現代語訳 平家物語 04 第四巻
作者不詳
治承四年正月一日、法皇の鳥羽殿には、人の訪れる気配もなかった。入道相国の怒り未だとけず、公卿たちの近づくのを許さなかったし、法皇も清盛をはばかっておられたからである。正月の三日間というもの、朝賀に参上するものもいなかったが、僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範だけが特に許された。 正月二十日は東宮の御袴着、ついで御魚味初というので、宮中はめでたい行事で賑った
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作者不詳
治承四年正月一日、法皇の鳥羽殿には、人の訪れる気配もなかった。入道相国の怒り未だとけず、公卿たちの近づくのを許さなかったし、法皇も清盛をはばかっておられたからである。正月の三日間というもの、朝賀に参上するものもいなかったが、僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範だけが特に許された。 正月二十日は東宮の御袴着、ついで御魚味初というので、宮中はめでたい行事で賑った
作者不詳
京都の街は公卿も庶民も動揺した。治承四年六月三日の日、天皇は福原へ行幸し、都うつりさせ給うとのことである。都うつりの噂はかねて流れてはいたが、まだまだ先のことであると人々は思っていた。それが三日ときまっていたのを一日早められた。ことの意外に京中はあわてふためいた。院政に訣別し新帝を擁して平家独裁政府樹立にふみ切った清盛の意志は固かった。六月二日午前六時、天皇
作者不詳
治承五年の正月が来た。今年の内裏の正月の淋しさは又格別で、うち続く兵乱のあとでは、正月を祝う心持にもならず、拝賀の式はとりやめ、主上も出御されず、例年の宴会さえ行なわれなかった。陰気に湿った空気が御所の内々を満たし、正月らしい華やかさはどこにも見られなかった。世間は何となく不穏の気がみちみち、今に何か起りそうだという暗い予感が人々の心をとらえていたからである
作者不詳
寿永二年三月上旬、同じ源氏同志の木曽義仲と兵衛佐頼朝との仲にひびが入った。頼朝は、義仲を討つために十万余騎を引き連れて、信濃国へ乗込んでいった。驚いた義仲は、依田城を出ると、信越の境にある熊坂山に陣をとり、信濃国善光寺に着いた頼朝のところへ、乳母の子で、腹臣の家来でもある今井四郎兼平を使者として送った。 「どういうおつもりで、義仲を討とうとおっしゃるのですか
作者不詳
寿永二年七月二十四日夜半、後白河法皇は按察使大納言資賢の子息右馬頭資時ただ一人を供にして、折からの闇にまぎれ人目を忍んで、御所を出た。行先は鞍馬の奥である。迎えた鞍馬寺の僧たちは突然のことに驚いたが、 「ここはまだ都から近うございますので、危険でございましょう」 と口々にいうので、さらに奥へ入った。笹の峰、薬王坂などの険しい道を進み、ようやく横川の解脱谷にあ
作者不詳
寿永三年正月一日、法皇の御所は大膳大夫成忠の宿所、六条西洞院であるから御所としての体裁は整っていない。それ故、院の拝礼もなく、また内裏での行事である小朝拝も行なわれなかった。 屋島に立てこもる平家はここで新年を迎えたが、元旦の儀式がうまくゆかぬのは当り前である。主上はおいで遊ばすが節会も行なわれず、腹巻の奉納もなく、吉野の国栖人の歌舞奉仕もなかったので、 「
作者不詳
一の谷の合戦で討たれた平家一門の首が都に帰ってきたのは、寿永三年二月七日である。 この噂を伝え聞いた平家の縁者たちは、一体誰の首が帰ってくるのだろう、自分にゆかりのある者でなければ良いがと、夜もろくろく眠られない始末である。 まもなく、首といっしょに一人生捕りになった三位中将も帰って来るという噂がつたえられた。この噂に心を痛めたのは、小松三位中将維盛の北の方
作者不詳
元暦二年の正月が来た。九郎大夫判官義経は、法皇の御所に行き、大蔵卿泰経朝臣へ奏上を頼んだ。 「平家一門は、神、仏からも見放され、君にも捨てられて、都を落ち、西海の波の上に漂う落人となって早や三年になりますが、その間、微力ながらまだ生き長らえ、諸国の通行を妨げておりますのは、何としても口惜しいこと、此のたび、義経、地の果、海の果までも平家一門を追いつめ、攻め落
作者不詳
本三位中将重衡は、伊豆の狩野介宗茂の許に預けられたままになっていたが、南都の大衆が、しきりに、その処分を迫ってきているので、頼朝としてもそのままにしておくこともできず、源三位入道頼政の孫、伊豆蔵人大夫頼兼が守護して、奈良へ連れて行くこととなった。 都へ入ることは許されなかったので、大津から山科、醍醐を通ることとなった。この道筋からは、重衡の北の方、大納言佐殿
作者不詳
(女院御出家) 壇の浦で入水するところを、源氏の兵に救い上げられ、京に帰った建礼門院は、昔とはうって変った侘しい生活を続けていた。 昔、中納言法印慶恵という、奈良の僧が住んでいた坊が、空家になっていたところに住まわれていたが、見るかげもない廃屋で、草深い庭に囲まれ、寝所を掩う簾さえもない有様で、これが、かつて絢爛豪華な宮殿に、多くの侍女にかしずかれて過した人
尾崎士郎
私は、子供の頃から薩摩琵琶が好きだったので、大きくなってから自分で弾奏をやりながら歌ったこともある。もちろん、音痴の私が、うたうことのうまい道理はないが、三十をすぎてから、偶然の動機で、正派薩摩琵琶の師匠と知り合い、正派の豪壮な階調が、ことごとく文章、特に語呂の呼吸と物語の筋の一致しているところにあると思った。 薩摩正派の基点となるべきものは、宿命の悲哀を直
鴨長明
河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない。奔流に現われる飛沫は一瞬も止る事がなく、現れるや直に消えてしまって又新しく現れるのである。世の中の人々の運命や、人々の住家の移り変りの激しい事等は丁度河の流れにも譬えられ、又奔流に現われては消えさる飛沫の様に極めてはかないものである。壮麗を極めた花の都の中にぎっしりと立ち並んでいる家々
岸田国士
風俗といふ言葉をごく広い意味にとつて、私はこの書物に「現代風俗」といふ題をつけた。 世の中の現象をすべて「風俗」としてみる興味が私には一番強く、また、さういふ見方をしなければものが云へないといふ理由も私の場合には成り立つのである。 一国一時代の風俗は、個人の生活のうちに、社会万般の様相のなかに、共通の現象としてあらはれるものである。政治と云はず、教育と云はず
岸田国士
“現代風俗”に就いて 岸田國士 僕は近頃かういふことを考へる。日本といふ国はいつたい、何時になつたら風俗的に統一されるのであらうか? こゝで風俗といふ意味は、勿論広い意味である。フランス語で murs といふあれである。世相と云つてもいゝが、少し漠然としすぎるから、日常生活の表現形式として、やはり風俗といふ言葉を使ふ。 風俗が統一されるといふことは、一国の文
小酒井不木
その年の春はいつまでも寒さが続いたので、塚原俊夫君は、私に向かって、また大地震でも起こらねばよいがなどと、時々私を気味悪がらせておりました。けれども、幸いに、大きな天災地変もなく、五月に入ってからは急に暖かくなって、実験室の前の躑躅が一時に咲き揃いました。 「兄さん、気候が寒いと、あまり大きな犯罪も起こらないようだねえ」 と、ある日の午後、俊夫君は、紫外線装
田中貢太郎
保土ヶ谷の某寺の僧侶が写真を撮る必要があって、横浜へ往って写真屋へ入り、レンズの前へ立っていると、写真師は機械に故障が出来たからと云って撮影を中止した。 僧侶はしかたなしに次の写真屋へ往って、レンズの前へ立ってたところで、どうした事かその写真師も、レンズに故障が出来たと云って中止した。僧侶はよく故障が出来るものだが、どうした事だと独言を云いながら、又次の写真
坂口安吾
現実主義者 坂口安吾 輓近日本帝国に於きましては実子殺しとか若妻殺しとかその他色々賑やかな文化的事件があります。私自身はそれによつて毎日の新聞が退屈なしに読める以外に重大な意味を感じたことはありませんが、ある一日の新聞に当今有名な一批評家が実子殺しを云々して、かかる事件は実際あつてみなければ想像もつかない事件であつて、わが帝国の尊敬すべき写実主義者は(彼の言
宮本百合子
現実の問題 宮本百合子 『輝ク』を今日拝見していろいろ面白く感じ、同時に相すまなく感じました。この前原稿を御送りするよう、お約束しておきながらそれが果せず、少なからず御迷惑をかけたことについてです。何卒お許し下さい。あの節は毎日心にかかっているのに、あれやこれやでつい編輯の方にまごつかせるようになってしまいました。あながち私の怠慢とのみ申せぬ点もあったのです
宮本百合子
選挙が迫って来ている。人の気質によっては、こういうことに大して心をひかれないたちのものもある。そういう人は、これまで余り選挙などに熱中しないで、時には棄権もして来たかもしれない。信用出来もしない候補者に投票なんかしたくないと思って、良心的に棄権した場合もあったかもしれない。 しかし、四月十日にきめられている今度の選挙は、私たちに、どんな心もちを抱かせているだ
宮本百合子
十一月号の『中央公論』に「杉垣」という短篇を書いた。その評の一つとして武田麟太郎氏の月評が『読売新聞』に出ているのを読んだ。 「勤め人夫婦が激動する時代の波濤の中でいかに理性的に生くべきかを追究する次第を叙し」「各人物の性格なぞも現代的特徴のうちに生かされてはいるし、それが矛盾に於て把握されているが、そうした矛盾した複雑性も、作者の余りにも構えた分析解明の跡
宮本百合子
新聞に、ぽつぽつと婦人代議士として立候補を予測される人々の写真などがのりはじめた。自分ではっきり立候補の計画をもっている婦人たちは、ふさわしいと判断した政党に入党手続をしたと報道されているし、立候補を予測されている人の中で、自分は絶対に立候補しないと明言している婦人たちもある。 選挙という私たちの新しい仕事につれて、婦人は政治をどう考えるかという問題が、目前
宮本百合子
先日はどうも失礼。久しぶりでお目にかかったし、元気に働いていらっしゃる御様子だったので、私もたいへんいい心持でした。 ところで、あなたは大きい宿題をのこしていらっしゃいましたね。永年職業婦人としての経験をかさねて来ているあなたが、とくに、職業というのではなく、と念を入れて、一般に女のひとがもっと自分の生活感情のよりどころとして何か真に打ちこめる仕事を持つよう
宮本百合子
ソヴェト・ロシアの現状勢と芸術 宮本百合子 現代のソヴェト・ロシア一般の社会現象及び芸術について話す場合、当然現在第三年目に入ったソヴェト生産拡張五ヵ年計画を根柢に於て見なければならない。五ヵ年計画によってソヴェトに於ける社会主義的社会建設の為め大飛躍と大努力を続けていると同時に、芸術の方面もこれにつれて最近二年間に種々のものを清算し内容的に新たなものを加え
豊島与志雄
球体派 豊島与志雄著 私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。二人とも可なり酔っていた。どういう話の続きか覚えていないが、彼はしきりに球体派という言葉をくり返していた。 「日本画と西洋画との本質的なちがいは、日本画は線で物を把握し、西洋画は面で物を把握する、というところにある。ところがこの面というものが甚だ厄介で、ともすると平面になってしまう。平面の集ま