Vol. 2May 2026

图书

公共领域世界知识图书馆

14,981종 중 11,088종 표시

百回の随筆

中谷宇吉郎

七月の初めに、百回の隨筆といって頼まれた時には、百くらいの話題は、そうむずかしくはなかろうと思って、簡單に引き受けた。 ところが書いてみると、これはたいへんな重勞働であることがすぐ分った。三ツや四ツ書き溜めることは、初めのうちは何でもなかった。しかし少し經つと、大分種に苦しむようになり、それが重荷に感ぜられて來た。そうなると、やっと三ツ書き溜めたと思っても、

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百姓マレイ

ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ

そのとき、わたしは、まだやっと九つでした……いやそれよりも、わたしが二十九の年のことから話を始めたほうがいいかもしれません。 それは、キリスト復活祭の二日めのことです。もう陽気も暖かで、空はまっさおに晴れわたり、太陽は高いところから、ぽかぽかと暖かな光りをきらめかせていましたが、わたしの心は、まっ暗でした。わたしは牢屋のうらをぶらぶら歩きながら、がっしりした

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百姓仁平

今野大力

何つう病気だか知らねいが、 俺家のたけ子奴病気だどって帰って来た 何でも片足だけは血が通わねえんだって そしてくさりこんでさ うみが出て うみが出て、 血の通うところまでぶった切って 生れにもない片輪になりやがって 二十一の働き盛り 嫁盛りに 何つうこった 俺あ口惜しくて涙も出ねい たけ子の野郎奴は ロクすっぽ金も持たずにおんだされて来やがった どうすべか

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百姓の夢

小川未明

あるところに、牛を持っている百姓がありました。その牛は、もう年をとっていました。長い年の間、その百姓のために重い荷をつけて働いたのであります。そして、いまでも、なお働いていたのであったけれど、なんにしても、年をとってしまっては、ちょうど人間と同じように、若い時分ほど働くことはできなかったのです。 この無理もないことを、百姓はあわれとは思いませんでした。そして

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百姓弥之助の話 01 第一冊 植民地の巻

中里介山

第一冊の序文 人間世界第一の長篇小説「大菩薩峠」の著者は今回また新たなる長篇小説「百姓弥之助の話」を人間世界に出す。 「百姓弥之助」は日本帝国の忠実なる一平民に過ぎない、全く忠実なる一平民以上でも無ければ以下でもない、この男は日本の国に於て義務教育程度の学校教育だけは与えられている、それ以上の学校教育なるものの恩恵は与えられていない、貧乏と、貧乏から来る内外

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百姓の足、坊さんの足

新美南吉

十二月十二日に貧しい百姓の菊次さんは、雲華寺の和尚さんが米初穂をあつめて廻るのにお供していきました。 米初穂といふのは、ことしの秋とれた新しいお米のことで、村の百姓達はそれを少しづつお寺にささげて、仏様にのちの世のことを頼んだのであります。 和尚さんが村の家々の戸口に立つて、短い経を読むと、百姓達はもうちやんと知つてゐて、新しい米を枡に入れて奥から出て来ます

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イプセン百年祭講演

久保栄

イプセン百年祭講演 久保栄 来る三月二十日は、近代劇の父と仰がれるヘンリック・イプセンの生誕百年の記念日に相当いたします。今年(一九二八年)はどういう廻り合せか、世界的な劇作家の生誕何年という数字が、しきりとかち合いまして、たとえばロシアのトルストイがイプセンとおない年の生誕百年、マクシム・ゴリキイが六十年記念、ドイツ劇壇ではシュテルンハイムとカイザアが、そ

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「百日物語」あとがき

中谷宇吉郎

この『百日物語』は、昨年の七月から九月にかけて、『西日本新聞』に連載したものである。そのうち、種が外に書いたものと重複した分を、五六篇だけ差しかえた。しかし大部分は、掲載の順序のまま、この本に納めた。 書きかけて間もなく土佐へ行き、歸ってすぐアメリカの學會に出かけたので、大半は、旅行中に書いたものである。最終回のところで、一寸觸れておいたが、アメリカから、航

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百日紅

田山花袋

山の半腹を縫つた細い路を私は歩いて居た。日は照つて居た。下には、石材を三里先の山の中から運んで来るトロコのレールが長く続いてゐて、其向ふには、松の綺麗に生えた山が重り合つてゐた。 時々石を載せたトロコが、下りになつた路を凄じい音を立てゝ通つて行つた。……人足が両手を挙げたりなどした。 私は一緒に歩いてゐる丈の低い友に話し懸けた。 『何うだね? 君にはさういふ

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百日紅

高浜虚子

百日紅 高浜虚子 昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅といふ樹を見た。それ迄も見たことがあつたのかも知れないが、一向気がつかなかつた。成程百日紅といふ名前のある通り真赤な花が永い間咲いてゐるものであるわいとつく/″\其梢を眺めた。又さるすべりといふ別の名前のある通り木の膚のすべつこいものではあると、其皮の無いやうな膚をもつく/″\見た。 其後百日紅とい

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百済観音と夢殿観音と中宮寺弥勒

野間清六

この三つの像は飛鳥の代表的な彫刻として世に有名であるが、その三つの像を飛鳥の彫刻から排除した理由は既に述べたところである。こゝにはそれらの像が、何故に白鳳時代のものであるかの理由を述べたい。 百済観音はその異様な長身が不思議な美しさを示し、仰ぐものの心を高い天上へ誘うような感銘を与える。この特異な美しさこそ、実はこの像を白鳳のものたらしめるのである。この特異

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百物語

岡本綺堂

百物語 岡本綺堂 今から八十年ほどの昔――と言いかけて、O君は自分でも笑い出した。いや、もっと遠い昔になるのかも知れない。なんでも弘化元年とか二年とかの九月、上州の或る大名の城内に起った出来事である。 秋の夜に若侍どもが夜詰めをしていた。きのうからの雨のふりやまないで、物すごい夜であった。いつの世もおなじことで、こういう夜には怪談のはじまるのが習いである。そ

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百科事典美談

中谷宇吉郎

北大の予科に、もうとっくに亡くなられたが、A先生という物理の老先生がおられた。たしか中村清二先生と同期くらいに、東大の物理学科を出られた方である。 もう二十年以上も前のこと、北大に新設された理学部へ赴任して間もない頃、私はある晩、A先生のお宅へ伺ったことがある。大先輩に敬意を表するためである。 古いお宅で、応接間も大分古風な部屋であった。一晩ゆっくりお邪魔を

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百花園

永井荷風

百花園 永井荷風 友の来って誘うものあれば、わたくしは今猶向島の百花園に遊ぶことを辞さない。是恰も一老夫のたまたま夕刊新聞を手にするや、倦まずして講談筆記の赤穂義士伝の如きものを読むに似ているとでも謂うべきであろう。老人は眼鏡の力を借りて紙上の講談筆記を読む。その講談は老人の猶衰えなかった頃徒歩して昼寄席に通い、其耳に親しく聴いたものに較べたなら、呆れるばか

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百まで踊る下中翁

平野零児

下中翁が忽然と逝かれたのは何とも傷心の限りである。亡くなられる恰度一月前、麹町の「山の茶屋」で、翁の御馳走になったばかりである。中野好夫、深尾須磨子、松山幸逸、岡田政一、大西雅雄さん達、下中翁を囲む同郷の極く小部分のグループの、いはば恒例のような会だった。その前はクラブ関東で、立抗村の名誉村長になられた時の、披露ともいうべき会だった。その時は「これからは陶工

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ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格

坂口安吾

ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格 坂口安吾 ヨーロッパとニッポンが初めて接触いたしましたのは、今から四百年ばかり前のことでありますが、その当時に、ニッポンの性格とヨーロッパの性格とが引き起こした摩擦とか、交渉とかいうものを私の見た眼から、皆さんにお話してみたいと思います。 具合のいいことに、その当時ニッポンへやって来ました、皆さん御存知のいわゆるキリシタン・

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セトナ皇子(仮題)

中島敦

メムフィスなるプタの神殿に仕うる書記生兼図案家、常にウシマレス大王に変らざる忠誠を捧ぐる臣、メリテンサ。謹んで之を記す。この物語の真実なることを、あかしし給う神々の御名は、鷹神ハトル、鶴神トト、狼神アヌビス、乳房豊かなる河馬神アピトエリス。 百合の国上埃及の王にして、蜂の国下埃及の王、アモン・ラーの化身、輝けるテーベの主、ウシマレス大王の一子セトナ皇子は、夙

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皇帝の使者

カフカフランツ

皇帝が――そう呼ばれているのだ――君という単独者、みすぼらしい臣下、皇帝という太陽から貧弱な姿で遠い遠いところへ逃がれていく影、そういう君に皇帝が臨終のベッドから伝言を送った。皇帝は使者をベッドのそばにひざまずかせ、その耳にその伝言の文句をささやいた。皇帝にとってはその伝言がひどく大切だったので、使者にそれを自分の耳へ復誦させたのだった。うなずいて見せること

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皇海山紀行

木暮理太郎

皇海山紀行 木暮理太郎 降りがちな天候は、十一月に入ってもからりと晴れた日は続かなかった。ことに土曜から日曜へかけてはよく降った。この意地悪い雨のために出鼻をくじかれて、出発はもう予定より三週間も遅れてしまった。これがもし紅葉見物を兼ねての旅であったならば、目的の一半は既に失われた訳であるが、皇海山に登ることが主眼であったから、秋の旅とはいえ、紅葉の方はどう

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皮膚と心

太宰治

皮膚と心 太宰治 ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒くもなんともありませんでした。憎い気がして、お風呂で、お乳の下をタオルできゅっきゅっと皮のすりむけるほど、こすりました。それが、いけなかったようでした

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まじょりか皿

寺田寅彦

十二月三十一日、今年を限りと木枯しの強く吹いた晩、本郷四丁目から電車を下りて北に向うた忙がしい人々の中にただ一人忙がしくない竹村運平君が交じっていた。小さい新聞紙の包を大事そうにかかえて電車を下りると立止って何かまごまごしていたが、薄汚い襟巻で丁寧に頸から顋を包んでしまうと歩き出した。ひょろ長い支那人のような後姿を辻に立った巡査が肩章を聳かして寒そうに見送っ

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皿屋敷

田中貢太郎

皿屋敷 田中貢太郎 番町の青山主膳の家の台所では、婢のお菊が正月二日の昼の祝いの済んだ後の膳具を始末していた。この壮い美しい婢は、粗相して冷酷な主人夫婦の折檻に逢わないようにとおずおず働いているのであった。 その時お菊のしまつしているのは主人が秘蔵の南京古渡の皿であった。その皿は十枚あった。お菊はあらったその皿を一枚一枚大事に拭うて傍の箱へ入れていた。と、一

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盂蘭盆

北条民雄

一号室ではまた盆踊りの練習が始まつた。 「またも出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭とるとはおーそれながら――。」 さつきまで日支戦争の噂話で夢中になつてゐたのだが、それがちよつと途切れると突然一人がかう怒鳴りながら立上つた。すると勿ち戦争の話はけし飛んでしまひ、総立ちになつてどんどんと足を踏み鳴らし出した。 その声を聴きつけると、三号四号の連中もぞ

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たなばたと盆祭りと

折口信夫

たなばたと盆祭りと 折口信夫 一 この二つの接近した年中行事については、書かねばならぬ事の多すぎる感がある。又既に、先年柳田先生が「民族」の上で述べてゐられるから、私しきが今更此に対して、事新しく、附け加へるほどのことはあるまいと思ふが、顔が違へば、心も此に応じる。又変つた思案も出ようと言ふものである。 たなばたは、七月七日の夜と、一般に考へられてゐる様であ

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