真昼のお化け
小川未明
光一は、かぶとむしを捕ろうと思って、長いさおを持って、神社の境内にある、かしわの木の下へいってみました。けれど、もうだれか捕ってしまったのか、それとも、どこへか飛んでいっていないのか、ただ大きなすずめばちだけが二、三びき前後を警戒しながら、幹から流れ出る汁へ止まろうとしていました。しかたなく、鳥居のところまでもどってきて、ぼんやりとして立っていると、せみの声
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小川未明
光一は、かぶとむしを捕ろうと思って、長いさおを持って、神社の境内にある、かしわの木の下へいってみました。けれど、もうだれか捕ってしまったのか、それとも、どこへか飛んでいっていないのか、ただ大きなすずめばちだけが二、三びき前後を警戒しながら、幹から流れ出る汁へ止まろうとしていました。しかたなく、鳥居のところまでもどってきて、ぼんやりとして立っていると、せみの声
坂口安吾
真珠 坂口安吾 十二月八日以来の三ヶ月のあひだ、日本で最も話題となり、人々の知りたがつてゐたことの一つは、あなた方のことであつた。 あなた方は九人であつた。あなた方は命令を受けたのではなかつた。あなた方の数名が自ら発案、進言して、司令長官の容れる所となつたのださうだ。それからの数ヶ月、あなた方は人目を忍んで猛訓練にいそしんでゐた。もはや、訓練のほかには、余念
甲賀三郎
真珠塔の秘密 甲賀三郎 一 長い陰気な梅雨が漸く明けた頃、そこにはもう酷しい暑さが待ち設けて居て、流石都大路も暫くは人通りの杜絶える真昼の静けさから、豆腐屋のラッパを合図に次第に都の騒がしさに帰る夕暮時、夕立の様な喧しい蝉の声を浴びながら上野の森を越えて、私は久し振りに桜木町の住居に友人の橋本敏を訪ねた。親しい間とて案内も乞わずにすぐ彼の書斎兼応接室の扉を叩
北原白秋
心ゆくまでわれはわが思ふほどのことをしつくさむ。ありのまま、生きのまま、光り耀く命のながれに身を委ねむ。れうらんたれ、さんらんたれ。わがうたはまた、印度更紗の類ひならねど渋くつや出せ、かつ煙れ。 千九百十四年九月白秋
中井正一
ロマン・ロランは第一次大戦にあたって彼の「戦いを超えて」の中で次のようにいっている。 「真理を求めようとはしないで、それを所有していると称するものと議論することは不可能である。ドイツが日の光りに対して防御壁をつくっている自信の厚い壁を破ることは、今のところ、いかなる精神の力にとっても可能ではない。」 ドイツの多くの哲学者が、すべて背骨を失って、戦の中に巻きこ
坂口安吾
真相かくの如し 坂口安吾 「真相」という雑誌に、私が昨年「風報」にのせた文章が一部抜萃して載っている。これは私の承諾を得たものではなく、全く無断の転載である。 これを私に知らせるために、わざわざ訪ねてきてくれた友人は、著作権法に通じた人であった。彼はニヤニヤしていった。 「著作権法にふれていると思うかね」 「むろん、そうだろう」 「ところがそうじゃないんだ」
田中貢太郎
遠江の御前崎へ往ったのは大正十四年の二月二日であった。岬には燈台があって無線電信の設備もあった。その燈台の燈光は六十三万燭で十九浬半の遠距離に及ぶ回転燈であった。私は燈台の中を見せてもらって、その後で窓の外へ眼をやった。沖あい遥に霞の中に、敷根らしい島と大島らしい島のどんよりと浮んでいるのを見た。岬の東端の海中には、御前岩、俗に沖の御前と云われている岩があっ
坂口安吾
檀君が五右衛門を書くために、はじめて大阪へたつという晩、私たちは銀座で酔っ払った。石川淳もいたようだ。新大阪の記者が檀君につきそっていたね。彼が汽車に乗りおくれないように監視するためであった。 酔っ払う檀君と、それを監視しつつある記者君との滑稽な悪関係は、五右衛門が完結するまでひきつづいて行われる運命のようである。 しかし檀君の監視者は新大阪の記者君だけでは
阪井久良伎
千葉縣市川町眞間に引退してから、最早滿三年に成る。友人桐ヶ谷洗鱗畫伯逝いて一年以上、話相手に乏しい余は、切めて史蹟名勝に依つて心を慰めんとするが、一向に趣味の上に心のない町の人々は、史蹟など念頭においてゐない樣である。明治六年習志野の演習へ行幸遊ばされた明治大帝が、その樹下を御通行の際「美事なる松よ」とお褒めになつた市川町の名物三本松も、其一本が盤屈して街道
国枝史郎
真間の手古奈 国枝史郎 一 一人の年老いた人相見が、三河の国の碧海郡の、八ツ橋のあたりに立っている古風な家を訪れました。 それは初夏のことでありまして、河の両岸には名に高い、燕子花の花が咲いていました。 茶など戴こうとこのように思って、人相見はその家を訪れたのでした。 縁につつましく腰をおろして、その左衛門という人相見は、戴いた茶をゆるやかに飲んで、そうして
折口信夫
真間・蘆屋の昔がたり 折口信夫 この国学院大学の前身の国学院、及び国学院大学で、私ども万葉集を習ひました。その時分ちようど、木村正辞先生といふ、近世での万葉学者がをられまして、私ども教へて頂きました。 その外に、畠山健先生が、万葉集を教へてをられました。木村先生といふのは、旧時代から名高い万葉学者で、謂はゞ正しい伝統を持つた方です。畠山先生は万葉やら、源氏や
岡本綺堂
真鬼偽鬼 岡本綺堂 一 文政四年の江戸には雨が少なかった。記録によると、正月から七月までの半年間にわずかに一度しか降雨をみなかったという事である。七月のたなばたの夜に久しぶりで雨があった。つづいて翌八日の夜にも大雨があった。それを口切りに、だんだん雨が多くなった。 こういう年は、いわゆる片降り片照りで、秋口になって雨が多いであろうという、老人たちの予言がまず
牧野信一
「電灯を点けて煙草を喫かす、喫ひ終ると再び灯りを消してスツポリと夜着を頭から引き被る――真暗だ。彼は、眼を視開いてゐた。……云ふまでもなく、何も考へてゐない。眠り度い! と希ふ心は、とうに麻痺してゐる。……時計の音ばかりが、イヤに勢急に響いて来る、――一寸快よいやうな気もする。――間もなく彼は、また慌てゝ灯りを点ける……。一種特別な疲れを覚えて、また指の先が
堀辰雄
その女が僕を見てあんまり親しげに微笑したので、僕はその女について行かずにゐられなかつた。もうすべてのものは眠つてゐた。ただ風だけが眼ざめてゐた。が、それとても、町中に散らばつてゐる紙屑をすら動かすほどのものではなかつた。それはむしろ空氣の流れと云つた方がいい。それが僕をうしろから押すのである。眼を閉ぢてそれに押されるままになりながら、僕ははげしい疲勞を感じて
野村胡堂
「お母様、泣いていらっしゃるの?」 よし子は下からのぞくように、母親の顔を見上げました。 「いえ、泣きはしません。なんにも泣くようなことはないじゃありませんか」 「でも、お父様の形見が一つずつなくなってゆくのが心細いって、昨日叔父様へ泣いておっしゃったじゃありませんか」 「この子はまあ」 母親は顔をそむけて、そっと涙をふきました。お正月の銀座はまだ宵の口です
ペローシャルル
一 むかしむかし、王様とお妃がありました。おふたりは、こどものないことを、なにより悲しがっておいでになりました。それは、どんなに悲しがっていたでしょうか、とても口ではいいつくせないほどでした。そのために、世界じゅうの海という海を渡って、神様を願をかけるやら、お寺に巡礼をするやらで、いろいろに信心をささげてみましたが、みんな、それはむだでした。 でもそのうち、
小川未明
この少年は、名を知られなかった。私は仮にケーと名づけておきます。 ケーがこの世界を旅行したことがありました。ある日、彼は不思議な町にきました。この町は「眠い町」という名がついておりました。見ると、なんとなく活気がない。また音ひとつ聞こえてこない寂然とした町であります。また建物といっては、いずれも古びていて、壊れたところも修繕するではなく、烟ひとつ上がっている
萩原朔太郎
すべては黒く凍つてゐるさびしくかたまる岩の上にみじめに歪んだ松の幹に景色は凍え、飢ゑ、まづしく光つて叫ぶばかり。 この侘しく灰色なる空の下に私たちの心はまづしく語り 孤獨になやみて重たくよりそふ少女よあの遠い空の雷鳴をあなたは聽くかかしこの空にひるがへる浪浪の高いひびきをあなたは聽くか。 過去よながいながい孤獨の影よその影を岩にひきずる冬の日の薄暗い濱邊に立
徳永直
眼 徳永直 「ね、あんた、今のうち、尾久の家(親類)へでも、行っちゃったがいいと思うんだけど……」 女房のお初が、利平の枕許でしきりと、口説きたてる。利平が、争議団に頭を割られてから、お初はモウスッカリ、怖気づいてしまっている。 「何を……馬鹿な……逃げ出すなんて、そんな……アッ、ツ、ツ」 眼をむいて、女房を怒鳴りつけようとしたが、繃帯している殴られた頭部の
片山敏彦
寂寥の中で見開く眼がある おもむろな、必然な絶望の中で生きて来る眼がある。 その眼は 非合理的に歓喜する。 悲しいから信仰に澄む。 あゝ その眼にうつる風景の ひろびろたる 不思議な円ろさ。 ●図書カード
竹久夢二
ある眼 竹久夢二 「あんな娘をどこが好いんだ、と訊かれると、さあ、ちよつと一口に言へないが」さう云つて、画家のAは話し出した。 彼女はただ普通のモデル娘として、私の画室に通つてきてゐたのです。私も特別、彼女に注意を払つてもゐませんでした。それほど、彼女は、ただの娘でした。年は十七八だつたでせうか、身体が大きいからと言つて、そのころ肩揚をおろしてゐました。 彼
北条民雄
北條民雄:眼帯記 眼帯記 北條民雄 ある朝、眼をさましてみると、何が重たいものが眼玉の上に載せられているような感じがして、球を左右に動かせると、瞼の中でひどい鈍痛がする。私は思いあたることがあったので、はっとして眼を開いてみたが、ものの十秒と開いていることができなかった。曇った朝、まだ早くだったので、光線は柔らかみをもっているはずだったのに、私の眼は鋭い刃物
北原白秋
山火事焼けるな、ホウホケキヨ、 可愛いい小鹿が焼け死ぬぞ。 これは春の暮、夏のはじめの頃に、夕方かけて、赤い山火事の火の燃える箱根あたりの山を眺めて、この小田原の町の子供たちが昔歌つた童謡の一つだと申します。 昔の子供たちはかういふ風におのづと自然そのものから教はつて、うれしいにつけ悲しいにつけ、いかにも子供は子供らしく手拍子をたたいて歌つたものでした。 そ
織田作之助
眼鏡 織田作之助 三年生になった途端に、道子は近視になった。 「明日から、眼鏡を掛けなさい。うっちゃって置くと、だんだんきつくなりますよ」 体格検査の時間にそう言われた時、道子はぽうっと赧くなった。なんだか胸がどきどきして、急になよなよと友達の肩に寄りかかって、 「うっちゃって置くと、ひどくなるんですって」 胸を病んでいると宣告されたような不安な顔をわざとし