ある時
今野大力
「未曾有のキキン」 「大水害」 「餓死の年」 遠いほんとうに遠い 父と息子の住んで居る土地は 時代をとりちがえて生きて居るようにほんとうに遠い 手紙の封筒は ほご紙を飯粒のりでこさえておくる 切手はどこかのすみからさがして来たようにすすけてしわくちゃだ 父と息子のたよりは 三銭の切手もめったに送らない 父は「死んでしまおうか」と訴えてくる 白髪のお母よ丈夫で
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今野大力
「未曾有のキキン」 「大水害」 「餓死の年」 遠いほんとうに遠い 父と息子の住んで居る土地は 時代をとりちがえて生きて居るようにほんとうに遠い 手紙の封筒は ほご紙を飯粒のりでこさえておくる 切手はどこかのすみからさがして来たようにすすけてしわくちゃだ 父と息子のたよりは 三銭の切手もめったに送らない 父は「死んでしまおうか」と訴えてくる 白髪のお母よ丈夫で
田山花袋
物事がすべてはつきりときまつてゐないといふことが面白い。善いが善いでなく、わるいがわるいでなく、幸福が幸福でなく、不幸が不幸でないといふやうに、すべて、何んなことでも、有と無と、無と有とが背中合せになつてゐる。 世の中が混沌として捕捉することが出来ないやうに見え、人生が雑多紛々で、何れが本当で、何れがうそだかわからないやうに見え、また、人間の心の趨くところが
寺田寅彦
時事雑感 寺田寅彦 煙突男 ある紡績会社の労働争議に、若い肺病の男が工場の大煙突の頂上に登って赤旗を翻し演説をしたのみならず、頂上に百何十時間居すわってなんと言ってもおりなかった。だんだん見物人が多くなって、わざわざ遠方から汽車で見物に来る人さえできたので、おしまいにはそれを相手の屋台店が出たりした。これに関する新聞記事はおりからの陸軍大演習のそれと相交錯し
内村鑑三
時事雑評二三 内村鑑三 一、独立論 独立を唱ふるは善し、然れども如何にして之を実行すべき乎、言ふを休めよ「汝我と共に独立する時は我も独立せん」と 独立とは「独り立つ」といふことなり、他人と共ならでは立ち得ざる人は独立には非らざるなり、独立を望むものは先づ独りで立つべきなり、而して独立の人相集て始めて独立の教会もあり、独立の国家もあるなり、集合的独立を望んで個
宮本百合子
時代と人々 宮本百合子 わが師という響のなかには敬愛の思いがこもっていて、私としては忘られない一つの俤がそこに繁っている。 千葉安良先生は、今どこで、どのように生活していらっしゃるだろう。 二十余年も前、お茶の水の女学校の先生をして居られた、この一人の女性の名を知っている人の範囲はごく限られているだろうと思う。同僚の間で先生がどう見られていたかということなど
小川未明
時代は、生動しています。それが、行き詰まった状態にあり、そして、暗ければ、何等かの自由と明るみを求めるものです。常に、人間の努力があり、諧謔が伴い、意志の発動する所以であります。 文学には、その影をうつしている。この意味に於いて、児童文学の作家は、社会の動きを認識しなければならない。なぜなれば、時代の影響と、その時代の感覚をもっとも鋭敏に反映するものは、児童
岸田国士
これは随筆集といふよりも、寧ろ雑文集である。私はこの十年間、ほとんど随筆的心境といへるやうな心境を味つたことはなかつた。もとより文人墨客趣味などはないところへもつて来て、時代が時代と来てゐるので、周囲を見る眼が絶えず血走りがちである。たまたま随筆風な題を与へられても、すぐに、それにからんで日頃の鬱憤を晴らさうといふ気になる。誠にわれながら大人げない次第だと思
原民喜
わたしは熱があつて睡つてゐた。庭にザアザアと雨が降つてゐる真昼。しきりに虚しいものが私の中をくぐり抜け、いくらくぐり抜けても、それはわたしの体を追つて来た。かすかな悶えのなかに何とも知れぬ安らかさがあつた。雨の降つてゐる庭がそのまゝ私の魂となつてゐるやうな、ふしぎな時であつた。私はうつうつと祈つてゐるのだつた。
喜田貞吉
虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制庭訓往来に、 賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。小賊何ぞ大賊に等しからんや。窃盗・強盗は山賊・海賊の比にあらず。山賊・海賊は他領押両(領)の大賊党に比せず。又位を諍ひ国を奪ふの大盗よりも軽し。然らば末代は皆賊世なり。たゞ我一人のみにあらざるなり。夫れ殷湯の夏を奪ひ、周武の紂を伐つ、何ぞ尭舜揖譲の政に同じからん。全く
田山花袋
時子 田山録弥 一 Bはやつとひとりになつた。時計を見ると、もう十時である。ホテルの室の中には、いろ/\なものが散ばつて、かなりに明るい電気が卓の上に、椅子の上に、またその向うにある白いベツトの上に一杯にその光線を漲らしてゐる。今まで間断なしに客が出入して、低い声音だの、高い哄笑だの、面白さうな笑声などがその一室に巴渦を巻いてゐたが――疲れ果てたやうな、早く
ウォルターズレティス・ドイリー
歩む彼女――わが喜びの貴婦人―― 群れ従える羊飼いの女よ。 率いる羊は内心そのもの。純白に保ち、 転げ落ちぬよう護っている。 花かぐわしい丘にて羊に餌をやり、 抱き寄せては寝入らせる。 めぐる彼女――母なる丘と明るくも 暗い谷間を、危なげなく深く。 宵にはあのあたたかいふくらみのうちに 清らかな星々が出でることだろう。 歩む彼女――わが喜びの貴婦人―― 群れ
鈴木大拙
「時」は流れると云ふ、それはどんな意味であるか、もとよりはつきりわからぬ。が、我々は普通さう云ふ、またさう考へて居る、何だかわからぬにしても、時を過去・現在・未来にわけると、その「流れ」は過去から現在に、現在から未来へと云ふ塩梅に、どん/\流れて行くと云ふことになつて居る。 「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチ/\と
土田耕平
時男さん――それは私の幼な友だちの名まへです。年は三つ違ひで、私が尋常科三年生の時、時男さんは六年生でありました。だから、お友だちといふよりも、まあ兄さんのやうなものでした。 私は、父と母と三人暮しで、町はづれの借家に住んでゐました。そこから、父は町のお役所へ、毎日通つてゐました。時男さんの家は、私の家から三軒目の隣でした。私が三年生になつたばかりの頃、時男
寺田寅彦
時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ 寺田寅彦 時の観念に関しては、哲学者の側でいろいろ昔からむつかしい議論があったようである。自分はそれらの諸説について詳しく調べてみる機会を得ないが、簡単な言葉でしかもそれ自身すでに時の概念を含んでいないような言葉で「時」に定義を下そうというような企てはたいてい失敗に帰しているようである。「一様に流れる量」であると
小川未明
よっちゃんは、四つになったばかりですが、りこうな、かわいらしい男の子でした。 よっちゃんは、毎日、昼眠をしました。そして、たくさんねむって、ぱっちりと目をあけましたときは、それは、いい機嫌でありました。 「チョット、チョット。」といって、よっちゃんの頭の上から、このとき呼ぶものがあります。よっちゃんは、ぱっちりした目を上に向けますと、茶だんすの上にのせてあっ
小川未明
町から遠く離れた田舎のことであります。その村には、あまり富んだものがありませんでした。村じゅうで、時計が、たった二つぎりしかなかったのです。 長い間、この村の人々は、時計がなくてすんできました。太陽の上りぐあいを見て、およその時刻をはかりました。けれど、この文明の世の中に、時計を用いなくては話にならぬというので、村の中での金持ちの一人が、町に出たときに、その
小川未明
私の生まれる前から、このおき時計は、家にあったので、それだけ、親しみぶかい感がするのであります。ある日のこと、父が、まだ学生の時分、ゆき来する町の古道具屋に、この時計が、かざってあったのを見つけて、いい時計と思い、ほしくてたまらず、とうとう買ったということです。 「これは、外国製で、こちらのものでありません。ある公使の方が持って帰られましたが、その方が、おな
海野十三
1 なにを感づいたものか、世界の宝といわれる、例の科学発明王金博士が、このほど上海の新聞に、とんでもない人騒がせの広告を出したものである。 その広告文をここへ抄録してみよう。 全世界人ヘノ警告文 余スナワチ金博士は、今度ヒソカニ感ズルトコロアリテ、永年ニ亘ル秘密ノ一部ヲ告白スルト共ニ、之ニサシサワリアル向ニ対シ警告ヲ発スル次第ナリ。抑々今回ノ告白対象ハ、余ガ
桑原隲蔵
この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」を參照ありたい。 晉室の南渡は支那の世相の一大廻轉で、種々の方面に重大なる影響を及ぼして居る。從つて支那歴史上決して輕々に看過すべからざる事變である。晉室の南渡を起頭とした三百年間、概して言へば六朝時代は、多くの場合に於て、一般の史家より餘り
木下夕爾
停車場のプラットホームに 南瓜の蔓が匍いのぼる 閉された花の扉のすきまから てんとう虫が外を見ている 軽便車が来た 誰も乗らない 誰も下りない 柵のそばの黍の葉つぱに 若い切符きりがちよつと鋏を入れる ●図書カード
堀辰雄
けさ急に思い立って、軽井沢の山小屋を閉めて、野尻湖に来た。 実は――きのうひさしぶりで町へ下りて菓子でも買って帰ろうとしたら、何処の店ももう大概引き上げたあとで、漸っと町はずれのアメリカン・ベエカリイだけがまだ店を開いていたので、飛び込んだら、欲しいようなものは殆ど何も無かった、木目菓子の根っこのところだけ、それも半欠けになって残っていたが、いくら好きでも、
小山清
一昨年(昭和三十年)の夏、私は筑摩書房発行の日本文学アルバムの仕事で太宰治の写真帳をつくるために、はじめて津軽を旅行した。青森に着いて県庁に太宰さんの兄さんの津島文治氏をたづねた際に、文治氏は、「魚服記」に書いてある滝は、金木町から少しはなれた処にある「藤の滝」といふのがどうもそれらしいと注意をしてくれた。私は藤の滝のことは太宰さんの甥にあたる津島一雄氏から
太宰治
「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈である。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。「晩年」は、昭和十一年の六月に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。一年に、三百冊ず
太宰治
「晩年」に就いて 太宰治 「晩年」は、私の最初の小説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」として置いたのです。 読んで面白い小説も、二、三ありますから、おひまの折に読んでみて下さい。 私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あま