Vol. 2May 2026

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公共领域世界知识图书馆

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星と柱を数えたら

小川未明

あるところに、広い圃と、林と、花園と、それにたくさんな宝物を持っている人が住んでいました。この人は、もうだいぶの年寄りでありましたから、それらのものを、二人の息子たちに分けてやって、自分は隠居をしたいと思いました。 けれど、兄のほうも、弟のほうも、そろって怠け者でありました。兄のほうは、一日仕事もせずに、ぶらぶらと家の中で遊んでいました。そして、圃へ出て働い

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星の銀貨

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

むかし、むかし、小さい女の子がありました。この子には、おとうさんもおかあさんもありませんでした。たいへんびんぼうでしたから、しまいには、もう住むにもへやはないし、もうねるにも寝床がないようになって、とうとうおしまいには、からだにつけたもののほかは、手にもったパンひとかけきりで、それもなさけぶかい人がめぐんでくれたものでした。 でも、この子は、心のすなおな、信

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映画

宮本百合子

映画 宮本百合子 雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがいやで、外に出て来たのであった。自分が親切と思ってしたこと、そのことが思っていたような結果としてはあらわれず、自分が自分の

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映画アカデミイについて

岸田国士

映画アカデミイについて 岸田國士 この問題を私が最初に提唱したのは一九三六年の秋である。その時は主として、国家が映画や演劇の政治的文化的意義に着眼して、先づ民間では至難とされてゐる現代俳優の本格的養成に乗出してほしいといふ意味のことを述べたのであるが、私のこの希望は、音楽家や美術家を国家が国費をもつて育てようと企図する実例を基礎として生れたものである。 しか

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映画のダイアローグについて

岸田国士

ある映画のダイアローグが、面白いか、面白くないかといふことを特に取りたてて論じてみたところで、それはあまり意味のないことである。なぜなら、面白いダイアローグは、面白いテーマや面白い人物の面白い組合せから生れるものだから、作品全体のなかに、作者の思想や才能の質として、既にその根がおろされてゐるわけであつて、ある作品の「ダイアローグが特に面白い」といふ場合はおほ

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映画の世界像

寺田寅彦

映画の世界像 寺田寅彦 映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。それにもかかわらずわれわれは習慣によって養われた驚くべき想像力の活動によって、このわずかな肖似の点を土台にして、かなりまで実在の世界に近い映画の世界を築き上げる。そうして、い

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映画『人類の歴史』

中谷宇吉郎

前から私は、妙な夢を一つもっている。それは『人類の歴史』という映画を作ってみたいというのである。甚だ唐突な話で、そんなことをいっても、何のことか全然見当がつかないかもしれないが、本人はかなりまじめなつもりなのである。 『人類の歴史』などというと、昔帝劇で十円の入場料をとって見せた『イントレランス』を連想されるかたがあるかもしれない。旧い話で、活動写真館といえ

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映画を作る話

中谷宇吉郎

去年の暮のことである。T映画会社の専務とかいう方が見えたというので、会って見たら、その用向きというのが、『雪』を映画にして見たいがどうかという話だったので、少々驚いた。 もっともよく話を聞いて見ると、ちょっと面白いので、人工雪の結晶が顕微鏡の覗野の中でだんだん生長して行くのを活動にとって、それを主眼にして、外に少し研究の雰囲気をとり入れた文化映画が作りたいと

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映画女優の知性

宮本百合子

映画女優の知性 宮本百合子 映画女優のあたまのよさが、一つの快適な美しさ、あるいは深い心と肉体の動きの感銘として作品のなかに十分活かされている場合をみると、大抵のとき、それは製作の方向、監督のみちびきかたと密接な関係をもっているように思える。したがって、映画女優のあたまのよさは一方に瑞々しい適応性や柔軟性をもっていなければならず、シルビア・シドニイというよう

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映画と季感

中井正一

映画と季感 中井正一 これまで映画は、夏興行のものを、冬撮ることになり、ブルブル慄えながら裸かものを撮り、夏の真中に着物をいっぱい着込んで、塩をいっぱいまいて雪のつもりにしたものであった。 しかしそれは、いわゆる活動写真時代の名残りであって、いやしくも芸術として映画が独立する段階にいたっては、もはや許されないことなのである。 よく十六ミリなどで季節の変わった

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映画の恋愛

宮本百合子

映画の恋愛 宮本百合子 近代企業としての映画は、経営の上にも技術の上にも急速な発達をとげているのだが、映画に扱われている女の生活というものは一様にある水準に止まっている。技術的にはアメリカやフランスの映画が先へ歩いて行っている部分のあることは明かなのに、映画の主題として女が扱われる時、愛人として妻としてまた母として、女の犠牲の面から筋が扱われていることでは、

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映画のもつ文法

中井正一

映画のもつ文法 中井正一 すべての民族の言語が、文法をそれぞれもっているのをみて、私はいつも考えさせられるのである。誰もこれをつくる約束の会議を開いたのでもないのに、ちょうど水晶が結晶をつくるように、精密な一つの法則をつくっていく。人間社会も、宇宙の大きな旅路の中の、一つの、生成しつつある結晶体のように思えてならない。 かく考えてみれば、歴史も、また大きな詩

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映画『新・平家物語』

溝口健二

清盛が、叡山の僧兵にかつがれた神輿に、矢を射込む場面を、撮影しているところだ。祇園神社の楼門を押し出す行列をさえぎり、清盛が立ちはだかっている。楼門の朱色は、祇園のもののように見えるが、そうではなく、叡山の東ふもとにある坂本の日吉神社である。時代色やふんいきの関係から日吉神社を祇園神社に見立てたが、効果はあったようだ。 ここは、この映画のいわゆるクライマック

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ニュース映画と新聞記事

寺田寅彦

ニュース映画と新聞記事 寺田寅彦 ニュース映画は新聞紙上の報道記事の代用または補充として用いられるものと通例考えられているようであるが、この両者の間の本質的な差別の目標については、少なくも自分の知っているだけの範囲では、まだあまり立ち入った分析的考察が行なわれていないように思われる。しかし、そういう考察を進めて行けば、その結果は、ニュース映画の将来の発展に対

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映画時代

寺田寅彦

映画時代 寺田寅彦 幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、ある大工さんのおはこの影絵の踊りであった。それは、わずかに数本の箸と手ぬぐいとだけで作った屈伸自在な人形に杯の笠を着せ

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映画の演劇性

岸田国士

映画の演劇性 岸田國士 演劇をどう定義づけるかにもよるが、私の考へる演劇の本質といふものからみれば、現在の発声映画は、その魅力の一半を演劇的なるものに負つてゐるやうに思ふ。 勿論、本質と本質とを対立させれば、演劇と映画とは正に相犯すことを許さぬ独自の美学をもつてゐる筈であるが、また同時に、物語の幻象化、或は、眼と耳に愬へる心理的感覚的リズムの流れといふ共通の

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ソヴェト映画物語 「新女性線」(ソユーズ・キノ文化映画部作品)

宮本百合子

七巻の美しい立派な映画は、ソヴェト同盟が、世界じゅうのあらゆる婦人のために、婦人の幸福とそれはどうして守られなければならないかを知らせるためにこしらえたものです。 夜がだんだんあけ放れて、東の空が白みはじめる。もうよっぽど前から起きて働いていた小母さんが、外が明るくなったのでフッと電燈を消した。 コツコツまだ人通りのない道の上を歩いて、長い棒をかついだ婦人点

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映画「マルガ」に現われた動物の闘争

寺田寅彦

映画「マルガ」に現われた動物の闘争 寺田寅彦 映画「マルガ」の中でいちばんおもしろいと思ったのは猛獣大蛇などの闘争の場面である。 闘争を仕組んだのは人間であろうが、闘争者のほうではほんとうに真剣な生命をかけた闘争をして見せるのであるから、おもしろくないわけには行かないのである。 動物によってそれぞれに武器がちがい、従って闘争の手法がちがうのがおもしろい。虎や

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映画と生理

寺田寅彦

映画と生理 寺田寅彦 ある科学者で、勇猛に仕事をする精力家としてまた学界を圧迫する権威者として有名な人がある若いモダーンなお弟子に「映画なんか見ると頭が柔らかくなるからいかん」と言って訓戒したそうである。この「頭が柔らかくなる」というのはもちろん譬喩的の言葉であるには相違ないが、しかしその言った先生の意味が正確にどういう内容のものであったか、当人に聞いてみな

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映画界・小言幸兵衛 ―泥棒しても儲ければよいは困る‼ ―

小津安二郎

蟻を見るたびに感心する。よくも精を出して働くもので、一匹ぐらい石ころの蔭で昼寝をしていてもよさそうなものだが、とんと見当らない。そこにゆくと、人間は有難い。程々に生きることも勝手だ。どう生れ変っても蟻だけには生れたくないものだ。 私が一年に一つしか映画を作らないのは、必ずしも怠けているからではないのだが、今年は映画界も総蹶起というわけで、私も『彼岸花』に続い

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映画素人談義

岸田国士

映画素人談義 岸田國士 最近偶然の機会から、ある映画運動に関係しかけたのだが、今の処、自分一個として、別にその方面にこれといふ抱負があるわけではない。 改造社の求めで、発表を躊躇してゐたシナリオ風のものを活字にする決心をしたのも最近のことだが、これは、どうも失敗らしい。文芸作品としては、その形式から云つても、表現から云つても、まだまだ完成には遠いものだといふ

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映画芸術

寺田寅彦

映画芸術 寺田寅彦 緒言 映画はその制作使用の目的によっていろいろに分類される。教育映画、宣伝映画、ニュース映画などの名称があり、またこれらのおのおのの中でもいろいろな細かな分類ができる。しかしこれらの特殊な目的で作られた映画でも、それが広義における芸術的価値のないものであれば、それは決してその目的を達することができない。そういう意味においてすべての種類の映

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