りが和泉町で、その手前の小路が三光新道、向側――人形町通りを中にはさんで右側大通りが堺町、及がくや新道、水天宮は明治七、八年から芝三田辺より来られ候。 三光新道が鼠小僧の家、母親と妹がすまつてゐて、妹には旦那があつて、その旦那の来てゐる時

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旧聞日本橋 08 木魚の顔

長谷川時雨

木魚の顔 長谷川時雨 鼠小僧の住んでいた、三光新道のクダリに、三光稲荷のあったことを書きおとした。三光稲荷は失走人の足止の願がけと、鼠をとる猫の行衛不明の訴をきく不思議な商業のお稲荷さんで、猫の絵馬が沢山かかっていた。霊験いやちこであったと見え、たま、五郎、白、ゆき、なぞの年月や、失走時や、猫姿を白紙に書いて張りつけてあった。その近くに鼠小僧の隠れ家があった

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旧聞日本橋 09 木魚の配偶

長谷川時雨

木魚の配偶 長谷川時雨 木魚の顔の老爺さんが、あの額の上に丁字髷をのせて、短い体に黒ちりめんの羽織を着て、大小をさしていた姿も滑稽であったろうが、そういうまた老妻さんも美事な出来栄の人物だった。顔は浜口首相より広く大きな面積をもち、身丈も偉大だった。 うどの大木という譬はあるが、若いころは知らず、この女はとても味のある、ずば抜けたばかげさを持った無類の好人物

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旧聞日本橋 10 勝川花菊の一生

長谷川時雨

勝川花菊の一生 長谷川時雨 勝川のおばさんという名がアンポンタンに記憶された。顔の印象は浅黒く、長かった。それが木魚の顔のおじいさんのたった一人の妹だときいても、別段心もひかれなかった。ただ平べったいチンチクリンのおじいさんに、長茄子のような妹があるのかなと思った位だった。 しかし彼女は小意気だった、その時分の扮装が黒っぽかったので、背のたかい細面の女を、感

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旧聞日本橋 11 朝散太夫の末裔

長谷川時雨

朝散太夫の末裔 長谷川時雨 朝散太夫とは、支那唐朝の制にて従五品下の雅称、我国にて従五位下の唐名とある。 太夫とは、支那周代の朝廷及諸侯の、国の官吏の階級の一、卿の下、士の上に位すとある。もっと委しく、博学らしく書きたてると、支那唐代の官職に依る貴族の階級中、従二品より従五品下までの名目だった語で、従二品が光禄太夫、正三品が金紫光禄太夫、従三品銀青光禄太夫、

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旧聞日本橋 12 チンコッきり

長谷川時雨

チンコッきり 長谷川時雨 アンポンタンはぼんやりと人の顔を眺める癖があったので、 「いやだねおやっちゃん、私の顔に出車でも通るのかね。」 さすがの藤木さんもテレて、その頃の月並な警句をいった。 小伝馬町の牢屋の原を廻る四角四面の町々に、アンポンタンの友達の分譜があり、学んだ学校があり、長唄稽古所があり、親の知合の家もあったから、私がポカンと立止って眺めている

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旧聞日本橋 13 お墓のすげかえ

長谷川時雨

お墓のすげかえ 長谷川時雨 一族の石塔五十幾基をもった、朝散太夫藤木氏の末裔チンコッきりおじさんは、三人の兄弟であったが、揃いもそろった幕末お旗本ならずものの見本で、仲兄は切腹、上の兄は他から帰ってきたところを、襖のかげから跳り出た父親が手にかけたのだった。末子のチンコッきりおじさんが家督をついだ時分には、もうそんな、放蕩児なぞ気にかけていられない世の忙しさ

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旧聞日本橋 14 西洋の唐茄子

長谷川時雨

西洋の唐茄子 長谷川時雨 青葉の影を「柳の虫」の呼び声が、細く長く、いきな節に流れてゆく。 ――孫太郎むしや、赤蛙…… ゆっくりとした足どりで、影を踏むように、汚れのない黒の脚絆と草鞋が動く――小いさな引出しつきの木箱を肩から小腋にかけて、薄藍色の手拭を吉原かむりにしている。新道にはまだ片かげがあって打水に地面がしっとりとしている。 ――しもたやのくせに店を

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旧聞日本橋 15 流れた唾き

長谷川時雨

流れた唾き 長谷川時雨 神田のクリスチャンの伯母さんの家の家風が、あんぽんたんを甚くよろこばせた。この伯母さんは、女学校を出て、行燈袴を穿いて、四円の月給の小学教師になったので、私の母から姉妹の縁を切るといわれた女だ。でも、当時を風靡した官員さんの細君になったので、また縁がつながったものと見える。思うに私の母はちと癪だったに違いない。家業は自分の夫の方が小粋

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旧聞日本橋 16 最初の外国保険詐欺

長谷川時雨

最初の外国保険詐欺 長谷川時雨 この章にうつろうとして、あんぽんたんはあまりあんぽんたんであった事を残念に思う。ここに書こうとする事は、私の幼時の記憶と、おぼろげに聞き噛っていただけの話ではちと荷がかちすぎる。 私はまことに呑気な、ぽかんとした顔をしているが、私というものが生をこの世にうける前は江戸が甦生し、新たに生れた東京という都が、総てに新生の姿をとって

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旧聞日本橋 17 牢屋の原

長谷川時雨

牢屋の原 長谷川時雨 金持ちになれる真理となれない真理――転がりこんで来た金玉を、これは正当な所得ではございませんとかえして貧乏する。いまどきそんなことはないかもしれないが、私のうちがそれだった。 御維新のあとのごたごたが納まっても、なかなか細かしいことは何時までも残っていたのであろう。転がりこんで来た金玉を押返してしまった人たちが、ある日こんなことをいって

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旧聞日本橋 18 神田附木店

長谷川時雨

神田附木店 長谷川時雨 八月の暑い午後、九歳のあんぽんたんは古帳面屋のおきんちゃんに連れられて、附木店のおきんちゃんの叔母さんの家へいった。 附木店は浅草見附内の郡代――日本橋区馬喰町の裏と神田の柳原河原のこっちうらにあたっている。以前は、日本橋区の松島町とおなじ層の住民地で、多く願人坊主がいたのだそうだ。附木を造って売ったから附木店の名がある。だが、あたし

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旧聞日本橋 19 明治座今昔

長谷川時雨

明治座今昔 長谷川時雨 芦寿賀さんは、向う両国の青柳といった有名な料亭の女将でもあった。百本杭の角で、駒止橋の前にあって、後には二洲楼とよばれ、さびれてしまったが、その当時は格式も高く、柳橋の亀清よりきこえていたのだ。横浜にいった最初の旦那は、判事さんだというものもあったが、その人はどうしたことか切腹してしまったのだ。 だからおしょさんが、お嬢さんあいての月

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旧聞日本橋 20 西川小りん

長谷川時雨

西川小りん 長谷川時雨 夏の朝、水をたっぷりつかって、ざぶざぶと浴衣をあらう気軽さ。十月、秋晴れの日に張りものをする、のんびりした心持は、若さと、健康に恵まれた女ばかりが知る、軽い愉快さである。親しいもののために手軽くつくる炊事の楽しさと共に、男や、貴人の知らない心地であろう。 私はときものの興味を、今でも多分にもっている。背筋の上から、ずっと下の針止めに鋏

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