Vol. 2May 2026

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公共领域世界知识图书馆

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晩春の健康

牧野信一

羽根蒲団の上に寝ころんでゐるやうだ――などゝ私は思つた位でした。――午頃まで、この儘眠つてやらうかしら、などゝも私は思つたりしました。 春先で、思ひ切り好く晴れた朝の海辺なのです。――もう、かれこれ二時間も前から私は渚の暖かい砂の上で退屈な、然し極めて快い愚考に自ら酔つたまゝ、思ふさま胸を拡げて大の字なりにふんぞり反つてゐるのです。その私の肉体は、単に洞ろな

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晩春日記

牧野信一

(四月――日) また、眼を醒すと夕方だ。とゞけてある弁当籠を開いてウヰスキーを二三杯飲むと、はつきり眼が醒る。鰯には手が出ない。セロリを噛む。 手紙を書くので明方までかゝつてしまつた、春の晩、灯の下で手紙を書く――これは、いくつになつても余の胸を和やかにさせる、春になると君は手紙を寄す人だ……などゝ云はれたことがある。 (次の日) 眼を醒すと、また夕暮時だ。

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晩秋

牧野信一

僕はどうしても厭だ、と云つたが、みち子がどうしても行くんだ、と云つて承知しない。何故僕が強情を張るか、その理由はちよつと……云ひにくいこともないけれど、云つたつて仕様がないから、云はない。 「無性! 無性! 無性屋さん……」と叫んだかと思ふと、いきなりみち子は僕の背中をドンと打つた。 僕はウーンと仰山なうめき声を発して死んだ真似をした。――さうしてみち子に悟

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晩翠放談「自序」

土井晩翠

「晩翠放談」自序 土井晩翠 「宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(古今集戀の部よみ人知らず)此昔の名所本荒の郷が今日仙臺市本荒町のある處其二十一番地が私の本邸であつたが、若干の貸家と共に二十年(一九四五)七月十日の爆撃で灰燼となつた。今は一友人の厚意に因り其所有の借舍、青葉山に對し廣瀬川に臨む花壇川前町に鷦鷯一枝の安を得つゝある。其陋居に一

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晩菊

林芙美子

夕方、五時頃うかがいますと云う電話があったので、きんは、一年ぶりにねえ、まア、そんなものですかと云った心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まずその間に、何よりも風呂へ行っておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行った。別れたあの時よりも若やいでいなければならない。けっして自分の老い

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晩菊

林芙美子

晩菊 林芙美子 夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まァ、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。け

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晩餐

素木しづ

晩餐 素木しづ いつか暗くなった戸の外に、激しい雨風の音がする、嵐だ。 親子は、狭い部屋の壁際にぶらさがった、暗い電燈の下の卓に集まって、今夜食をしようとしてゐた。まだ本当に父も母も若かった。そして子供は漸く卓につかまって、立ってる事が出来る程の、くり/\と肥ってる女の子だった。 男も女も、その顔にはまだ少しの皺もよってなかった。しかし男の濃い眉毛の陰のくぼ

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普羅句集

前田普羅

説明するまでもなく、此の句集を繙かれる時、一句一句に就て私の生活が見出される事であらう。 今日までの私の俳句生活は二つに分たれる、富山移住前と富山移住後とに。富山移住前の生活は横浜に於ける生活である。何故に其れを横浜時代と云はないか。私の俳句生活その他にも重大なる転機を与へた富山移住を記念するために、しばらく横浜時代の文字を割愛し、心に秘めて愛して居ようと思

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晶子さんの煙草正月

佐藤春夫

わたくしは直接には奥様とお呼びしてかげでは晶子さんと呼び慣はした。生田長江先生の御夫妻が晶子さん晶子さんと仰言るのに慣れた為であつたらう。ともかく奥様とか、晶子さんとか呼んで、晶子先生と呼んだ事は無かつたからここでも晶子さんと呼ぶ。 晶子さんは我々に対しては同門の一人として先生と呼ぶ事はお許しにならなかつた。寛先生に対する御遠慮であつた。現に同門の一人T・N

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智恵子の半生

高村光太郎

智恵子の半生 高村光太郎 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽生活から救い出される事が出来た経歴を持って居り、私の精神は一にかかって彼女の存在そのものの上にあったので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈しく、一時

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智恵子抄

高村光太郎

いやなんです あなたのいつてしまふのが―― 花よりさきに実のなるやうな 種子よりさきに芽の出るやうな 夏から春のすぐ来るやうな そんな理窟に合はない不自然を どうかしないでゐて下さい 型のやうな旦那さまと まるい字をかくそのあなたと かう考へてさへなぜか私は泣かれます 小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて いやなんです あなた

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智恵子の紙絵

高村光太郎

智恵子の紙絵 高村光太郎 精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。そのうち、鶴の外にも紙灯籠だとか其他の形のものが作られるやうに

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いのちのある智慧

宮本百合子

いのちのある智慧 宮本百合子 人類の祖先たちは、彼らの原始的な生活のもとで、どんなふうに自分たちの発見と智慧とをもちいてきたのだろう。 太古の人類の希望は、幸福に生きたいという単一の強烈な欲求であった。それらの人々は、自分たちに一本の棒の切れはしを研究させ、その先をとがらせ、手にもちいいように小型のものとし、さらにそれにめどをつけて、からだにかぶる皮と皮とを

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暁光

宮本百合子

暁光 宮本百合子 去年の九月に、只一人の妹を失った事は、まことに私にとっては大打撃であって、今までに且つて経験した事のない悲しみと、厳かさを感じさせられた。 「時」のたゆみない力のために、それについての事々が記憶から、消される時のあるのを思うて、書いた「悲しめる心」は、それを見る毎に、涙がこぼれる様な、痛ましい記録となって、私の傍に残って居る。 自分が、非常

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暁と夕の詩

立原道造

暁と夕の詩 立原道造 或る風に寄せて おまへのことでいつぱいだつた 西風よ たるんだ唄のうたひやまない 雨の昼に とざした窗のうすあかりに さびしい思ひを噛みながら おぼえてゐた おののきも 顫へも あれは見知らないものたちだ…… 夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て あれはもう たたまれて 心にかかつてゐる おまへのうたつた とほい調べだ―― 誰がそれ

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暁月夜

樋口一葉

櫻の花に梅が香とめて柳の枝にさく姿と、聞くばかりも床しきを心にくき獨りずみの噂、たつ名みやび男の心を動かして、山の井のみづに浮岩るヽ戀もありけり、花櫻香山家ときこえしは門表の從三位よむまでもなく、同族中に其人ありと知られて、行く水のながれ清き江戸川の西べりに、和洋の家づくり美は極めねど、行く人の足を止むる庭木のさまざま、翠色したヽる松にまじりて紅葉のあるお邸

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暗号舞踏人の謎

ドイルアーサー・コナン

ホームズは全く黙りこんだまま、その脊の高い痩せた身体を猫脊にして、何時間も化学実験室に向っていた。そこからは頻りに、いやな悪臭がただよって来る、――彼の頭は胸に深くちぢこめられて、その恰好は、鈍い灰色の羽毛の、黒い鳥冠の奇妙な鳥のようにも見えた。 「そこで、ワトソン君、――」 彼は突然に口を開いた。 「君は南アフリカのある投資事業に、投資することは、思い止ま

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暗夜

樋口一葉

取まわしたる邸の廣さは幾ばく坪とか聞えて、閉ぢたるまゝの大門は何年ぞやの暴風雨をさながら、今にも覆へらんさま危ふく、松はなけれど瓦に生ふる草の名の、しのぶ昔しはそも誰れとか、男鹿やなくべき宮城野の秋を、いざと移したる小萩原ひとり錦をほこらん頃も、觀月のむしろに雲上の誰れそれ樣、つらねられける袂は夢なれや、秋風さむし飛鳥川の淵瀬こゝに變はりて、よからぬ風説は人

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暗夜の格闘

小酒井不木

紅色ダイヤ事件の犯人は、意外にも塚原俊夫君の叔父さんでしたから、悪漢の捕縛を希望しておられた読者諸君は、あるいは失望されたかもしれませんが、これから私のお話しするのは、先年来、東京市内の各所を荒らしまわった貴金属盗賊団を俊夫君の探偵力によって見事に一網打尽にした事件です。 十月のある真夜中のことです。正確に言えば午前二時頃ですから、むしろ早い朝といった方がよ

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暗夜の白髪

沼田一雅

暗夜の白髪 沼田一雅 最早九年ばかり以前の事だ、当時私の宅へよく遊びに来た芝警察署詰の某氏の実見談である。その男というのはその時分丁度四十一二ぐらいで、中々元気な人だったし、且つ職務柄、幽霊の話などは初から「何んの無稽な」と貶した方だった、がしかしその男がこの時ばかりは「君実際恐怖かったよ」と顔色を変えて私に談したくらいだから、当人は余程凄かったものだろう、

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暗い天候

中原中也

こんなにフケが落ちる、 秋の夜に、雨の音は トタン屋根の上でしてゐる…… お道化てゐるな―― しかしあんまり哀しすぎる。 犬が吠える、虫が鳴く、 畜生! おまへ達には社交界も世間も、 ないだろ。着物一枚持たずに、 俺も生きてみたいんだよ。 吠えるなら吠えろ、 鳴くなら鳴け、 目に涙を湛へて俺は仰臥さ。 さて、俺は何時死ぬるのか、明日か明後日か…… ――やい、

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暗い時間に

片山敏彦

空には燃える秋の星がある。地には天に向つて立つけやきがある。葉の階層――剛い幹。年輪の多いあらい幹。彼は、昼と夜、空間のひろがりの中で思想である。流出である。心に不安がある。獣と共通な欲望がある。死を慕ふ憂欝がある。夢の記憶の破片がある。全の感激に立ち上つて、それに交り込み限界の輪廓を打ち砕きたい動律と火流とがある。どこへ行くのか? 今それを思はない。僕は秋

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暗い空

小川未明

太い、黒い烟突が二本空に、突立ていた。その烟突は太くて赤錆が出ているばかりでなく、大分破れて孔が処々にあいている。ちょうど烟突は船の風取のようだ――私が曾て日清戦争や日露戦争に行って来た軍艦の砲弾に当って破れた風取や捕獲した敵艦の風取だというものを見たことがあるが、それとちょうど同じように破れている、その隙間から青空が洩れて見える。しかも二本の烟突は五六間位

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