砂糖・健忘症
宮本百合子
砂糖・健忘症 宮本百合子 年の暮れに珍しくお砂糖の配給があった。一人前三〇グラムを主食三三グラムとひきかえに、十匁を砂糖そのものの配給として配給され、久々であまいもののある正月を迎えた。お米とひきかえではねえ、と云いながら、砂糖を主食代りに配給されることについておこった主婦はなかった。 きょう新聞をみると、政府は主食代用を主な目的としてフィリッピンその他から
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宮本百合子
砂糖・健忘症 宮本百合子 年の暮れに珍しくお砂糖の配給があった。一人前三〇グラムを主食三三グラムとひきかえに、十匁を砂糖そのものの配給として配給され、久々であまいもののある正月を迎えた。お米とひきかえではねえ、と云いながら、砂糖を主食代りに配給されることについておこった主婦はなかった。 きょう新聞をみると、政府は主食代用を主な目的としてフィリッピンその他から
黒島伝治
砂糖泥棒 黒島傳治 与助の妻は産褥についていた。子供は六ツになる女を頭に二人あった。今度で三人目である。彼はある日砂糖倉に這入って帆前垂にザラメをすくいこんでいた、ところがそこを主人が見つけた。 主人は、醤油醸造場の門を入って来たところだった。砂糖倉は門を入ってすぐ右側にあった。頑丈な格子戸がそこについていた。主人は細かくて、やかましかった。醤油袋一枚、縄切
宮本百合子
托児所からはじまる モスクはクレムリとモスク河とをかこんで環状にひろがった都会だ。 内側の並木道ブリールと外側の並木道と二かわの古い菩提樹並木が市街をとりまき、鉱夫の帽子についている照明燈みたいな※※と円い標を屋根につけた電車が、冬は真白く氷花に覆われた並木道に青いスパークを散らしながら走る。 夕方、五時というと冬のモスクではもう宵だ。アーク燈が凍った並木道
折口信夫
だいがくの研究 折口信夫 夏祭浪花鑑の長町裏の場で、院本には「折から聞える太鼓鉦」とあるばかりなのを、芝居では、酸鼻な舅殺しの最中に、背景の町屋の屋根の上を、幾つかの祭礼の立て物の末が列つて通る。あれが、だいがくと言ふ物なのである。尤、東京では、普通の山車を見せる事になつて居る様であるが、此は適当な飜訳と言ふべきであらう。 一昨年実川延二郎が本郷座で団七九郎
鈴木梅太郎
ヴィタミン研究の回顧 鈴木梅太郎 顧みれば、蛋白質、脂肪、炭水化合物、これにカルシウム、燐、鐵、沃度等の無機成分を加へた榮養素を以て動物は完全に發育するものと考へられてゐた時代は相當長かつた。しかも、この點に疑問をむものは一人もなかつたのである。 私は以上の四成分のみでは動物は生命を保ち得ないことを證明し、微量にして生命を支配する何物かの存在を提唱し、その神
寺田寅彦
理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。与えられた知識を覚えるだけではその効は極めて少ない。今日大学の専門の学生でさえ講義ばかり当てにして自分から進んで研究しようという気風が乏しく知識が皮相的に流れやすいのは、小学校以来の理科教授がただ与えられた知識を覚えればよいというように教えこまれている結果であろう。これに
種田山頭火
私は此頃自から省みて『私は砕けた瓦だ』としみじみ感ぜざるをえないようになった。私は瓦であった、脆い瓦であった、自分から転げ落ちて砕けてしまう瓦であったのだ。 玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自から砕いてしまったのだ。見よ、砕けて散った破片が白日に曝されてべそを掻いている。 既に砕けた瓦はこなごなに砕かれなければならない。
加藤一夫
未来に 黄金世界を 望むのではないただ 現在の不合理を、破壊しようとするのだ私はユートピアンではないただ 衝動に聴く男だ 社会制度が 人間の意識を支配するがそして その故に 今の社会制度を 破壊するがさりとて 更に善き社会制度を 立てるのが私の 唯一の そして究極の目的ではないまず 破壊するのだ すると新しい制度はおのずから生れるだろう 生命は流れる水制度は
寺田寅彦
破片 寺田寅彦 一 昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏(二七)が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記事が四日の夕刊に出ていた。 これがどの程度に稀有な現象だか自分には判断できないが、聞くのは初めてである。 今年の天候異常で七月中晴天が
坂口安吾
戦火に焼けだされて以来音信不通だつたマリマリ先生といふ洋画家の御夫婦がタイタイ先生といふ小説家を訪ねてきた。 マリマリ先生にはたつた一人の娘がある。十八で女学校を卒業して今年十九であるが、ちかごろ恋をするから説教に及んでくれといふのである。 ところがタイタイ先生は情痴作家の張本人といふ天下に悪名の高い先生で、御当人が内閣情痴部といふやうなところで御説教を受け
夏目漱石
硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。 その上私は去年の暮から風邪を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間
中谷宇吉郎
汽車はあいかわらず満員である。 吹雪で遅れ遅れするので、駅には前からの乗客が溜って益々混雑をひどくするらしい。 やっと窓際の席がとれて、珍しいことと喜んだのも束の間、硝子が破れているので、雪を雑えた零下十度の風が遠慮なく吹き込んで来る。とてもたまったものではない。前に坐っている五十余りの闇商人らしい男が、風呂敷を窓にあてがっているが、どうも巧くとまらない。
内田魯庵
震災で破壊された東京の史蹟のその中で最も惜まれる一つは馬琴の硯の水の井戸である。馬琴の旧棲は何度も修繕されて殆んど旧観を喪ってるから、崩壊しても惜くないが、台所口の井戸は馬琴の在世時のままだそうだから、埋められたと聞くと惜まれる。が、井戸だから瓦や土砂で埋められても旧容を恢復するのは容易である。 この馬琴の硯の水の井戸は飯田町の中坂の中途、世継稲荷の筋向いの
尾崎紅葉
硯友社の沿革 尾崎紅葉 夙て硯友社の年代記を作つて見やうと云ふ考を有つて居るのでありますが、書いた物は散佚して了ふし、或は記憶から消え去つて了つた事実などが多い為に、迚も自分一人で筆を執るのでは、十分な事を書く訳には行かんのでありますから、其の当時往来して居つた人達に問合せて、各方面から事実を挙げなければ、沿革と云ふべき者を書く事は出来ません、 其に就て不便
中谷宇吉郎
東洋の書画における墨は、文房四宝の中でも特別な地位を占めていて、古来文人墨客という言葉があるくらいである。従って墨に関する文献は、支那には随分沢山あるらしく、また日本にも相当あるようである。しかしそのうちには、科学的な研究というものは殆んど無い。或いは絶無と言っていいかもしれない。それは東洋には、昔は科学が無かったのであるから致し方のないことである。 墨と硯
薄田泣菫
硯と殿様 薄田泣菫 犬養木堂の硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。その硯については面白い話がある。徳川の末期に鶴笑道人といふ印刻家があつた。硯の善いのを沢山持ち合せてゐたが、その一つに蓋に大雅堂の筆で「天然研」と書いたのがあつた。阿波の殿様がそれを見て、自分の秘蔵の研七枚までも出すから、取り替ては呉れまいかとの談話があつたが、鶴笑はなか/\諾
沖野岩三郎
硯箱と時計 沖野岩三郎 石之助が机にむかつて、算術をかんがへてゐますと、となりの金さんが来て、 「佐太さん。石さんはよく勉強するね。きつと硯箱になりますよ。」と、言ひました。すると佐太夫は、 「いいえ。石之助はとても硯箱にはなれませんよ。硯箱になるのは、あんたの所の茂丸さんですよ。」と、申しました。 ふすまのこちらで、お父さまと金さんの話をきいてゐた石之助は
坂口安吾
碁にも名人戦つくれ 坂口安吾 十何年前のことだが本因坊秀哉名人と呉清源(当時五段ぐらいだったと思う)が争碁を打ったころは碁の人気は頂点だった。当時の将棋は木村と金子が争っていたが、人気はなかった。近ごろの将棋名人戦のすごい人気に比べて碁の方は忘れ去られた淋しさである。 将棋の人気はいうまでもなく実力第一人者を争う名人戦の人気である。昨日の名人もひとたび棋力衰
今野大力
船腹の色のはげ落ちた惨さは 遠く波濤とたたかって来た 今は疲労になやんで ぐったりと体を伸べたような いたわりの心を感ずる 廃船のようではないか 英蘭の旗を船尾に立てて 見れば船員が二三人 甲板に出て立っている あの船員の眼は碧く 頭髪は褐色に染み 彼ら異邦を航海する人々 雪降り暮るる港にあり ●図書カード
豊島与志雄
ある河のほとりに、崔という豪家がありました。古い大きな家ですが、当主の崔之庚が他から買い取って住んでいるのでした。 崔之庚は六十歳ばかりの矍鑠たる老人で、一代で富をなしたのだといわれています。大地主で、農産物の売買などもしていますが、大体閑散な生活を送っていて、時々旅に出ることがありました。他の土地に第二第三の夫人たちがいるとの噂もありました。また、済南の紅
田中貢太郎
碧玉の環飾 田中貢太郎 唐の代宗帝の広徳年間の事であった。孫恪という若い貧しい男があって、それが洛陽にある魏土地という処へ遊びに往った。遊びに往ったといっても、それは物見遊山のためでなく、漂白して往ったもののように思われる。ところで、この魏土地に女主人で袁を姓とする豪家があった。孫恪は別に目的もなかったが、その前を通りかかったので、ちょっとした好奇心から覗い
太宰治
「ボオドレエルに就いて二三枚書く。」 と、こともなげに人々に告げて歩いた。それは、私にとって、ボオドレエルに向っての言葉なき、死ぬるまでの執拗な抵抗のつもりであった。かかる終局の告白を口の端に出しては、もはや、私、かれに就いてなんの書くことがあろう。私の文学生活の始めから、おそらくはまた終りまで、ボオドレエルにだけ、ただ、かれにだけ、聞えよがしの独白をしてい
萩原朔太郎
手はえれき、 手はぷらちな、 手はらうまちずむのいたみ、 手は樹心に光り、 魚に光り、 墓石に光り、 手はあきらかに光る、 ゆくところ、 すでに肢體をはなれ、 炎炎灼熱し狂氣し、 指ひらき啓示さるるところの、 手は宙宇にありて光る、 光る金屬の我れの手くび、 するどく磨かれ、 われの瞳をめしひ、 われの肉をやぶり、 われの骨をきずつくにより、 恐るべし恐るべ
田山花袋
二人はよく裏の松林の中を散歩した。そこにはいろいろな花が下草に雑つて刺繍でもしたやうに咲いてゐた。黄い小さな花、紫色をした龍胆に似た花、白く叢を成して咲いてゐる花、運が好いと、真紅な美しい撫子の一つ二つをその中から捜すことは出来た。波の音は地を撼すやうに絶えずきこえて来てゐた。下には海水浴をする人達のために構へられた旅舎が二軒も三軒も連つてゐるのが見えた。