Vol. 2May 2026

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明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説

福沢諭吉

自尊自大と云ふことは固より惡いことはない。こりや人情の自然で、即ち愛國心の命ずる所であるから、或は小供などには殊更らに之を勸めるも宜しい、又勸めなければならぬであらう。譬へば英吉利で學校の小供に地理を教へる、所で英吉利の彼の島を露西亞や亞米利加の領分に比すれば如何にも小さくて何だか風が惡いと云ふところからして、別段に地圖を拵えて殊更らに自分の國を大きく書いて

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明治三十二年頃

寺田寅彦

明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡子規の家へ遊びに行った。それとほとんど同時に『ホトトギス』という雑誌の予約購読者になったのであったが、あの頃の『ホトトギス』はあの頃の自分にとっては実にこの上もなく面白い雑誌であった。先ず第一に表紙の図案が綺麗で目新しく、俳味があってしかも古臭くないものであった。不折、黙語、外面諸画伯の挿画や裏絵

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明治三十四年東京帝国大学文学部卒業生に

小泉八雲

一九〇六年五月二十六日  東京 親愛なる學生及び友人諸君、 私は一九〇一年の卒業生諸君の立派な寫眞、及びそれぞれの肖像に小さい索引をつけて下さつた思慮深き御親切に對して、心から御禮を申します、――その御親切は私自身のやうな近眼の者が本當に有難く思ふ事です。 以前の生徒と友人の寫眞――過去十一年間に集まつた寫眞――を眺める事は、私に取つては、決して飽かない樂み

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明治二十四、五年頃の東京文科大学選科

西田幾多郎

明治二十四、五年頃の東京文科大学選科 西田幾多郎 私共が故郷の金沢から始めて東京に出た頃は、水道橋から砲兵工廠辺はまだ淋しい所であった。焼鳥の屋台店などがあって、人力車夫が客待をしていた。春日町辺の本郷側のの下には水田があって蛙が鳴いていた。本郷でも、大学の前から駒込の方へ少し行けば、もう町はずれにて、砂煙の中に多くの肥車に逢うた。 その頃には、今の大学の正

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明治の五十銭銀貨

服部之総

この夏配達された、さる新聞の家庭用付録に「オカネの値打ち」という記事にあわせて、明治から昭和にいたる五十銭銀貨の実物大の図譜が載っていた。いまの十円青銅貨を、昭和八年の五十銭銀貨のうえにのせてみると、ぴたりと合うばかりでなくギザの数まで百三十二、そっくり同じである。物価指数(昭和九―十一年消費者物価指数)ではかると、「満州国皇帝」が「友邦」日本に挨拶にくるこ

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明治卅三年十月十五日記事

正岡子規

余が病体の衰へは一年一年とやうやうにはなはだしくこの頃は睡眠の時間と睡眠ならざる時間との区別さへ明瞭に判じ難きほどなり。睡さめて見れば眼明かにして寝覚の感じなく、眼を塞ぎて静かに臥せばうつらうつらとして妄想はそのままに夢となる。されば朝五時六時頃に眼さむるを常とすれど朝の疲労せる時間を起きて頭脳を使はんは少しにても静かにあらんに如かずと、七時八時頃までうつら

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明治の地獄

三遊亭円朝

明治の地獄 三遊亭円朝 えゝ一席申上げます、明治の地獄も新作と申す程の事でもなく、円朝が先達て箱根に逗留中、宗蓮寺で地獄極楽の絵を見まして、それから案じ附きましたお短かい落語でございますが、まだ口慣れませんからお聞苦しうございませう。人間が死んで地獄へ行くとか、善を為したる者は極楽へ昇天するとか、宗教の方では天国へ行く、悪国へ堕ると云ふ、何方が本当だか円朝に

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明治大学文芸科に演劇映画科を新設する件

岸田国士

明治大学文芸科に演劇映画科を新設する件 岸田國士 私はかねがね日本の現状からみて、演劇映画の仕事に携はるものが、単に実務による経験のみを頼らず、系統だつた基礎知識と、良い意味でのアカデミツクな修業とを身につけてから、それぞれ職業的な部門につくやうにしなければ、将来この方面における人的要素の充実は困難であらうといふ見透しをつけてゐた。 勿論、今までも個人々々の

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明治大正美人追憶

長谷川時雨

明治大正美女追憶 長谷川時雨 最近三、五年、モダーンという言葉の流行は、すべてを風靡しつくして、ことに美女の容姿に、心に、そのモダンぶりはすさまじい勢いである。で、美女の評価が覆えされた感があるが、今日のモダンガールぶりは、まだすこしも洗練を経ていない。強烈な刺戟は要するにまだ未熟で、芸術的であり得ないきらいがある。つねに流行は、そうしたものだといえばそれま

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「明治のおもかげ」序にかえて

喜多村緑郎

大阪にて 喜多村緑郎 『明治のおもかげ』という随筆を書いたから、序文を書け、という手紙を留守宅から回送して来たのだが、日も迫っているし、旅にいる身の、内容を知るすべもない。しかしいずれの方面に筆をとられたものとしても、これこそ作者独得の擅場、充分蘊蓄を披瀝されることを望ましく思う。単に『明治のおもかげ』という題名を聞いただけでも、わたしに取っては頗るなつかし

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明治座の所感を虚子君に問れて

夏目漱石

明治座の所感を虚子君に問れて 夏目漱石 ○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町に芝居小屋がたくさんあったかのように、何と

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明治座評 (明治二十九年四月)

三木竹二

明治座の一番目「明智光俊誉乗切」は三幕にて、山崎合戦より唐崎の馬別れに終る。例の通「真書太閤記」も一二節に芝居の衣をかけしまでにて、かたりに記せる修羅場の読切といへるには適すれども、むづかしき戯曲論など担ぎ出すべきものに非ず。しかし光俊を見するなら、坂本の宝物渡しまで見すれば少しは筋が通れど、馬別れだけでは喰ひ足りずとは女子供までが申すなり。 序幕山崎街道立

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明治の戦争文学

黒島伝治

明治維新の変革以後、日本資本主義は、その軍事的であることを、最も大きな特色の一つとしながら発展した。 それは、維新後の当初に於ては、おくれて発達した資本主義国として、既に帝国主義的段階への過渡期に入りつゝあった世界資本主義に対抗するため軍備の力が必要だった。しかし、その軍事的性質は、国民的解放の意義が失われ過ぎ去った後までも存続し、日清、日露の戦争に勝利を博

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明治文学の概観

田山花袋

明治の文学は、飜案の時代、飜訳の時代だと言へる。国民性といふことが言はれるけれど、その国民性と文学と何の点まで一致して居るかといふことは疑問である。 勿論、それは明治の時代がさういふ時代であるからである。物質上ばかりでなく、精神上にも一般に模倣飜案といふことは争はれない。学者も思想家も創作家も、西洋の著書からその思想と問題と様式と着想とを得て来て、そしてそれ

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明治文学管見 (日本文学史骨)

北村透谷

一、快楽と実用 明治文学も既に二十六年の壮年となれり、此歳月の間に如何なる進歩ありしか、如何なる退歩ありしか、如何なる原素と如何なる精神が此文学の中に蟠りて、而して如何なる現象を外面に呈出したるか、是等の事を研究するは緊要なるものなり、而して今日まで未だ此範囲に於て史家の技倆を試みたるものはあらず、唯だ「国民新聞」の愛山生ありて、其の鋭利なる観察を此範囲に向

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明治の文学の開拓者 ――坪内逍遥――

内田魯庵

坪内君の功労は誰でも知ってる。何も特にいわんでも解ってる。明治の文学の最も偉大なる開拓者だといえばそれで済む。福地桜痴、末松謙澄などという人も創業時代の開拓者であるが、これらは鍬を入れてホジクリ返しただけで、真に力作して人跡未踏の処女地を立派な沃野長田たらしめたのは坪内君である。 有体にいうと、坪内君の最初の作『書生気質』は傑作でも何でもない。愚作であると公

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明治時代の湯屋

岡本綺堂

明治時代の湯屋 岡本綺堂 明治時代の湯屋について少しく調べたいことがあったので旧い雑記帳を引っくり返したり、旧い記憶を呼び起したりした。その時代の銭湯と今日のいわゆる浴場とは多少の相違があるので、何かの参考までにその一部をここに抄録することにした。勿論、一口に明治といっても、その年代によって又相当の変遷が見出されるのであるが、ここにいう「明治時代」は二十七八

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明治演劇年表

岡本綺堂

明治時代の劇を研究する人々の参考にもなろうかと思って、左の演劇年表を作ってみた。勿論完全な物ではないが、先ずこのくらいの事は知っていても好かろうという程度で編集したのである。但しその年表が東京だけにとどまって、関西方面まで手が廻らないのは、編者が関西劇界の事情をよく諳んじていないがためである。 明治の初年は、江戸から東京へ移った過渡時代で、編入すべき事項も頗

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明治美人伝

長谷川時雨

明治美人伝 長谷川時雨 一 空の麗しさ、地の美しさ、万象の妙なる中に、あまりにいみじき人間美は永遠を誓えぬだけに、脆き命に激しき情熱の魂をこめて、たとえしもない刹那の美を感じさせる。 美は一切の道徳規矩を超越して、ひとり誇らかに生きる力を許されている。古来美女たちのその実際生活が、当時の人々からいかに罪され、蔑すまれ、下しめられたとしても、その事実は、すこし

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明治詩壇の回顧

三木露風

過ぎ去つた詩を回顧するのは、灰の中に宝玉を拾ふやうなものだ。併し幾たびとなく変遷して来たその中に、我々の胸に忘れ難い感銘を遺したものが尠くない。時とすると二三人の人の集つたところに興味ある批評を聴くことがある。僕は斯ういふ人達が各愛読の詩集の一つや二つ必ず持つて居たことを懐しく感ずるのである。 今では古く出た詩集は、次第に世間から影を失つてゆく。明治の詩とい

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明治開化 安吾捕物 01 読者への口上

坂口安吾

この捕物帖はたいがい五段からできています。第一段は虎之介が海舟を訪ねて事件の説明にかかること。(但し、この段は省くことがある。)第二段は事件の説明。第三段は海舟が推理のこと。第四段は新十郎が犯人を見つけだすこと。第五段は海舟が負け惜しみを云うこと。以上のうち第二段がほぼ全体の六分の五をしめ、全部が六十枚なら、この段に五十枚、他は全部を合せても十枚ぐらいで、こ

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明治開化 安吾捕物 02 その一 舞踏会殺人事件

坂口安吾

氷川の海舟屋敷の黒板塀をくぐったのは神楽坂の剣術使い泉山虎之介。この男、時はもう明治十八九年という開化の時世であるが、酔っぱらうと、泉山虎之介タチバナの時安と見得を切って女中のホッペタをなめたがる悪癖がある。 虎之介は幼少のころ、海舟について剣術を習ったことがある。そのころの勝海舟はいたって貧乏、まだ幕府には重用されず、剣術や蘭学などをメシの種にしていた。習

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明治開化 安吾捕物 03 その二 密室大犯罪

坂口安吾

秋ばれの好天気。氷川の勝海舟邸の門をくぐったのは、うかない顔の泉山虎之介であった。よほど浮かない事情があるらしい。 玄関へたどりつくと、ここまで来たのが精いっぱい、というように、玄関脇に置いてある籐椅子にグッタリとつかまって、吐息をついた。こわれかけた籐椅子がグラつくのも気づかぬ態に腰かけて、額に指をあててジックリと考えこんだがミロク菩薩のような良い智慧はう

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明治開化 安吾捕物 04 その三 魔教の怪

坂口安吾

秋雨の降りしきる朝。海舟邸の奥の書斎で、主人と対坐しているのは泉山虎之介。訪客のない早朝を見すまして智恵をかりにきたのであるが、手帳をあちこちひッくりかえして、キチョウメンに書きこんだメモと首ッぴきに、入念に考えこんでは説明している。後先をとりちがえないためである。 「本件に先立ちまして、昨年暮に突発いたした奇怪事から申上げなければなりません。御記憶かと思い

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