日本人のたしなみ
岸田国士
日本人のたしなみ 岸田國士 「たしなみ」 「たしなみ」といふといかにもありふれた言葉ですが、これが今の日本人に忘れられてゐるやうです。大きな弱点です。これは文学でも経済でも政治でもさうですし、殊に生活の上ではさうです。 「たしなみ」といふことはわれわれが知つてゐなければならぬことを知つてゐることであり、また美しいものを美しいと見、正しいものを正しいと考へるの
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岸田国士
日本人のたしなみ 岸田國士 「たしなみ」 「たしなみ」といふといかにもありふれた言葉ですが、これが今の日本人に忘れられてゐるやうです。大きな弱点です。これは文学でも経済でも政治でもさうですし、殊に生活の上ではさうです。 「たしなみ」といふことはわれわれが知つてゐなければならぬことを知つてゐることであり、また美しいものを美しいと見、正しいものを正しいと考へるの
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大政翼賛会と文化問題 岸田國士 翼賛会の文化部としては、現在まで政府が実行して来た文化政策といふものゝ全体に亘つて、一応どういふことが今日までなされて来てをり、またそれがどういふ結果を生んでゐるか、更にまた政府がどういふ方向に導いてくれゝば、一層国民全体の間に文化が向上するか、さういふやうな問題に就て研究をしてをります。 この文化政策といふ言葉は、今日まで実
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生活の貧しさ 岸田國士 紀元節の朝、一映画女優の実演とやらを観るために、多数の見物が丸之内の某劇場に押しかけ、蜿蜒長蛇の列をつくるだけならまだしも、その余りが道路を埋め、百名の警官が整理に当つたが、群衆はその制止をきかず、混乱の極、怪我人まで出してつひに退散を命ぜられたといふ馬鹿馬鹿しい話が伝へられた。 私はその現状を目撃したわけではないが、聞くところによる
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女性へ 1 岸田國士 私はこの事変以来、全日本の女性の祈願を日夜、胸の底に聴き、彼女たちが、歴史上いまだかつて見ないこの民族の大試煉に堪へる力のみが、やがて祖国日本を救ふであらうと固く信じてゐるのである。 一国の政治が男子の手に委ねられてゐるといふ見方からすれば、女性は悉く被治者の地位に立つものゝやうであるけれども、さういふ意味の政治は、今日誰の眼にも行きづ
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青年へ 岸田國士 日本は今、興亡の岐路に立つてゐる。この事実をわれわれはまづはつきり頭にいれておかなければならぬ。わが民族の矜りは「どうにかなる」といふやうな哲学の上に築かれてゐるのでは断じてないのである。 国民は明日の日本が何処へ行くべきかをひとしく心に想ひ描いてゐる。しかしながら、現実の政治はまだまだ矛盾と混乱に満ち、指導者は輝かしい未来の姿を少しも予言
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宗教と科学についての所感 岸田國士 宗教について 宗派をどうするとか、宗教団体を再編成するとかいふことについては、実際の事情をまだ知らないから現在なんにも考へてはをりませんが、宗教心――所謂宗教的感情といふものがこの頃の日本人には非常に少ないやうです。 さういふことについて、今の宗教家などはどういふ風な考へをもつてゐるのでせうか。 或る宗教を信仰させる、つま
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新文化建設の方向 岸田國士 私はこの度、大政翼賛会文化部の仕事を引受けることになつたのであるが、引受けてみて、さて驚いたことは、「文化」といふ言葉がそれぞれの方面でいかに違つた意味にとられてゐるかといふことである。 従つて、お前の文化部では、いつたい何をするのかといふ質問を頻々と受ける。或る人は文化政策を樹てろと云つておどかす。或る人は教育の根本的刷新に乗り
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生活文化の建設 岸田國士 今度満洲の特に北満に居住するロシア人の日常生活を視る機会を得て感じたのは、民衆の娯楽といふことである。日本内地でも近頃は「健全な娯楽」が当局者の間でもまた民間でも考へられてゐるやうだが、然し特別な娯楽施設といふものは考へられてゐないやうだ。 現在の生活技術を身につけて、生活自体の中に生活を楽しむ要素を織り込むやうにすれば、そこに初め
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都市文化の危機 岸田國士 一 都市は元来、その規模の大小にかゝはらず、政治、経済の中央集権的な機構が作りだした、高度技術生活の凝結体である。 従つて、都市を形作る要素は、それ自体技術文化と緊密に結びついてゐるのだから、民族として発展した基本社会のうちにあつて、おのづから、頭脳的な地位を占めるものである。 こゝから、首府が地方に対し、都邑が農山漁村などに対して
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俳優倫理 岸田國士 1 俳優とは何か 講義の題目は俳優倫理というのですが、俳優倫理という言葉は今日までどこでも使われた例はないと思います。この研究所で初めてそういう講義の題目を作ったのですが、元来、この種の問題に関して今日まで纏った意見というものは恐らく東西を通じて発表されてないだろうと私は思います。しかし、俳優を単に芸術家としてだけでなく、人間として論じた
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風俗の非道徳性 岸田國士 一 時局が特に要求する国民の覚悟といふことについて私は考へた。わが国民全体がかうあらねばならぬといふ状態を想像してみる。人間がおほむねさうあり得る現実の諸条件を計算に入れたうへである。 現代の日本人がもつ強味と弱点とがまづ問題になるであらう。 強味はなんと云つても国家意識の旺盛なことである。敵愾心も強い。いざといふ場合、有無を云はぬ
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春日雑記 岸田國士 去年の秋からどうもからだの調子がわるく、新聞の仕事があつたので、用心して入院したり転地したりした。 話をするとどうもいけない。それでなるべく人にも会はず、会つても向うにばかり話をさせておくといふ風で、これもなかなか骨の折れる修業である。 その間に、しかし、私は、偶然各方面の人々と識り合つた。どこでも同じと思ふが、人が寄れば必ず戦争の話であ
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新聞小説とは 岸田國士 「新聞小説」についての感想を書けといふ注文である。本紙連載の「泉」をやつと書きをへたところなので、それがどういふものであるにもせよ、自分のことを問題にするやうで気がひけるけれども、経験を経験として率直に語つてみよう。 職業的といふ言葉が当節いろんな意味に使はれてゐるが、私は、「新聞小説」ぐらゐ「職業」といふ意識をもつて書かなければなら
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「炬火おくり」について 岸田國士 私がフランスの現代戯曲にはじめて接したのは、この「炬火おくり」である。もう二十何年か前のことである。私はこれを今の京大教授D博士の前で、おそるおそる訳した。むろん教へを受けるためであつた。 その後、巴里でこの戯曲がコメデイ・フランセエズの上演目録に加へられたのを知つて、わざわざ見に行つた。そして、新たな感動を受けた。新たなと
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フランスには文学賞の数が非常に多く、その意味では受賞作品必ずしも生命の永い傑作とは云ひがたいけれども、その選択の標準にはつきりした意図が示され、且つそれぞれの作家の其後の業績をも考慮に入れるなら、最近十年間のフランス文壇の最も溌溂たる動きを見るのにこれ以上便利で有益な資料はなく、一方、多数のわが国の読者にとつて、若い文学の新鮮な魅力を、異国的にして同時に世界
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事変記念日 岸田國士 事変は遂にまる二年続いた。まだ何時終るかわからぬ。次ぎ次ぎに新しい事態が発生する。予期したところとは云へ、国民はその都度、別に顔色を変へない。なんとかうまく行くものと思つてゐる。何か目に見えない力に頼りきつてゐる風である。 由来、日本国民はさういふ訓育を受けて来てゐる。今日まではそれで押し通して来た。が、一方で、頻りに警告が発せられてゐ
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母親の心理学 岸田國士 ある知人の小児科医がかつて私に云つた。「近頃は生意気なお母さんがふえて、診てもらふ子供の病名を先に云ふのがゐる。今これ/\の手当をしてゐるなどゝ得意になつてまくしたてるのがゐるよ。困つたもんだね。まるでお母さんが自分の医学知識に折紙をつけさせようと思つてわれわれの処へやつて来るみたいだよ。さういふのは、得て誤診と相場がきまつてゐる。生
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続言葉言葉言葉(その二) 岸田國士 近頃ある疑ひが私を囚へて放さない。 時代はある行為とある言葉とを奨励し、制限し、これによつて、民衆の趨向を決定しようとしてゐる。ところが、人間はもともと、行為の奴隷でもなく、言葉の傀儡でもないのであつて、その中間に、或は、その二つのものゝ根底に、時としてはこの二つのいづれにも関はりのない「思想」を匿してゐるものである。 こ
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女性の力 岸田國士 私は最近、ある本を読んで非常に感動をうけた。それは長島癩療養所勤務の女医小川正子さんの手記「小島の春」といふ本である。 瀬戸内海に近い方の田舎にはまだ医療の手の届かない癩患者が多数をり、この病気が決して遺伝性のものではなく、まつたく伝染性のものだといふことが知られてゐないために、患者自身もその家族のものも、たゞ世間をせばめて悲惨な生活を送
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或る風潮について 岸田國士 日本人が日本人に向つて日本のことを褒めて話すといふ風潮が近頃目立つやうであるが、これは現在の日本に於いてはたしかにその必要があるからだと思ふけれども、そこにちよつと微妙な呼吸があつて、それほど変でないものと、妙にくすぐつたい、もうやめてくれと云ひたくなるやうなものとがある。日本人でありながら、頭から日本を馬鹿にしてゐたやうな人々に
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新築地に与へて 岸田國士 およそひとつの新劇団の歴史といふものは、常に苦闘の連続なのであるが、現在、創立十周年を迎へるといふ新築地劇団の如きは、あらゆる意味に於て満身瘡痍といふ感じを与へ、今日までその生命を持ちつゞけたことは寧ろ奇蹟であると云つていゝ。しかし、それでゐて、単に余命を保つかたちでなく、立派にその団結の中心を芸術的な目標において、時に衆目をそばた
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事変第三年を迎へて 岸田國士 感想をもとめられて、今、私は改めて云ふこともないが、国民の一人として、今年こそは東亜の天地に黎明がおとづれることを祈るものである。 もちろん、戦さの長びくのは止むを得ない。しかし、戦さが続いてゐる間、国民全体がたゞ政府の一挙手一投足にのみ眼を注いでゐるといふ状態ではまだ物足りぬと思ふ。さあ今度はかうしろと指図を受け、それがどんな
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従軍五十日 岸田國士 前記 この記録は昨年九月から十月にかけて、いはゆる「従軍作家」の一人として中支戦線のところどころを視察した結果、生れたものであるが、もともとこの種のノートを発表することによつてわれわれの任が果されたとは毛頭考へてゐない。 しかし、自分の僅かばかりの見聞のなかゝら、国民全体に是非知つてもらはねばならぬと思ふことは、今日許される範囲でとりあ
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日本演劇の特質 岸田國士 九月三日(土曜日)午前九時三十分開講 今から「日本演劇の特質」といふ題でお話をしようと思ひます。皆さんは特別に日本の演劇を研究しようといふ目的を持つておいでになるお方ではないと思ひます。ですから余り専門的なお話をしても面白くないので、成るべく皆さんが日本に滞在しておいでになる間、日本の芝居に接触なさる上で御便宜になる様なお話をしたい