Vol. 2May 2026

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公共领域世界知识图书馆

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栗の花の咲くころ

佐左木俊郎

栗の花の咲くころ 佐左木俊郎 一 暗欝な空が低く垂れていて家の中はどことなく薄暗かった。父親の嘉三郎は鏡と剃刀とをもって縁側へ出て行った。併し、縁側にも、暗い空の影が動いていて、植え込みの緑が板敷の上一面に溶けているのであった。 「それでも幾らか縁側の方がよさそうだで。」 嘉三郎はそう呟くように言いながら、板敷へ直かに尻を据えて、すぐ頬の無精髭を剃りにかかっ

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栗ひろひ週間

槙本楠郎

「おい/\、みんな、よう聞け。今日はもう三時まへだから、通草をとつたり、野葡萄をとつて食つてちや、あかんぞ。今日は、一番おしまひの日だからな。一人が四合以上ひろふんだから、ひろつた栗は、一つだつて食つちや、あかんぞ。」 鎮守の裏山の雑木林にさしかゝると、もうあちこちに、栗の木が見えだしました。六人づれの先頭になつてゐた高一は、坂道をわざと後向きに登りながら、

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小山清

関東大震災の時、浅草にいた私の一家は焼出されて、向島の水神にいた親戚の家に避難した。そこは私の祖母の里であったが、祖母にとっては嫂にあたる人(私達は水神のおばさんと呼んでいた)の身寄の人達も同じように本所にいて焼出されて避難してきていた。祖母の兄(私達は水神のおじさんと呼んでいたが)は既に他界していて、私の父とは従兄弟にあたる人が当主であった。本家から少し離

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校歌「都の西北」と私

相馬御風

五月十五日發行の『早稻田大學新聞』に「世界的の名校歌」と題して次の如き記事が掲げられてゐた。 「心の故郷我等が母校」と歌つて來ると熱い涙がにじみ出る。無限の魅力を持つた早稻田大學校歌は今日全國津々浦々の兒童に至るまで高唱せぬ者はない。全早稻田の精神氣魄を擴充し抱擁した歌詞といひ旋律といひ、恐らく世界的名校歌であらう。が然し、この名校歌が生れるまでの裏には幾多

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校正の話

中谷宇吉郎

今度アメリカで本を出してみて、校正のやり方が、まるで日本とちがっているのに、一寸面喰らった。 実は、三年ばかり前に、米国気象学会で、『気象学要綱』という本を出した時に、その一章を書いたことがある。それと、この春ハーバード大学出版部から『雪の結晶』を出したのと、経験は二回だけである。しかしその二回とも、やり方は全然同じだった。それでこれが少なくとも学術関係の出

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校長

中原中也

田舎の県立中学で歴史の教師をしてゐた彼が、今度京都の或私立中学の校長を勉めることになつた。頭は良くないが読書家で、読書以外の時間は常に気を揉んでゐなければ済まない男であつた。 丈が低く、セカセカと腰から下だけで歩く、時折首が怖ぢ気のついたやうに揺れる。洋服の袖はまるで中に腕がないかのやうにポウとなつて胴より心持前に振ら下つてゐた。 此の上に載つてる顔――額に

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校長三代

太宰治

校長三代 太宰治 私が弘前の高等學校にはひつてその入學式のとき、訓辭した校長は、たしか黒金といふ名前であつたと記憶してゐる。金椽の眼鏡を掛け、痩身で、ちよつと氣取つた人であつた。高田早苗に似てゐた。植木が好きで、學校のぐるりに樣々の植木を、優雅に配置し、ときどき、ひとり、兩手をうしろに組んで、その植木の間を、ゆつくり縫つて歩いてゐた。 間もなくゐなくなつて、

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株式仲買人

ドイルアーサー・コナン

結婚してほどなく、私はパディントン区に医院を買った。ファーカ氏という老人がその売り手で、一時はかなり手広くやっていたのだが、年もあり舞踏病の気もあったために参ってしまい、ひどく寂れてしまっていたのだ。世間の人にとって、人を治す者は自身も健やかたるべき、その薬が自分の病に効かないとなればその人物の医者としての腕前を怪しむ、というのも無理からぬ話である。このよう

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株式仲買店々員

ドイルアーサー・コナン

結婚してからほどなく、私はパッディングトン区にお得意づきの医院を買った。私はその医院を老ハルクハー氏から買ったのであるが、老ハルクハー氏は一時はかなり手広く患者をとっていたのであった。しかし寄る年波とセント・ビタス・ダンスをする習慣があったためすっかりからだを悪くしたので、だんだんお客をなくして淋れてしまった。世間の人と云うものは、病人を治療する人間は、その

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株式会社科学研究所の使命

仁科芳雄

株式會社科學研究所の使命 仁科芳雄 財團法人理化學研究所は大正6年創立せられ,基礎科學の研究とその成果の應用とに盡して來たのであるが,近年の經營方針として,その研究によつて得られた發明特許を實施する多くの會社を設立し,これにより研究所の財政を維持しようと企圖したのである.これは持株會社の性格をもつものであつたから,連合軍總司令部の方針に從い,解體せられてここ

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根子の番楽・金砂の田楽

折口信夫

日本の舞踊には、人間の性とか年齢とかによつて異るといふ規則がある。つまり、老人の舞ひ・処女の舞ひ・青年の舞ひと、此三つが、祭りの時に行ふ舞踊の重要な要素になつてゐるので、根子の番楽は、青年の舞ひが中心になつてゐる。併し、其中に青年のもの以外に独立してゐる舞ひもあるやうだ。尤、或部分は青年がするが、元から皆青年がしたとは言へない。 此は、出羽奥州に通じて行はれ

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根岸庵を訪う記

寺田寅彦

九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。今日は曇天で暑さも薄く道も悪くないのでなかなか公園も賑おうている。西郷の銅像の後ろから黒門の前へぬけて動物園の方へ曲ると外国の水兵が人力と何か八釜しく云って直ぶみをしていたが話が纏まらなかったと見えて間もなく商品陳列所の方へ行ってしまった。マニラの帰休兵とかで

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根強い北陸文化

中谷宇吉郎

私が四高の学生だったころに、金沢から一人の若い青年が突如として、彗星のごとく日本の文壇にあらわれた。それは『地上』でもって、一躍世に出た島田清次郎であった。 当時私は、寺町の医師の住宅に下宿していたが、この家は、そのころ金沢でも一流の料亭であった「望月」の並びにあった。犀川べりの高い岸の上に建っていて、縁先からは、はるかに医王山が望まれ、犀川の流れは、一望の

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根津遊草

正岡容

私に団子坂周辺を描いた小説が二つある。一は旧作「置土産」であり、一は「団子坂薄暮」である。前者は冒頭の背景に団子坂菊人形の殷賑を描き、後者は明治の浮世絵師国政が落魄の後、団子坂菊人形の木戸番に身を落したと嘗て伊藤晴雨画伯より聞かされたエピソードに材を得て書上げた近作であつて、未だ筐底に蔵めてゐる。しかしながら私の団子坂菊細工の記憶は殆んど曖昧模糊たるもので、

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格子縞の毛布

宮本百合子

格子縞の毛布 格子縞の毛布 宮本百合子 縮毛(ちぢれげ)のいほは、女中をやめた。 毎日風呂にゆき、ひびがすっかりなおると、彼女は銘仙の着物を着て、自分のように他処でまだ女中をしている国の友達や、屑屋をしている親戚を訪問して歩いた。彼女の赤い頬ぺたや、黒くてちぢれた髪に、青々した縞の銘仙着物はぱっとよく似合った。手袋も、襟巻も、そう大して古くはないのをつけ、誰

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「桂川」(吊歌)を評して情死に及ぶ

北村透谷

「桂川」(吊歌)を評して情死に及ぶ 北村透谷 まづ祝すべきは市谷の詩人が俗嘲を顧みずして、この新らしき題目を歌ひたることなり。 残花道人嘗つて桂川を渡る、期は夜なり、風は少しく雨を交ゆ、「昨日も今日も五月雨に、ふりくらしたる頃なれど」とあるを見れば梅雨の頃かとぞ思ふ。「霧たちこめし水の面に、二ツの光りてらすなり、友におくれし螢火か、はた亡き魂かあはれ/\」と

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桂浜

中谷宇吉郎

漱石の俳句の中に 寅彦桂浜の石数十顆を送る涼しさや石握り見る掌 という句がある。如何にも涼しさのあふれる名品である。そしてその涼しさの中に、寅彦の漱石に対する思慕の情と、漱石のそれに応えるこころとが、感じとれる。 この句は、明治三十二年の作で、当時漱石は五高で英語を教えていて、寅彦はその愛された生徒の一人であった。この年の夏、寅彦は五高を卒業して、東大の物理

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桂離宮

野上豊一郎

桂離宮 野上豐一郎 障子の影 桂離宮の書院から庭に面して、折れまがりに小さい三つの部屋が、一ノ間・二ノ間・三ノ間とつづいてゐる。 その一ノ間の障子に、折からの小春の西日があかるくさしてゐた。 障子は、左右が半間づつの板戸に仕切られ、腰板のないのが二枚、つつましやかに、ものしづかに並んで、晝間もほのぐらさのただよつてゐる部屋の中へ無遠慮に押し入らうとする強烈な

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桂馬の幻想

坂口安吾

桂馬の幻想 坂口安吾 木戸六段が中座したのは午後三時十一分であった。公式の対局だから記録係がタイムを記入している。津雲八段の指したあと、自分の手番になった瞬間に木戸は黙ってスッと立って部屋をでたのである。 対局者の心理は案外共通しているらしく、パチリと自分でコマをおいて、失礼、と便所へ立つのはよく見かける風景であるが、相手がコマをおいた瞬間に黙ってプイと立っ

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長谷川時雨

桃 長谷川時雨 桃。 わたしは、桃の實と女性とを、なにとなく特殊なむすびつきがある氣がして、心をひかれてゐる。それが、なんであるかを、まだはつきりしないのに、とにかく、その大切にしてあるものを、心に熟さないうちに、まだ青い實のうちに、ともかく「明日香」發行のお祝ひに捧げるやうになつた。 今、わたしの部屋に西王母の軸がかけてある。高村光太郎氏刀の桃の實の置物が

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桃の伝説

折口信夫

桃の伝説 折口信夫 「桃・栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」といふ諺唄がある。実りものゝ樹としては、桃は果実を結ぶのは早い方である。 一体、桃には、魔除け・悪気ばらひの力があるものと信ぜられて来てゐる。わが国古代にも、既に、此桃の神秘な力を利用した話がある。黄泉の国に愛妻を見棄てゝ、遁れ帰られたいざなぎの命は、後から追ひすがる黄泉醜女をはらふ為に、桃の実を三

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桃太郎

楠山正雄

むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。 ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと洗濯をしていますと、川上から、大きな桃が一つ、 「ドンブラコッコ、スッコッコ。 ドンブラコッコ、スッコッコ。」 と流れて来ました。 「おやおや、これはみごとな桃だこと。おじいさん

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桃林堂の砂糖づけ

中谷宇吉郎

シカゴに、フルーツ・ケーキをつくっている会社がある。菓子の名はサラ・リイといい、アメリカでも、一流品とされている。もっとも大量生産としての一流品である。 そこの主人が、細君をつれて、先日、日本へ遊びに来た。シカゴにいた頃、家庭的に親しくしていたし、その後も娘たちをたいへん可愛がってくれていたので、大いに歓迎しようということになった。 しかし厄介なことには、相

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