痴人の復讐
小酒井不木
痴人の復讐 小酒井不木 異常な怪奇と戦慄とを求めるために組織された「殺人倶楽部」の例会で、今夕は主として、「殺人方法」が話題となった。 会員は男子十三人。名は「殺人倶楽部」でも、殺人を実行するのではなくて、殺人に関する自分の経験(若しあれば)を話したり、センセーショナルな殺人事件に関する意見を交換したりするのが、この倶楽部の主なる目的である。 「絶対に処罰さ
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小酒井不木
痴人の復讐 小酒井不木 異常な怪奇と戦慄とを求めるために組織された「殺人倶楽部」の例会で、今夕は主として、「殺人方法」が話題となった。 会員は男子十三人。名は「殺人倶楽部」でも、殺人を実行するのではなくて、殺人に関する自分の経験(若しあれば)を話したり、センセーショナルな殺人事件に関する意見を交換したりするのが、この倶楽部の主なる目的である。 「絶対に処罰さ
ホーフマンスタールフーゴー・フォン
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の垂布にて覆いあり。窓にそいて左の方に為事机あり。その手前に肱突の椅子あり。柱ある処には硝子の箱を据え付け、その中に骨董を陳列す。
牧野信一
私は岡村純七郎の長男で純太郎といふ名前である。私の家の伝来の風習で長男には必ず「純」の字を通り名として用ひてゐるさうだ。――私が生れた時、私の名前に就いて父は少しは頭を悩ましたらうか、種々な名前を考へたらうか……いや、そんな筈はあるまい。至極単純な頭悩の所有者である彼は、愚かな伝統を尊重――と云ふより寧ろ単なる不用意な考察で――それで私の名前なるものが制定さ
牧野信一
痴日 牧野信一 一 頭の惡いときには、むしろ極めて難解な文字ばかりが羅列された古典的な哲學書の上に眼を曝すに如くはない――隱岐はいつも左う胸一杯に力んで、決して自分の部屋から外へ現れなかつた。活字の細いレクラム本に吸ひつくやうに覆ひ被さつたまゝ、終日机から離れなかつた。だが、やがて運ばれる晩飯を下宿人のやうにひとりでぼそ/\としたゝめてから、何か吻つとしてラ
牧野信一
J・K兄 「シプリア人と処女の話」の作者の名前は解らぬだらうか? そして、矢張りこの作が、吾々の悪魔を、作品のうちにとり入れた世界での最初の文芸作品であらうか? それから「シプリア人と処女の話」といふのが本来の題名なのか、それとも「アグリタスとジヤステイナ」が原名なのか、君の意見を訊きたい。アグリタスはジヤステイナを意に従へるために終に悪魔の助力を乞ふのであ
福沢諭吉
立国は私なり、公に非ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海天然の境界に隔てられて、各処に群を成し各処に相分るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣食の富源あれば、これによりて生活を遂ぐべし。また或は各地の固有に有余不足あらんには互にこれを交易するも可なり。すなわち天与の恩恵にして、耕して食い、製造して用い、交易して便利を達す。人生の所望この外に
福沢諭吉
福沢先生の手簡 拝啓仕候。陳ば過日瘠我慢之説と題したる草稿一冊を呈し候。或は御一読も被成下候哉。其節申上候通り、何れ是は時節を見計、世に公にする積に候得共、尚熟考仕候に、書中或は事実の間違は有之間敷哉、又は立論之旨に付御意見は有之間敷哉、若しこれあらば無御伏臓被仰聞被下度、小生の本心は漫に他を攻撃して楽しむものにあらず、唯多年来心に釈然たらざるものを記して輿
木村芥舟
左の一篇は木村芥舟翁の稿に係り、時事新報に掲載したるものなり。その文中、瘠我慢の説に関係するものあるを以て、ここに附記す。 福沢先生を憶う 木村芥舟 明治三十四年一月廿五日、予、先生を三田の邸に訪いしは、午後一時頃なり。例の通り奥の一間にて先生及び夫人と鼎坐し、寒暄の挨拶了りて先生先ず口を開き、この間、十六歳の時咸臨丸にて御供したる人来りて夕方まで咄しました
平出修
瘢痕 平出修 躍場が二つもある高い階段を軽くあがつて、十六ばかりの女給仕が社長室の扉をそつと叩いた。 「よろしい。」社長の松村初造はちよいと顔を蹙めたが、すぐ何気ない風になつて、給仕を呼入れた。 「あの、田代さんからお電話でございますが。」 「うむ。」 「只今からお伺ひいたしたいんでございますが……。」 「居ると云つたか。僕が、ここに。」松村はうるささうに中
楠山正雄
瘤とり 楠山正雄 一 むかし、むかし、ある所に、一人のおじいさんがありました。右のほおにぶらぶら大きな瘤をぶら下げて、始終じゃまそうにしていました。 ある日、おじいさんは山へ木を切りに行きました。にわかにひどい大あらしになって、稲光がぴかぴか光って、ごろごろ雷が鳴り出しました。そのうち雨がざあざあ降ってきて、うちへ帰るにも帰れなくなりました。どうしようかと思
今野大力
療養所の看護婦はいつも 廊下をみがいている ドアーのハンドルをみがいている いくらみがいてもピカピカ光る程 この療養所の建物は新らしくない それでも毎日 看護婦は廊下をみがきハンドルをみがく 主任が真先に立ってやって見せるし 主任の命令がきびしいので 看護婦は今日もみがきやになってる 病室に入って 病室のうすきたなさはちっともきれいにされない 病室には 廊下
岸田国士
癇癪批評 岸田國士 僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。常々、一度や二度呼んだぐらゐで、僕の注意を惹くことは困難だといふことを知つてゐるからだ。「ねえ、パパつたら……」といふ文句を、きまつて頭へつける子供の習癖を、僕は心の中で悲しんでゐる。相手が自分の云ふことに興味がなささうだと思ひ、しかも、それを云はずにをられぬ場合
喜多村緑郎
人として一つの癖はあるものよ、吾れにはゆるせ敷島の道。……これはよく落語家が枕にふる言葉ですが、……無くて七癖、有つて四十八癖、といつて誰にもあるんでせうが、さうなるとわたしには、夜更をするのが癖の一つでした、……わたしの若い時分の時間でいふと十二時頃寝るのは罪悪のやうな気がしたもんです。それで居て朝寝坊は厭ひでしたから……恐らくまづ寝る間は三四時が関の山で
平林初之輔
デュパンという男は申すまでもなくポーの小説に出てくる探偵である。もっともこの探偵の出てくる小説は、「モルグ街の殺人」と「盗まれた書類」と「マリー・ロジェ奇談」とこの三つしかない。探偵小説には必ず探偵が必要であるというヴァン・ダインの筆法から言うと、ポーの探偵小説は三つしかないわけだ。 デュパンは、ホームズやルパンなどの紳士とは非常に変わった探偵である。パリの
島木健作
癩 島木健作 1 新しく連れて来られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての真夏を迎えたのであった。暑さ寒さも肌に穏やかで町全体がどこか眠ってでもいるかのような、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあったのであろう、慌ただしくただひとりこちらへ送られて来たのは七月にはいると間もなくのことであった。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に
島木健作
癩 島木健作 1 新しく連れて來られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての眞夏を迎へたのであつた。暑さ寒さも肌に穩やかで町全體がどこか眠つてでも居るかの樣な、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあつたのであらう、慌ただしく只ひとりこちらへ送られて來たのは七月にはいると間もなくの事であつた。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に着替へ
シュウォッブマルセル
あたしの申上げる事を合点なさりたくば、まづ、ひとつかういふ事を御承知願ひたい。白の頭巾に頭を裹んで、堅い木札をかた、かた、いはせる奴めで御座るぞ。顔は今どんなだか知らぬ。手を見ると竦とする。鱗のある鉛色の生物のやうに、眼の前にそれが動いてゐる。噫、切つて了ひたい。此手の触つた所も忌はしい。紅い木の実を摘取ると、すぐそれが汚れて了ひ、ちよいと草木の根を穿つても
北条民雄
他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。
北条民雄
それを見たとたん、秋津栄三はがつくりと膝を折つてそのまま地べたへつき坐つてしまひさうになつた。ここまで彼の体を支へて来た足は、俄に力が抜けて関節が外れてしまつたやうであつた。 車道には電車がきしり、自動車が辷つて流れてゐる。彼の横を、彼の気持とは全然かかはりのない人々が打ち続いて通つて行く。彼は絶望的な眼をそれらに投げ、力の抜けた足を引きずりながらのろのろと
北条民雄
入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう。舎へ移つてしまふと、いよいよこれから病院生活が始まるのだといふ意識に、或る落着きと覚悟とが自ずと出来、心の置きどこ
富永太郎
夕暮の癲狂院は寂寞として 苔ばんだ石塀を囲らしてゐます。 中には誰も生きてはゐないのかもしれません。 看護人の白服が一つ 暗い玄関に吸ひ込まれました。 むかふの丘の櫟林の上に 赤い月が義理で上りました (ごくありきたりの仕掛です)。 青い肩掛のお嬢さんが一人 坂をあがつて来ます。 ほの白いあごを襟にうづめて 脣の片端が思ひ出し笑ひに捩ぢれてゐます。 ――お嬢
坂口安吾
発掘した美女 坂口安吾 恋わずらい 梅玉堂は東京で古くから名のある菓子店である。その当主はよくふとっていたが、神経衰弱気味であった。見合をしたのが発病の元であった。 むろん初婚ではない。梅玉堂は五十三だ。死んだ先妻には大学生の倅をはじめ三人の子供が残されていた。 見合をした女の人も初婚ではなかった。初音サンという人だ。先夫が病死して、子がなかったから、生家に
北条民雄
いつたいに慢性病はどの病気でも春先から梅雨期へかけて最も悪化する傾向がある。結核などはその著しい例であらうと思ふが、癩もやはりさうで、この頃になるとそれまで抜けなかつた頭髪が急に抜け始めたり、視力が弱つて眼がだんだんかすんだり充血したりする。私もこの春突然充血した眼が、いまだに良くならないでゐる。勿論その頃に較べるとずつと良くなつたし、それに秋がもう始まつて
北条民雄
胸までつかる深い湯の中で腕を組んで、私は長い間陶然としてゐた。ひどく良い気持だつた。外は凩が吹いて寒い夜だつたが、私は温かい湯に全身を包まれてゐるので、のびのびとした心持であつた。私は結婚したばかりのまだ十八にしかならない妻のことを考へてゐたのである。春になつたら、田植時までの暇な時期を選んで彼女を東京へ連れて行つてやらう、なんにも知らない田舎娘の彼女はどん