猫の草紙
楠山正雄
猫の草紙 楠山正雄 一 むかし、むかし、京都の町でねずみがたいそうあばれて、困ったことがありました。台所や戸棚の食べ物を盗み出すどころか、戸障子をかじったり、たんすに穴をあけて、着物をかみさいたり、夜も昼も天井うらやお座敷の隅をかけずりまわったりして、それはひどいいたずらのしほうだいをしていました。 そこでたまらなくなって、ある時お上からおふれが出て、方々の
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楠山正雄
猫の草紙 楠山正雄 一 むかし、むかし、京都の町でねずみがたいそうあばれて、困ったことがありました。台所や戸棚の食べ物を盗み出すどころか、戸障子をかじったり、たんすに穴をあけて、着物をかみさいたり、夜も昼も天井うらやお座敷の隅をかけずりまわったりして、それはひどいいたずらのしほうだいをしていました。 そこでたまらなくなって、ある時お上からおふれが出て、方々の
田中貢太郎
猫の踊 猫の踊 田中貢太郎 老女は淋しい廊下を通って便所へ往った。もう夜半(よなか)を過ぎていた。真暗い部屋の前を通って廊下を右へ曲ると、有明の行灯の灯のうっすらと射した室(へや)へ来た。老女はその前へ往くとどうしたのか足を止めた。それはその室の中で何人(たれ)かが立ちはだかって、踊でもやってるのか調子のある軽い跫音をさして、そのものの影であろうぼんやりした
クラルテジュール
猿と云ふものは元から溜まらない程己に気に入つてゐる。第一人間に比べて見ると附合つて見て面白い処がある。それから顔の表情も人間よりははつきりしてゐて、手で優しく搦み付くところなぞは、人間が握手をするよりも正直に心持を見せてゐるのだ。それから猿の一番好い性質は、生利きにも猿を滑稽なものに言ひ做してゐる人間よりも、遙に残酷でないことである。猿は昔から人間の真似をし
宮本百合子
猿 猿 宮本百合子 人 物 ヨハネス (十八歳) エッダ (十六歳) エッダの母親 (四十歳前後) 場 所 デンマークの片田舎 時 或る秋 幕開く 第一 エッダの家の中 下手に、大きな鉄の蝶番(ちょうつがい)の付いた木の大扉、開け放してあり、傍の壁の三段の棚の上には、上部に大小の皿、下段には、鑵、硝子瓶その他、料理用の小道具が置いてある。 直ぐ
寺田寅彦
あひると猿 寺田寅彦 去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。 去年と同じ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴の広葉を見上げ、屋前に広がる池の静かな水面を見おろした
佐藤垢石
猿ヶ京 佐藤垢石 このほど、元代議士生方大吉君の案内で東京火災保険の久米平三郎君と共に、上州と越後の国境にある三国峠の法師温泉の風景を探ったのである。途中、猿ヶ京の部落を過ぎたが、車中で生方君から人間の真情について、まことに珍しい、そしてほんとうに羨ましい話をきいた。 猿ヶ京には、幕府の関趾があった。徳川時代、越後や出羽方面の諸大名が、江戸へ参観交代に罷り出
国枝史郎
猿ヶ京片耳伝説 国枝史郎 痛む耳 「耳が痛んでなりませぬ」 と女は云って、掌で左の耳を抑えた。 年増ではあるが美しいその武士の妻女は、地に据えられた駕籠の、たれのかかげられた隙から顔を覗かせて、そう云ったのであった。 もう一挺の駕籠が地に据えられてあり、それには、女の良人らしい立派な武士が乗っていたが、 「こまったものだの。出来たら辛棒おし。もう直だから」
楠山正雄
猿かに合戦 楠山正雄 一 むかし、むかし、あるところに、猿とかにがありました。 ある日猿とかにはお天気がいいので、連れだって遊びに出ました。その途中、山道で猿は柿の種を拾いました。またしばらく行くと、川のそばでかにはおむすびを拾いました。かには、 「こんないいものを拾った。」 と言って猿に見せますと、猿も、 「わたしだってこんないいものを拾った。」 と言って
太宰治
猿ヶ島 太宰治 はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。夜なのか昼なのか、島は深い霧に包まれて眠っていた。私は眼をしばたたいて、島の全貌を見すかそうと努めたのである。裸の大きい岩が急な勾配を作っていくつもいくつも積みかさなり、ところどころに洞窟のくろい口のあいているのがおぼろに見えた。これは山であろうか。一本の青草もない。 私は岩山の岸
太宰治
どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた。ここに露西亜の詩人の言葉がある。「そもさん何者。されば、わずかにまねごと師。気にするがものもない幽霊か。ハロルドのマント羽織った莫斯科ッ子。他人の癖の飜案か。はやり言葉の辞書なのか。いやさて、もじり言葉の詩
太宰治
どんな小説を讀ませても、はじめの二三行をはしり讀みしたばかりで、もうその小説の樂屋裏を見拔いてしまつたかのやうに、鼻で笑つて卷を閉ぢる傲岸不遜の男がゐた。ここに露西亞の詩人の言葉がある。「そもさん何者。されば、わづかにまねごと師。氣にするがものもない幽靈か。ハロルドのマント羽織つた莫斯科ツ子。他人の癖の飜案か。はやり言葉の辭書なのか。いやさて、もぢり言葉の詩
太宰治
所收――「猿面冠者」「ダス・ゲマイネ」「二十世紀旗手」「新ハムレツト」 このたびの選集には、大戰中に再版できなかつた作品だけを收録した。さうして、この選集一つお讀みになれば、太宰といふのはこの十年間、一體どんな事に苦しみ努めて來た作家か、たいていおわかりになれるやうに工夫して編輯した。 最後の「新ハムレツト」は、新しいハムレツト型の創造と、さらにもう一つ、ク
寺田寅彦
猿の顔 寺田寅彦 映画「マルガ」で猿の親子連れの現われる場面がある。その猿の子供の方が親猿のよりもずっとよく人間に似ている。しかも、それは人間のうちでも老人の顔に似ている。そうして老翁よりはより多く老婆の顔に似ているのである。それで、人間が非常に長生きをしたらだんだん親猿に似て来るかと思って考えてみる。西洋の絵入雑誌などに時々現われる百歳以上の婆さんなどには
織田作之助
千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。 この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙(千)人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互いに悪口を言い争ったという。 誰彼の差別も容赦もあらあらしく、老若男女入りみだれて、言い勝ち
岸田国士
この本の著者と私は一面識があるといふだけで、それほど深い交渉はないのだけれども、かねがね地方における篤学篤行の士であることは聞き及んでいた。 たまたま今度、本書の出版にあたって、私に序を寄せよとの希望があり、私は、自分に与えられたこの役割を無下に辞退する気にならなかった。それは、本書のゲラ刷を一読してみて、類の少い内容のものだといふ感じがしたばかりでなく、僻
原田皐月
獄中の女より男に 原田皐月 一 私には暗い/\日許り続いて居ます。もう幾日経つたのか忘れて了ひました。此処に斯うして居ると堪らなく世の中が恋しくなります。貴方の傍が……貴方の傍が……貴方はあのテーブルの上でお仕事をして被入るでせう? 一輪ざしの草花がもうぼろ/\に枯れたらうなんて昨夕も考へましたの。そして貴方は其ぼろ/\の花を矢張り捨てないで眺めて居て下さる
槙村浩
コンミューンの戦士をして墓の中より起たしめよ、よし東方の墓堀り人夫らが 釘づけ、磐石の錘を据え置こうと わが森山啓氏が肩をすくめ、全身の力もて突立ち上る時 あなたはアトラスのように地球の屈辱を荷わぬだろうか わたしは獄中で 若い憂愁が瞼を襲うとき いつもあなたのコンミューンの詩を想い出した それはわたしらにとって無上の刺激剤だった 苦難の時代をわりあい間違な
宮本百合子
十二月八日 〔牛込区富久町一一二市ヶ谷刑務所の宮本顕治宛 淀橋区上落合二ノ七四〇より(封書)〕 第一信。 (不許)[自注1] これは何と不思議な心持でしょう。ずっと前から手紙をかくときのことをいろいろ考えていたのに、いざ書くとなると、大変心が先に一杯になって、字を書くのが窮屈のような感じです。 先ず、心からの挨拶を、改めて、ゆっくりと。―― 三日におめにかか
宮本百合子
一月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕 あけましてお目出度う。私たちの三度目の正月です。元日は、大変暖かで雨も朝はやみ、うららかでしたが、そちらであの空をご覧になりましたろうか。去年の二十八日には、私が家をもったおよろこびをしてくれるといって、健坊の両親、栄さん夫婦、徳ちゃん夫婦があつまり、一つお鍋をかこんで大変愉快に大笑いをしました。その晩
宮本百合子
四月十五日 今晩は。 いま、夜の八時十分前。一九三六年四月十五日。慶応の病室。スエ子は緑郎の作曲が演奏される音楽会へ出かけてゆき、私ひとり室の隅の机に向って、これを書いて居ます。 ゆうべから、私はこの風変りな手紙を、これ迄いつも貴方へあげる手紙を書いていた時のような楽しんだ心持で書きはじめる仕事に着手しました。三月二十四日に予審が終った時、私は外に出たら何よ
宮本百合子
一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕 一九四五年一月二日 明けましておめでとう。爆竹入りの越年でしたが、余り近い所へ落ちもせず、しずかな元日でした。その上昨晩は思いのほか通して眠れたのでけさは特別よい二日です。寿江子が帰って来ていて、大晦日は、わたしが床に入ってしまってからブーの間にすっかりテーブルに白布をかけ、飾り、お正月にしてくれました
堺利彦
寒川鼠骨君には「新囚人」の著がある。田岡嶺雲君には「下獄記」の著がある。文筆の人が監獄に入れば、必ずやおみやげとして一篇の文章を書く例である。予もまた何か書かずにいられぬ。 監獄は今が入り時という四月の二十一日午後一時、予は諸同人に送られて東京控訴院検事局に出頭した。一人の書記は予を導いてかの大建築の最下層に至った。薄暗い細い廊下の入口で見送りの諸君に別れ、
戸坂潤
戸坂嵐子殿(十九年十二月十二日朝) 八日に手紙六通(老人3嵐子2イク子1)入手、進学の件など明らかとなり安心。――昭和の高等学院が第二次なら第三次を何でもよいから一つ選べ、もし第三次なら第二次に然るべきものがあったら出すこと。日本女大必ずしも毛ぎらいすべからず。 明大の女専には文科はないか(庸之君にでも聞くこと)。東女大の平野智治夫人其他の諸夫人、日女大の菅
槙村浩
鎌と槌をうちぬくひろ/″\とした美くしい自由の花園をへだてゝ砲口をそなえた二つの牢獄がそゝり立つ! ―――日本!東方の突端この蜜房のようなじめ/\した数千の牢獄の一画におれらが住み―――潮が南方のたぎりたつ褐色の急潮が夜の銃架のように、おし静まった独房のはての島々の礎石を噛み残虐な奴隷労働の、憂愁と反逆を箭のような熔熱にのせて北流し―――化石した憂愁を、大陸