Vol. 2May 2026

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公共领域世界知识图书馆

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旧聞日本橋 21 議事堂炎上

長谷川時雨

議事堂炎上 長谷川時雨 明治廿二年二月の憲法発布の日はその夜明けまで雪が降った。上野の式場に行幸ある道筋は、掃清められてあったが、市中の泥濘は、田の中のようだった。 上野広小路黒門町のうなぎや大和田は、祖母に金のことで助けられていたので、その日も私たち子供に、最大公式の鹵簿を拝観させようと心配してくれた。 うなぎやの親方は、私の父に揚板の下の鰻を見せて、あら

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旧聞日本橋 22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一)

長谷川時雨

あたしの古郷のおとめといえば、江戸の面影と、香を、いくらか残した時代の、どこか歯ぎれのよさをとどめた、雨上りの、杜若のような下町少女で、初夏になると、なんとなく思出がなつかしい。 土一升、金一升の日本橋あたりで生れたものは、さぞ自然に恵まれまいと思われもしようが、全くあたしたちは生花の一片も愛した。現今のように、ふんだんに花の店がない時分だから、一枝の花の愛

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旧聞日本橋 23 鉄くそぶとり(続旧聞日本橋・その二)

長谷川時雨

あんぽんたんとよばれた少女のおぼつかない記憶にすぎないが、時が、明治十六年ごろから多く廿年代のことであり、偶然にも童女の周囲が、旧江戸の残存者層であって、新文明の進展がおくれがちであったことなど、幾分記録されてよいものであったためか、先輩の推賞を得た拙著『旧聞日本橋』の稿を、ここにつづけることをよろこびといたします。 お夜食におくれて、遅く帰って来た人のお菜

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旧聞日本橋 24 鬼眼鏡と鉄屑ぶとり(続旧聞日本橋・その三)

長谷川時雨

堀留――現今では堀留町となっているが、日本橋区内の、人形町通りの、大伝馬町二丁目後の、横にはいった一角が堀留で、小網町河岸の方からの堀留なのか、近い小舟町にゆかりがあるのか、子供だったわたしに地の理はよく分らなかったが、あの辺一帯を杉の森とあたしたちは呼んでいた。 土一升、金一升の土地に、杉の森という名はおかしいようだが、杉の森稲荷の境内は、なかなか広く、表

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旧聞日本橋 25 渡りきらぬ橋

長谷川時雨

渡りきらぬ橋 長谷川時雨 一 お星さまの出ていた晩か、それとも雨のふる夜だったか、あとで聞いても誰も覚えていないというから、まあ、あたりまえの、暗い晩だったのであろう。とにかく、あたしというものが生まれた。 戸籍は十月の一日になっているが、九月廿八日だとか廿九日だとか、それもはっきりしない。次々と妹弟が生まれたので、忘れられてしまったのか、とにかく、露の夜ご

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旧藩情

福沢諭吉

旧藩情 福沢諭吉 旧藩情緒言 一、人の世を渡るはなお舟に乗て海を渡るがごとし。舟中の人もとより舟と共に運動を與にすといえども、動もすれば自から運動の遅速方向に心付かざること多し。ただ岸上より望観する者にして始てその精密なる趣を知るべし。中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし

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旧い記憶を辿つて

上村松園

旧い記憶を辿つて 上村松園 その頃の絵は、今日のやうに濃彩のものがなくて、何れもうすいものでした。恰度春挙さんの海浜に童子の居る絵の出たころです。そのころは、それで普通のやうにおもつてゐたのでした。今日のは、何だか、そのころからみるとずつと絵がごつくなつてゐるとおもひます。 法塵一掃は墨絵で、坊さんの顔などは、うすいタイシヤで描かれてゐました。尤も顔の仕上げ

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早すぎる埋葬

ポーエドガー・アラン

興味の点はまったく人を夢中にさせるものであるが、普通の小説にするのにはあまりに恐ろしすぎる、というような題材がある。単なるロマンティシストは、人の気を悪くさせたり胸を悪くさせたりしたくないなら、これらの題材を避けなければならない。それらは事実の厳粛と尊厳とによって是認され支持されるときにだけ正しく取り扱われるのである。たとえば、我々はベレジナ河越え(1)や、

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早春

田山花袋

△ 風邪を惹いた床の中で『蜻蛉日記』を読む。学生時代にもよくひつくり返したものだが、今になつて読むと、いろいろなことがはつきりとわかつて面白い。何の事はない、それはその時分の心境小説だ。やれ源氏、やれ枕の草紙と言つて、普通はそれ以外に何もないやうに言つてゐるが、かういふ心境小説が、しかも時の大臣の思ひものの書いた心境小説が残つてゐるとはいかにしても不思議だ。

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早春

豊島与志雄

早春 豊島与志雄 もともと、おれは北川さんとは何の縁故もない。街で偶然出逢っただけのことだ。 牛の煮込み……といっても、おもに豚の腸や胃や食道、特別には肝臓と心臓、そのこま切れを竹串にさして、鉄鍋でぐらぐら味噌煮にしたものだが、その鍋をかこんでアルコールを飲むという、この頃たいへんはやっている安直な飲み屋が、近くの街角に一つあった。 おれも時々鍋をつっつきに

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早春

小山清

おきぬは武蔵野市のはずれにある、アパートの女中である。ことし十九になる。小柄でまるまるとふとっていて、お団子のような感じがする。油気のない髪をしていて、器量もまずい。男の気を惹くようなところは、なにもない。けれども、その細い象のような目には善良な光が宿っていた。 おきぬの生家は、ここからさほど遠くない、西多摩の羽村にある。父親の商売は豆腐屋で、おきぬは次女で

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早春のひところ

牧野信一

そのころ私は、文科の学生でありましたが、小説といふものにいさゝかの興味もなく――といふよりも小説の類ひを読んだことがなかつたので――主に西洋の哲学や科学の書に親しみ、興味と云へば星の観測ぐらゐのものでした。ほとんど友達といふものもなく、大概自分の部屋に引込んで、何かこつこつと机の上で辞書を引いたり、書抜をこゝろみたりしながら漫然と孤独の時間を過して居るといふ

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早春の山女魚

佐藤垢石

豊満な肉をおおった青銀色の鱗の底に、正しく並んだ十三個の斑点が薄墨ぼかしの紫を刷いたように、滑らかな肌から泛び出て、その美しさは形容の言葉がない。かがやき透るような円らかな眼、スマートな姿、山女魚は何と清麗な魚であろう。 三月一日から、山女魚釣の解禁となる。 釣には、幾十幾百と種類はあろう。しかし山女魚釣ほど興味が深く、淡雅な環境を持つ釣は他にないと言える。

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早春散歩

中原中也

空は晴れてても、建物には蔭があるよ、 春、早春は心なびかせ、 それがまるで薄絹ででもあるやうに ハンケチででもあるやうに 我等の心を引千切り きれぎれにして風に散らせる 私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに 少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、 風の中を吹き過ぎる 異国人のやうな眼眸をして、 確固たるものの如く、 また隙間風にも消え去る

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早春箋

辻村もと子

早春箋 辻村もと子 まづまづ安着いたしましたこと、ご安心あそばして下さいませ。二日二晩も汽車や船にのりづめでは、臟腑がごちやごちやになつてしまふだらうにと、お母さまはおつしやつて不安さうになさいましたけれど、おもひのほかなんともないものでございます。もつとも初めての長旅なので夫も大変気づかつてくれまして、途中、前便のとほり松島を見物いたし、青森で船のでるのを

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早稲田大学

尾崎士郎

新秋の一日、――私は大隈会館の庭園の中を歩いていた。午後の空が曇っているせいか、手入れの行きとどいた庭園でありながら、何となく荒廃したかんじが視野の中にあふれている。昔は樹立のふかい、雅趣のゆたかな庭であった。時代とともに錆びついた色彩が、チラチラと記憶の底からよみがえってくるだけに、今はあとかたもなく変りはてた、がらんどうの広場をゆびさしながら、此処が昔は

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早稲田大学について

尾崎士郎

批判という言葉に拘泥すると、早稲田大学という特定な学校形式はまったく存在のないものになってしまう。特に学生のもつ生活内容が、内側から生ずる思想や情熱の環境によって基礎づけられることが稀薄となり、常に外側から来る政治力と結びつくことによって決定されるような傾向を示している時代には、特に学校の性格だけをとりあげて云々するということそれ自体が既に一種の時代錯誤でも

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「早稲田大学」凡例

尾崎士郎

一、私は少年時代から大隈重信が好きである。彼に取材する歴史的小説を書くことは、この数年来の計画の一つであり、「早稲田大学」は、その重要な骨骼を示すべきものである。昭和二十七年十月、早稲田大学創立七十周年にあたり、この作品の完成がこれと軌を一にしたことは、作者の尠からず愉快とするところであるが、しかし、この作品執筆の動機は、学校側の要請によるものではない。正確

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早稲田神楽坂

加能作次郎

神楽坂通りの中程、俗に本多横町といって、そこから真直ぐに筑土八幡の方へ抜ける狭い横町の曲り角に、豊島という一軒の床屋がある。そう大きな家ではないが、職人が五、六人もおり、区内の方々に支店や分店があってかなり古い店らしく、場所柄でいつも中々繁昌している。晩になると大抵その前にバナナ屋の露店が出て、パン/\戸板をたたいたり、手をうったり、野獣の吠えるような声で口

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早耳三次捕物聞書 01 霙橋辻斬夜話

林不忘

友人の書家の家で、私は経師屋の恒さんと相識になったが、恒さんの祖父なる人がまだ生きていて、湘南のある町の寺に間借りの楽隠居をしていると知ったので、だんだん聞いてみると、このお爺さんこそ安政の末から万延、文久、元治、慶応へかけて江戸花川戸で早耳の三次と謳われた捕物の名人であることがわかった。ここに書くこれらの物語は、古い帳面と記憶を頼りに老人が思い出しながら話

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早耳三次捕物聞書 02 うし紅珊瑚

林不忘

一 人影が動いた、と思ったら、すうっと消えた。 気のせいかな、と前方の暗黒を見透しながら、早耳三次が二、三歩進んだ時、橋の下で、水音が一つ寒々と響き渡った。 はっとした三次、欄干へ倚って下を覗いた。大川の水が星を浮かべて満々と淀み、※を打って白く砕けている。その黒い水面を浮きつ沈みつ、人らしい物が流れていた。 「や、跳びやがったな!」 思わず叫ぶと、大川橋を

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早耳三次捕物聞書 03 浮世芝居女看板

林不忘

第一話 四谷の菱屋横町に、安政のころ豆店という棟割長屋の一廓があった。近所は寺が多くて、樹に囲まれた町内にはいったいに御小役人が住んでいた。それでも大通りへ出る横町のあたりは小さな店が並んで、夕飯前には風呂敷を抱えた武家の妻女たちが、八百屋や魚屋やそうした店の前に群れていた。 豆店というのは、菱屋横町の裏手の空地にまばらに建てられた三棟の長屋の総称で、夏にな

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早耳三次捕物聞書 04 海へ帰る女

林不忘

いやもう、いまから考えると途方もないようだが、元治元年といえば御維新の四年前で、蛤御門の変、長州征伐、おまけに英米仏蘭四カ国の聯合艦隊が下関を砲撃するなど、とかく人心が動揺している。したがってなかなか珍談があるなかにも、悪いやつらが腕に捻りをかけて天下を横行したから、捕物なんかにも変り種がすくなくない。 これは江戸花川戸の岡っ引、早耳三次が手がけた事件の一つ

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